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ドラキュティックタイム  作者: 秋山 楓
第3話『エンゼル・ヘンジェル』

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第9章 再会

 お互いの目的が一致した天崎とクルクルは、さっそく近場の探索を始めた。


 ただ天使が仲間に加わったといっても、明確な捜索手段が増えたわけではない。できることといえば、街中を虱潰しに走り回るくらいだった。


「どれくらいの範囲なら察知できるんだ?」

「……ん? ごめんなり。うっかり眠ってしまったなりよ」


 唯一の手掛かりがコレなので、天崎のやる気も下降気味になってしまうというものだ。


 天使であるクルクルには、『真実看破(しんじつかんぱ)』が備わっている。壁に阻まれた空美やリベリアの種族を当てたり、天崎の中に流れる『完全なる雑種』の血を見抜いたような能力だ。


 つまりクルクルがいれば、安藤とミルミルがどこに隠れていようと関係ない。クルクルの『真実看破』に引っかかるまで、街中を駆け回ろうと思ったのだ。


 ちなみにクルクルは『認識阻害』を使ってくれているので、白い子供を背負ってランニングしている変な男の噂が広まることはないだろう。


「範囲って言われても、正確な距離は分からないなりねぇ。下界の単位で言ったら……五十メートルくらいなりか?」

「十分だ」


 体力には自信がある。市内中を走査する覚悟で、天崎は走り続けた。


 安藤を追う手掛かりは何もない。この街どころか、下界にすらいないのかもしれない。だが必ず友を見つけ出すと決心した天崎は、一切の努力が無駄になることを厭わなかった。


 一時間ほど走ったところで、天崎は足を止めた。町内はだいたい回り終えたのもあるが、あまりにも静かすぎる背中に不安を抱いたからだ。


「起きてるよな?」

「寝てるなりけど、感覚は研ぎ澄ませてるなりよ」

「いや、そこは起きといてくれよ……」


 見つからないのは仕方がないが、眠っていたので見逃しましたじゃ話にならない。


 一呼吸置いた天崎は、星が浮かび始める空を見上げた。夕日は沈みかけ、夜はもうすぐそこまで来ている。体力的には一晩中駆け回ることも可能だが、本当に存在しているかも分からない相手を捜すのは、精神的にキツイ。タイムリミットが近いわけでもないし、もう少し粘ったら今日は引き上げるかと、天崎は再び歩を進めた。


「うーん、これは骨が折れるなりねぇ。見つかるのはいつになることやら」

「骨を折ってるのは俺の方なんだが?」

「感覚を研ぎ澄ませるのにも、それなりに体力を使うなりよ」


 だったらフリでもいいから、もうちょっと真剣にやってほしいものだ。

 しかし呆れてしまう天崎をよそに、クルクルは今までの苦労が水の泡になりそうな一言を言い放った。


「実は一発で発見できる方法がないわけでもないなりが……」

「マジか。最初に言えよ」

「その方法は、最悪お兄さんが死んでしまうなり」

「…………」


 確かに、死ぬ危険を冒してまで為すべきことではない。

 とはいえ、方法を聞くこと自体にリスクがあるわけでもないだろう。


「……どんな方法なんだ?」

「ミルミルって奴は、天使のクルクルに引き寄せられて堕天してきたなりよね? 今度はそれの逆を行うなり」

「逆?」

「クルクルがミルミルって奴に引き寄せられてみるなりよ」

「???」


 疑問符が浮かんだものの、別に理解できなかったわけではない。そんな間違いのない簡単な方法があるのなら、なんで最初から言わなかったのだろう。それに天崎が死ぬとは、一体どういうことなのか?


