間 章 とある女子大生と大悪魔の会話
森林公園を歩いている途中、天崎がトイレへ行きたいと言い出したので、一行は付近のベンチで待つことになった。
天崎が公衆トイレの中へ消えると、マジョマジョが安藤の肩をつついた。
「ねぇ、安藤君。二人で少しその辺を歩かない?」
「僕は別に構いませんが……」
チラリとミコミコの方を窺うと、彼女は眠っているリベリアをベンチに座らせながら、はよ行けと言わんばかりに手を振っていた。
まるでこうなることが予定にあったような仕草だ。
「いいよ。あたしはここで天崎君を待ってるから」
と言われてしまっては、安藤としては断る理由がない。
ミコミコと別れた二人は、公園内の池の周りを歩くことにした。
「今日はありがとうね、安藤君。私たちの我が儘に付き合ってもらっちゃって」
「いえ。特に予定がなかったんで、問題ありませんよ」
「うふふ。安藤君、緊張してる?」
「?」
別に緊張などしていないんだが?
と思って安藤が首を傾げると、マジョマジョは唐突に髪をかき上げた。長い髪に隠れていたうなじが露わになり、そよ風のリズムに乗って後ろへ流れていく。その行動の意図を掴みかねていた安藤は、マジョマジョの髪が落ち着くまでじっと見つめていた。
すると、マジョマジョが唐突に肩を落とした。
「あれぇ、おかしいな。うなじを見せてドキッとしない男子高校生はいないって、この前読んだ本に書いてあったんだけどなぁ」
どんな本だよ。
とはいえ、その言葉で安藤はマジョマジョの行動の意味を理解した。
「僕には姉が二人もいますからね。年上の女性は慣れているというか、なんというか……」
「なるほどねぇ。私に魅力がないわけじゃなくて、少し安心したわ」
自分でそれを言うのか。
だが聡明な安藤でも、マジョマジョが何故そんなことをするのか理由が分からなかった。ただ会話の間を繋げるためなのか、年下をからかって面白がっているだけなのか。
いや、そもそもの話、安藤は女子大生に遊びに誘われた理由を知らない。
「そういえば、今日はどうして僕たちを誘ったんですか? お店で一回顔を合わせたことがあるだけですよね?」
「それはね、私が安藤君のことをとても気に入ったからなの」
ドキッ……としておこう。と、安藤は思った。
しかし、さすがに露骨すぎたみたいだ。安藤の仕草を見破ったマジョマジョが不機嫌そうな表情を作る。
「今のはわざとらしかったなぁ。お姉さん、傷ついたなぁ」
「すみません」
言葉とは裏腹に、マジョマジョは特に気にしている様子はなかった。
ふと足を止め、彼女は池の柵に腕を預けて遠くの方を見ながら言った。
「安藤君を気に入ったってのは本当だよ。だって安藤君、無害そうだし」
「無害?」
オウム返しをしながら、安藤は言葉の意味を探る。
確かに自分は無害と言えば無害だ。人間の社会生活を調査するため、あまり目立つようなことはできない。誰とも摩擦を生まず、人当たりのいい人間を演じ、当たり障りのない人生を送る。その中で人間の変化を観察することが、安藤の目的だった。自分が地味な優等生を演じている理由は、すべてそこに帰結する。
だから無害というのは間違ってないし、安藤自身も自覚はあるけれど……男子高校生にそれを言うと、怒る奴の方が多いんじゃないかなぁ。と、今現在男子高校生を演じている安藤は思った。もちろん、安藤は怒ったりなどしないが。
「安藤君はさ、前世って信じる?」
また話題がガラッと変わったなと思いつつ、安藤はマジョマジョに倣って柵に身を預けた。
遠くの方で、魚が跳ねた。
「前世……ですか?」
「うん。人の生まれ変わりがあるかどうかってこと。信じる?」
やけにマジョマジョは拘ってくる。
安藤自身、人間の輪廻転生についての知識はない。
人間を含め、すべての生物には魂が宿っている。肉体が死ねば魂は解き放たれて冥界へと昇って逝くが、その後どうなるかはまったく知らなかった。
だが例外もある。それが安藤自身だ。
安藤は、魔界の中でもトップクラスの力を持った大悪魔だ。今は諸事情により人間に転生しているのだが、決して魔界にある悪魔の肉体が死んだわけではない。自らの身体に疑似的な死を与え、魂を取り出し、この世界で安藤として生まれるはずだった胎児に縛り付けることで、この世に生を果たしたのだ。
つまりマジョマジョの問いに対する返答としては、難しいところである。
前世の記憶……生まれる前の記憶は、もちろんある。けれども生まれ変わりと言われると、悪魔の肉体は死んでいないので……微妙なところだ。
ずいぶんと長い間、真剣に考えていたのだろう。
安藤の顔を覗き込んでいたマジョマジョが、申し訳なさそうに笑った。
「ごめんね。変な質問しちゃって」
