第1章 目が覚めたら異世界だった
鮮やかな木漏れ日が瞼を刺激したことで、天崎は眠りの世界から戻ってきた。
未だ完全覚醒に至っていない頭が、直感で危機を察知する。今は十一月。普段の起床時間だと、太陽はまだ昇っていない。朝日で目覚めたんだとしたら、急いで準備しないと遅刻してしまう……!?
だがしかし、瞬時に思い出した。今日は土曜日。授業はない。
なーんだ。慌てて起きて損した。予定もないはずだし、二度寝二度寝。
目覚めた勢いで上半身を起こしていた天崎は、再び寝入ろうと倒れ込む。
その瞬間……ガツッ! と、後頭部に衝撃が奔った。
「痛ッ…………!!?」
声にならない声を上げて飛び起き、勢いよく振り返る。
枕があったはずの位置に、何故か大きな石が転がっていた。
「……なんで枕が石になってるんだよ」
それだけではない。涙が浮かぶ眼で周囲を見渡したところで、初めて気づいた。
布団がなくなっている。それどころか床は畳ですらない。雑草の生えた、茶色い土がむき出しになった地面だ。また家具や壁も消失しており、天崎の周りは様々な形をした樹々が囲んでいた。
どう見ても、おののき荘ではない。野外、それも木の密集度を考えると森の中といったところだろう。
「どこだ、ここ」
目が覚めたら見知らぬ土地だった経験なんて初めてだ。
腕を組んだ天崎は、昨日の出来事を必死で思い出してみる。
家に帰ってからは、まず円をからかった。妹みたいな存在ができて、円がどんな心境なのか気になったからだ。そこで小声で『円お姉ちゃん』と呼んでみたところ……彼女は満更でもない様子でニマニマと笑い出したんだった。
そうだ。円が笑うこと自体が珍しかったもんで、写真を撮ったんだった。
思い出した天崎は、ポケットからスマホを取り出した。
アルバムを開くまでもなかった。ホーム画面では、昨日撮ったばかりの円の笑顔が映し出されている。そこまでは夢でも幻でもなく、事実というわけだ。
それからは確か、買い物に行って、夕飯を作って、家の中でゴロゴロして……普段通りの過ごし方だった。あまりにも淡々としすぎてて、少しだけ泣きたくなった。
ただ……やっぱりダメだ。眠っている間に森へ移動する理由が、まったく分からない。
立ち上がった天崎は、木漏れ日が差す枝葉の天井を見上げてみた。
いや、原因なんて後から考えればいい。まずはここがどこなのか、そして帰宅方法はあるのか知る必要がある。幸いにもスマホはあるので、GPS機能を使えば一発だろう。
日頃からもっと弄っとくんだったなぁ。と後悔しながら、天崎はぎこちない指先でスマホを操作し始めた。
と、その時だった。
一般人よりも感度の鋭い天崎の聴覚が、人の話し声と足音を捉える。
どうやら相手は二人。こちらへ向かってくるようだ。
「見失ってしまったみたいですねぇ」
「たぶん移動系の魔法で逃げたんでしょうね。リベちゃんのステータスでも見たのかしら?」
聞き覚えのある声だなと思いながらも、天崎は身構える。
案の定、森の奥から姿を現したのは見知った顔だった。
「あっ! 天崎さん、起きられたんですね!」
「リベリア!?」
金髪の吸血鬼が、嬉しそうに声を上げた。
ゆったりとしたタートルニットに、デニムのパンツ。その小柄な体格では隠し切れない漆黒の翼は、間違いなく知り合いの吸血鬼――リベリア=ホームハルトだった。
次に、彼女と並んで登場した少女を見て、天崎は訝しげに眉を寄せた。
どこかの高校のセーラー服の上に、群青色のマントを羽織っている。頭の上には、魔法学校で組み分けしそうなとんがり帽子。ハロウィンは終わったはずなのに、気合いの入った魔女のコスプレをした少女が、メガネの奥の鋭い目つきで天崎を睨んでいた。
あんまり歓迎していない様子の少女を、天崎は唖然としたまま見つめ返す。
リベリアと同様、その顔には見覚えがあった。
「もしかして……高槻か?」
「もしかしなくても私は高槻真論よ。同じアパートに住んでる住人の顔も忘れちゃったの? バカなの?」