「……できるのか?」

「一つ目の問題はそこなりね。相手が天使ならできると断言するなりが、ミルミルは堕天使なりからね。絶対に成功するとは限らないなり」

「でもやってみる価値はあるだろ」

「それが二つ目の問題なり」


 背中でクルクルが深い息を吐いたのが分かった。


「どこに居るかも分からない相手に引き寄せられるってことは、当然空から落ちることになるなり。地上でやっても壁にぶつかるなりからね。空を飛ぶのはクルクルがいるから問題ないなりが……その後はどうなるか知ってるなりよね?」


 天崎は黙って頷いた。


 実際にミルミルが墜落した場面を見たわけではないが、耳を劈く衝突音と、建設途中のおののき荘がどうなったかは、嫌でも思い出せる。もしあれが生身の人間だったなら、死んでいてもおかしくはない惨状だった。


「衝突前にできるだけブレーキをかけてみるなりが、引き寄せが始まるまでは全身脱力しないといけないなり。場合によっては間に合わないかもしれないなり」

「……なるほどな」


 衝突となると、天崎だけの問題ではなくなってくる。


 屋外ならまだしも、建物の中に安藤たちがいた場合、他の住民などを巻き込んでしまう可能性があるからだ。周りに被害を出すのは、できれば避けたい。


「ブレーキってのは、成功率はどれくらいなんだ?」

「相手がどこに居るか分からないなりからねぇ。真下だったら、精密度は上がるなりけどブレーキは間に合わないなり。逆に遠方だったらブレーキは間に合うなりけど、ピンポイントは無理なりよ」

「よし、やろう」

「……お兄さん、潔いなりねぇ」


 このまま走っていても埒が明かない。

 方向だけでも分かる方法があるなら、試すのみだ。


「この辺は一通り捜したんだ。真下に落ちるってことはないだろ。ってことは、足の届かなかった遠方だ」

「失敗したらお兄さん死ぬなりよ」

「身体の頑丈さには自信がある」


『完全なる雑種』だからな。と、天崎は嘯いた。


「それにクルクルの能力を信じるよ」

「ついさっき会ったばかりなのに、信じられても困るなり」


 呆れたようなため息が聞こえた途端、天崎の足が宙に浮いた。

 地面がだんだん離れていく。


「お、おい!」


 陽は沈み周囲に人影のない住宅街とはいえ、人一人が空を飛んでいたら、さすがにバレるんじゃなかろうか。


「大丈夫なり。お兄さんの姿も『認識阻害』の対象にさせてもらったなりよ」


 とはいえ天使か人間が宙に浮いていると確信して空を見上げられたら、簡単に発見されるはずだ。そんな人間、いるかどうかは分からないが。


 夜空へ向かって、ゆっくりと上昇していく。西の空では夕日が完全に沈み、真下では民家から漏れる明かりが点々としていた。


 明るければ隣の市までも一望できる高さに達し、空中で停滞する。


 クルクルに持ち上げられている天崎は、眼下に広がる街並みを見下ろして身体を震わせた。この高さから落ちれば、いかに『完全なる雑種』とて死に至るだろう。


「じゃ、お兄さん。覚悟はいいなりか? やめるなら今のうちなりよ」

「そうだな。ちょっと待ってくれ」


 些細な抵抗ではあるが、少しでも生存率は上げておきたい。

 天崎は自らの人差し指に牙を立てた後、その血を啜った。


「あれれ? お兄さんの吸血鬼の比率が急に上がったなりね」

「そういう処置をしたからな」


 徐々に視力が良くなっていく。出歩いている人間の表情まではさすがに無理だが、暗闇でも輪郭まで捉えることができるようになってきた。クルクルの言葉に加え、吸血鬼化の能力はちゃんと機能しているんだなと、天崎は実感した。


「準備は整ったなりね? それじゃ、行くなりよ」


 言い終えた直後、背中のクルクルが全身を脱力させた。


 ものすごいゆっくりな速度で、真下へと降りていく。天崎はクルクルに捕まえられているだけなので、手を離されやしないかヒヤヒヤしていた。


 そして、それは唐突に始まった。全身が西の方へと引っ張られ始めたのだ。


 自由落下以上の速さだった。まるで強力な磁石に引き寄せられるように、まるで巨人に全力で投げ飛ばされたように、西へ向かって急発進する。あまりのスピードのため、正面から受ける空気抵抗は、コンクリートの壁に叩きつけられたような固さだった。


