表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ドラキュティックタイム  作者: 秋山 楓
第3話『エンゼル・ヘンジェル』
42/224

第4章 ミルミルの目的

「げふぅ。お腹いっぱいでち。満足でち」


 盛大にゲップをかました白い天使が、畳の上で仰向けに倒れた。

 その傍らで、空になった炊飯器を覗き込んでいる天崎が絶望に打ちひしがれる。


「そんな……今夜の夕飯が……」


 どうやら今夜はコンビニ弁当確定みたいだ。


 倒壊したおののき荘二号棟でミルミルと名乗る少女と出会った後、どうしようかと迷った末に、ひとまず部屋へ連れて行くことにした。そして少女の要望通り、飯を食わせてやったわけだが……身体が小さいからと、甘く見ていた。夕飯のために炊いていた二人分の白飯と、買い置きしてあった総菜をすべて平らげられてしまったのだ。


 少女の食いっぷりを驚きの眼で見ていた月島は、素直な感想を漏らした。


「女の子なのに、すごくたくさん食べたね……」

「女の子?」


 月島の言葉を訝しげにオウム返しした白い少女は、おもむろに立ち上がった。

 そして何を思ったのか、自分のワンピースの裾を捲り上げて中を確認する。

 ノーパンだった。


「わぁ、本当でちね! やっぱりミルミルは女の子だったでち! お姉さん、よく分かったでちね!」

「きゃっ」「ぶふっ!」


 突然の奇行に、月島は短い悲鳴を上げ、天崎はそっぽを向いて吹き出した。


 自分が男か女かくらい、確認せんでも分かるだろ! と突っ込んでやりたかったが、月島もいる手前、顔を背けるだけに留まった。少女の見た目年齢的に、あまり不用意なことは言いたくない。


 少女がワンピースを戻してくれるのを待ってから、天崎は胡散臭そうに問いただした。


「で、君が天使だってのは本当なのか?」

「疑うなんて酷いでち。どこからどう見ても天使じゃないでちか!」

「んなこと言ったって、天使なんて見たことないしなぁ」


 あるのは創作などで描かれたイメージくらいだ。

 確かにミルミルと名乗る少女は、固定概念にある天使の像に近いとは思う。

 白い髪に白い肌。全身を纏う穢れ無きオーラは、天の遣いと言っても差し支えない。


 さらに、ミルミルの背中には小さな翼があった。

 成人男性の手の平くらいの大きさの翼が一対。根元は背中と接続しておらず、肩甲骨辺りをふわふわと漂っている。雲のように真っ白で、綿あめのように軽い。興味本位で抓んでみたところ、痛いと言って睨まれてしまった。どうやら神経はあるようだ。


 ともあれ、ミルミルが本物の天使かどうかなんて二の次だ。

 もっと優先的に問いたださなくちゃいけないことが、他にある。


「おののき荘を破壊したのは……君か?」


 とても幼児に向けるべきではない、脅しにも似た声のトーンで天崎が言う。

 しかしミルミルは怯えるわけでもなく、ただただしょんぼりと肩を落とすだけだった。


「あの建物を壊したことについては、申し訳ないと思っているでち」

「ってことは、不可抗力だったってわけか」

「そうでち。一飯のお礼もありますち、ミルミルが地上に落ちてきた理由を順序立てて説明するでちね」


 と言って、白い少女は明るく顔を上げた。

 感情の起伏が激しい奴だ。


「まずミルミルが地上に来たのは、パトロールのためでち。地上に存在してはいけない存在を取り締まるために、ミルミルみたいな天使がたまに天界から派遣されるんでちよ」

「地上に存在してはいけない……存在?」


 少しだけ心当たりがあり、天崎は不安そうに月島を一瞥した。


 月島には現在、姉の魂が守護霊として憑いている。天崎にも祖母の魂が憑いているため、それ自体は問題ないのかもしれないが、彼女の場合は少し事情が違った。守護の仕方が変則的なのか、一日三十分を限度に、姉の魂が月島の身体に乗り移ることができるのだ。


 死した人間が、生きている人間の身体を使って現世に顕現している。

 そういう意味では、月島姉は地上に存在してはいけない存在になるだろう。

 ただ月島自身は気づいていないようなので、言葉には出さなかった。

 視線を戻すと、ミルミルは口の端を釣り上げて笑っていた。


「そこのお姉さんの守護霊は確かに変でちが、連行対象じゃないから安心していいでちよ」

「分かるのか?」

「ミルミルは天使でちからね」


 根拠にはなっていないが、話がややこしくなるので深くは追及しなかった。


「それで地上に来る際は空から落ちるのが基本なんでちが、建物に直撃したのは運が悪かったとしか言いようがないでちねぇ」

「運が悪いで済ませちゃうのかよ……」

「本来なら公園とか河川敷みたいに人通りの少ない場所なんでちが……どうやら今回は、お兄さんの血に引かれちゃったみたいでちね」

「血?」


 自分の血に引かれた? 『完全なる雑種(フリードッグ)』の血に?

