第11章 最後の手段
洋子が病室に戻ってきたと連絡を受けたのは、朝日が昇る少し前だった。
月島の携帯から月島母が天崎へ連絡し、天崎は安藤へとその旨を伝える。連絡を受けてから天崎は一目散に病院へと向かったわけだが、同じく戻ってきた安藤と偶然にもロビーでかち合った。
「結局、僕らの行動は無駄骨だったな」
「無駄とかいうなよ……」
まったく不謹慎な悪魔だ。と、天崎は友人を睨みつけた。
病室には月島母と看護師、そして安らかな顔の月島がベッドで眠っていた。
「えっと、月島は……」
「脳波が……もうほとんど止まりかけてるそうです」
パイプ椅子に座った月島母が、娘の寝顔を見つめながら呟いた。
その語調は、今にも嗚咽が漏れそうだった。いつかはこの時が来るだろうと覚悟していたからこそ、彼女の感情は決壊せずに抑えられている。気丈に振舞っているというよりは、諦めの境地だった。
天崎は何か声を掛けようとして……やめた。
月島母の横顔は、つい数時間前とは別人と思ってしまうほど、やつれ果てていた。
ふと、背後から肩を叩かれた。
「天崎、行こう」
「…………あぁ」
心残りではあるが、ここにいてもやるべきことはない。
月島母と看護師に軽く一礼をした後、二人は退室した。
ロビーを抜け、玄関前のロータリーまで出たところで、天崎は鉄筋の柱を殴りつけた。
「くそっ! 俺たちにできることはないのかよ!」
「残念ながら、今回ばかりはどうしようもない。この結末は六年前から決まっていたことだ」
飄々と言い放つ安藤を苛立たしく思うも、正論なので突っかかるようなことはしない。代わりに地団駄を踏むことで、自らの無力さとやり場のない怒りを発散させる。
「やっぱり、無理にでも霊能者に見せるべきだった」
「それは結果論だし、その選択は最善とはいえないな。彼女の母親も言っていたように、それで解決するのなら、この六年間ですでにやっていただろう」
「じゃあ、どうすればよかったんだよ!」
「我が儘を言うな。どうすることもできなかったんだよ、僕らには。何をしたところで、遅かれ早かれこうなっていた」
安藤の言葉は冷たかった。
その氷のような態度を真正面から受けて、天崎もまた熱を下げる。喚き散らせば誰かが問題を解決してくれると思うほど、天崎も子供ではない。
肩を落とし、歯を食いしばったまま、天崎は今一度問いただした。
「安藤、友人としてもう一度訊きたい。月島を救う方法は……ないのか?」
「ない。絶対にないとは断言したくないけど、今の月島さんが置かれている状況に関しては門外漢だ。少なくとも、僕が知る方法で彼女を救う術はない」
「そうか……」
頼みの綱の悪魔からも見放されてしまった。
安藤が言うからには、おそらく本当にないのだろう。死力を尽くして探せばないこともないのかもしれないが、今からではあまりにも時間が足りなかった。
「時間は……どれくらいあるかは分からないな。病室のモニターを見る限りじゃ、肉体に問題はなさそうだった。延命措置を取れば、しばらくは大丈夫だろう。けれども、延命したからといって彼女が生き返るわけじゃない。彼女の肉体にはすでに魂がないんだ。魂が冥界へ逝く前に連れ戻さなければ、もう二度と目を覚ますことはない」
「…………」
「そして悪いけど、僕はもう手伝わない。それこそ無駄骨になるのが判り切っているからね」
「…………」
天崎は地面を見つめているだけだった。安藤の言葉が耳に入ってるかどうかも怪しい。
ほんの数秒だけ、二人の間に沈黙が降りる。
突然、弾けるように顔を上げた天崎が安藤を睨んだ。
「今、なんて言った?」
「僕はもう手伝わないと言ったんだ。無駄だと判っていることをするのは主義じゃない」
「お前の主義なんてどうでもいいんだよ。その前だ」
「その前? ……魂が消滅する前に連れ戻さなければ、もう二度と目を覚ますことはない」
「それだ!」
律儀にも一言一句違いなく口にした悪魔に、『完全なる雑種』は声を張り上げた。
しかし未だ意図を掴みかねているのか、安藤は首を捻る。
「君は何を閃いたんだ?」
「月島の魂を連れ戻す」
「…………は?」
それができないから困っているんだろ?