辛辣な物言いだが、未だ状況に混乱している天崎には反抗する余裕もなかった。
天崎やリベリアと同じく、彼女もおののき荘の住人である。名は高槻真論。友人からはマロンちゃんと呼ばれているらしいのだが、天崎は彼女の素性をよく知らない。マロンは天崎と同じ高校二年生であるものの、通っている学校が違うからだ。
ただそれ以前に、マロンは長く留守にすることが多い。そのため天崎は、彼女と何度も顔を合わせた仲ではなかった。
だからこそ、目の前に現れた組み合わせを不思議に思う。
「お前たちって、面識あったのか?」
リベリアがおののき荘に住み着いてから、まだ二ヶ月くらいしか経っていない。にもかかわらず、天崎以上に仲睦まじい二人にはなんとなく違和感があった。
「ありますよ。マロンちゃんが帰ってくるたびに、一緒に食事にも行ってますからね」
「そ、そうだったのか……。ん? ってことは、前のおののき荘がなくなって、新しく移転したってことも知ってるのか?」
「当たり前よ。自分の寝床がなくなったなんて知らないわけないじゃない。旧石器時代の人間じゃないんだから」
例えは意味不明だが、天崎はなんとなく納得した。
ずっと帰ってきていないと思ってたが、それは勘違いだった。ただ単に、天崎と顔を合わせていなかっただけのようである。そして天崎と活動時間が異なるリベリアとは、頻繁に会っていたということなのだろう。
天崎もマロンの生活リズムを把握しているわけではないので、勘違いしても仕方がない。
なのに彼女は、まるで汚物でも見るかのように天崎から視線を逸らした。
「え、なに? もしかして自分の知ってることだけが世間の真実だと思っちゃってるわけ? なにそれキモイんだけど」
「そこまでは言ってないだろ……」
自分がマロンと会わなかったのは、ただ単に嫌われてるからだなと天崎は察した。
「ところでお前ら、なんでこんな所に……」
「――――ッ!?」
一瞬にして戦闘時の顔つきに変わったリベリアが、人差し指を自分の唇に当てた。その異様な雰囲気を察知して、マロンは懐から長さ二十センチ程度の杖を取り出す。
「……さっきの人たちが戻ってきたんですかね?」
「それはないと思う。この気配は……モンスターね」
「????」
未だ状況が呑み込めていない天崎の頭上には、クエスチョンマークが右往左往していた。
そんな天崎を余所に、少女二人は身構える。小さな杖を構えるマロンが何をしたいのかは分からないが、リベリアの方は明らかに臨戦態勢だった。
と、その時である。
ワオオオオオオオオォォォォォォォン!!!
という野太い遠吠えが、森の中に轟いた。
鼓膜を震わす咆哮に、天崎は耳を塞ぐ。そして雄叫びが止んだところで……気づいた。自分たちの周りを、何かが取り囲んでいる。
「リベちゃん。さっきも言ったけど、奴らは造られた存在だから容赦しなくてもいいよ」
「りょりょいの了解でっす。久々に暴れてみますか」
腰を落としたリベリアが、少女らしい悪戯な笑みを見せた――その瞬間だった。
近くの茂みから、得体の知れない巨大な生物が現れた。人型をした二メートル近くあるその生物は、目にも止まらぬ速さでリベリアの背後から襲い掛かる。
しかしリベリアの方も強襲を事前に察知していたみたいだ。
振り向きざまに高々と上げられた右脚が、強襲者の脇腹へと食い込む。そのまま回し蹴りの要領で上体を捻ったリベリアは、足の力のみで強襲者を地面へと叩きつけた。
「狼戦士ね。レベルは25。基本的に群れで行動するモンスターだから、まだ五・六匹くらいいるかもしれないわ」
踏みつけられているモンスターを見下ろして、マロンは冷静に分析した。
強襲者は人間ではなかった。茶色い体毛で全身が覆われた、狼のような獣だったのだ。
全身を確認した天崎は疑問に思う。体長が二メートルを越え、さらに二足歩行をする狼など今の日本に存在するのか?
まさか獣人? それとも自分みたいな『完全なる雑種』が変身した姿?
