その1 オーガ・ザ・インパクト
とある休日の話である。
おののき荘の二階にある天崎東四郎の部屋で、天崎本人と座敷童の円、そして今では当然のように居座っている金髪の吸血鬼が、少し遅めの朝食をとっていた。
「もぉ、天崎さん! お味噌汁に玉ねぎ入れないでくださいって、前にも言ったじゃないですか! これじゃあ飲めないです!」
「…………」
ちゃぶ台の対面でぷりぷり怒っている吸血鬼を、天崎は完璧に無視した。
玉ねぎを入れたのは、わざとだ。それに懲りて朝飯をたかりに来なければいいなぁという期待が五割と、嫌いなネギ類を食べたらどんな反応をするんだろうという興味が五割である。
もちろん、招いてもいないのに勝手に朝食を食べに来ているのはリベリアの方であり、また味噌汁に玉ねぎを入れる入れないの選択をするのは天崎の自由である。天崎には、自分勝手な吸血鬼の懇願に従う義務はなかった。
傍若無人なリベリアの振る舞いに慣れ始めてきた天崎は、素知らぬ顔で味噌汁を啜る。
ただ本日の天崎は、リベリアの物言いが癪に障らないくらいにはご機嫌だった。
内心が表に出ていたのか、朝食が終わるタイミングでリベリアが不思議そうに訊ねてきた。
「天崎さん、なんだか嬉しそうですね。何かいいことでもあったんですか?」
「ふっふっふ」
待っていましたと言わんばかりに、天崎は気味の悪い笑みを漏らした。
そしておもむろに立ち上がると、懐から取り出したスマホを得意げに掲げてみせた。
「実はスマホを最新モデルに機種変更したのさ! やっぱり情報化社会の今、普段使いする端末は常に最新の物を持っておきたいよな!」
実際には以前の物を吸血鬼に破壊されて、買い替えのタイミングが良かっただけなのだが。
リベリアと円が、そろって「おー……」と手を叩き、天崎はさらに鼻を高くさせた。
「あ、それじゃあ天崎さん。電話番号と一緒に、ラインも交換しましょうよ」
「なんでお前スマホ持ってんの!!??」
しかも見たところ天崎と同じ最新モデルのようである。
全日本狼狽選手権があれば優勝候補として名が上がりそうな天崎の咆哮に、ポケットから自分のスマホを取り出したリベリアは驚き固まってしまった。
「え、いや、あの……バイト仲間がスマホくらい持ってた方が何かと便利だし、連絡も取りやすいからと言うもので……」
「マジか! 伝説の吸血鬼もスマホでポチポチやる時代になってしまったのか!」
「ポチポチって……表現が異様に古いですね」
頭を抱えてもんどり返る天崎に対し、リベリアは冷ややかな視線を送った。
「ちなみに兄さんはこういう機械物が天敵ですね。知識もなければ操作もできない、全然ダメダメです。逆にミシェルさんは扱い慣れてて、スマホも普通に所持していましたよ。私もたまに借りていたので、ある程度の知識はあるつもりです」
「ああ、ミシェルさんって確か元人間だって話だもんな」
眷属かつメイドという立場上、人間との交渉事などはミシェルに一任しているのかもしれない。
「ほら、これ見てくださいよ」
と言って、リベリアは一枚の画像を天崎の前へと差し出した。
棺の中で姿勢よく眠るリベリアの兄、アラン=ホームハルト。彼の身体は白い花で埋め尽くされており、その手前でミシェルが自撮りよろしく無表情でピースしていた。
そして一言メッセージ。『葬送なう』と。
「お前の兄さん、めっちゃノリ良いな!」
「いえ。たぶんこれ、勝手に花を敷き詰めて無許可で撮影してるんだと思いますよ」
「マジか。バレたら怒られるんじゃないか?」
「叱られはするでしょうけど、それだけですね。兄さんはミシェルさんに激甘なので」
第一印象とはまったく違う吸血鬼たちの一面に、天崎は困惑してしまった。
しかし、それも無理なからぬこと。ミシェルにはおののき荘を破壊され、アランには圧倒的な暴力で殺されそうになったのだから。
「それでっと、電話番号だったな」
アプリを準備し、二人は必要な情報を交換した。
するとそこで、天崎の画面上にラインのポップが表示される。今しがた番号を交換したリベリアの名前ではなかった。
「『酒井太郎が電話番号であなたを友達に追加しました』? お、ついにアイツもスマホ買ったのか」
「お友達なんですか?」
「中学の時のな。ちなみに人間じゃない」
「へー、さすがは天崎さん。高校に入学する前も、当たり前のように数奇な人生を歩んでたんですねぇ。その方は何の種族なんですか?」
「鬼だ」
「鬼?」
腕を組んだリベリアは、天井を見上げて鬼という種族を思い浮かべた。
ちりちりパーマの頭には、鋭く尖った角。肌は赤く、泣く子も黙る強面。おとぎ話の中では黄色と黒の縞々パンツを穿き、金棒を持っている。
そんな種族が、天崎と一緒に人間の中学校に通っていた? いや、中学時代の友達と言っただけで、一緒に学校へ通っていたわけではないのか?
