エピローグ
月島の魂を三途の川から連れ戻した、数日後。
天崎は少しだけ緊張した面持ちで学校へと登校していた。
幽体離脱の後遺症はほとんどなく、天崎は翌日から普通に登校できたものの、月島の方はそうもいかなかった。魂が完全に抜けきっていたため、自分の肉体といえど再度定着するまで時間が掛かったらしい。それを抜きにしても、衰弱しきっていた肉体にはしばらくの休養が必要だった。
そして数日間入院していた月島は、今日が退院後の初登校だった。
それを聞いたのが昨日。電話口では快復したような口ぶりだったが、元々おどおどしている月島の体調を、声だけで判断をするのは難しかった。
天崎が緊張している理由は、それだ。
月島を助けるためとはいえ、許可なく裕子の魂を天に還してしまった。姉と離れ離れになるくらいなら一緒に死ぬ。それどころか姉に自分の身体を差し出して、自分だけ死ぬ覚悟もあった月島なのだ。姉妹の絆を引き裂いた天崎を、彼女が恨んでいても不思議ではない。
最初に顔を合わせたら、なんて言おう。体調を気遣うのはもちろんとして、そもそも裕子の話題を出してもいいのだろうか?
頭を悩ませながら通学路を歩いていたためか、いつもより早めに到着してしまった。
席に着いても結論を出せないまま、無情にも時間だけが過ぎていく。
そして、とうとう月島が教室に顔を出した。
「あっ……おはよう、天崎さん」
「あぁ、おはよう」
情けなくも、月島の目を真正面から見ることができなかった。
ただ月島の方は、意外と普段通りだった。普段通り、おどおどしている。
しかし彼女は自分の席に来ても座ろうとせず、天崎の前で所在なく右往左往していた。
「えっと、その……先日は、ありがとうございました」
眼が合った月島は、深々と頭を下げた。
何に対してなのかは分かる。しかし礼を言われる筋合いはなかった。
ついつい天崎の方も謝ってしまう。
「いや、俺の方こそごめん。お前の姉さんを助けてやれなくって……」
確か月島は、お姉ちゃんを助けてと言っていた。すでに死んでいたので助けるも何もあったものではないが、月島にとって姉の成仏は望んでいたものではなかったはずだ。
だが月島は天崎を責めるようなことはせず、あろうことか自分から姉の話題を出した。
「それで、あの……実はお姉ちゃんから天崎さんに、少しだけお話があるみたいなの」
「???」
月島裕子から話? どういう意味だ? アイツはもう成仏したんじゃないのか? それとも何か書き置きでもあったのか?
様々な疑問が浮かび上がる間にも、何の説明もないまま月島が目を閉じる。
そして次に目を開けた時には――凛々しい顔つきの、狐顔の月島へと変貌していた。
「やぁ、天崎君。久しぶりだね」
「えっ、はぁ? ……はああ!?」
驚くどころの話ではない。まるで幽霊と遭遇したように全身が震え上がった。
月島が演技をしている……ようには見えない。言葉遣いや態度だけでなく、顔つきや姿勢まで一瞬前のものと完全に変わっていた。
つまり洋子の身体の中に、月島裕子の魂が入っているのだ。
「お前、成仏したんじゃなかったのか!?」
「したよ。ただすべての魂があの世へ逝ったわけじゃない。ほんの一部だけ切り取って、申し訳程度に洋子の魂に引っ付けたのさ。君のおばあさんと同じようにね」
守護霊。死してなお、生者を見守るために現世に留まる魂。
天崎の祖母は、ある意味概念化しているとも言っていた。
だが、それだけでは説明できないことがある。
「いやいやいや。お前が守護霊になったのはともかく、なんで妹の身体を借りられるんだ? 守護霊なんて、先祖の概念みたいなものだろ? それだったら、俺のおばあちゃんだって俺の身体を使うことができるんじゃないか?」
「さぁ? 私にも詳しい理屈は解ってないんだ。ただ君のおばあさんが、私の魂をちょっと変則的な形で洋子へ結んだみたいなんだ。それと六年もの間、私たちの魂が複雑に絡み合っていたからってのもあるらしいね」
