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ドラキュティックタイム  作者: 秋山 楓
第3話『エンゼル・ヘンジェル』

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間 章 とある淫魔と人間の会話

 有沢空美の部屋は、一言で言えば雑然としていた。


 間取りは天崎の部屋と同じ六畳一間。にもかかわらず、部屋の三分の一はセミダブルのベッドが占領してしまっているため、実際にはもっと狭く感じられた。


 その他には化粧台、テレビ、タンス、本棚、ガラスのテーブル、窓際に部屋干しされた下着類など、キャバ嬢という異次元な職業の人間にしては、いたって一般的な女性の部屋だった。


 ただ、一目見て家主に片づける意思がないことが分かった。


 ベッドの上には何着もの衣服が散乱しており、畳の上には何本もの空いたビール缶が転がっている。ゴミはゴミ袋にまとめられているものの、収集日を知らないのか、もしくは本人に出す気がないのか、いくつものゴミ袋が玄関脇に鎮座していた。


 呆気に取られながら部屋を見回す月島に向けて、空美がバスタオルとTシャツを投げて寄こした。


「ほら、さっさと浴びてきな。終わった後はそれ着りゃいいから」

「あ、ありがとう……ございます……」


 強い口調でシャワーを促す空美に気圧されながらも、月島はバスルームに入った。


 正直、月島としては、未だに空美が良い人なのか悪い人なのか計りかねていた。いや、天崎も言っていた通り、決して悪い人ではないのだろう。ただ他人から高圧的に物を言われることに慣れていない自分にとっては、ある意味天敵みたいなものだと思った。


 シャワーを浴びている間、手持無沙汰になった思考で、そんな無意味なことを考えていた。


 お湯を止め、身体を拭き、着替える。下はあまり濡れていなかったので、元通り制服のスカートを穿く。上はさすがに甘えることにした。


 そして一通り身だしなみを整えた月島は、覚悟の深呼吸をしてからバスルームを出た。

 家主の空美はというと、胡坐をかいて夕方のニュース番組を観ているようだった。

 月島の気配を感じ取った空美が、振り返ってニヒルな笑みを見せた。


「おう、出たか。とりあえず、そこに座んな」

「え、あ、はい……」


 言われるがまま、月島はテーブルの前で正座をする。

 すると空美が、テレビを切って身体を正面に向けてきた。


「あの……シャワーを貸していただいて、ありがとうございました」

「……チッ」


 震える声でお礼を言う月島に向けられたのは、吐き捨てるような舌打ちだった。あまりの恐怖に、月島は心臓が凍り付いてしまうほどビビってしまった。


 立ち上がった空美が、対面の月島を睨み下ろした。


「ちょっとバンザイしろ」

「バ、バンザイ……ですか?」

「バンザーイ!」

「バ……バンザーイ……」


 両腕を上げて威嚇してくる空美に命の危機を感じた月島は、言われた通り両手を挙げた。

 その瞬間である。

 月島の着ていたTシャツが、綺麗に剥ぎ取られた。


「ふぇ!?」


 間抜けな声は出たものの、何をされたのか瞬時に判断することができなかった。


 月島のTシャツを真上から脱がせた空美は、続いて彼女の背後へと回る。そして驚くべき速さでブラのホックを外し、さらにブラをも取り上げる。一瞬のうちに、月島の上半身はすっぽんぽんになってしまった。