しかし、そのどちらでもないことは、すぐに思い知らされる。
天崎が観察している間にも、気絶した狼が泡となって消えてしまったのだ。
これには踏みつけていたリベリア本人も驚きの声を上げた。
「あれ? 消えちゃいましたよ?」
「今の一撃でHPが0になったんでしょうね。倒されたモンスターは、身体ごと消える設定になってるのよ。っと、そろそろ次が来るよ。気をつけて」
マロンに言われ、天崎も気づく。取り囲んでいた気配が、天崎たちを中心として円を描くように茂みの中を疾走している。まるで気配の檻の中に閉じ込められたよう。逃げることは許されない。
そして走り回る気配が一瞬だけ止まった、その時だった。
四方から、先ほどと同じような人型の狼が天崎たちに飛びかかる。
数は四つ。先陣を見て学習したのか、三体はリベリアとマロンの方へ。残る一体は天崎の方へと戦力を分散させていた。
二メートルを越す巨大な狼の爪が、天崎を襲う。
「どぅわっ!!」
大きく薙ぎ払われた爪の一撃を、天崎は持ち前の反射神経で避けた。
しかし綺麗な回避とまではいかない。あまりに不意打ちだったためか、無様にも尻もちをついてしまった。
「ちょ、待った!」
ついつい声で制止を求めてしまうが、相手は獣。おそらく言葉は通じていないだろう。
狼の容赦ない追撃が迫ってくる。
今度は牙だった。獣らしく前足を地面についた狼が、天崎の喉笛を噛み切ろうと大きく口を開ける。唾液にまみれた口内には、刃物のような牙が並んでいた。噛まれたら最後、おそらく骨まで砕かれることだろう。
目の前に迫り来る危機に、天崎は恐怖から身を竦ませ……なかった。
一般人ならば、化け物の襲撃に恐れ戦き身を固めていたはずだ。だが天崎はくぐってきた修羅場の数が違う。襲ってくる獣に対しての正しい対処法を知っているわけではないが、経験と生存本能がスムーズに身体を動かした。
両腕を背中の後ろで固定した天崎は、腰を捻って蹴りをブチかます。裸足の足が、見事に狼の下顎へとヒットした。
よろめく狼。しかし黄金色に見開かれた獣の瞳は、戦意を失ってはいなかった。
「やっべ、浅かったか?」
自分の攻撃を反省する間もなく、天崎は足を引っ込めて後転する。怯むことすらしなかった狼が、返す刀で足を噛み砕こうと口を開いたからだ。
何回か後転した勢いで、天崎は立ち上がった。
化け物のような狼と対峙することで、今さらながら恐怖心が芽生えてくる。
二メートルの巨体は、天崎を完全に包み込んでしまうほど大きい。人間でさえこのサイズと喧嘩したことなんてないのに、今の相手は二足歩行をする狼だ。どんな動きをするのか、まったく予想ができなかった。
嫌な汗がこめかみに浮かぶ。距離を取れば攻撃を躱すことは難しくなさそうだが、果たして自分にこの化け物を倒すことができるのか。
そう危機感を抱き始めた矢先だった。
「天崎! 離れなさい!」
マロンの声。横を見れば、狼に杖を向けている彼女の姿があった。
「燃えろ」
宣言するやいなや、杖の先から一筋の稲妻が奔った。
向かう先は、天崎と対峙している狼。稲妻が体毛に触れた瞬間、爆音とともに火の手が上がる。まるでガソリンに引火した激しい炎の中で、狼は踊るようにもがき苦しんでいた。
呆気に取られながらも、天崎は数歩ほど距離を取る。不思議と熱くはなかった。
やがて燃料となっていた狼が尽きたのか、炎は周囲の植物に燃え移ることなく、静かに鎮火していく。骨も残さない炎の跡には、数枚の金貨が出現していた。
「…………は?」
拾っていいものかどうか、なんで狼が金貨に変わったのかも理解できないまま、天崎は焦げ跡を見つめながら呆然と立ち尽くした。
「獣は火に弱い。これ常識よね」
得意げに呟いたマロンが、地面の金貨を拾い上げた。
それと同時に、背中の方からリベリアの元気な声が届く。
「マロンちゃん、見てください! レベルが一気に5まで上がりました!」
見れば、リベリアの足元に倒れている三体の狼が、今まさに泡となって消えようとしているところだった。
「わお! リベちゃん強すぎ! レベル差があったから、経験値をたくさんもらえたのね」
小走りでリベリアの元まで寄っていくマロン。
そして二人は仲良くハイタッチ。
そんな少女二人のやり取りを目にして、独り現状に取り残されている天崎は、
「誰か説明してくれええええぇぇぇぇーーー!!!」
腹の底から叫ぶことしかできなかった。




