その3 とある吸血鬼と人間たちの会話
コスプレ喫茶『ファンタジースクエア』。
若い女の子たちがさまざまなコスプレ衣装で出迎えてくれる店の奥で、メイド服の吸血鬼は長身の男に頭を下げていた。
「ありがとうございます! このご恩は一生忘れません!」
「そんなに畏まる必要はないよ。それは君が一生懸命働いた正当な対価なのだから。堂々と受け取りなさい」
椅子に座った男は、貫禄のある落ち着いた声音でリベリアを諭した。
対するリベリアは、受け取った茶色い封筒を手にしたまま、なかなか頭を上げようとはしなかった。
ここは『ファンタジースクエア』の事務室だ。男はこの店の店長であり、スタッフの女の子たちからはマスターと呼ばれて親しまれている。長身痩躯で日本人離れした堀の深い顔には、少量の顎髭が蓄えられていた。
ただ年齢だけが不明だった。老け顔の二十代にも見えれば、若作りしている六十代に見えなくもない。一目見ただけで男の年齢を当てるのは、困難を極めるだろう。
「代わりといってはなんだけど、空美さんに会ったらよろしく言っておいてくれないか? また近いうちにお店へ遊びに行くよって」
「はい! 言っておきます!」
おののき荘に住む有沢空美と、『ファンタジースクエア』のマスターは個人的な知り合いだった。そのような伝手があり、リベリアは空美から、この『ファンタジースクエア』を紹介されたのである。
「ところでマスター。いいかげん、そろそろ教えてくださいよぉ」
「教える? 何をだい?」
「マスターが何なのか、です」
可愛げに言うも、マスターにはリベリアの言っていることに心当たりがなかった。
「マスターって、人間じゃないんですよね?」
「あぁ、そのことか」
過去に解決した問題をほじくり返されたように、マスターは苦い表情を見せた。
人間を食糧とすることもできるリベリアには、人間とそれ以外の区別をする能力が備わっている。だが人間以外の種族をさらに分類することは、容易ではなかった。
例えるなら、犬と猫を区別するようなもの。イヌ科、ネコ科であることは一目で判断できるも、そこからさらに分類するためには事前の知識が必要だ。リベリアは博識と言えるほど、世界の人外に対する知識を持ち合わせてはいなかった。
目の前の男は一見すると普通の人間なのだが、中身は間違いなく別の生き物だ。リベリア自身、それを間違わないくらいの自信はあった。
しかしマスターは、落ち着きのあるゆっくりとした動作で首を横に振った。
「僕は人間だよ」
「えー、またそうやって話をはぐらかすんですかぁ?」
「事実を言ってるだけだからね」
頬を膨らませてプンプンと可愛らしく怒るリベリアに対し、マスターは大人の対応だった。
ふと思い出したかのように、リベリアは紙袋をマスターへと差し出した。
「そういえば、お借りしていた漫画をお返しします。とても面白かったです!」
「気に入ってくれたなら何よりだ。貸した甲斐があったというものだよ」
「けっこう昔から連載してる漫画なんですよね? 最初から最後まで、面白さが衰えない物語でした!」
「作者自身が吸血鬼で、歳を取らないって話だからね」
「吸血鬼なんですか?」
「都市伝説だけどね」
それはそれで一度お会いしてみたいなと、リベリアは思った。
と、事務所の外で女の子たちの話し声が聞こえた。
「おっと、ついつい話し込んでしまった。次の女の子が待ってる。リベリアさん、また明日からもよろしく頼むよ」
「はい! お給料、ありがとうございました!」
給料の入った封筒をポケットに入れたリベリアは、丁寧に一礼してから事務所を後にした。
そのままの足で更衣室へと向かう。
今は閉店後の時間帯であり、ほとんどのスタッフはすでに帰宅したため、更衣室には同僚の女の子が二人しか残っていなかった。
「おっす、リベリベ。お給料はもらったかい?」
リベリアに気づいた一人が手を挙げた。
「それはもう、たっぷりと」
「ほほう、よしなによしなに」
二人はリベリアの先輩スタッフだ。とはいえ年齢だけでいえば、リベリアの方が一回りどころか五回りも年上なので、この場合はお店の先輩という意味になる。
活発で童顔の方が、主に巫女のコスプレをしているのでミコミコ。おっとりとした顔立ちの方は、主に魔法少女のコスプレをしているのでマジョマジョと呼ばれている。二人は同じ大学に通う女子大生だそうだ。
「それでリベリベはぁ、その給料を真っ先に何に使うつもりだい?」
「まずは家賃を払って……あとは着られる服が少ないので、買おうかと」
