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ドラキュティックタイム  作者: 秋山 楓
第1話『ドラキュティックタイム』
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第2章 完全な存在とは?

 遅刻せずに済んだはいいものの、今日は朝からぐったりだった。


 登校してから即座に力尽き、今の今まで机に突っ伏していた始末。教師の声どころか、授業の合間に鳴るチャイムの音すら意識に残らないほど熟睡してしまっていた。


 だから今が何時限目なのか、ようやく起床した天崎にはまったく分からなかった。


「む……んぐ……」


 奇妙な呻き声を漏らしながら覚醒すると、まずは机の木目が目に入った。続いて教室中に響き渡る生徒の喧騒が聞こえてくる。授業中にこれだけ騒がしくなるとは思えないので、それはつまり……。


「うっわ、もう昼休みなのかよ……」


 独り言ち、顔を上げた。


 天崎の予想通り、クラスメイトたちは各々の自由時間を過ごしているようだった。が、何か違和感がある。いつもの昼休みに比べて、女子も男子も人数が少ないような気がするのだ。


 寝ぼけた頭で不思議そうに首を捻っていると、とある男子生徒に声を掛けられた。


「やあ、『完全なる雑種(フリードッグ)』。一時限目から居眠りとは、創造主も驚きの重役ぶりだね」

「そういうお前は相変わらず清々しい顔だな、小悪魔。その元気を一ミリでもいいから俺に分けてくれよ」

「僕のことを小悪魔と呼ぶなといつも言ってるだろう、天崎。約束を守れない君は、死後に閻魔様から舌を引き抜かれるよ」

「そりゃ嘘ついた時だろ。つーか、だったらお前も俺のことを『完全なる雑種』って呼ぶなよ安藤」


 シッシと羽虫でもあしらうように手を払い、眠たいアピールのために再び机へ伏せる天崎。友人の怠惰な姿に安藤は呆れ果てながら、空いている前の席に腰を下ろし、勝手に弁当を広げ始めた。


「授業中、先生がずっと君のことを睨んでいたのは気づいてたかな?」

「知ってるよ。いや知らんけど」


 完全に意識がなかったので、どんな感じで授業が進行していたかは知らない。しかし居眠りをしている生徒に対して教師が良い顔をしないのは、容易に想像ができる。授業態度を減点されるのは覚悟の上だ。


「にしても、一度くらい注意してほしかったよなぁ。教育者として」

「注意されたけど起きなかったって発想はないのかな?」

「マジで? 俺、気づかないほど熟睡してたってこと!?」

「僕が見ていた限りでは、一度も注意されてなかったけどね」


 なんだコイツ。と、天崎は正面の友人に懐疑的な視線を向けた。


「君は先生たちの間では、あまり評判が良くないみたいだからね。警告を通り越して、すでに諦められてるのかもしれないよ」

「えっ、そうなの? あんま素行悪くした覚えはないんだけどな」

「評判というものは、何も生活態度だけではないよ。学業の成績ももちろんだけど、何より君は目上の人に対してフランクすぎる。先生にはもうちょっと敬意を払ったらどうだい?」

「余計なお世話だ」


 上から目線の忠告にムッとするも、安藤が言うなら妙な説得力があった。


 安藤の外見は典型的な優等生のそれである。短く整えられた髪は真っ黒で、今時の高校生にしては珍しく、学ランのホックまで止めている。教師陣からしても、どこに出しても恥ずかしくない模範的な生徒だろう。


 さらに、友人に対してはやや慇懃無礼な言い方をすることがあるものの、教師を前にした安藤は、そつがない社交的な振る舞いをすることを天崎は知っていた。端から見ていても、安藤の世渡り上手さは舌を巻くばかりだ。


 ただそれでも納得できない部分はある。


 確かに天崎は教師に対して多少フランクな態度を取ることもあるが、一応は敬語も使っているのだ。成績の優劣で生徒を贔屓するほどレベルの高い高校ではないし、つまるところ自分と安藤の違いを導き出した結果……、


