第11章 帰り道
ミルミルが作成した亜空間は、クルクルに解除してもらった。
西洋風の庭園が消え去るのと同時に、一般的なマンションの一室が現れる。安藤がマジョマジョをベッドに寝かせているのを見て、天崎はようやく気づいた。
「あっ。表札にあった『佐野』って、マジョマジョさんの名前だったのか……」
「知らないのにどうやってここまで来たんだ、君は」
「クルクルの力を借りただけだからな」
当のクルクルはというと、すでに絨毯の上で鼻提灯を膨らませていた。
「早いとこ、僕たちも退散しよう。いつマジョマジョさんが起きるか分からないからね」
「そうだな」
時計を確認すると、午前五時を過ぎていた。
亜空間内で天崎の血統が鎮静化するのを待つ必要があったのだが、どうやら一晩かかってしまったらしい。朝日はまだ昇っていないものの、起床が早い人なら目を覚ましてもおかしくない時刻だ。
眠ってしまったクルクルは安藤が背負い、赤ん坊のミルミルは天崎が抱き上げて、静かに外へ出る。仕方のないことだが、鍵は開けたままマンションを後にした。
マンションからおののき荘まで六キロほどあると聞き、出発早々天崎は戦意を喪失する。駅まで歩いて始発を待とうか迷ったが、よくよく考えたら財布を持っていないので断念した。諦めて徒歩で帰るとする。
数分ほど歩いたところで、天崎は今回のあらましを安藤に求めた。
「あらましって言われても、君もほとんど知ってるだろ? 堕天使のミルミルが悪魔の力を奪うために、僕を亜空間へ閉じ込めた。マジョマジョさんを人質に取られたから、素直に従うほかなかったんだよ」
「それなんだよ、俺が疑問に思ってんのは。なんでミルミルはマジョマジョさんを人質に取ったんだろうな?」
「この前のデートの時、陰からミルミルが見ていたらしい。僕とマジョマジョさんが話しているのを見て、恋仲だと勘違いしたんだろうね」
「それにしたって変だ。マジョマジョさんに人質としての価値はあったのか?」
「……どういう意味だい?」
「怒ったんなら謝る。けど今からもっと酷いことを言うから覚悟しとけ。お前は一回二回会った程度の女性のために命を懸ける男じゃないだろ?」
「…………」
反論もなく、憤ることもせず、安藤は黙ったまま目を細めた。
そして言い訳がましく口を開く。
「別に命を懸けてたわけじゃないさ。素直に従ったら危害は加えないと言われたものでね。やられたことといえば、椅子に座ったまま力を奪われただけだったし」
「百年もかかるって知ってたら、実質命を懸けたも同然だろ」
「隙を見て対処するつもりだったさ」
「今のお前に、本当にそれができたのか?」
「…………」
またも黙り込む安藤。しかしその顔に苛立ちはなく、ただただ閉口するばかり。
あのまま天崎が乗り込んでこなければ、安藤は間違いなくミルミルと百年を共にしていただろう。人間である今の安藤には、堕天使相手にどうこうできる能力はないのだから。
安藤のことをよく知っている天崎だが、考えていることまでは分からない。
だから天崎は問う。友の真意を確かめるために。
「だってお前、人間の社会生活を調査するために魔界からやって来たんだろ? んで、一通り人間の人生を送ってるって。そんなお前が、マジョマジョさんみたいな縁の薄い人のために命を懸けるとは思えないんだよ。親兄弟を人質に取られてたんなら、まだしもさ」
「……そんなに気になるのか?」
「気になる気になる。喉に刺さった魚の小骨くらい気になって気持ち悪い」
「例えが妙だけど……まぁ君には実際に助けてもらったわけだし、理由を話すくらいの義理は通すべきだな」
と言いながらも、安藤は『本当は喋りたくないんだけどなぁ』といった内心を隠そうともしないため息を吐き出した。
「まず最初に言っておく。これから僕が話すことは、決して他言しないでくれ」
「分かってるよ。この件について他言する相手なんかいねぇし」
「実はマジョマジョさんには……前世の記憶があるらしいんだ」
「はぁ? 前世ぇ?」
天崎が馬鹿にしたように吐き捨てると、安藤は歩く速度を速めた。
油断していると引き離されてしまうため、慌てて背中を負う。
「ごめんごめん。別に疑ってるわけじゃないからさ」
「次に今みたいな態度を取ったら、二度と教えないからな」
「悪かったって」
平謝りする天崎に対し、安藤は深々と肩を落とした。
隣に並んだ天崎が、話の続きを問う。
「前世って本当にあるのか?」
「分からない。というか知らない。僕の持論だけど、僕みたいに意図的に転生してきた例外は除いて、基本的に生まれ変わりは存在しないと考えている。……いや、違うな。死後、魂が別の何かに変化している可能性は否定できない。けど、新しく生まれた生命に前世の記憶が残っているなんて、あり得るはずはないよ」
「根拠は?」
「別にない。生者である限り、絶対に手の届かない領域だ。誰も知ることはないし、証明することもできない。だから僕個人の思想ってだけ」
「でもマジョマジョさんは、前世の記憶があるって言ったんだよな?」
「そう。それでその記憶ってのが……」
わずかに口を閉ざす安藤。この先を言ってもいいものか、躊躇っているようにも見えた。
天崎は急かすこともせず、安藤の言葉をじっと待つ。
「……なんでも五歳の時に誘拐されて、そのまま殺されてしまったらしいんだ」
「それはまた……」
さすがの天崎も言葉を失った。
生まれ変わってもなお殺された時の記憶が残っているというのは、想像を絶する辛さだったに違いない。
「その話を聞いた次の日、僕は図書館に行って調べたんだ。そういう事件があったかどうかをね」
「すごい行動力だな……」
「僕自身、前世が本当にあるのかどうか気になってたからな」
「で、あったのか?」
「あった」
天崎は息を呑んだ。
もしマジョマジョの記憶と安藤の調べた事件が一致していたら、それは前世が存在する確かな証拠になり得るだろうか?
