表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ドラキュティックタイム  作者: 秋山 楓
短編 4編
34/224

その2 とある座敷童の一日

「んじゃ、いってきます」

「いってら」


 午前七時半。学校へ行く家主を見送る。

 そのまま特に何をするでもなく、座敷童の円は部屋の中でごろごろし始めた。


 午前八時。いいかげん転がることに飽きた円は、今は自分の縄張りと化している押し入れの中から、暇つぶしの道具を取り出した。何百回と読んだ絵本に目を通したり、自由帳に落書きしたり。物の少ない天崎の部屋だが、暇つぶしの方法はたくさんあった。


 午前九時半。お日様がいい具合の高さまで昇ってきたので、日向ぼっこがてら、おののき荘の敷地内にある空きスペースへと出る。先日できた顔型の窪みを一通り観察した後、敷地の端まで移動した。


 狙うはアリの行列だ。巣穴から、どこへともなく伸びている黒い線を、じっと、じぃーっと眺めていた。


 午前十時。敷地内の家庭菜園に水をやりに来た大家と出会った。


「おや、円ちゃん。おはよう」

「おは」


 あいさつを交わした後は、再びアリの観察に戻ってしまった。

 水やりを終えたタイミングで、大家が円に声を掛けた。


「そうだ、円ちゃん。おはぎ作ったから食べに来んかい?」

「たべる!」


 目を輝かせた円は、そのまま大家の部屋へとお邪魔した。


 正午。おはぎをご馳走になり、大家とお手玉で遊んだ円が天崎の部屋へと戻ってきた。炊飯器からご飯を、鍋から味噌汁を拝借し、朝食の残りを添えて、質素なお昼ご飯の完成だ。


 午後零時半。食べ終えた食器をシンクの中へ放り込んだ後は、お昼寝タイムだ。

 自分のテリトリーである押し入れへと潜り込み、襖は開けたままで眠りに落ちた。


 午後二時。時間を計ったかのような正確さで、円は目を覚ます。

 洗面台で顔を洗った後、円は意気揚々と外へと飛び出した。


 向かう先は、近所の児童公園だ。この時間帯、小学校低学年の児童はすでに授業を終え、公園に集まることが多い。


「あ、まどか姫だ!」

「まどか姫が来た!」


 円が公園へと到着すると、男の子も女の子もかまわず嬉しそうな声を上げた。


 そして何故か円は、まるで重役が出勤するかの如く、堂々とした足取りで児童たちの輪の中へ入っていく。


「まどか姫ちゃん。砂場で一緒に遊ぼうよ!」


 女の子の誘いに、円は黙って頷いた。

 女の子が砂の山にトンネルを掘っている間……円は立派なお城を建築していた。


「まどか姫ちゃん、すごい!」


 円は泥だらけの指で、得意げに鼻の下をこすった。


「まどか姫! 靴飛ばししようぜ!」


 男の子の誘いに、円は言葉もなく了承した。

 男の子がブランコで勢いをつけている隣で……円はひと漕ぎで草履を公園の端まで飛ばした。


「まどか姫スゲー!」


 円は無表情のままガッツポーズを披露した。


 その他にも、うんていでは余裕の表情で最後まで渡ったり、おままごとでは一人何役もの演技をしたり、缶蹴りでは無類の強さを発揮した。


 そんななんでもできる円に付けられた異名が、『公園の女王 まどか姫』である。


「まどか姫! ジャングルジムで勝負しようぜ! 先にてっぺんに登った方が勝ちな!」


 勝負を挑んできた男の子に、円は無言で受けて立った。


 よーいどん! で、お互い反対側からジャングルジムを登り始める。小柄な円は鉄の棒の間をすいすいと通り抜けられるが、比較的体格の大きい男の子は、身体がつっかえてあまり進むことができない。


 そうこうしている間にも、円はあっという間にてっぺんに到着してしまった。

 そして自らがナンバーワンとでも言いたげに、人差し指を天へと掲げる。


「くそう、いつになったらまどか姫に勝てるんだ!」


 すでに負けは確定しているのだが、それでも男の子はジャングルジムを登り続けた。


 と、その時である。

 焦っていたためか、男の子は頂上付近で手を滑らせてしまった。両手は鉄の棒を掴むことができず、後方へとバランスを崩す。そのまま男の子は、頭から地面へ真っ逆さまに落ちてしまった。


「あっくん!」


 男の子の友達が、何人か駆け寄ってくる。


 衝突する際、けっこう嫌な音がした。そうでなくとも、ジャングルジムの高さは三メートル弱はある。たとえ大人でも、打ちどころが悪ければ最悪死ねる高さだ。


 なのだが――。


「痛った……。肘を思いっきり打っちゃった」

「あ、本当だ! 止血しなきゃ!」


 男の子の身体には特に異常はなく、肘を少し擦りむいた程度だった。


 ジャングルジムの頂上で男の子の無事を確認した円は、安心したように息を吐いた後、再び天に向けて人差し指を立てた。


 男の子が特に大事に至らなかった理由。それは、円が自らの能力を行使したから。


 一時的にジャングルジムを閉鎖的な空間に見立てて、男の子の幸運の値をブーストさせたのだ。故に大怪我をすることはなく、肘を擦りむいた程度で済んだのである。その気になれば無傷で助けることもできたのだが、そこはちょっと痛い授業料ということで。


 午後四時。陽が沈むにはまだ早いが、小学校低学年の子供達はすでに帰宅する時間だった。友達と家へ向かう子供もいれば、親が迎えに来ている子もいる。


「まどか姫ちゃーん。ばいばーい!」


 各々の帰路に立つ友達に、円もまた大きく手を振って応えた。


 さて、そろそろ円も家へ帰らねばならない。家主が帰宅する前に家へ戻らねば、二度とその家に入ることができなくなるのだから。


 と、公園を出る途中で、円は不意に立ち止まった。

 視線の先は、仲睦まじく歩く母親と娘だ。


 円は自分の過去を知らない。いつ、どこで、誰から生まれたのかも分からない。気づいたらこの世に生を受けており、座敷童としての責務を果たしていた。


 だから――母親と一緒に買い物に出かけたことなど、一度もなかった。


「…………」


 勇んだ足取りは弱くなり、心なしか表情も沈んでいた。


 羨ましくはある。が、寂しい訳ではない。ただ、絶対に手に入らないものを望んでしまうのは、それはそれで辛いものがあった。


 午後四時半。おののき荘に到着する。

 天崎の部屋へ戻って五分後、家主が帰宅した。


「おか」

「ただいま」

「お腹すいた」

「……お前はそればっかりだな。もう少し待ってろよ」


 いつものやり取りがあり、天崎は着替え始める。

 夕飯を作る準備が整い、冷蔵庫を開けたところで、彼は声を上げた。


「うげっ。しまった、忘れてた。そういえば冷蔵庫の中、空だったんだ。悪い、今から買い物してくるから、今日の夕飯はちょっと遅くなる」


 短く謝ると、天崎は財布を持って慌てて出て行こうとする。

 ふと、円が天崎のシャツをつまんだ。


「いっしょに行く」

「なんだ、珍しいな」

「あいす」

「……そうだったな」


 完璧に忘れてた。と言いたげに、天崎は視線を泳がせた。

 少し前、アイスを買ってやる約束をしたんだったっけ。


「分かったよ。買ってやる。一緒に行こう」

「わーい」


 表情を変えずに喜んだ円は、天崎と並んでスーパーへと向かった。

 道を歩いている途中で軽く手を挙げると、天崎が自然と手を繋いでくれた。

 俯いた顔が綻んでいるのを、円の家主はまだ知らない。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