「いえ……」
「私さ、前世の記憶、あるんだ」
池の対岸を見つめるような遠い目で、マジョマジョが言った。
その横顔は、どこか悲しげだった。
「その前世っていうのが、少し不幸な人生を歩んでたみたいで……五歳くらいの時ね、変なおじさんに誘拐されたの。いろいろ酷いことされて、最終的には……」
そこでマジョマジョは口を噤む。
目を閉じれば鮮明に思い出せる情景なのだろう。前世の記憶とは言いながらも、マジョマジョはあたかも自分が経験した実体験のように、表情を苦痛に歪ませていた。
思い出したくないのなら、話さなければいい。
しかし安藤は、その言葉選びは間違っていると感じた。マジョマジョは今、たとえ辛い記憶を掘り起こしてでも、心の内を自分に吐露したがっている。
だから安藤は、禁忌に触れるように、その先を促した。
「最終的には?」
「殺されちゃった」
まるで問われることを予期していたかのように、マジョマジョははっきりとした口ぶりで答えた。
しかし殺された記憶が、前世のものだとまだ割り切れていないのかもしれない。マジョマジョの声は震え、喉の奥には嗚咽が潜んでいるようにも聞こえる。さらに彼女の目じりは街灯の光によって、薄っすらと輝いて見えた。
「だからかな。そのせいで少し男の人が怖くて、今まで彼氏なんてできたことないの。普通に話してる分には問題ないんだけど、ある距離よりも近寄ってこられたらもう無理。何か酷いことされるんじゃないかと勘ぐっちゃって、無意識のうちに逃げちゃうんだ」
「それで無害そうな僕を気に入った、ってわけですか」
「そういうこと。あ、ちなみにミコミコたちには、高校の時の彼氏が酷かったから大学でも彼氏作ってないって言ってあるから、話合わせておいてね。前世の記憶なんて話したら、頭おかしいと思われちゃう」
「僕も思うかもしれないですよ」
「安藤君は大丈夫だよ」
何故か断言されてしまった。
いくら無害と言われようとも、安藤だって好き嫌いくらいある。何をもって、その自信はやってくるのだろうか。
「だって安藤君、私と同じで、前世の記憶を持ってそうだから……もしかしたら理解してくれるかな、と思って」
今度は演技なしに、ドキリと心臓が鳴った。
確信があるような言い方ではない。ただ、今の安藤は明らかに動揺していた。
相手の真意がつかめない安藤は、目を細めて問う。
「……どうしてそう思ったんですか?」
「ん、なんとなく」
つまり直感、か。
シンクロニシティとでも言うのだろうか。特別な体験をしたことがある人間は、同じような経験の持ち主を直感的に見分けることができる。安藤が持つ知識の中では、完全に否定できない眉唾物の現象ではあるが、勘の鋭い人間というのは少なからず存在するものだ。おそらくマジョマジョも、その類の人間なのだろう。
別に自分が悪魔であるということがバレたわけではない。
少しだけ安堵した安藤は、おどけた感じで嘘をついた。
「僕に前世の記憶はありませんよ。でも……マジョマジョさんのことを否定する材料も持ち合わせていませんけどね」
「うわぁ、理系っぽい」
何故かドン引きされ、安藤は少し焦った。
確かに自分は理系寄りだけれども。今の言葉選びは、普通ではなかったのだろうか?
などと考えていると、マジョマジョが可笑しそうに笑いだした。
「うふふ。ごめんごめん。安藤君の慌てた顔が見たかっただけだから、気にしないで」
からかわれたということか。
だからといって気分を害する安藤ではないが、人間の女性に手玉に取られたことにはやりきれない思いがあった。
「じゃ、そろそろ戻ろうか。みんな待ってると思うから」
「そうですね」
百メートルほどしか歩いていない道を、また戻っていく。
その際、マジョマジョが安藤の手を自然と握ってきたのだが……温かいその手は、わずかに震えていた。
「?」
特に肌寒いわけでもない。しかし今までの会話を思い出し、その疑問はすぐに氷解した。
おそらくマジョマジョは今、恐怖に震えている。男性が怖く、相手が近寄ってきてもすぐに逃げ出してしまうと彼女は言っていた。たぶん彼女自身から距離を詰めることも、今までなかったのだろう。
マジョマジョは今まさに、許容できる境界線を越えようとしていた。
安藤を無害と認定し、自分から歩み寄ることで、過去のトラウマを払拭しようとしている。とはいえ、いきなり手を繋ぐのは心の耐性が追い付いていないためか、恐怖が震えとして現れてしまっているのだ。
勇気を出して前向きに歩こうとする行為は、悪魔である安藤も嫌いではない。
もし自分がトラウマの克服に一役買えるのなら、協力しようではないか。
という決意も込め、安藤はマジョマジョの手を優しく握り返した。