 腹の中の物が逆流する感覚。胸が圧迫され、呼吸ができない。

 故に、声を出すことが叶うはずもなかった。


「ク……ルク…………ル?」


 全身に多大な負荷がかかる。パイロットの訓練など受けていない天崎には、このGに耐える術など持ち合わせていない。気を失わずに済んでいるのは、直前に強化した吸血鬼の血のおかげだった。


 裏返りそうな眼球を必死に固定させ、天崎は地上を見下ろした。

 暗闇の地上が迫ってくる。にもかかわらず、減速する様子はない。


 天崎は何十倍にも重たくなったと感じられる右腕を、死に物狂いで回転させた。そして奇跡的にも、肩を掴んでいるクルクルの手に爪を立てることができた。


「…………はっ!」


 クルクルは、まるでたった今正気を取り戻したかのような声を上げた。実際に声が聞こえたわけではないが、クルクルが慌てて顔を上げたのが背中越しに伝わってきた。


「なりなりなりなりなり!!!」


 奇妙な掛け声を境に、急激に減速が始まる。あまりに激しい速度変化に、内臓が引っ掻き回される感覚を味わった。


 しかし……遅かった。


 新幹線の最高速度以上のスピードで落下していたのだ。いくらクルクルが万能な天使だろうと、慣性の法則には逆らえない。小さな体にしては驚くべき減速だったが……地面はあまりにも近すぎた。


「――――ッ!?」


 斜めに落ちている天崎には、落下予測地点が見えた。

 街灯の少ない住宅地。このまま行けば、民家の屋根に衝突する。


 しかし圧倒的な風圧に負けている身体では、どうすることもできない。衝突の衝撃に備えるため、天崎は胸の前で両腕を交差させた。


 そして――。


 ガツッ! という衝撃音。右腕に鈍い痛みが奔るのとともに、再び空中へ投げ出された。垂直ではなく、斜めから衝突したためか、民家の屋根でバウンドした天崎の身体はそのまま放り出されたのだ。


 同時に、背負っていたはずのクルクルの感触が背中から消える。クルクルが助けてくれる期待ができないと一瞬で判断した天崎は、再び来る衝撃に備えて身を抱えた。


 最終的な落下地点は、民家に挟まれた細い公道だった。


 アスファルトの地面が背中に接触するやいなや、少しでも衝撃を和らげようと、天崎は頭を守りながら全身を回転させた。五回転ほどしたところで、ようやく理不尽な投飛行から解放された。


「痛ッ――」


 全身の擦り傷は大したことなさそうだが、最初に衝突した右腕がマズい。折れてはないにしても、変な痺れが邪魔して正常に動かせるまで時間がかかりそうだ。とはいえ純粋な人間じゃなかった分、これでもマシな方だったのだろう。


 右腕を抱えながら蹲っていると、暗闇の向こうからクルクルが歩いてきた。


「お兄さん、大丈夫なりか?」

「……漫画でよくあるアバラが何本か逝ったっていう表現、絶対に嘘だよな。腕ですら折れてるかどうかなんて、自分じゃ分からないのに」

「それだけ寝言が言えるんなら、問題ないなりね」


 安心するというよりは、呆れたようにクルクルは肩を落とした。


「っていうか、クルクルは大丈夫だったのか?」

「これくらいの衝突じゃ、天使は傷付かないなりよ」


 確かにミルミルが墜落してきた時も、ピンピンしていたはずだ。


「ふーん……今思ったんだけどさ、クルクル一人で場所だけ特定して、その後俺を呼びに戻ればよかったんじゃないか?」

「お兄さんの為にやってるのに、クルクル一人に労働させるなりか?」

「……ごめん」


 だとしても命を危険に晒すよりはマシだったかなと思いつつ、天崎は立ち上がった。


 街灯の少ない、閑静な住宅街だ。すでに陽が沈んでいることも相まってか、運よく近場に人の気配はない。引き寄せられた距離と角度からして、おそらく一駅くらい離れた隣町なのだろうが……さすがに天崎には見覚えのない風景だった。