「たぶん絵本のイメージが先行してると思うから先に言うけど、鬼っていっても外見は人間とほとんど変わらんぞ。頭に小さな角が生えてるだけだ」
「それって、現代社会を生き抜く上でけっこう重要なことじゃないですか?」
「……髪の毛で隠れる程度の大きさなんだよ」
背中に翼が生えて、異様に発達した牙を持ち、夜行性の瞳を有している怪物が何を言っているんだと、天崎は目を細めた。
「問題は外見じゃないんだ。一言で言えば、鬼は……力が強い」
「私もそれなりに強いですよ」
「ノンノンノン。力と頑丈さに限って言えば、吸血鬼の比じゃないんだよ。お前、最高速度で走る新幹線に撥ねられたらどうなる?」
「無抵抗なら四肢はバラバラになるでしょうねぇ。死ぬかどうかは五分五分といったところです。たとえ真っ向から勝負を挑んでも……テリーマンのようにはいかないでしょうねぇ」
「アイツは無抵抗で撥ねられても、五体満足のまま二百メートル吹っ飛ばされただけだった。しかもすぐに起き上がって、痛たたとおどけたくらいで、何事もなくそのまま帰りやがった」
「実例があったんですね……」
「そして最大の難点が酒井個人の問題だ。アイツは……頭が悪すぎて高校に上がれなかった」
「あちゃー」
ダメだこりゃ。と言わんばかりに、リベリアは手で目頭を覆った。
「っていうか、そんなに強いなら兄さんと戦った時に鬼の血統を引き出せばよかったんじゃないですか?」
「それも考えたんだけどな。俺がまだ制御できないってのもあるけど、殺しちゃいけないって制限があったんだから鬼は選べねえよ」
「ほお? 吸血鬼なんて足元にも及ばないと豪語しますか……」
天崎は決して侮辱したわけではないが、リベリアは不服そうに口をすぼめたのだった。
ふと、再び通知音が鳴った。どうやら酒井太郎がメッセージを送ってきたようだ。
『天崎ひさしぶり! これちゃんと見えてるか!?』
画面に視線を走らせた天崎は、昔を懐かしむような笑みを見せた。
『おう、久しぶり。酒井、スマホ買ったんだな』
『姉ちゃんがやっと許可してくれたんだ! じょーほーか社会の今、スマホくらい使えないと行き遅れちゃうからって』
『相変わらずの教育姉ちゃんだな。スマホに熱中しすぎて、勉強を疎かにすんなよ』
『うー……姉ちゃんにも同じこと言われた』
『ははは。ま、勉強が一段落したらまた遊ぼうぜ。みんな誘ってさ』
『そうだな! じゃあ今からそっち行くよ! オレ勉強したくないからさ!』
「いや、今じゃないんだが……」
呟いた天崎だったが、ふと疑問に思った。
『お前、俺が住んでる場所知ってんの?』
しかし数分待っても返事は来なかった。どころか既読すらもつかない。
もしかして未だ実家に住んでると思っているのか? 仮におののき荘を知っていても、天崎の実家から電車を乗り継いで一時間以上は掛かるはずだ。一緒の中学に通っていた酒井の家からも、おそらく同じくらいだろう。
「どうかされたんですか?」
「なんか酒井の奴、今から来るってよ」
「はえー、そうなんですか。なら、お邪魔者の私はここらで退散しときますね」
「ちょっと待てよ、食器片づけていけ」
「えー。電話番号、交換してあげたじゃないですかぁ」
「なんでお前の方が立場が上なんだ」
天崎に首根っこを掴まれたリベリアは、泣く泣く食器をシンクへと運ぶ。
ちゃぶ台の食器を片し終えたところで……突然、おののき荘が揺れた。
「地震か?」
「それにしては揺れ方が……というか、なんか近づいてきてません?」
揺れが大きくなるというよりも、音が迫ってくる感覚だ。
ドドドドドドドドド!!!! と、動物の大群が押し寄せてくるような音が轟く。
そして揺れと音が最大まで達するのと同時、ザーーッと何かが滑る音が聞こえた。ちょうど靴の裏とアスファルトが擦れるような音だ。
さらに音は方向転換。先ほどまでの怒涛の轟音ではなくなったものの、力強い足音が跳ねるように近づいてくる。
最終的に玄関の扉が壊れるほどの勢いで開かれたことで、その正体が分かった。
「天崎! 久しぶりだな!!」
元気いっぱいの少年が、満面の笑みで手を挙げた。
天然パーマの下は、まだあどけない面影を残した童顔。もうすぐ十月も終わろうかという時期なのに、何故か半袖短パンだった。
突然の闖入者に、部屋いた三人が三人とも状況を把握できず混乱していた。
唯一彼の顔を知っている天崎が、呆然と口を開きながらも反射的に手を挙げる。
「お、おう。……久しぶりだな、酒井」
「そっちの金髪の美人と、おかっぱの女の子は誰だ!?」
「……同じアパートの住人と、同居人だよ」
「そうか! オレは天崎の友達の酒井太郎っていうんだ! よろしくな!」
遠慮もなく天崎の部屋に入ってきた太郎は、リベリアと円の二人と握手を交わし、その腕を嬉しそうにぶんぶんと振った。リベリアはともかく、小枝のように腕の細い円は、そのまま千切れてしまうんじゃないかと、傍から見ていた天崎の内心はヒヤヒヤだった。
「ところで酒井。お前って、この場所知ってたっけ?」
「知らん!」
「じゃあ何でお前はここにいるんだよ」
「携帯の電波を追ってきた!」
「電波?」
天崎は自分のスマホを見下ろした。
電波って……あの電波か? 携帯から発信している、あの?