という意味の問い返しだったのだが、天崎の次の言葉を聞いた瞬間、意味合いがまったく変わった。
「できるだろ?」
自信満々とまではいかないまでも、唯一の希望が見つかった時の顔だ。
安藤はそんな天崎の顔を見て――すべてを察してしまった。
そして目頭を押さえ、本物の馬鹿を見るような呆れた視線を向ける。
「その発想はなかった。というよりも、そんな発想をできるはずがない。普通の人間ならね。しかもそれ、なんの解決にもなってないじゃないか。月島さんの姉の魂が絡み合ってるって問題は、どうするつもりだ?」
「そんなもん、あとで考えるよ。とりあえず今は月島を連れ戻すことだけに集中する。魂が冥界へ逝く前にな」
「同じことの繰り返しになるだけだと思うけどね」
「だったら何度でもやってやるさ。アイツは俺に……助けてと言った。だから助ける。結果的に助けられないんだとしても……思いついたことは全部やりたい」
「はぁ」
呆れて物も言えない。といった感じのため息を、安藤は深々と吐き出した。
ただし、決して天崎の決意や人格を否定しているわけではない。どちらかといえば、付き合いの長い友人に振り回されて迷惑を被っている相棒のような反応だった。
「それで、できるのか? できないのか?」
「できる」
「保証は?」
「他でもない、僕自身がその実例だからね」
「なら安心だな」
「ただ君のやろうとしていることに、僕は最大限の協力ができるという意味だ。その後のことはどうなっても知らないし、予想もできない」
「言われなくても分かってるよ。お前のその保険を掛けるみたいな言い方やめろ」
「うるさいな。これが僕の持ち味なんだ。で、さらに保険を掛けてみるけど、もしかしたら死ぬかもしれないんだよ。むしろ僕も経験がないから、普通に死んでもおかしくはない」
「できるなら、やる。それだけだ」
「委細承知した。僕としても、友人を殺すのは忍びないからね」
あくまでも自己責任だぞと揶揄した安藤は、歩き出した。
「どこ行くんだ?」
「少しでも成功率を上げるために、場所はおののき荘にしよう。僕は準備のために、一度家の戻る。その間、君はリベリアさんと円ちゃんを呼んでおいてくれ」
「なるほどな」
納得した天崎は、安藤とは別方向へと走り出した。
いつの間にか、東の空が白ばんでいた。
天崎の部屋で並んで正座をしている円とリベリアは、同時に大きな欠伸をかました。
ただ彼女たちの欠伸の意味合いは、まったく正反対だった。
円は起きたばかり。いつもの起床時間よりも少し早く起こされたため、まだ目が覚めてないといった感じで舟を漕いでいた。
対してリベリアは、今から床に就こうかというところを呼び出されたのだ。太陽に弱い吸血鬼だからか、眠気は日の出とともにやってくる。バイトで少々疲れが溜まっているため、睡眠への欲求も普段より大きかった。
まだ眠い。もう眠い。そんな彼女たちの目の前で、天崎は布団を敷いていた。
二対の不機嫌な瞳が、じっと天崎を睨みつける。
「私たちが眠気を抑えて呼び出しに応じたのに、自分は寝る気ですか。いい度胸ですね」
「へんたい」
「変態!?」
謂れのない悪口に、天崎は狼狽した。
今から寝ようとしているのは間違いはないのだが、天崎のやろうとしていることは、命がけの救出である。それを納得させるため、天崎は円とリベリアに向かって土下座をした。
「悪い。俺、一回死んでくる」
「???」「ふえぇ?」
円は不思議そうに首を傾げ、リベリアは欠伸のような声を上げて驚いた。
「それだけじゃ伝わらないだろ」
天崎の背後で何やら紐を結っている安藤が、呆れながら言った。