 まるで吸血鬼のようなことを言いやがる。


「お兄さん、天使の血統も混じってる『完全なる雑種』みたいでちね」

「『完全なる雑種』のことも知ってるのか」


 確かに天崎の血統には、天使の血も混じっている。

 それを見ただけで看破したことには、天崎も驚きを隠せなかった。


「まさか俺みたいな『完全なる雑種』が取り締まり対象だって言うなよ?」

「大丈夫でち。お兄さんを取り締まるくらいなら、もっと昔にご先祖様がいなくなってるはずでちよ」

「それもそうか」


 ふと、ミルミルが目を逸らした。


「ま、ミルミルの仕事のことは、あまり聞かないでほしいでち」


 天崎もミルミルがおののき荘二号棟を破壊した理由を知りたかっただけで、不可抗力と言うのなら責めるつもりはない。というか、その原因の一端が自分にあるなら、あまり話を広げたくはなかった。


「天崎さん。『完全なる雑種』って?」


 今まで黙っていた月島が、不安そうに訊ねてきた。


 連行なんて単語はどう捉えても友好的ではないし、天崎が自分でその対象だと言ってしまったからだろう。


「まぁ、なんていうか……俺のご先祖様は人間じゃない人たちがけっこういたらしい、ってことなんだよ」

「へー、そうなんだ」


 天崎が『俺も詳しいことは知らん』という口調だったので、月島もあまり突っ込んで聞いてくることはなかった。


「ま、『完全なる雑種』のお兄さんが近くにいたおかげで、こうやってすぐご飯にありつけたから、ミルミルとしてはとてもありがたいんでちけどね」

「……どういう意味だ?」


 それはまるで、最初に出会ったのが『完全なる雑種』だったからこそ、ご飯を提供してくれたような言い方だった。こんな年端も行かない少女がお腹を空かせてたら……まぁ、二割くらいの人は親切に飯を振舞ってやると思う。


 そんな内心を読み取ってか、ミルミルが得意げな顔を見せて立ち上がった。

 そして窓際へ移動する。


「見てみるでち。ミルミルが墜落した建物、何か変だと思わないでちか?」

「?」


 顔を見合わせた天崎と月島は、ミルミルに促されるまま窓際へ寄った。

 建設途中だった二号棟の屋根が、倒壊とともに見えなくなった。ただ、それだけだ。


「変わったところなんてないし、ここからじゃよく分からないだろ」

「でも、なんか……静かじゃない?」


 月島の指摘のより、天崎もピンときた。

 確かに静かだ。静かすぎる。それはまるで、何も起きなかったかのように。


 驚いた天崎は、慌てて目覚まし時計を確認する。

 正確な時間は分からないが、ミルミルが落ちてきてからすでに二十分から三十分は経過しているはずだ。


「あの建物が壊れたことは、誰も気づいていないはずでちよ」

「気づいていないって……そんな馬鹿な」


 通報を怠っていた自分たちにも非はあるが、周辺住民がまったく気づかないなんてことがあるだろうか? 山奥ならまだしも、民家が密集しているこんな住宅街で。


「天使には『認識阻害(にんしきそがい)』って能力が備わってるでち。普通の人は天使を視認できないち、天使が引き起こした事象も認識できないようになってるんでちよ。だから近所の人は何も見ていないち、何も聞いていない。それが騒ぎになっていない理由でち」

「実際にアパートがなくなってるんだけど、そこはどう整合性が取れてるんだ?」

「それは『認識改変(にんしきかいへん)』の領域でちね。建設に関わっていない人には『元々瓦礫の山だった』と認識されるち、作業員たちは『何か不備があって倒壊した』と思うはずでち。どちらにせよ天使が関わったという事実は、人間たちの中では闇に葬られるんでち」