しかし続けざまに発した安藤の言葉は、天崎の期待を裏切るものだった。
「十五年前の新聞だったよ。マジョマジョさんと同じ名前の少女が誘拐されたって記事が載ってた」
「マジか。……ん、十五年前? マジョマジョさんって、確か今年で二十歳だろ? それに同じ名前って……」
「そう。マジョマジョさんの記憶は前世のものではなくて、実際に自分が体験した記憶だったんだ」
「…………」
だんだん頭が混乱してきた。
前世だと思っていた記憶が実は今の人生のものであり、あたかも前世のものであるかのように振舞った。殺された云々は、実際に今マジョマジョは生きているわけだから、殺されるかもしれないほど酷いことをされたと解釈できるとしても、それを安藤に話すことに、いったいどんな意味があったのだろう?
「どういうことだ? じゃあお前はマジョマジョさんにからかわれたってことなのか?」
「いや、事件の内容からしても、とても冗談半分で言えるような話じゃない。おそらくマジョマジョさんは、事件のことを忘れたくても忘れられないんだと思う。だから辛い記憶を前世のものと思い込んで、今の自分から切り離してるんだろうね」
「はぁ……なるほどね」
五歳の時に誘拐された記憶など、一生もののトラウマになってもおかしくない。天崎にはそういった辛い経験はないが、酷いことをされたのは自分ではなく別の誰か、と思いたくなる心理はよく分かった。
「それで今では軽い男性恐怖症なんだとさ」
「なのに男性客メインのコスプレ喫茶で働いてるのか……」
「コスプレをしてる時は違う自分を演じられるから、意外と楽なんだってさ」
「ふーん」
子供の頃を前世と思い込むくらいだ。多重人格とまではいかなくとも、マジョマジョは自分の中に別の人間を作り出すのが得意なのかもしれない。
「それで? マジョマジョさんがお前にとって人質に成り得る理由と、その話がどう関係してくるんだ?」
「そんなの簡単だよ。可哀想だったから、だ」
「……それだけ?」
「それだけ」
満足したように話し終えた安藤に対し、天崎は苦い顔を露わにした。
その理由は、あまりに簡単すぎるのではないか?
