間 章 とある吸血鬼と人間の会話
時計の短針が頂上を下り始める深夜。
金髪の吸血鬼――リベリア=ホームハルトは、闇に包まれた路上を歩いていた。
バイト帰りである。何か良いことでもあったのか、彼女の足取りは軽快なステップを踏んでおり、鼻歌まで混じっていた。
その美しい容姿も相まって、見る人が見れば、まるで童話の中の登場人物が、そのまま現実世界へ飛び出してきたような印象を受けるだろう。金髪の吸血鬼は、そこに存在するだけで一個の幻想として完成されていた。
しかしここは中世ヨーロッパでも、童話の中でもない。
寂れた電灯が照らす商店街を抜ければ、その先はお寺と墓場だ。人喰い狼や魔女よりは、人魂や妖怪の似合う日本なのである。
深夜の墓場だからといって、特に怖いという感情はない。というよりも、この世でリベリアが恐れているものがあるとすれば、それは自身の兄くらいだ。あとは生き物でなければ太陽とか、ネギ類を少なからず憎らしいと感じているくらいだろう。
そんな怖いもの知らずなリベリアだからこそ、真夜中でも無警戒に歩けるのだ。
ただ今日は、いつもと少しだけ感覚が異なっていた。
用水路を渡る橋の上で、リベリアは足を止める。そして目を細め、前方を凝視した。
数十メートル先。お寺の正門に背を預けて、誰かが立っている。
吸血鬼のリベリアだからこそ、こんな月明かりが乏しい暗闇の中で視認できたのだ。あれが人間ならば、まだこちらの存在には気づいていないだろう。
「幽霊さんだったら面白いんですけどね。なーんて」
嬉しそうに呟いたリベリアは、意気揚々と歩を進めた。
やがて人影の表情まで読み取れる距離へと接近する。その辺りで相手はリベリアの存在に気づいたのか、正門から背を離した。
本当に幽霊のような定まらない足取りで、その人物はリベリアの前へと踊り出る。
お互いの距離は、およそ十メートル。
「こんばんわ。いや、夜に活動する吸血鬼だから、こんにちはの方が正しいのかな?」
「それは違いますよぉ。夜は夜でこんばんわ。昼は昼でこんにちは。活動している時間に関係なく、あいさつは決まってるんですよ!」
「へぇ、そうかい」
無邪気に答えるリベリア。相対するその人物は、この世のすべてがどうでもいいと思っているような、投げやりな口調で吐き捨てるだけだった。
ぞんざいに扱われようとも、リベリアはどこ吹く風……だったのだが、彼女は相手の顔を見て怪訝そうに目を細めた。
「あれ? どこかで見たことのある顔ですね。私たち、お会いしたことありましたっけ?」
「お互い、顔は合わせているよ。ただ話したのは初めてだ」
「そうなんですかぁ。忘れてしまってて、ごめんなさい」
ともすれば相手を逆上させかねない雑さで、リベリアは頭を下げる。
彼女のつむじを見ていただけの相手は、ただ深いため息を吐くだけだった。
「それで? どこの誰かは存じ上げませんが、私に何か用ですか? そういえば、私が吸血鬼だってことを知ってましたよね?」
「その姿を見て、吸血鬼と思わない方がどうかしてるだろ」
そう言われて、リベリアは自分の身なりを確認した。
眩い金髪に、鋭く尖った犬歯。そして何より、背中から生えている大きな翼。
ご指摘の通り、一目見て人間ではないと認識できる容姿ではあるのだが――普段からコスプレ喫茶でバイトをしているリベリアには、変だという自覚があまりなかった。
「ま、実をいうと知り合いから聞いたんだ。君のことをね」
「それはそれは、口が軽い人もいるもんですなぁ」
しみじみと憤慨するリベリアだが、彼女が吸血鬼であると暴露したのは、同じアパートに住む『完全なる雑種』だったりする。
ふと、暗闇の相手が右手を前へ伸ばした。
手の平に白い靄のような物質が現れるのと同時に、それは一瞬にして日本刀へと変わる。
「え、今のどうやってやったんですか! 手品ですか!?」
「実は私、チャンバラの幽霊でね。自分の魂の一部を刀に変化できるんだ」
「はえ~」
理解しているのかいないのか。リベリアは呆けたように感心する。
その間にも、チャンバラの幽霊は銀色に鈍く光る刀身をリベリアへと向けた。
「用というのは、これだ。もしよかったら私と遊んでくれないか? 吸血鬼さん」
「おや」
リベリアは口元を嬉しそうに歪めながら驚くという、奇妙な表情を披露した。
「この私が、誇り高きホームハルト家の吸血鬼と知っての挑戦ですか?」
「君がどこの誰かは知らないよ。ただ、吸血鬼だってことは知ってる。最期に人外と遊んでみたかっただけさ」
「身の程知らずですねぇ。ま、いいでしょう。殺し合いではなく、ただの戯れなら私も本気を出さなくて済みそうですし。……とはいえ、刀を向けた相手に名乗らないのは、いささか感心しませんね。礼儀がなっていません」
「悪かった。私の名は月島洋……いや、月島裕子と名乗らせてもらう」
「そうですか。それでは月島さん、いつでもどこからでもご自由にどうぞ。このリベリア=ホームハルトが、全身全霊をもって……いえ、それだと殺してしまいますね。なので半身半霊をもってお相手してあげましょう」
言い終えるやいなや、月島が動いた。