「なるほど。メガネか」

「君は今、懸命に努力している全国の裸眼視力の高校生を敵に回したぞ」

「どうでもいいよ」


 と言って、天崎は登校時に買った菓子パンをカバンの中から取り出した。


「あれ? 君が弁当じゃないなんて珍しいね」

「まあな。これは俺が寝不足な理由にも繋がるんだが……実は昨日の夜、吸血鬼に襲われた。んで、今も命を狙われてる最中なんだ」

「なんだ、いつものことじゃないか」

「そんな頻繁に命を狙われるほど修羅場はくぐってねえよ」


 天崎が否定したように、命を狙われること自体は稀だ。しかし『吸血鬼と遭遇したこと』が『いつものこと』ならば、安藤の指摘もあながち間違いではない。人外を寄せ付けやすい体質の天崎にとって、人間以外の種族と出会うのは日常茶飯事なのだから。


 かくいう安藤も、実は人間ではなかったりする。


「でも不思議だな。吸血鬼に襲われてる最中の君が、どうして普通に登校できてるんだい?」

「ああ、それはだな……」


 今朝アパートを出る直前になって、天崎も同じ疑問を抱いた。命がけの追いかけっこをした割には、普通に登校しようとしているな、と。


 そこでリベリアに『俺を縛り上げて監禁しないのか?』などと問いかけてみた。しかし、うつ伏せのまま布団に顔を埋めてしまった彼女からは、眠たげでいい加減な答えしか返ってこなかった。


『新月までは二週間ほどありますが、それまで貴方を拘束する気はありません。逃げ出したらまた追うだけですからね……ZZZ』


 だそうだ。


 だったら新月の日に襲ってこいよ。二週間も居候する手間が省けるじゃないか。と思ってしまうのは天崎だけではないだろう。身体能力が衰える新月でも、人間を捕まえるだけなら難しくないと本人も言っていたし。


 余計な問答をする時間もなかったため、結局は『(まどか)に変なことするなよ』と忠告を残してさっさと学校に向かったのである。


「え、円ちゃんを一人で残してきたの? 大丈夫かい?」

「俺の経験上、ああいうタイプはターゲット以外に手を出したりはしねえんだよ。それに俺の部屋の中限定なら円の方に地の利があるし、今朝ばっちゃんに挨拶したけど何も言わなかったしな」

「自分を殺そうとする相手を信用するなんて、君は本当にお人好しだなぁ」


 などと呆れ、安藤は弁当の中身を七割ほど消費したところで蓋を閉じた。


「ん、ちょっと待て。残すんだったら少し分けてくんね?」

「別に構わないけど、昼明けの授業は体育だから、あんまり食べ過ぎない方がいいと思うよ」

「あー……」


 なるほど、合点がいった。クラスメイトの人数が少ないと感じたのは、どこか別の場所で弁当を食って、そのまま更衣室へ向かおうと考える生徒がいたからだろう。


 っていうか、時間割を完全に忘れていた。こんな体調で体育などやりたくない。


「悪い。調子が悪いから体育は休むって先生に言っといてくれ。保健室で寝てくる」

「今日ばかりはやめときな。サボらない方がいい」

「なんでだ?」

「今日の授業はマラソンだからだ。男子は千五百メートル、女子は千メートルのタイムを計測する」

「はあッ!?」


 寝耳に水だった。そんな情報はまったくもって知らない。


「飯食った後にマラソンって、バカジャネーノ?」

「僕に言われても困るよ」

「つーか俺、昨日何時間もぶっ続けで走って全身が筋肉痛なんだけど?」

「運が悪かったと諦めるしかないね。先延ばしにすると後日一人で走る羽目になるよ」

「それは嫌だな」


 こういうマラソンなどの体力測定は、特別な持病がある生徒以外は強制参加なのだ。当日に欠席などしてしまうと、日を改めて実施される。もちろん休む生徒の方が少数派であるから、最悪一人で走ることになるかもしれない。


 放課後、運動部が青春を謳歌している中、その周りを一人で走るなどという恥ずかしい事態には陥りたくないものだ。


「タイムを計るのは一回だけだし、千五百メートルなんて五分程度だろう。それくらい我慢することだね」

「……いや、待てよ。お前、女子は千メートルって言ったよな?」

「言ったけど?」

「要するに、男子と女子が一緒に走るってことか?」

「正確には交互に走るんだけどね。男子と女子をそれぞれ半分に分けて、計四回の測定を実施するらしい。自分が走ってる時以外は休憩時間みたいなものだよ」

「なるほど、なるほど」


 拒絶感でいっぱいだった天崎の表情が、みるみるうちに生気を帯びていく。マラソンに意気込みを感じているだけならいいのだが、ニヤニヤと緩ませる口元は、どう解釈したところで良からぬことを考えているようにしか見えなかった。