「だって考えてもみてくれ。十五年前に変なおっさんに誘拐されて、今度は堕天使に人質にされてさ。誰だって同情するだろ?」
「それはそうだけど……」
可哀想だ。だから助けたい。その気持ちは、天崎にも痛いほど分かる。
けれども、それはあくまで一般論だ。大悪魔の安藤が堕天使に従うくらいだから、何かのっぴきならない理由があると期待していたのだが……。
そう伝えると、安藤は鼻で笑った。
「僕も十七年くらい人間をやっているわけだからね。一般的な感情も身についてくるというわけさ」
「そういうものなのかな」
納得いったようないかないような不思議な気分になりつつも、この話題は幕を引いた。
続いて、安藤が天崎へと問いかける。
「僕からも訊きたいんだけど、君はその赤ん坊をどうするつもりだい?」
安藤は、天崎が抱いている赤ん坊を顎で示して言った。
先送りにしていい問題でないことは分かっているのだが、答えは未だに出せずにいる。それを表現するように、天崎は露骨に目を泳がせてしまった。
「俺が育てるわけにもいかないし、実家にお願いするわけにもいかないし……やっぱ施設に預けるのが妥当かなぁ」
「相変わらず君は後先を考えないな」
「かといって、あのまま見殺しにするわけにもいかないだろ? 後味が悪すぎる」
「それについては激しく同意するよ」
同意するくらいなら、もう少し一緒に考えてほしいものだが。
「お前が育てるわけにもいかんよな?」
「馬鹿を言うな。僕は実家暮らしだぞ」
だよなぁ……。と、天崎は肩を落とした。
結局、ミルミルの処遇が決まらないまま、その話は中断されてしまった。
おののき荘へあと少しのところまで辿り着くと、東の空から朝日が差した。住宅の間から漏れる光が強すぎて、二人は思わず目を細める。
眩しそうに朝日から顔を背けながら、安藤が気怠そうに訊いてきた。
「天崎。今日の学校、どうする?」
「休む。まだ吸血鬼の血統が残ってるみたいで、朝日を見たら急に眠気が襲ってきやがった。お前は?」
「僕も今日だけは休むよ」
夜が明けることで事件解決を実感したように、二人は多大な疲労感を感じて、どちらからともなく身を竦ませるのであった。
やがておののき荘が見えてくる。
朝の静けさが残る中、おののき荘の敷地では久しぶりに見る顔が立っていた。
「あれ? 大家のばっちゃんだ」
どうやら大家は朝の体操をしているようだ。
「おはよう、ばっちゃん。久しぶりだな。いつ帰ってきたんだ?」
「おや、東ちゃんじゃないか。おはよう。昨日の夜に着いたばっかりだよ。東ちゃんこそ、こんな朝早くに、どこかへ行ってきたのかい?」
というか一晩中出払っていたわけだが、ちょっと散歩にと天崎は言葉を濁した。
ふと、大家が安藤の顔を見て訝しげな顔をする。
「えーっと、そちらは東ちゃんのお友達かな?」
その言葉を聞いた天崎の背中に、嫌な汗が浮かんだ。
事件の発端となったのは、誰も安藤を覚えていなかったことにある。だから天崎は、安藤本人を連れ戻せば、自動的に元に戻るものだと思い込んでいたのだが……。
今の大家の反応は、安藤のことをまったく知らないような感じだった。
しかし天崎の心配をよそに、安藤は大家に向かって頭を下げた。
「お久しぶりです、大家さん。僕は天崎の友人の安藤です。最後に会ったのは……確か三ヶ月くらい前でしたっけ?」
「あぁ、思い出したよ。安藤君だったね。ごめんねぇ。この歳になると、物忘れが激しくてねぇ。困ったもんだよ」
どうやら普通に忘れていたようだ。
すると突然、安藤の背中から白い物体が飛び上がる。ふわりと浮いたクルクルが、寝起きとは思えない元気な声を上げた。
「やぁ、チエちゃん。久しぶりなりね!」
「お? おぉ? アンタはもしやクルクルかい? こりゃ懐かしい顔が出てきたもんだ」
「クルクルにとってはチエちゃんの顔は懐かしいとは言えないなりねぇ。ちょっと老けすぎじゃないなりか?」
「そりゃ、あたしゃは人間だからね」
と言って、大家は豪快な笑い声をあげた。
失礼な奴だな。と天崎は一瞬だけ思うも、旧友同士のやり取りとはそういうものなのかもしれない。むしろ五十年ぶりの再会なのに、ほんの数日間しか会っていなかったような二人のやり取りには、少なからず不思議に思った。
「チエちゃんも人が悪いなりねぇ。前のおののき荘がなくなったんなら、教えてくれてもよかったなりよ」
「悪かったね。アンタが眠っていたことなんて、すっかり忘れてしまってたんだよ」
「親友の存在を忘れるなんて、酷いなり」
「自分の能力を棚に上げた発言だね……」
お人よしの大家も、クルクルの自分勝手な物言いには呆れてしまったようだ。
話を終えたクルクルは、そのままおののき荘へと歩き出した。その背中に向けて、天崎は問いかける。
「クルクルはこれからどうするんだ?」
「堕天使のことも解決したし、新しいおののき荘で眠らせてもらうなりよ。眠ってる間にまた野ざらしになったら敵わないなりから、今度はたまに起きるなり」
「堕天使?」
首を傾げる大家に向け、クルクルは天崎が抱いている赤ん坊を示しながら言った。
「クルクルたちは、さっきまで堕天使の討伐に行っていたなりよ。その赤ん坊が堕天使の成れ果てなり」
「それ言っちゃうのかよ……」
さっき散歩してきたと誤魔化した意味がないじゃないかと、天崎は肩を落とした。
興味ありげに寄ってきた大家が、天崎の腕の中を覗き込む。
「おや、可愛らしい赤ん坊じゃないかい。この子、どうしたんだい?」
赤ん坊という物的証拠を見られてしまっては、説明しないわけにはいかない。
少しだけ躊躇った天崎は、「実は……」と今回の成り行きを簡単に話した。
聞き終えた大家は、納得したかのようにゆっくりと頷いた。
「なるほど、なるほど。じゃあこの子は堕天使の赤ん坊で、身寄りがないわけだね」
「そうだな。見殺しにするわけにはいかないから連れてきたんだけど……さすがに無責任だったよな。育てることなんてできないのに……」
「東ちゃんが反省することはないよ。何も間違った選択はしていないさ。それによかったら、あたしゃがこの子を引き取ろうかい?」
願ってもない申し出だが……じゃあよろしくと、即決できるほど軽いものではなかった。
堕天使とはいえ、今は人間の子供とほとんど変わりがない。天崎は経験したことがないとはいえ、子供を育てるというのは多大な資金と労力が必要だと知っている。自分が持ち込んだ厄介事を、ほいそれと他人に投げていいものだろうか?