タッタッタと飛び石を渡るようなステップで、リベリアとの距離を一気に詰める。十メートルの隔たりが、一秒未満でゼロと化した。初速込みとしては、驚くべきスピードだ。
対するリベリアは一切動かない。ボーっと突っ立ったまま、月島の動きを眼で追うのみ。
刀が振り上げられる。金髪の頭を真っ二つに狙うコース。
事実、力を込めた月島の脳裏には未来が見えていた。コンマ数秒後、その美しい頭部が引き裂かれ、ザクロのような中身が飛び散る光景を。
そう確信してしまうほど、避ける時間も、防ぐ手段もなかったはずなのに――、
――パキッ。
と音がして、日本刀の刀身が中ほどから消失した。
半分になった刀はリベリアの頭を割ることはなく、見事な空振りを披露しただけだった。
「…………」
何が起きたのか理解が追い付いていない月島は、敵前にもかかわらず、刀を振り下ろした姿勢のまま呆然と固まってしまう。そして金属がアスファルトに落ちる音を耳にし、一足飛びで後退した。
十分な距離を取ったところで、リベリアの全身を捉える。
彼女は右手を振り上げたまま、半眼で月島を睨みつけているだけだった。
「まったく大したことないですね。半身半霊どころか、一身一霊も込めてませんよ」
今度はリベリアの方が退屈そうに吐き捨てた。
呆気に取られつつも、月島は徐々に現状を理解していく。
中ほどから消失した日本刀。振り上げられた吸血鬼の右手。そして道路端に落ちる、消えたはずの刀身。それらから導き出される事象は一つだ。
リベリアは頭頂部がかち割られる寸前に、右手の甲で刀の腹を叩いたのだ。まるで扉をノックするように優しく、それでいて確実に破壊できるよう力強く。
すべてを把握した月島の額から、冷や汗が浮かび始めた。
魂を具現化させた代物とはいえ、日本刀がこうもあっさり折られてしまうなんて……。
「これが……吸血鬼という生き物なのか」
「勘違いしないでくださいね。私、まだまだ全然本気を出していませんので。それにちょっとでも私にやる気があったら、もう貴女の上半身と下半身は繋がっていませんよ。敵の前で胴をがら空きにさせるなんて、愚策中の愚策です」
言われ、月島は無意識のうちに自分の腹を触っていた。
ちゃんと繋がっている。……が、リベリアの脅しがあまりにも現実味を帯びていたので、下半身の感覚が徐々に失われていくような錯覚に陥ってしまった。
「それと貴女、刀を振り回している割には人を斬ったことがありませんよね? ブレッブレでしたよ、さっきの一撃。あまりに芯が通ってなかったので、弾くだけのつもりが折っちゃいました」
「そりゃそうさ。私は人を斬りたいんじゃなくて、遊びたいだけなんだから」
「それでチャンバラの幽霊ですか」
納得したと言わんばかりに、リベリアはポンと両手を叩き合わせた。
隙とみた月島が片足を一歩引く。どうやら追撃をする気はないらしい。折れた日本刀が再び白い靄へと変わって消えた。
「勝手なことを言うようだけど、見逃してくれないか?」
「えー……本当に勝手ですね。そちらから仕掛けてきたのに」
「悪かった。実はこの身体、私の物じゃないんだ。傷ついたら困るんだ。だから頼むよ」
「…………」
リベリアが黙り込んでしまったのは、見逃すかどうかを思案しているからではない。
彼女から見た月島は、非常に危うかった。とても無理をしている。ほんの少しでも突っつけば、簡単に崩壊してしまうんじゃないかと感じてしまうほど、肉体的にも精神的にも脆くなっていた。
このまま見逃すべきか、それとも人間の常識に則って救急車でも呼ぶべきか。
悩んだ末、結局は月島の意を汲むことにした。
「分かりました。行っていいですよ。でも今度挑戦する時は、ちゃんと体調を整えてからにしてくださいね」
「恩に着る」
丁寧に一礼した月島は、そのまま踵を返す。
その背中へと、リベリアが最後の言葉を投げた。
「もう一つ勘違いを正しておきますと、実は私、吸血鬼の中でもそんなに強い方じゃないんですよ。私の兄や知り合いの方が、よっぽど強いんです」
「へぇ、そうなんだ。それは怖いな」
そして面白そうだ。
楽しげに、それでいて残念そうに呟いた月島が闇の中に消えていった。
直立不動のまま、リベリアは相手の気配が完全に消えるのを待つ。その間、ふと何かに気づいたように道路端へと視線を移した。
「おや? これは……」
近寄って拾い上げてみる。
先ほど折った日本刀の刀身だった。
「戦利品ゲット、ですね。というか、なんで残ってるんでしょう。あの刀は魔法みたいに何もない場所から出てきたのに」
まるでシンデレラのガラスの靴みたいですね。と、リベリアは刀身を懐へ入れた。
そこで唐突に、彼女の頭の上に豆電球が灯る。
「あ、やっと思い出しました。この前、天崎さんと安藤さんを襲っていた通り魔さんだったんですね。どうりで薄っすらと見覚えがあると思ってました」
独り言を漏らしたリベリアが、何故か不気味に笑い出した。
「ふっふっふ。お二人の仇も取れましたし、通り魔さんの無力化もできましたし、これはもう何かご褒美をもらわなければ釣り合いが取れませんねぇ」
今度、天崎に何を買ってもらおうか思案しながら、リベリアはおののき荘へと足を向けるのであった。