「薄気味悪い顔だなぁ」

「うっせ」


 ドン引きする安藤を一蹴し、天崎は菓子パンを一気に口の中へ詰め込んだ。


「そうと分かれば善は急げだ。おら、お前もさっさと着替えろ。早くグランドに行くぞ」


 水を得た魚が如く、早々に体操着へと着替え始める天崎。


 その変わり身の早さに、安藤は呆気に取られるばかりだ。何が彼を奮い立たせたのか理解できぬまま、安藤は苦笑いを浮かべて、「これだから人間は意味が分からない」と首を振るのであった。






「四分三十三秒。君にしては遅すぎないかい?」

「無茶言うな。元々疲れてたんだからよ」


 とは言ったものの、男子前半組の中でも天崎はぶっちぎりの一位だった。


 ただ安藤も指摘したように、このタイムは遅すぎる。天崎は二時間以上も全力疾走ができる体力の持ち主なのだ。本気で走れば三分台も余裕のはず。国体どころか、場合によってはオリンピックにも出場できるレベルだろう。


 しかし疲労以外にも、天崎が本気を出せない理由が二つあった。


 一つは、自分が『完全なる雑種』であると、あまり周知にさせたくないから。

 元々『完全なる雑種』とは、その血を持つ者を軽んじる蔑称。差別されるであろう己の血筋を、わざわざ知らしめる必要はない。


 とはいえ『完全なる雑種』という単語は、一般社会でまったく認知されていないのも事実。


 神や悪魔を伝説上、もしくは創作上のものとしてしか認識していない人間にとっては、それらの遺伝子を持った子孫が現代を生きているなど知る由もない。よって天崎が自分は『完全なる雑種』だと告白したところで、ほぼすべての人間には意味が通じないだろう。


 差別的な意味で『完全なる雑種』という言葉を使うのは、人間以外の種族、及び伝説上の生き物が実在することを知っている人間くらいのものだ。

 そのため、この理由は特に問題視する必要もなかった。


 もう一つは、ただ単に面倒だっただけだ。全力で走るだけならまだしも、その後の陸上部からの勧誘やらなんやらを考えたら力も抜きたくなる。


 実際、入学当初の体力テストで驚異的な記録を出してしまった天崎は、多くの運動部から勧誘を受けていた。その苦い経験を活かし、高校三年間は部活にも所属せず、本気で運動もしないと心に決めていたのであった。


「さて、と。ようやく本番か」


 たった一呼吸で息を整えた天崎は、お待ちかねと言わんばかりに如何わしい笑みを浮かべて地べたへと腰を下ろした。


「本番? 君の出番は終わったばかりだろう? あとは残りの者を見守るだけだ」

「その見守るのが大事なんだろうが」


 ムフフと喉を鳴らし、天崎は次に走る準備をしている女子の方を一瞥した。


「応援したい女子でもいるのかい?」

「ちげーよ。今から女子が走るんだ。俺が期待してることくらい分かるだろ?」

「さっぱりだ。想像もできない」

「だー、もう!」


 友人の察しの悪さに、さすがの天崎もお冠である。


「男だったら一生懸命走る女子の胸を凝視するだろ! 大きいおっぱいや小さなおっぱいが縦に揺れ横に揺れ、挙句の果てには乱れた呼吸にエロティックを感じて興奮するのが男子高校生ってもんだろうが!」

「そうなの?」

「……お前とは一生美味い酒が飲めそうにないな」


 これ以上話すことはないと、拗ねた天崎がそっぽを向いた。


 へそを曲げてしまった天崎を見て、安藤も自分の素っ気ない態度に少しは罪悪感を抱いたのだろう。鼻の頭を掻きながら、きまりが悪そうに弁解した。


「まあ、なんだ。その……人間と悪魔じゃ、性的な趣向が違うしね」

「悪魔の性的趣向って何だよ」

「君が女性の胸に対して抱いているのと同じっていうなら、僕の場合は歌声かな」

「歌声ぇ?」


 疑わしげな声を上げ、天崎は想像を巡らせる。


 確かに女性の歌声は美しい。特にアイドルや一流アーティストとなると、無意識のうちに聞き入ってしまったり、別世界へと誘う力があるかもしれない。事実、CDの売り上げやダウンロード数が、虜にした人間の数を物語っているだろう。