いや、でも、まさか……そんなはずはない。
「……どうやってここまで来たんだ?」
「走って!」
「走って!?」
地元からここまで何キロあると思ってるんだ……。
走るだけなら『完全なる雑種』である天崎にも不可能ではない。だがラインのやり取りを終えてから、数分しか経っていないのだ。いったい、どんな脚力ならそんな短時間で移動できるのやら。
放心したまま太郎を見つめていると、不意にリベリアが耳打ちしてきた。
「天崎さんも知ってるとは思いますが、携帯って個々でそのまま通信しているわけではなく、基地局を経由してるはずなんですけどね」
「基地局から俺のスマホへ発信される電波を見極めたってことだろ」
そもそも電波を追いかけるという行為が意味不明なのだが。
「いやー、それにしても疲れたぞ! 水もらっていいか!?」
「……あぁ、いいぞ。好きなだけ飲め」
一応家主に許可をもらうという常識的な一面も見せたが、太郎は蛇口に口を付けて、水道から直接水を飲み始めた。豪快というよりは、遠慮がなさすぎだった。
「よし! じゃあ天崎! 何して遊ぶ!?」
水道から顔を上げた太郎が、顔を輝かせた。
「いや、今日は遊ばない」
「えー、なんだよ! 遊ぶって言ってたじゃんか!」
「それはまた後々の話だよ。それにお前、勉強してたんじゃないのか?」
「勉強は飽きた! だから遊びたい!」
今どき小学生でも言わなさそうな言い訳だった。
と、その時である。再びおののき荘が揺れ始めた。さらに先ほどと同じように揺れは次第に大きくなっていき、ドドドドという轟音が押し寄せてくる。
その音を聞くやいなや、無邪気に笑っていた太郎の顔が引き攣った。
「やべっ! 姉ちゃんにバレた!?」
慌てて玄関を振り返った太郎だったが、すでに遅かった。
開け放たれた扉の向こうで、着物姿の少女が息を切らして立っていた。何故か、その右手に大きな金棒を携えて。
「た~ろ~う~」
怪談話でもするかのような、ドスの効いた低い声だった。
腰まで届く黒い髪は、本来だったら絹糸を束ねたように美しく繊細だったのだろう。しかし走ってる途中に風圧で乱れたためか、今は見るも無残な姿に。さらに顔面に張り付いた世にも恐ろしい形相も相まって、まるで子供を襲うなまはげのように見えなくもなかった。
「あんたは、また勉強の途中で逃げ出して……」
「姉ちゃん! 違うんだ! これには訳があるんだ!」
「黙らっしゃい! お仕置きするから覚悟しな!!」
土足で上がり込んできた姉が、怯える太郎の腕を掴む。両手足を駆使しての抵抗も虚しく、太郎は無理やり外へと引きずられていった。
部屋に残された三人の間に、耳鳴りがするほどの沈黙が訪れた。
まるで台風が去った後みたいだった。
「えっと……今の女の子は?」
「酒井の姉だよ。酒井花子。けっこう幼く見えるけど、あれでも今年で二十歳だ」
未だ放心状態が続く中、天崎は説明を返した。
見なかったことにするわけにもいかないので、出て行った姉弟の後を追う。酒井花子は、おののき荘の敷地の空きスペースで弟のお仕置きを実施しようとしていた。
「姉ちゃん! どれくらい! どれくらいの力で殴るの!?」
「そうねぇ……ここの土は固そうだから、半分くらいの力にするわ」
「半分な! わかった! ミスんないでくれよ! オレ、死んじゃうから!」
「あんたはそんな簡単には死なないでしょ」
弟の太郎が地面の上でうつ伏せに寝転がり、姉の花子がその背中を片足で踏みつける。そして、手に持っている巨大な金棒をゆっくりと振り上げた。まるで鍬で畑を耕すような構えだ。
しかし耕すのは土ではない。目標は、太郎の後頭部だ。
「オーガ ザ ……」
振り上げた金棒が最高点に達したところで、花子は呼吸を止める。
そして半分の力で振り下ろした。
「インパクトォォォォォ!!!!」