それもそうかと、天崎はこれまでにあった経緯を説明した。
「……というわけで、俺が一回幽体離脱して月島の魂を連れ戻してくる」
「はえー。また大胆なことしますねぇ」
「すごい」
眠いからなのか、それとも興味がないからなのか、二人の反応は薄かった。
「それで、私たちをここに集めた理由は何ですか?」
「天崎の幽体離脱を手伝ってもらうためだよ。円ちゃんは運の底上げをしてもらって、成功率の向上を狙う。リベリアさんは天崎が帰ってくるための保険だ。少量とはいえ、二人には同じ『完全なる雑種』の血が流れているからね。はい、これ」
と言って、安藤は結っていた紐の先端を円とリベリアに渡した。
反対側は、二本とも天崎の方へ。
「これは?」
「帰るための道しるべだ。もしあの世で迷ったら、この紐を辿れば戻って来れる」
「おう、悪いな」
紐を握りしめた天崎は、布団の上に仰向けに寝転んだ。
すると安藤が目を細めて覗き込んでくる。
「もう一度訊くけど、君は本当にどうするつもりなんだ? 月島さんの魂を連れ戻した後は、本当に何も考えてないのか?」
「考えてない。そりゃもっとじっくり考えたいけど、今は時間がないんだろ? だったらまずは連れ戻すことに専念する。今後どうするかは、その後だ」
「行き当たりばったり過ぎるね」
「それが俺の持ち味だからな」
自嘲気味に笑う天崎に対し、安藤は皮肉った笑みを見せた。
ま、どれもこれも、いつものことだ。
「お前こそ、本当に幽体離脱できるんだろうな? それができなかったら元も子もないぞ」
「可能さ。僕だって悪魔の肉体から魂を抜いて、安藤っていう胎児の中に宿ったんだから。訓練次第だけど、幽体離脱だけなら普通の人間でも簡単にできるようになるよ」
「へー、そうなんだ」
「魂を抜いた後のことまでは責任持てないけどね。帰ってくるのは本人の運と意志次第さ」
それで円とリベリアか。
安藤の対応の早さに、天崎は感心してしまった。
「それじゃあ心の準備がよければいつでもやるけど、触媒はどうするんだい?」
「触媒?」
初めて出てきた単語に、天崎は呆けたまま問い返した。
この反応は何も考えていなかったんだなと察した安藤が、怒ったように説明する。
「幽体離脱した後、君はどうやって月島さんのところまで行くつもりだったんだ。まさか当てもなく探し回るつもりだったのかい? それこそ時間がいくらあっても足りない。月島さんが普段から身に着けていた物とか、君と月島さんを繋ぐ共通の物が必要なんだよ」
「うわぁ……」
本当に何も考えていなかった。
天崎は顔を青ざめさせながら、触媒になりそうなものを全力で探した。
「け、携帯の番号とかは……」
「魂がデジタルで繋げられるわけないだろ」
「傷は!? アイツに斬られたことを恨めば……」
「もう消えてるじゃないか」
傷も、恨みも、まったくない。
そう考えると、希薄な仲だ。まだ出会って数日なので当然と言えば当然かもしれないが、そんな女の子のために文字通り死んでも助けようとするなど、もともと悪魔の安藤にはまったく理解できなかった。
何か月島から貰った物はないかと頭をフル回転させている傍らで、うつらうつらと眠りかけていたリベリアが、ハッと覚醒した。
「先ほどから助けようとしている月島さんって、この前、天崎さんたちを襲ってきた通り魔なんですよね?」
「通り魔……っていうのは、あながち間違いじゃないか」
「実は私、六時間ほど前に、その方とちょっとだけ遊んでたんですよぉ」
リベリアの説明はあまりにも足らなさ過ぎて、天崎どころか、聡明な安藤までもが首を傾げてしまった。