 しかし、だからといって歌声を聞いただけで発情するかといえば話は別だ。音楽はただの娯楽であって、性欲の捌け口ではない。


「……喘ぎ声なら興奮するけどな」

「喘ぎ声は歌ではない」


 気を悪くした安藤の反論に、天崎はおどけながら肩を竦めた。


 と、どうやら天崎と同じ男子前半組の最後尾がゴールしたようだ。次に走る女子のグループが、体を温めながらスタート地点へと集まっていく。


「そんじゃ、じっくり拝見しましょうかね」

「やれやれ。君はもうちょっと節操を持った方がいいよ」


 安藤の真っ当な忠告も、すでにスタートした女子に釘付けになっている天崎の耳には届いていないようだった。


 それからしばらく無言の時間が続く。天崎は地面の上で胡坐をかいたままトラックを眺め、安藤は女子の先頭が半分を過ぎた辺りで準備運動を始めた。


 そんな中、ふと思い出したように、天崎が安藤へと問いかける。


「なあ、小悪魔」

「なんだい? 『完全なる雑種』」

「完全な存在って何だ?」

「完全な存在?」


 オウム返しされるも、天崎も上手く説明できなかった。


「いや、昨日襲撃してきた吸血鬼が言ってたんだけどな……」


 夜が明ける前、自室でしたリベリアとの会話を簡単に話す。

 眠気が限界だったためうろ覚えではあるが、そんなに長い話ではなかったはずだ。


 吸血鬼界に伝わる伝説通り、新月の夜に千の血を飲めば今よりも上位の存在……リベリアの言では完全な存在になれるという。しかしそれは現実的に不可能なので、リベリアは『完全なる雑種』の血で代用するため天崎を襲ってきた。


 童女を監禁していると勘違いされたり、空美の乱入で話は逸れたが、要約すればそんな感じだった。


「難しい話だね。そもそも実際に上位の存在になった吸血鬼はいないんだろ?」

「そうらしい」

「実証できてないんなら、どちらの可能性も捨てきれないだろうね。言い伝えが本当なのか、それともただのデマなのか」

「悪魔のくせに理論的なんだな」

「冒頭は余計だよ。……ただ部外者である僕にも、一つだけはっきりと言えることがある。言い伝えや伝承というのは、決してゲームではないんだよ」

「ゲーム?」

「バグや裏技は通用しないってこと。新月の夜に千の血を飲むってのも、何かしらの根拠に基づいているはずだ。一定以上の信頼性がなければ、現代にまで語り継がれるわけがない。ま、ものすごく地位のある人物の戯言が残ってしまうってケースもあるけど……どちらにせよ、昔から伝わる方法を、今を生きる僕たちが勝手に捻じ曲げて解釈しても意味がない」


 つまり千の血を『完全なる雑種』で代用するというのは、あくまでもリベリアの中だけで結論付けられた理論なのだ。どれだけ筋が通っていようとも、受け継がれてきた伝説とは食い違っている。だから伝説の真偽がどうあれ、リベリアの行為は無駄である……と、安藤は言いたいのだろう。


 ただこの話を元に命乞いをしたところで、リベリアが諦めてくれるとは思えない。『せっかくだから、試すだけ試しちゃいます』とか言いそうだ。というか言っていた気がする。


「それに完全な存在という言葉も曖昧だよね。神をも超越した存在って何だろう?」

「さあな」


 この世界に存在する生物の力関係は、決してピラミッド型ではない。食物連鎖という言葉もあるように、簡単な例を挙げるのなら、いわばジャンケンのようなものなのだ。


 人間は神を超えることができず、神は自然に逆らうことができず、自然は微生物の助けをかりて生きており、微生物はさらに大きな生物によって捕食され、最終的には人間の位置まで戻ってくる。


 巡る巡る優劣の輪。誰かが必ず上に立ち、誰かが必ず下に回る。


 もちろん、その中でも種族による優越性は存在する。万能なる能力を以て多くの種族を圧倒できる神に対し、微生物が優位になれる相手はそうそういない。グーとチョキの両方に勝てる手もあれば、たった一つの相手にしか勝てない手もあるのだ。