「激突したのは、たぶんあの家なりね」


 クルクルが指さす方向には、三階建ての賃貸マンションがあった。

 薄暗いとはいえ、天崎の目からは特に変わった様子はないように見える。


「あそこに……安藤とミルミルがいるのか?」

「いるかどうかは分からないなりが、おそらくビンゴなり」


 妙な言い回しだった。


 五十メートル以内なのだから、いるかいないかは感じ取っているはずだろう。しかし分からないと言いながら、ビンゴとも表現している。訳が分からない。


「もうちょっと近づいてみるなりよ」


 言われるがまま、天崎はマンションに向かって歩き出した。


 近づいてみても異変は見当たらないはずなのだが、クルクルは何故か納得がいったように、うんうんと頷き始めた。


「間違いないなりね。あのマンション、一室が亜空間化してるなり」

「亜空間?」


 これはまた何とも珍妙な単語が出てきたものだ。


「その亜空間ってのがミルミルの仕業として、天使にそんなことができるのか?」

「もちろんなり。むしろ『認識阻害』や『認識改変』よりもメインの能力なりよ」

「……どういうことだ?」

「さっきも言ったなりが、天使が下界に降りる時は力を削ぎ落さなければならないなり。そのために製造されたのがクルクルみたいな天使なりが、見た目や文字通り、普通の人間でも赤子の手を捻るくらい簡単に殺せるなりよ」


 それは天崎も実感していた。

 クルクルの身体は、見た目の異質ささえ除けば、普通の幼児みたいだなと。


「では、どうやって存在してはいけない存在を排除するのか。そこで与えられた特殊能力が、『亜空間作成』なり。個体によって得意不得意はあるなりが、天使は誰でも亜空間を扱えるなり。で、お兄さんは気をつけなければならないなり。展開された亜空間の中だと、天使はなんでもできるなりからね」

「なんでもってのは?」

「なんでもはなんでもなり。人間が小説を書くのと同じようなもので、本人の想像が及ぶ範囲内なら自由になんでも実現できるなり。さっきの衝突も、亜空間を身に纏っていたから無傷で済んだなりよ」


 その万能さに、天崎は息を呑んだ。


 想像したことをすべて実現できるってことは、目の前の相手に対して『死ね』と念じただけで殺せるのではないか?


「それでも行くなりか?」

「……ここまで来て引き返すわけにはいかないだろ」


 そう言って、覚悟を決めた天崎はマンションの中へと足を踏み入れた。

 場所は三階の角部屋。表札には『佐野』の文字。知らない名前だった。


「本当にこの部屋なんだろうな?」

「はっきり言って、二人がいるかどうかは判っていないなり。ただ、中が亜空間化しているのは間違いないなりよ。気をつけるなり」


 クルクルの言葉を信用した天崎は、恐る恐るインターフォンを押した。

 室内で音が鳴り響くも、返事はない。人が動く気配もなかった。

 すると突然、ドアノブからカチャリと音が鳴った。


「鍵が……開いた!?」

「あ、驚かせてごめんなり。クルクルが開けたなりよ」

「っていうか、中が亜空間化してるのに内鍵だけしかないのか」

「そもそも『認識阻害』があるなりからね。あんまり派手な結界張っちゃうと、逆に人目を引く可能性が高くなるなり」


 なるほど。宝箱のジレンマのようなものだと、天崎は納得した。


 大切な物は厳重に保管したくはあるが、厳重だからこそ宝物が入っていると一目で分かる。逆に何の変哲もない箱や場所に放置しておけば、取られる可能性は高くなるものの目を向けられにくくなる、というわけだ。


