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ドラキュティックタイム  作者: 秋山 楓
第2話『ゴーストメイトマジック』

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第9章 河原での戯れ

 指定された河川敷に到着した頃には、太陽はすでに西へ傾いていた。


 土手を下り、踝辺りまで育った雑草が敷かれている地面へと降り立つ。鉄橋の真下は深い影になっており、一切の視覚情報が入ってこない。ただ目を細めると、人の形をした輪郭が立ち上がったのが分かった。


「ずいぶんと遅かったじゃないか。待ちくたびれたよ」


 どうやら待ち人で間違いないらしい。聞き慣れた声で、それでいて聞き慣れない口調のその人が、不機嫌そうに不満を漏らした。


「指定場所が遠すぎなんだよ」

「仕方ないじゃないか。他人の目の届かない場所が、ここくらいしかなかったんだからさ」


 言い訳がましい相手の言葉に、天崎は周囲を見回した。

 なるほど、確かに誰もいない。


 時間帯としては、犬の散歩や定時帰りの社会人がランニングを開始する頃合いだろう。ただしそれは、整備された遊歩道のある対岸側での話だ。


 川幅は約百メートル。その向こう側は、サッカーコートが一つ展開できるほどの河川敷が広がっており、土手の上を歩く人の姿は豆粒程度にしか見えない。


 加えて天崎たちのいるこちら側は、面積もそれほど広くなく、所々で雑草が無造作に伸びている。さらに言えば、地理的にこちらには山しかない。橋を渡ってくる人はそうそういないだろうし、ましてや用もないのに橋の下を覗き込む人間はいないだろう。


 密会をするには絶好の場所、といったところか。


 橋の下を凝視していると、待ち人がこちらへ歩を進めてきているようだった。やがて陰の中から踏み出て、天崎の前へと姿を晒す。


 狐顔の月島は、不敵な笑みを浮かべていた。

 間違いない。転校初日の幽霊が……月島の中に入っている。


「で、何して遊ぶんだ?」

「んん? はは。まさか君、本当に遊ぶために呼び出したと思ってるの?」


 そんなわけはない。天崎だってそこまで馬鹿ではない。


 待ち合わせの時間、場所、どちらをとっても、今どきの高校生が遊ぶにしては常識を逸脱していた。


「遊びというのは、君を呼び出すための単なる口実さ。人質があるから君は拒否しないと思うけど、一応ね」

「じゃあ本当の目的はなんだよ」

「君の魂が欲しい」


 呆れ気味に問う天崎に対して、月島は真顔で言った。

 はっきりとした口調で、短く、簡潔に。


 しかし天崎には理解ができない。理解する余地がない。あまりにも説明が少なすぎる。

 怪訝な表情から説明不足を感じ取ったのか、月島は言葉を付け足した。


「私はすでに肉体が無い身だ。このままではいずれ魂が消滅してしまう。定期的に他の魂を喰らって、無理やり現世に留まっているのさ」

「あぁ、どうりで……」


 天崎が納得した理由は、初日の夜にあった。

 だから月島はあんな夜中に墓場にいたのか。


「俺の魂が欲しいってのは、単純に自分自身のためってわけか」

「理解が早くて助かるね」

「一つ訊いておきたい。なんで俺なんだ? 月島と仲良くしていたからか?」

「私の目から見る限り、君は他の人より魂が強いと思ったからさ。喰らう魂が強ければ強いだけ、私は長く生きられる」


 もう死んでるんだけどね。と、月島は笑いながら嘯いた。


「理由はもう一つある。君のその頬だ」

「?」


 疑問に思った天崎は、左右の頬に触れてみた。

 何も無い。そう……本当に何も無いのだ。


「だいぶ深く抉ったと思ったんだけどね。致命傷ではないけれど、一生残ってもおかしくはない傷だった。なのに次の日には塞がって、三日目には完全に消えていた。いったいどういう身体してるんだい?」