「遠慮はせんでええよ。あたしゃに子供はおらんけど、甥とその子供のおしめなら変えたことはあるで」
「そこは心配してないけどさ……」
「それに実家へ帰って初めて兄のひ孫を見てきたんだけど、やっぱり子供は可愛いねぇ」
「…………」
むしろ引き取りたそうに言うが、天崎は未だ二の足を踏んでいた。
そこへ安藤の鋭い言葉が突き刺さる。
「天崎。君が遠慮するのは構わないけど、大家さんの提案を断るのは、この赤ん坊に対して無責任なんじゃないか?」
「そうだよ、東ちゃん。子供が一人くらい増えたところで、あたしゃなあんにも困りゃせん。それに東ちゃんもまだまだ若いんだから、こんな老いぼれ一人に迷惑を掛けれんとなると、この先苦労することになるよ」
「そう……だな」
まるで一人で抱え込もうとする自分の方が駄々っ子みたいな感じがして、天崎は己の不甲斐なさを少しだけ恥じた。
そして大家に向けて、深々と頭を下げる。
「ごめん。ばっちゃん、お願いするよ」
「ほいきた。とはいっても、期限はあたしゃが死ぬまでだからね。その後のことは頼むよ」
「あぁ」
そう言って、大家は天崎から赤ん坊を受け取った。
子供はいないと言っていたが、赤ん坊の抱き方は堂に入っている。年の功とは、自分がいくら頑張っても辿り着けないものだなと、天崎は実感した。
「なるほどねぇ、こういうことだったのかいな。念のため、ひ孫のお古を貰っておいてよかったよ」
赤ん坊を抱きながら、クルクルと共に部屋へ戻っていく大家の独り言を耳にして、天崎と安藤は顔を見合わせた。
やられた、と思った。大家はおそらく、占いで赤ん坊を預かることを事前に予知していたのだ。どれだけ具体的だったかは知らないが、つい先ほど赤ん坊を抱いた天崎よりかは、遥か前から覚悟していたわけである。彼女の余裕のある言葉にも、納得がいった。
「じゃ、じゃあ僕は帰らせてもらうよ。また明日、学校で会おう」
「おう。今度は堕天使に連れ去られるなよ、小悪魔」
「冗談は血統だけにしてくれ、『完全なる雑種』」
軽口を叩いた二人は、各々の家へと向かって歩いていく。
しかし天崎は……完全に忘れていた。
急激に眠気が襲ってきたからか、それとも赤ん坊を大家に預けて一安心したためかは分からない。ただ決して忘れてはいけないことが、天崎の頭からすっぽりと抜け落ちていた。
階段を上り、二階へと向かう。
自分の部屋の扉を開けると……そこには童女の死体があった。
死因はおそらく……餓死だ。
「おなか……すいた……」
相手を呪い殺さんばかりの恨みがましい視線が、天崎を射る。その視線があまりにも恐ろしく、天崎は思わず目を逸らしてしまった。
そう。昨日の夕方、少しだけ近場を探索するつもりでクルクルと家を飛び出したのだ。円には、夕飯までには戻ると約束して。
しかも夕食の支度をサボったのは、これで二日連続である。円が怒るのも無理はない。
そんなに腹減ったんなら、何か適当に食べとけよ。とも思ったが、帰ってくると約束した手前、反論することはできなかった。
「ごめん……朝ごはんはしっかり作るから」
その言葉を聞き終えた円は、力尽きたように顔を伏せた。
俺も早く横になりたいと思いながらも、腹をすかせた同居人のため、渋々冷蔵庫を開ける天崎だった。