耳元で打ち上げ花火が爆発した。と、おののき荘の二階から見物する天崎は感じた。
反射的に目と耳を塞ぐも、静寂はすぐにやってくる。
再び階下を見下ろしてみる。地面に顔を埋めた太郎が、ぴくぴくと痙攣したまま動かなくなっていた。
「は~あ、いつもいつも勉強をサボって……。やっぱりスマホなんて買ってあげるんじゃなかった……」
弟から足を退けた花子が、ため息混じりに肩を落とした。
頃合いだと感じた天崎は、恐る恐る彼女の元へ近寄っていく。
「あー……えっと、花子さん。お久しぶりです」
「へ? ……あ、天崎君!?」
酒井花子は、今やっと天崎の存在に気づいたように素っ頓狂な声を上げた。
「な、なんでこんな所に!?」
「……ここ、俺が住んでるアパートなんですよ」
「へー……そ、そうなんやぁ」
顔を赤らめて視線を泳がせた花子は、何故か腰をくねくねと動かし始めた。
「ぐ、偶然ねぇ。こんなことがあるなんて。……運命かしら」
いや、あんたの弟さんが訪ねてきたからなんですけど。
……とは言えなかった。もし万が一にも機嫌を損ね、今と同じような一撃を食らうことになったら、間違いなく死んでしまうだろう。
「一つお訊きしたいんですけど、鬼って携帯の電波を目で視ることができるんですか?」
「携帯の電波を目で視る? 何言ってんの? そんなことできひんよ」
ということは太郎にだけ視えているのか、それとも電波云々は嘘なのか。
とはいっても、嘘をつけるような性格じゃないしなぁ。と、地面に沈んでいる友人を、天崎は憐みの眼で見下ろした。
「あ、天崎君。もしよかったら、久しぶりにあれやってくれへん?」
「あぁ、あれですね。いいですよ」
「やった!」
短く喜びの声を上げた花子が、目を閉じて顎を少し前に出した。
見ようによってはキスを待つ乙女のような仕草だが、決して口づけをするわけではない。
花子の乱れた髪に手を伸ばした天崎は、子供をあやすかのように頭を撫で始める。その際、前頭部辺りにある小さな角を指でなぞった。
一通り撫で終わると、目を開けた花子が満面の笑みを見せた。
「えへへ~。ありがとね、天崎君。また困り事があったら、いつでも助けに行くから。その時は連絡ちょうだいね」
「え、えぇ。そうします……」
角を撫でられた余韻に浸りながらも、花子は倒れている弟を抱き起した。右手には金棒を持ち、左肩に太郎を担いで、再び天崎の方へと向く。
「それじゃあ、あたいは帰ってコイツの勉強を見ないといけないから。また会おうね」
「……お、お元気で」
控えめに手を振ると、花子はダッシュで帰っていった。
久しぶりに鬼の姉弟の出鱈目さを目の当たりにしたなと、天崎は背中に冷や汗をかきながら花子たちを見送った。
ふと横を見る。日傘を差したリベリアが、おののき荘から降りてくるところだった。
「なんていうか……すごい姉弟でしたね。あれが鬼ですか」
「あれで鬼と知られずに現代社会を生き抜いてるのは、にわかには信じられんよな」
昔から付き合いのある天崎でも、ドン引いてしまうほど現実離れした身体能力だった。
「うわぁ……見事に顔の部分だけ地面が凹んでますね。まるでアバッキオが遺したデスマスクみたいになってます」
「……お前、日本のサブカルに詳しすぎだろ」
「吸血鬼の出るアニメや漫画は、一通り目を通しましたからね」
なんの自慢にもなってはいないが、何故かリベリアは得意げだった。
「さて」
背筋を伸ばしたリベリアが、大きな欠伸をかました。
「そろそろ太陽の日差しも強くなってきましたし、私は寝るとします」
「皿洗ってけよ」
「……はーい」
不機嫌そうに返事をした吸血鬼は、渋々といった感じで天崎の部屋へと戻っていった。
なんだか物凄く疲れた。今日一日分の疲労が全身にのしかかっているような感覚だが……まだ午前九時前である。休日はこれからだった。