へー……と、感心一割、驚愕四割、思考放棄五割を占める感嘆の声を漏らした。
「もちろん以前のような自由はないよ。いくらか制限がある。身体を借りられるのは一日三十分が限界だし、心の中で洋子と対話をすることができなくなった。書き置きやスマホで動画なんかを撮影して、メッセージを残すくらいはできるけどね」
「なるほどねぇ」
最初からそうすればよかった、と言うのは無粋だろう。この状態になったのは、天崎が幽体離脱してまで彼女たちを追っていったからこその賜物なのだから。
「今は私の方から天崎君に謝罪とお礼を言いたくて、洋子に身体を借りた。本当にすまなかった、ありがとう」
「別にいいって。それより月島が俺のことを恨んでないようで助かったよ」
「恨む? 洋子が? 君を? ……あぁ、気を失っている間に私を勝手に成仏させたからか。大丈夫。天崎君に対する負の気持ちなんて、まったくないよ。私を完全に失ったわけじゃないし、洋子自身にも生きたいと思える理由ができたからね」
「生きたいと思える理由?」
「それはおいおい分かると思う。ともあれ今回お世話になったことに関して、何かお礼をしないわけにはいかないなぁ」
お礼、か。
おそらく裕子は引かないだろう。天崎が遠慮したところで、何かしら借りを返さなければ気が済まないタイプだ。短い付き合いだが、彼女は読みやすい性格だった。
なら、あまり気負わせない方が良い。弁当でも作ってもらうか。
と、考えていると……。
「天崎君。ちょっと右手を前に出してくれないか?」
「右手を?」
何をするのだろうと疑問に思ったが、天崎は言われるがままに従った。
「そうそう。それで手の平を縦にして、こちらに向けてほしい。ちょっと待ったって感じで」
「こうか?」
「欲を言えば、もうちょっと下かな。そうだ、そこがいい。それじゃあ……」
悪魔的な笑みを浮かべた裕子が、天崎の右手首を両手で掴んだ。
そして何を思ったか――天崎の右手をそのまま自分の胸部へと押し付けた。
とても柔らかい感触が、手の平から伝わってくる。
「じゃあ、妹のことを頼んだよ」
「――――ッ!?」
何故かドヤ顔を見せた裕子が、目を閉じた。
霊感のない天崎ですら、はっきりと視た気がする。無責任にも、そのまま月島の身体から出て行く裕子の魂を!
「へっ?」
狸顔に戻った月島が、目を開けるのと同時に間抜けな声を上げた。
続いて自分が掴んでいるものと、掴まれている部分へと視線を落とす。
「ひぇはうぁはわぁ!!」
顔から火を吹いた月島は、奇声を上げて天崎の右手を放り投げた。
そして自らの胸を抱えるようにして蹲ってしまう。
「も、もう、お姉ちゃんったら!!」
「……こっちのセリフだよ」
胸を掴んでいた天崎もまた、顔を真っ赤にして視線を逸らした。
幸い、こちらを見ている生徒はいないようだった。もしこんな場面を見られていたら、社会的に死んでいた可能性がある。
お互い、息が整うまでに少しだけ時間を必要とした。
「それでね、天崎さん。私、一つだけ決めたことがあるの」
顔の熱が引いた頃、月島が再びおどおどとした感じで話しかけてきた。
同じ人間からこうも正反対の話し方をされると、少しやりにくいな。と、天崎は思った。
「決めたこと?」
「うん。もし次にお父さんの転勤が決まって、また転校することになったら……私、おののき荘で一人暮らししようかと思う」
「おののき荘で?」
あの人外だらけの魔境でか?
そうは思ったものの、月島の決意は本物のようだった。しかも彼女は、今までの人生を周りに流されて生きてきたという。一人暮らしなんていう一大決心は、もしかしたら初めてのことかもしれない。
それに対して否定する権利も権限もない天崎は、月島の決意を真っ向から肯定した。
「あぁ、歓迎するよ」
「……うん!」
転校してきてから初めて見せる、月島洋子の満面の笑みだった。