 だがしかし、グーとチョキとパーのすべてに勝り、さらに誰からも負けることのない種族は今のところ存在しない。


「ふと思ったんだけど……」


 本当にたった今思いついたように、安藤が空に向けてぼやいた。


「僕はその吸血鬼と直接話したわけじゃないから断言できないけど、彼女は少し変わっているのかもしれない」

「あー、変わってる変わってる。人間だったら相当痛いぜ、アイツ。吸血鬼伝説に高い理想を抱いてる奴が見たら幻滅するレベルだ」

「いや、そうじゃない。彼女の性格的な問題じゃなくて、考え方の方だ」


 安藤の言わんとしている意味が分からず、天崎は訝しげに首を傾げた。


「新月の夜に『完全なる雑種』の血を吸った前例がないと言ってたけど、本当にそんなことがあると思うかい? 長い吸血鬼の歴史の中で、本当に誰もその可能性に至らなかったと思うかい? そんなはずはない。たかが一吸血鬼の発想が、過去の誰にも至らなかったと断定するのは烏滸がましすぎる」

「た、確かに……」


 いつの時代にも『完全なる雑種』というのは存在していた。天崎の身近であれば彼の父親がそうだし、いくら珍しい血統とはいえ決して天崎の家系だけではない。この広い世界、天崎の家系とは別の『完全なる雑種』がどこかにいることだろう。


 だからこそ、前例がまったくないというのは不自然である。


 安藤も言ったように、リベリアが思いつく程度の裏技を、歴史上のすべての吸血鬼が至らなかったなんてあり得るのだろうか?


「たぶん発想がなかったんじゃなくて、純粋に試そうとも思わなかったんだろうね」


 天崎が思案していると、横から安藤が口を挟んだ。


「僕が知る限り、吸血鬼という種族はとても自尊心が強い。自らの存在を誇りに思い、自分たちが生物の中で最も優秀だと豪語するほどの傲慢さも持ち合わせている。そんな彼らが己の血統を捨ててまで、さらなる高みを目指すと思うかい? 自己の存在が最上だと自負しているのに、一族を裏切るようなマネをすると思うかい? だから前例がないのは実現が不可能だからとかではなく、そもそも試そうとする吸血鬼が今までいなかったからだろう」

「それでリベリアが変わってる、って言ったのか」


 誰も試そうとすらしなかったことを行うリベリアは、確かに異端だ。


 いや……と、天崎は首を横に振る。

 彼女が吸血鬼だからとか、吸血鬼らしからぬ発想を持っているからとかは関係ない。


 今の己を捨てて、さらなる高みを目指す。その行為自体、天崎には理解ができなかった。


「なあ、小悪魔。自分の出自やアイデンティティを捨てるって、どんな気持ちなんだろうな? お前なら理解できるんじゃないか?」


 一旦トラックから目を離し、安藤に問いかける。

 不機嫌そうに眉を寄せた安藤は、心外だと言わんばかりに答えた。


「できないね。僕も今は訳あって人間の生活を送ってるけど、だからといって悪魔であることを捨てたわけじゃない。安藤という個人の人生を終えた後は、元の身体に戻るつもりだ。もしそれが叶わなくなったとしたら……全世界を敵に回してでも暴動を起こすかもしれない」

「全世界って、規模がデカいな」

「そこは『一人で暴動かよ』とツッコんでくれた方がありがたかったんだけど」


 下らないやり取りをしている間にも、女子の前半組が走り終えたようだ。体育教師の号令がかかり、男子後半組がぞろぞろとスタート地点へ集まっていく。


 安藤もその中の一人なのだが、途中で彼は天崎の方へと振り返った。


「それで、君はどうなんだい? 『完全なる雑種』」


 問い返されるも、答えは最初から決まっていた。


「俺もお前と同じ意見だよ」


 自分が他人と違うことは、もう十分に苦しんだ。悩み、嘆き、そして結論を導いた。


 悪意ある誰かから呪いを掛けられたわけでもなければ、RPGの職業のように会話一つで肉体を変化できるわけでもない。自分にはこの体一つしかないのだ。壊れてしまえばそれでお終いだし、壊れるまで共に付き合う替えの利かない代物。