「なるほどなぁ」


 と言って、天崎は天井を仰いだ。


「つまり俺が天使の血統も含んだ『完全なる雑種』だから、おののき荘が倒壊したことも、ミルミルの姿も普通に認識できたってわけか」


 説明を聞き終えた天崎は、未だ半分も理解できていなさそうな月島へと問いかける。


「月島って、最初の爆発音は聞いてないんだよな?」

「うん。あの時は、突然天崎さんが押し倒してきて……」


 言うやいなや、月島は顔を火照らせて俯いてしまった。


「爆発音も聞いていないし、舞い上がった砂埃も見えていなかった?」

「そうだね。天崎さんが指で示したら、ゆっくりと見えてきた感じ。ミルミルちゃんの時も同じかな。瓦礫の中から白い女の子が出てきたから、びっくりしちゃったよ」

「そうでちね。今もこうやって話ができてるのは、この場に天使がいることを認識しているからでち。ミルミルが帰った後、お姉さんの方は『認識阻害』が発動して、数分後にはミルミルの存在を完璧に忘れてしまうと思うでち」

「んで最後に『認識改変』によって、ミルミルと話してた時間が適当な記憶で埋められるってわけか」

「そういうことでちね」


 原理は分からない。分からないから……天使とはそういうものだと思うしかない。


「じゃあ、あの現場はどうすればいいんだ?」

「他に被害がないんなら、放っときゃいいんじゃないでちかね? どうせ明日になったら、作業員が見つけるはずでち」


 破壊した張本人が、とても投げやりだった。


 天崎も面倒ごとに巻き込まれたくないし、被害者がいないのなら急を要するわけでもない。ただ事情を知っておいて、なおかつ見て見ぬフリをするのは、少なからず罪悪感を抱いてしまった。


「じゃあ、ミルミルはパトロールしなくちゃいけないので、そろそろお暇するでちよ。ご飯、ごちそうさまでちた」


 ぺこりと一礼したミルミルが、窓を開けた。


 そこから出てくのかよ。と心の中でツッコミを入れてると、何か忘れ物でもしたように、再び天崎たちの方へと振り向く。


「あ、そうでち。ご飯のお礼に、二人にささやかな祝福をプレゼントしてあげるでちよ」

「祝福?」

「明確な願いを叶えるとまではいかないでちけど、天使には人間を何となく良い方向へと導く能力があるでち」

「へー」


 だったら今日の夕飯を何とかしてくれないかな。と、天崎は思った。


「それじゃ、いくでちよー。『天使からの(エンジェル)ささやかな祝福(プレゼンツ)』!」


 呪文を唱えるように呟き、ミルミルが人差し指を振った。

 部屋の中に、妙に重たい沈黙が降りる。

 三者が身を固くして数秒待っても、何かが起こった様子はなかった。


「なんか変わったか?」


 ささやかって言う程度だから、目に見えた変化はないのだろう。

 確認の意味で訊ねると、ミルミルはつまらなさそうに押し入れを睨みつけていた。


「この部屋には『限定された最上級の幸(ざしきわらし)福』がいたんでちね。これじゃ、ミルミルの力はかき消されてしまうでち」


 限定された空間内では、どうやら円の方が力が強かったようだ。

 大きくため息を吐いたミルミルが、申し訳なさそうに言う。


「ごめんなさいでち。一飯の恩は返せそうにないでち」

「気にすんな。別に見返りが欲しかったわけじゃないんだからさ」

「お兄さん、欲がないんでちねぇ。羨ましいでち」


 飽きれているのか感心しているのかよく分からない言葉を吐きながら、ミルミルは窓枠に飛び乗った。


「それじゃ、ミルミルは行くでち。ありがとでちたー」


 そう言って、白い天使は夕闇の彼方へと飛び去って行った。


 一般人に目撃されたら大事だな。と心配するも、『認識阻害』があることを思い出した。天使が飛んでいると確信して空を見上げる人間なんて、誰もいないだろう。


「ま、今回の件は俺たちには関係なさそうだな。おののき荘二号棟が一から建て直しなのは残念だけど……って、どうした月島?」

「なな、なんでもないよ! 祝福って単語と良い方向に導くっていうミルミルちゃんの言葉から、如何わしい想像なんて別にしてないんだからね!」

「……してたんだな」


 ジト目で指摘すると、月島は頭から湯気を立ち昇らせて俯いてしまった。


 月島が何を考えていたのか気にならないと言うと嘘になるが、訊ねるのも気が引ける。空美の部屋から戻って来た時のような雰囲気になるのは、天崎としても御免だった。


「じゃ、じゃあ私も帰ろうかな。暗くなる前に家に帰らないと……」

「そうだな。途中まで送ってくよ。夕飯も買わないといけないし……」


 また不必要な出費が増えてしまったと、天崎は心の中で泣いた。

 しかし天崎の考えは甘かった。自分が、どのような血統の持ち主なのか。


 天使などという人外と縁を作っておいて、今後の人生に関わらないわけがない。『完全なる雑種』とは、そういう星の元に生きているのだから。


 そしてその血統の性質に裏切られることなく、天崎はもう一度天使と会うことになる。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