「ふぇぇぇぇぇーーー!!!??」


 自分の胸部が露わになるやいなや、月島は自らの上半身を抱いて蹲った。

 熱のこもった顔は真っ赤に染まり、瞳は涙で濡れていた。


「な、なにするんですか!?」

「バーカ。こんな湿ったブラ付けてんじゃねーよ。シャワー浴びた意味がないだろうが」


 そう言って、空美は脱がせたTシャツを月島に返し、剥ぎ取ったブラは部屋干ししている自分の下着と一緒に吊り下げた。


 返されたTシャツを、月島は慌てて着なおす。

 胸部がスースーして、なんだか落ち着かなかった。


「女同士で恥ずかしがってんじゃねーよ。ったく……」


 吐き捨てた空美が、再び月島の正面に腰を下ろした。

 そしてテーブルに肘をついて半眼で月島を睨んだ後、挨拶もせずに宣言した。


「最初に言っておく。あたしはお前のような女が、大好きで大嫌いだ」

「へ? は、はぁ……」


 いろいろと意味が分からず、理解の巡らない月島は呆然としてしまった。


 まず、争いごとを事あるごとに避けてきた月島には、初対面で相手の評価を口にする行為が理解できなかった。他人に嫌われないためには、自分の考えを押し殺すのが一番だと、経験的に知っているからである。


 また大好きで大嫌いというのは、どういう意味なのだろう。言葉では矛盾しているはずなのだが、まるで筋が通っていると錯覚させられるほど空美の言い方は自信満々だった。


 困り果てた月島は返事ができない。

 しかし空美は別段気にした様子もなく、あっさりと話題を変えた。


「で、なんでお前は東四郎の部屋で水浸しになってたんだ? ちょっと話してみろよ」

「えっと、それはですね……」


 恐る恐るながらも、今ここに至るまでの経緯を簡潔に話し始めた。


 声を発することに慣れていない月島の説明はしどろもどろだったが、空美は特に催促することもなく最後まで耳を傾ける。そして話を聞き終えたところで、彼女は何故か口元をニヤニヤと綻ばせた。


「なるほどな。ジュースを溢して顔を洗おうとしたら蛇口の捻り具合を間違えた、ってか」

「はい。その……お恥ずかしい限りです……」


 思い返してみれば酷すぎる失態だったなと、月島は改めて反省した。


「いや、落ち込む必要はねーよ。お前のせいじゃない」

「でも……」

「おそらく、それらは円の仕業だ。幸運を呼び込む座敷童は、逆に不幸を与えることもできるからな。お前、円の不評を買ったようだぞ」

「円ちゃんの?」


 顔を合わせてから、ジュースを溢すまでの自分の振る舞いを思い出してみる。

 円の不評を買うようなことは……特にしていないはずだ。


「気にすんな。考えたって無駄だぞ。アイツ、ただお前に嫉妬してるだけなんだからさ」

「嫉妬、ですか?」

「おうよ。部屋の主が、自分の知らない女を連れてきたんだ。女だったら、嫉妬の一つや二つくらいするさ」


 そうなのだろうか?


 例えば天崎が、自分の知らないところで知らない女とデートでもしてたら……あ、ちょっと嫌な気分になった。と、月島は顔を伏せた。


 しかし不毛な想像だと気づき、すぐに顔を上げる。

 テーブルを挟んだ対面で、空美がニヤニヤと笑いながらこちらを見つめていた。


「んで、こっからが本題なんだけどよ。お前、なんで東四郎の部屋でシャワーを借りなかったんだ?」

「さ、さすがに男の子の部屋でシャワー借りるのは、ちょっと……」

「なるほど。やっぱり処女か」

「ふへぇ!?」


 素っ頓狂な声を上げたのは、これで何度目だろうか?


 いやでも、処女であることは間違いないし、だからといって嘘をついてまで見栄を張る意味もないし、かといって肯定するのも恥ずかしいし。結局、頭をぐるぐると回転させたまま月島は黙り込んでしまった。


「気にするなよ。人間、生まれた瞬間は誰だって処女で童貞だ」


 そういう問題ではないのだが。


「あたしがお前のことを大好きで大嫌いといった理由はそこだな。お前のような自分を前に出さない挙動不審な女は、一番嫌いだ」

「そ、そうですか……」


 角を立てない生き方をしてきた月島にとっては、痛烈な一言だった。


 出会って間もない女性に大嫌いと言われてしまえば、それだけで心が沈んでしまう。なんだこの野郎と、反抗する気も起きない。むしろ自分に非があるのではないかと思ってしまう。月島洋子は、そういう性格の女の子だ。