 意識を向けられたくないから亜空間を作成したのに、入り口を厳重にしてしまったら、何かあるんじゃないかと勘繰られてしまう。それでは本末転倒だ。


 意を決した天崎は、ドアノブに手を掛ける。扉は簡単に開いた。

 中は、真っ暗だった。


 照明が点いていないとか、カーテンを閉め切っているとかではない。完全なる闇。漆黒の霧が室内に充満し、一歩先の床すらも視認できなかった。


「入るなりか?」

「しかないだろ。……毒じゃないよな?」

「有害か無害かの前に、物質ですらないなりよ。意識を逸らす効果が大きすぎて、お兄さんが室内を直視できていないだけなり」


 そういうものなのだろうか。自分の感覚では、確実に真正面を向いているつもりだが。

 疑いつつも、天崎は開いた扉の隙間に身を滑らせ、室内へと侵入する。


 だが、その瞬間……足を踏み外した。


「なっ――」


 敷居に躓いたとか、脱ぎっぱなしの靴を踏んでバランスを崩したというわけではない。ただ単に、一歩踏み出したその先に、床が存在していなかっただけだ。まるで闇に紛れて落とし穴が仕掛けてあったかのように。


 気づいた時には、もう遅かった。


 身体が傾いた天崎は、無我夢中に両手を虚空へと彷徨わせる。だがしかし、何かに捕まることもできないまま、天崎は闇の落とし穴へと呑み込まれていった。






「――――痛ッ!!」


 落下時間は一秒にも満たなかった。衝撃に備えて頭を守ったはいいものの、底が浅すぎて足首を挫いてしまう。どうやら落ちた高さは二メートル程度だったみたいだ。


 地面にしゃがみ込む形で着地した天崎は、慌てて顔を起こす。

 目の前に広がった光景は、室内ではあり得ない景色だった。


「なんだ……ここは」


 青い空に白い雲。視線を下げれば、だだっ広い芝生の絨毯が広がっている。


 さらに、色とりどりの花が植えられた花壇。一流の庭師が整えたであろう生け垣。簡易的ではあるが、そこはまさに歴史ある宮廷の庭園のようだった。


 そして……、


「天崎!?」


 知った声が聞こえ、天崎は急いで振り向いた。

 昨日から行方不明だった友人が、今にも駆け寄って来そうな勢いで、椅子から腰を浮かせていた。


「安藤!」

「何で君がここに……」


 驚いた顔に呆れを混ぜつつ、安藤は言葉を失った。

 だがしかし、天崎の視線はすでに安藤を捉えてはいなかった。


 白いテーブルを挟んで安藤の対面に座っている、白い少女。今では完全に記憶を掘り出せられる堕天使が、面倒くさそうにため息を吐いていた。


「外で誰かが近づいてきてると思ったら、お兄さんだったんでちね。自分が作成した亜空間のせいで、気づくのが遅れたでち」


 堕天使ミルミル。小さな体躯の彼女が、大げさな仕草で首を振った。


 天崎はミルミルをきつく睨みつけるのと同時に、今の状況に混乱する。想定通り二人が同じ場所にいたとはいえ、それはあくまでもミルミルが安藤を連れ去ったという仮定に基づいた予想だった。だから天崎は、安藤は監禁ないし軟禁されているものだと思っていたのだ。


 しかし現状はどうだろう。


 亜空間に囚われているとはいえ、安藤は縛られているわけではないし、動けなくなるまで暴行を受けた様子もない。しかもティータイムでもするかのように、仲睦まじくテーブルで向かい合っているではないか。