 だったら大切にしようじゃないか、と。


 自分の血に対する劣等感に耐え、十七年間も自らと共存してきた。今さらこの身体を捨てたいとも思わないし、たとえ金を積まれたとしても譲る気などさらさらない。


「自分が『完全なる雑種』なのは誇りだし、今さら純粋な人間になりたいとは思わないよ」


 迷いのない、天崎の答え。

 友人の本心を聞いた天崎は満足げに頷くと、スタート地点まで駆け足で向かっていった。







 おののき荘へ帰宅すると、二人の少女が畳の上で折り重なっているのを発見した。


 うつ伏せで寝転がっているリベリアの背中の上で、さらに円が突っ伏している形だ。見ようによっては、円がリベリアを襲っているように見えなくもない。円を一人残してきたことに少しの懸念もなかったわけではないが、まさか想像とは逆のことが起こってるなんて……。


 納得できていないように目を細めた天崎は、冷ややかな声で呼びかけた。


「……お前ら、何やってんだ?」

「あ。おかえりなさい、天崎さん」


 反応したのはリベリアだけだった。


 ピクリとも動かない円は、どうやら眠ってしまっているのだろう。注意深く見ると肩が規則正しく上下に動いているし、わずかに寝息も聞こえてくる。


 リベリアは天崎の顔を確認すると、すぐにまた額を畳へ押し付けた。


「つ、疲れました……」

「疲れたってお前、日中は寝てたんじゃないのか?」

「円さんと遊んでいまして、その……ほとんど休めませんでした」

「遊んでた? よく空美さんに怒られなかったな」


 ぐったりと脱力するリベリアに呆れ、天崎は空美の部屋がある方を一瞥した。


 彼女たちの疲労度を見る限り、とてもお淑やかな遊びをしていたとは思えない。この狭い室内で追いかけっこくらいはしていたはずだ。


「あれ? そういえばそうですね。けっこう騒がしくしていましたのに」


 リベリアの反応からして、空美の存在は完全に頭から抜けていたみたいだ。一度大いに怒られたというわけではないらしい。


「ま、怒られなかったのならどうでもいいです。私は眠いので寝ます。夕食の時間には起こしてください」

「夕食っつっても、俺は吸血鬼が何を食べるか知らんぞ。人間の肉なんて用意できるわけないからな。ってか、居候のくせに何を当然のように注文しちゃってるわけ……って、おい!」

「ZZZ」


 睡眠を表す『Z』の文字が目視できそうな気持ちの良い寝付き方だった。しかもうつ伏せのせいか、いびきが異常にうるさい。


「ったく……」


 それにしても、二週間後に自分を殺す相手を養うというのもおかしな話だ。


 無論、ガン無視してやってもいい。飯を与えずひもじい思いをさせてやれば、少しは慎ましくなるだろう。別にリベリアの下僕になったわけじゃないんだから、彼女の言うことに従う義務もない。


 けど……。


「…………」


 少しくらいは世話をしてやってもいいんじゃないかと、無防備な姿を晒すリベリアを見て、天崎はそう思った。


 彼女のことを憐れんだわけでも、決して自分の命を諦めたわけでもない。

 ただ何となく、助けてやりたいと思っただけだ。


 理由は簡単。天崎は無意識のうちに、昔の自分とリベリアを重ね合わせていた。


 己の血統に劣等感を抱いていた男と、吸血鬼であることを放棄したい少女。


 天崎は開き直ることによって先に進むことができた。ではリベリアは、どのような考えを抱き、どのように悩みを解決し、どういう道を行くのか。過去の自分を見ているようで、天崎の中でちょっとした興味が湧いたのだ。


 彼女を間近で観察し、自分の命を諦めさせる糸口を見つけたいという目的もあるが……。

 どちらにせよ、今すぐ考えるようなことでもない。


「……さて。ちょっと早いけど、夕飯の準備でもするかな」


 何気なく呟いたのと同時、円の方がピクリと動いた。

 そしてリベリアの背中で埋めていた顔を上げ、眠たそうな半眼で天崎を見つめる。


「ゆ、ゆうはん……」

「お前はそればっかりだな」

「おなかすいた」

「あと一時間待ってろ」


 少しだけ心配事ができて、天崎は肩を落とした。

 リベリアがどれだけ食べるかは知らないが、しばらくの間、経済的な余裕がなくなりそうだった。

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