「それだけぇ?」
「とりあえずは。また何か欲しい物ができたら買います」
「またまたぁ」
「???」
意地の悪い笑みで手招いているミコミコと、その後ろで上品に微笑むマジョマジョ。
二人の先輩が何を言いたいのか見当もつかず、リベリアは首を傾げた。
するとミコミコが、さらに醜悪な笑みを見せてリベリアに耳打ちする。
「高校生の彼に、プレゼントでもしたらどうさ。それかご飯奢ってあげるとかさ」
「彼?」
「もう! とぼけちゃって!」
井戸端会議が好きそうな主婦のように、ミコミコはリベリアの肩を叩いた。
別に痛くはないのだが、完全に無防備な状態だったので少しよろめいてしまう。
「この前、店に来た天崎君って男の子のことだよ。一緒に住んでるんでしょ?」
「あぁ……」
どうやらミコミコは、一緒に住んでいるという意味をはき違えてるらしい。
「いえいえ、天崎さんとはそんな間柄じゃありませんよ。一緒に住んでるのではなく、住んでるアパートが一緒ってだけですので」
「えー。なんだぁ、そうだったのかぁ。てっきり同棲してるのかと思ってたよ」
「せめてホームステイって言ってくれませんかね……」
マスターを除き、彼女たちスタッフはリベリアが本物の吸血鬼であることを知らない。欧州から日本へ留学に来た大学生、という設定だった。
ちなみに自分の幼い顔立ちで大学生は無理があるんじゃないかとマスターに進言したが、高校生では二十二時までしか働けないということで断念した。どちらにせよ、日本人に西洋人の年齢は分かりづらいのか、今まで疑われることはなかった。
「まあ、たまに朝食はお世話になってるので、何かしらの恩返しはしないといけませんね」
何気ない呟きだったが、ミコミコのスイッチが入ったようだった。
「朝食お世話になってるって……それってつまり、早朝に彼の部屋に入れる関係はもう築いてるってことだよね! そのまま襲っちゃえ!」
「はは……」
威勢のいいミコミコの言葉に、リベリアは身を引いた。
曖昧な笑みしかできなかった理由は二つ。天崎の部屋には座敷童の同居人がいるので、無理やり襲うことはできない。それと未遂で終わったとはいえ、前に似たようなことをした覚えがあるからだ。あの時はミシェルに邪魔をされてしまったが。
「それじゃ、あたしらは上がるね。リベリベも遅くならないように」
「あ、はい。お疲れ様です」
「それと、今度リベリベの彼を紹介してね。いつでもいいからさ」
「お友達の安藤君って子も美味しそうだったから、そっちもよろしくねぇ」
去り際にマジョマジョが不穏な言葉を残していった。
あれ? あの二人は人間のはずだけど、安藤を食べるのかな? とリベリアは思ったが、気にしないことにした。安藤が喰われることはまずない。
にしても――。
「彼、ですか」
メイド服を脱ぎながら、リベリアは一人呟いた。
自分と天崎がそういう関係でないことは、口にした通りだ。血を分けた仲ではあるが、人間でいう所の恋人同士ではない。
ならば天崎に対し、特別な感情を持っているのかと問われれば……リベリア自身にも分からなかった。
天崎には一生をかけても返せないほどの、多大な恩がある。それは間違いない。そういう意味での特別な感情ならば、胸を張って言えることができる。
また、この世で一番好きな男性は誰かと問われれば、揺るぎのない言葉で兄と答えることもできるだろう。
でも……それは違うんじゃないだろうか?
兄へ向ける愛は、家族の愛情だ。もしくは尊敬の念。
天崎に対してはどちらも違うし、さらには恩とはまた異なった感情が、自身の中で渦巻いていることを最近知った。
これは……この感情は、いったい何なのだろう。
「そう言えば……私はまだまだ子供でしたね」
成人の儀は逃げ出してきたし、眷属を作ったこともない。
そもそもリベリアは、兄以外の男性をほとんど知らない。人間どころか同族ともあまり交流がないまま、百年近くも欧州の山奥に引きこもっていたのだ。つまり天崎は、食糧としてではなく、普通に友人として接する初めての男性なのである。
故に、彼に対して抱いている感情がどういったものなのかは……まだ分からない。
「リベリベー。マスターがそろそろ店閉めるって!」
「あ、はい! すぐに着替えます!」
更衣室の外からスタッフの女の子が顔を覗かせたので、リベリアは慌てて着替え始めた。
この感情が何なのかは、おいおい理解してけばいい。はっきりと分かるその日まで、天崎にお世話になろうと、リベリアは決めたのであった。




