エピローグ
二日ぶりに登校した天崎は、安藤と犬飼が親しそうに話しているのを見て安心した。一番の懸念事項が解決したので、肩の荷が下りるというものだ。
「二人とも、おはよう」
「おっす、天っち。ちょっと聞いてくれよ。安藤がさぁ……って、うわあああぁぁ! お前、その目どうしたんだ!?」
「あ?」
大げさに驚愕する犬飼に向けて、天崎は不機嫌全開の目つきで睨みつけた。
だが犬飼が驚くのも無理はない。なぜなら天崎の両目の下には、墨で塗りたくったような隈が張り付いていたからだ。
「大丈夫かい、天崎。まさか吸……昼夜逆転の感覚が、まだ抜けていないとか?」
「いや、夜泣きが……」
「あぁ……」
心配そうに声を掛けた安藤だったが、原因が判明するやいなや、同情の視線を寄こした。
問題事を持ち込んだ天崎が、ミルミルの泣き声に関してどうこう言える資格はない。ただ納得いかないというか、幸運にもというか、その被害を受けているのは、おののき荘では天崎だけだった。
リベリアと空美は夜には働きに出ているし、大家と円は昼間に寝ることもできる。安田は知らない。どうでもいい。
「で、どうしたんだ? 何かあったのか?」
天崎が問うと、犬飼が驚き顔から泣き顔へと豹変した。
「そうそう。俺っちが、この前の女子大生との進展はどうだって訊いたら、天っちが来るまで待てって言われてさ。ささ、この通り天っち来たぜ。話せよ安藤!」
「なんだ? あれから進展したのか?」
カバンを自分の席に下ろしながら、天崎も興味深げに問う。
あれからそんなに時間も経ってないし、そもそも仲を深められるような状況でもなかったはずだ。何かあったとすれば、学校を休んだ昨日くらいしかない。
話せ話せと犬飼に攻め立てられる安藤は、特に大事でもないように言い放った。
「進展というほどでもないけれど、報告はしておくよ。実はマジョマジョさんとお付き合いすることになった」
絶句だった。二人の顔はまるで、サルにまで退化したようなアホ面になった。
そして仲間意識の高いサルたちは、親しげに肩を組んで、異端児となった安藤を迫害するように睨み下ろした。
「ちょっと犬飼さ~ん。今の聞きましたか? 進展というほどでもない、ですって。ガッツリ進んどるやんけ!」
「ホンマっすよ天崎さ~ん。この大罪人、どうします? 処す? 処す?」
「……知り合って以来、最高に気持ち悪い顔だな」
妬み嫉みを隠そうともしない友人二人に、安藤は素直にドン引きだった。
「だって女子大生だぜ、女子大生! ガキの俺っちたちは知らない、あんなテクニックやこんな知識を披露して、手取り足取り教育されて……がーーーー、なんでこんなクソ真面目君が、最初に童貞卒業するんだい! 世の中不公平すぎるだろ!」
「クソがっ! この男のどこに惚れる要素があるってんだ! 眼鏡か!? マジョマジョさんは眼鏡に惚れたのか!?」
血の涙を流しながら苦しむ二人を見て、今度は安藤が絶句する番だった。
するとその時、すぐ隣で、どさりと何かが落ちる音が聞こえた。
見れば、たった今登校してきた月島が自分のカバンを床に落とし、顔を青ざめさせたまま突っ立っていた。
「あ、天崎さんって、もしかして年上が好み……なのかな?」
あまりに愕然とする月島の表情に、天崎ははっと我に返った。
「いや、別に俺は年上が好きだとかじゃなくて、ただ単に安藤が羨ましいだけで……」
「この邪教徒がああぁぁぁぁ!!」
突然、犬飼に頬を殴られた。勢い余って吹っ飛ばされた天崎は、周囲の机を巻き込む大転倒を引き起こす。
そこからは戦争だった。
「犬飼、てめぇ! 今マジで殴りやがったな!」
「天っちだけは味方だと信じてたのに……このクソ野郎!」
朝っぱらから取っ組み合いの喧嘩をし始める友人たちに対し、安藤はやれやれと言わんばかりに首を振る。しかしその顔に、煩わしそうに思う影は一切ない。
いつも通りの友人たちの馬鹿さ具合を目の当たりにして、安藤は口元を綻ばせたのだった。