「でな、お前、東四郎のことが好きなんだろ?」

「い、いえ、そんな……」

「否定するのは構わんけど、お前の意見は聞いちゃいないよ。そこにあるのは事実だけだからな」

「…………」


 今さら自分の気持ちを確認するまでもない。月島は天崎に想いを寄せている。そこに嘘偽りはない。


「それでだ、自分に自信のなさそうなお前が、単身で好きな男の部屋に乗り込んだ。あたしはそういう一途で積極的な女は大好き……もとい大好物なんだよ」

「そ、それは間取りを確認したいからであって……」

「理由なんてどうでもいいんだよ。むしろ理由をつけてまで部屋に行こうとするその厚かましさには、正直感服するってもんだ」

「そんなつもりは……」

「無かったってか? 本当に? 少しの下心も? いやいや、待て待て。お前の真意がどうかなんて関係なく、第三者からしたら下心満載に見えるんだよ。お前の行動は。複数人で行くとか、男友達の実家とかならまだしも、一人暮らしの男の家へ単身でだぜ。こりゃチャンスがあればやってくださいって言ってるようなもんだろ」

「うぅ……」


 怒涛の言葉攻めに、ついに月島は反論する士気も失ってしまった。


 だが空美はなにも、月島を責めているとか叱っているというわけではない。むしろウキウキと気分を高揚させ、褒め称えているようですらある。


「それを無意識でやってるんだから、おったまげだ。さすがに男の部屋で裸になるのは理性が勝ったみたいだが……それはまたおいおいだな」


 結局、空美が何を言いたいのかがさっぱり分からない。

 しかし月島の疑問を置き去りにして、空美の一方的な言葉は続いた。


「でよ、お前、近いうちにおののき荘に越してくるんだよな?」

「え、えぇ。はい……」

「ならよ、ちょっと取り引きしようぜ」

「取り引き……ですか?」

「おう。実はこのおののき荘にはな、一人ヤバい奴が混じってるんだ」


 ヤバい奴? と、月島は天崎の言葉を思い出しながら首を傾げた。

 確か一人だけ、天崎が警戒しろと言っていた人物がいたはずだ。


「一階に住んでる安田って奴なんだけど、そいつは強姦魔だ。気をつけろ」

「ご、強姦……」


 月島の表情から血の気が失せた。

 天崎も言葉を濁した人物が、まさかそんな犯罪者だったなんて……。


「つっても、ぬらりひょんと人間の間にできた、女を口説くしか能のない性欲妖怪ってだけなんだけどな。度胸のない野郎だから、無理やり犯されるなんてことはないと思う」

「でも……」

「そこであたしの出番よ。お前がおののき荘に住むことになって、なおかつあたしに誓いを立ててくれたら、意地でもお前を守ってやる。あのクソ性欲妖怪には、指一本触れさせないと約束する」


 なんだかひどい言われようだった。


 天崎は安田のことを一見して好印象だと言うし、空美は女にだらしない男だと言う。女子高生の月島には、その安田という男の人物像がなかなか想像しづらかった。


「その、誓いってなんですか?」

「ふふん」


 何故か得意げに鼻で笑う空美。

 その反応だけで、月島は何か嫌な予感がすることを察した。


「お前の処女を東四郎に捧げると誓え」

「…………ふぇ?」


 耳に入った言葉は、意味不明な単語の羅列だった。

 だから理解できるように、一つずつ噛み砕いて咀嚼してみる。

 お前の、処女を、東四郎に、捧げる。

 理解していくのと同時、顔に熱が溜まっていくのが分かった。


「で、でででででも私たちまだ高校生ですし、早すぎますし! そ、それに天崎さんの気持ちも考えなきゃいけないし、もしかしたら私の気持ちも変わっちゃうかもしれないし!!」