「それを言うなら安藤もだろ」

「そうそう、安藤君も。腕ぶった斬って、翌日には何事もなく登校してきている。あの夜の出来事が夢だったんじゃないかと疑っちゃうくらいだよ。君たち、本当に人間なのかい?」


 それは天崎が月島に対して言った言葉だった。


『月島って、本当に人間なのか?』


 結局、答えは聞けずじまいだった。ただ、今となっては肯定も否定もできなかった理由を理解できる。月島の中に入っている幽霊は人間ではなく、人間『だった』のだから。


 では天崎の場合はどうか。


 傷が一般人よりも圧倒的に早く治る理由は、天崎が『完全なる雑種』だから。それ以上でもそれ以下でもない。


 じゃあ月島の問いにはどう答える?

 答えは簡単だ。


「俺は人間だ」


 誰が何と言おうと人間。誰がどう否定しようと人間。

 答えなんて、最初から一つしかなかった。


「ま、アイツは人間じゃないけどな」

「?」


 どうやら天崎の呟きは月島には届かなかったらしい。独り言だと思った彼女は、問い返してくることはなかった。


「君の魂を喰らった次は、安藤君だ。彼もなかなか美味しそうだからね」

「やめといた方がいいと思うぞ。それに……」


 僅かながら腰を落とした天崎が身構えた。


「俺の魂をやると言った覚えはない」

「そうかい。なら、さっさと始めようか」


 話は終わりだと言わんばかりに、月島は右手を前に出した。


 すると突如として現れる日本刀。魔法か手品でも見せられたかのように、天崎はギョッと驚いてしまう。


「なんだそれ。どこから取り出したんだ?」

「私がチャンバラの幽霊ってことは、この娘から聞いただろ? 子供の頃、私はチャンバラをするのが好きでね。いつもおもちゃの刀を持ち歩いていたし、それこそ死ぬ直前も遊んでいたくらいだ。だからなのかな。こうやって自分の魂の一部を刀に変化させることができるようになったんだよ。もちろん、本物ってわけじゃない」


 とはいっても、切れ味が本物以上であることは身をもって知っている。

 マズいことになった。手ぶらだったから完全に油断していた。

 天崎は焦り始めるも、相手は待ってくれない。


 飛石を渡るがごとく、跳ねるような動作で月島が突進してくる。その足取りに迷いはない。目にも止まらぬ速さで、二十メートル以上あったはずの距離を一気に詰める。


 そして――、

 ブウンッ! と日本刀を大きく薙ぎ払った。


 攻撃を予期していた天崎は、バックステップをすることで月島の一撃を難なく躱す。


 二撃目。刀を振り上げた状態から、さらに一歩踏み込み、天崎の身体を袈裟切りにする。しかしそれも空振り。後方へと大きく倒れ込むことにより、相手の連撃を逃れた。


 地面に片膝をついた天崎は、急いで顔を上げる。

 月島は落胆しているようだった。


「避けないでよ。斬れないじゃないか」

「斬られたくないから避けてんだろ」


 お互い、意味のない軽口を交わす。

 と、

 月島の身体が――大きくブレた。


「?」


 まるで3D映画を裸眼で観ているかのようだ。月島の姿が二つ重なって見える。


 最初は自分の目の異常を疑った天崎だったが、即座に違うと断言できた。二重になっているのは月島の姿だけであり、その他の背景はしっかりと実像で捉えられているのだ。


 そしてこの現象は、以前にも経験したことがあった。


 月島が転校してきた日、初めて挨拶を交わした時だ。しかもあの時より、ずいぶんとブレが酷くなっているような気がする。つまり――幽霊の魂が、月島の身体から剥がれかかっているってことなのか?