「ちょっと待っててくださいね。今、戦利品を持ってきますので」
と言い残して、リベリアは部屋を出て行った。
そして朝っぱらだというのに遠慮のない足音を立て、自分の部屋へと入る。数十秒後、またも容赦のない足取りで戻ってきた。
「じゃじゃーん。折れた日本刀でーす」
捕った獲物をご主人様に見せつける猫みたいに、リベリアは嬉しそうに言った。
そして呆気に取られている天崎と安藤に、折れた日本刀の刀身を手渡した。
「はいぃ!?」
「これ、どうしたんだい?」
「昨夜、バイトからの帰り道で、その月島さんとやらに決闘を挑まれたんですよ。日本刀折ったら逃げちゃいましたけど、その時に拾った物です」
さすがに刀身を見ただけでは、月島が持っていた刀かどうかは判断できない。
いや、彼女は手持ちの日本刀を自分の魂の一部だと言っていた。何故それが刀の形を維持したまま残っているのだろうか。
「いろいろと疑問が浮上するけど、今は保留にするしかないね」
「あぁ。リベリア、この刀は本当に月島の物なのか?」
「天崎さん、疑いすぎですぅ」
確かにな。疑っても始まらない。
天崎はリベリアの肩を叩いた。
「リベリア、よくやった」
「ほえー?」
いまいち現状を理解していないのか、リベリアの返事は間の抜けたものだった。
右手に二本の紐を掴み、左手で折れた刀身に触れながら、天崎は再び横になった。
「最後に忠告しておくけど、あまり長い間霊体になっていない方がいい。幽体離脱が癖になると、そのまま肉体に戻れずに死んでしまう例が少なからずある」
「タイムリミットは?」
「そんなものは知らないよ。個人差があるし、実体と霊体の時間感覚が同じとは限らないからね。とにかく限界までは頑張るな、としか言いようがない」
最後の言葉だけはしっかりと胸の留め、天崎は目を閉じた。
「それじゃ、いくよ。君は月島さんに会いたいと強く念じて」
言われた通り、天崎は月島の顔を思い浮かべる。
最初に出会ったのは、狐顔の月島だった。妹の身体に入った、月島裕子。彼女は誰とでも仲良くできそうな気さくな性格をしており、また遊びと称して日本刀を振り回す危険な一面もあった。
次の日に顔を合わせたら、月島は狸顔になっていた。月島洋子本来の姿。とても引っ込み思案で、人見知り。彼女は自分のことをまったく話さないので、正直、今となってもまだ月島洋子という人間をよく分かってはいなかった。
けど彼女がとても他人思いで、自己犠牲ができる人間であることを天崎は知っていた。
自分の肉体を死んだ姉に貸してあげたり。
自分が死ぬと理解していても、姉を助けてと懇願していたり。
本当に馬鹿な奴だ。馬鹿で……それ以上に良い奴だった。
「肩の力を抜いて」
目を閉じた天崎の額に、安藤が優しく手の平を乗せる。
やがて睡魔が襲ってきた。言い知れない眠気が、脳の停止を促す。
眠りに堕ちる、その一瞬だった。
全身に浮遊感を抱き、天崎は驚いて目を開けてしまった。
「…………!?」
目の前には、布団の中で眠っている自分がいた。そしてその傍らには、まるで病人を看取るように正座をする見知った三人の姿が。
幽体離脱って、こんな簡単にできるんだな。と、天崎は感心した。
おっと、こうしちゃいられない。早く月島のところに行かなくては。
左手に持っている刀身が、片割れの方へ導いてくれるままに身体を預ける。
アパートの天井をすり抜けようとしたところで、不意に円と眼が合った。
『いってら』
無表情で送り出してくれる童女に、天崎は「おう」とだけ返した。