「くくく。嫌だとは一言も言わないんだな」

「――――ッ!!?」


 声を押し殺して笑う空美に対し、恥ずかしさが最骨頂に達した月島は下唇を噛んで黙り込んでしまった。


「まず一つ目の否定。高校二年生なら別に早かねぇよ。遅くもないけどな」


 そうなのだろうか。


 月島は友達のことを思い出してみて……まだそういうことを話せるほど親しい友達がいないことに、ちょっと悲しい気分になった。


「んで二つ目。東四郎の気持ちは関係ねぇよ。絶対に相思相愛になれって言ってるわけじゃないんだ。アイツが拒否るんだったら、仕方がない」


 拒否られたら拒否られたで、それは残念だ。


「そして三つ目。あたしも他人の人生を縛り付けるほど鬼じゃない。お前の気持ちが変わっちまうなら、それはそれでいい。けれど取り引きは破棄されるわけだから、お前が安田から何をされても助けない。それだけだ。ま、言い換えるなら『お前が東四郎を好きでいるうちは、他の男に抱かれるな』ってとこかな。どうだ、誓うか?」

「…………」


 どうしてこんな話になったのか、本当に謎だった。


 けど、自分の気持ちの着地点が決まっていることは事実だ。それは誰かに言われて覆すようなことでもなければ、そう急ぐようなことでもない。


 ただ月島としては、自分のペースで歩きたかった。


「一つだけ……いいですか?」

「おう」

「天崎さんが、その……他の女の子とお付き合いすることになって、諦めた場合は……どうなりますか?」

「なんだお前、諦めたいのか?」

「あっ……」


 その一言で、心に覆っていた靄が晴れた。

 諦めたくは……ない。


 無意識のうちに表情を固めると、空美がまるで新しいおもちゃを手に入れた子供のように無邪気な笑い声を上げた。


「うっひっひ。つーわけで、交渉成立だな。こりゃ、これから面白くなるぜぇ」

「いや、あの、返事はまだ何も……」

「お前は恥ずかしがって言葉にしないだけで、心の中ではすでに答えは決まってるっつーの。別にあたしも無理やり背中を押したりはしないから安心しろ。応援するよ」


 強引どころか無茶苦茶な取り引きだが、応援すると言われたことは素直に嬉しかった。


「じゃ、そろそろ東四郎んところへ戻っとけ。あまり長居すると心配されるぞ」

「あ、はい。ありがとうございました」


 と一礼するも、月島はなかなか立とうとはしなかった。

 元々かもしれないが、どこか挙動不審に視線を彷徨わせている。


「どうしたんだ?」

「いえ、あの、ブラを……」

「まだ乾いてないようだから、このまま干しとけ。帰る時にまた取りに来い」

「えー……このままで戻るんですか?」

「東四郎の部屋で干すって言うんなら、返してやるけどな」

「……いえ、このままで結構です」


 拗ねるように唇を尖らせた月島に対し、空美は悪巧みをする餓鬼のような笑みを見せた。


「ま、カーディガンくらい貸してやるよ。寒いもんな」


 そういう意味ではないのだが。


 ともあれ、カーディガンは借りていく。ただ胸元がスースーするのは変わりがないので、どこか居心地が悪かった。


 もう一度お礼を言って立ち上がると、空美が肩に顎を乗せてきた。

 そして耳元で囁く。


「必勝法を教えてやる。ガキの癖にバカでかいお前のおっぱいを揉ませてやりゃ、相手は勝手に襲ってくる。そうなりゃ、お前の勝ちだ」

「ま、まだ早いですっ!」


 Tシャツの上から弄ってくる空美の手を避けるようにして、月島は玄関へと飛び出した。

 振り返ると、空美は爽快な笑みを浮かべていた。


「あ、そういえばあたしは有沢空美っていうんだ。よろしくな」

「えっと……私は月島洋子っていいます。今後ともよろしくお願いします」


 サキュバスでキャバ嬢のお姉さんに対する認識が百八十度変わってしまうくらいの、強引な出来事だった。

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