「ミルミルの目的を達成させるには、少しばかり時間が必要でち。お兄さんは黙って見逃してくれそうにないでちから、ここで排除するでちよ」

「待て、ミルミル!」


 安藤の制止を無視し、椅子から飛び降りたミルミルは、テーブルの上にある水晶玉を手に取った。


「いい機会でち。コレの効果を試してみるでち」


 そして水晶玉を胸の前で大事そうに抱えると、ゆっくりと瞼を閉じた。

 たったそれだけの行動なのに……天崎の背中に寒気が奔った。


 本能的に感じ取ったのだ。ミルミルがやろうとしているのは、マジでヤバい行為だと。


 だが、どうすることもできなかった。ほんの数秒ほど走れば手が届く距離なのに、足が竦んで動けない。水晶玉から漏れる瘴気が、天崎の恐怖心を助長させていた。


 このまま立ち竦んでいては、ミルミルの準備が整ってしまう。

 かといって恐怖に怯える両脚では、逃げることも立ち向かうこともできそうにない。

 あらゆる選択肢が放棄され、ただただ最悪の時を待つばかりと観念した――。

 その時だった。


「クルクルヘッドバーーーッド!!!」


 天崎の背後から、低空飛行で飛来する白い物体が風を切る。

 ものすごいスピードでミルミルへと突進していく、クルクルだった。


 目を閉じているミルミルは反応が遅れる。それどころか、最初からクルクルの接近に気づいていないようだった。


「あがっ!!」


 クルクルの繰り出したヘッドバッドは、見事ミルミルの広いデコへと命中。あまりの衝撃に水晶玉を手放したミルミルは、二転三転と後転しながら吹っ飛ばされた。最終的には生け垣を飛び越え、姿が見えなくなってしまった。


 そして突進の勢いが余ったクルクルもまた、天崎たちには目もくれずに、ミルミルを追いかけるため生け垣を越えていった。


「今のは……何だったんだ? 天使のようにも見えたけど……」

「天使だよ。名前はクルクルっていって、アイツのおかげでここが分かったんだ」


 突然の出来事に唖然としていたが、友人の顔を見るやいなや、天崎はすぐに目的を思い出した。


「それよりも安藤、これはいったいどういうことなんだ? 俺はてっきり、ミルミルに無理やり連れ去られたと思ってたんだが……」

「待て。質問には後で答える。先にミルミルが落としていった水晶玉を拾え」


 命令口調にムッとしながらも、天崎は言われるがまま水晶玉を拾った。俺がどれだけ心配したと思ってるんだと、ついつい小言が出てしまうのも仕方がない。


「で? この水晶玉が何だって言うんだ?」

「それが堕天使ミルミルの目的なんだよ」


 こんな変哲もない水晶玉が? と思い、まじまじと見ることで気づいた。

 水晶玉は透明ではない。中に邪悪な黒い靄が混じっている。


「その中には僕の悪魔としての力が封じ込まれているんだ。彼女の目的は、僕の力を奪うことだった」

「けどお前、今は普通の人間なんだろ? 悪魔の力なんて、これっぽっちも残ってないって言ってなかったか?」

「魔界には肉体が残っているからね。魂を通じて力を吸い上げてるらしいんだ。ミルミルは、すべての力を奪うには百年くらいかかると言っていた」

「ひゃく……」


 つまりミルミルは、安藤を百年も監禁するつもりだったのだろうか?


「いったい、何のために……」

「知らないよ。けど悪魔に堕ちるとしても、堕天使として生きていくにしても、今よりもさらに強大な力が必要だったんだろうね」


 肩を落とす安藤。しかし悠長に話している場合ではなかった。


 生け垣の向こうから、白い物体が放物線を描いて飛んでくる。それは芝生の上で一度だけバウンドした後、天崎たちの足元で大の字に倒れ込んだ。


 目を回したクルクルだった。


「や、やられたなり~」


 情けない声を上げ、ノックダウンするクルクル。

 それと同時に、クルクルが飛び越えてきた生け垣が割れる。


 現れたのは、俯きがちにこちらを睨んでいる、見知らぬ白い女性だった。

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