「手間をかけさせないでくれよ。あんまり時間がないんだからさ」


 言うやいなや、彼女はさらに追い打ちをかけてきた。

 一、二、三。

 何度も繰り出される容赦ない斬撃が天崎を襲う。しかし天崎は、それらを余裕をもって躱すことができていた。


 先日の吸血鬼に比べれば、天と地ほどのスピード差。しかも特に剣術の心得があるわけではないのだろう。天崎の目からしても、彼女はただ日本刀を振り回しているだけのようにしか見えなかった。


 だが反撃することは許されない。身体は月島の物なのだから。

 そんなことを考え、天崎はなるほどと納得する。


 このまま避け続けていれば、すぐに彼女の体力は尽きるはずだ。どう見たって月島は運動ができる体格や性格をしていない。肉体が彼女の物ならば、運動神経もたかが知れている。


 だから残る問題は一つだけだ。


「日没か……」


 西へ傾いていた夕日が、完全に地平線へと沈んでしまった。徐々に薄暗くなっていたとはいえ、光源があるのとないのではまったく違う。加えてここは街灯もない河川敷。闇が訪れるのは一瞬だった。


「いい加減さぁ……斬られてくれよ!」


 息を荒げた月島が、大雑把になった一撃で天崎を狙う。一方的に攻撃しているはずなのに、追い詰められているのは彼女の方だった。


 しかし、このままでは非常にマズい。


 いくら避けられる程度の斬撃とはいえ、それは刀身が目で見えているからこそできているだけだ。闇の中では距離感を失い、見極めることは困難になるだろう。たとえ振り回しているだけの刀でも、安藤の右腕のように切断することは簡単だ。


「一か八か、やってみるしかないな」


 やらないよりはマシだ、くらいの意気込み。

 天崎は、自らの人差し指を歯で噛み切った。


「『吸血の(ドラキュティック)時間(タイム)』」


 流れてきた血を啜る。

 元々リベリアのような吸血鬼が使う技だ。自らの血を吸うことで吸血鬼としての存在濃度を高め、一時的に身体能力を向上させるのである。


 では、吸血鬼でもない天崎が実行したところで効果はあるのか?

 答えは『分からない』だ。


 天崎の中にある『完全なる雑種』の血統には、吸血鬼の遺伝子も混ざっている。理論的に言えば、他の種族の遺伝子と同様、意図的に血統を引き出すことは可能なはず。しかしとある理由により、天崎は吸血鬼の血統を完全に覚醒させるわけにはいかなかった。


 故に吸血鬼に変身するまでには至らず、かつ吸血鬼の能力だけを少しだけ借りる。

 天崎にとって、こんな都合の良い調整をするのは未知の領域だった。


 そんなことを考えている間にも、息を整えた月島が追撃を仕掛けてくる。

 避ける、避ける、避ける。

 避けられる。


 陽は落ち、辺りは完全な闇に包まれたというのに、刀の軌道は徐々に見えやすくなっていった。夜目が利き始めたのと、動体視力が向上したためだろう。一か八かの策は、良い方向へと転がっていた。


 これだけ視えるのならば――あれができる!

 天崎は確信し、機を窺いながら斬撃を避け続けた。


 そしてチャンスはすぐに訪れた。

 振り上げられた日本刀が、天崎の脳天を割らんばかりの勢いで振り下ろされる。

 今度は避けない。天崎は目の前に迫った真剣の刃を――両の手の平で受け止めた。

 白刃取りだ。


 反撃ができないのならば、武器を奪って無力化させるしかない。だが一歩間違えば死に直結する行動など、即断できるはずがなかった。血を啜り、運動能力が向上したからこそできた芸当だ。


 拮抗状態が続く。手の感覚から、月島が刀を押したり引いたり試しているのが分かった。


 単純な男女差、さらにわずかながら吸血鬼化している天崎に筋力で勝てる道理はない。月島がいくら力を入れようと、刀が動く様子はなかった。


 やがて握力に限界が来たのか、月島の力が緩んだ。隙を逃さなかった天崎は、そのまま刀をぶんどり、明後日の方へと思いきり放り投げた。


「…………」


 月島は刀を拾いに行こうとはしなかった。呆気に取られながら、宙を舞う刀を視線で追っているだけだ。まさか白刃取りで奪われるとは思ってもいなかったのだろう。


 武器なしで挑んでくることもなく、月島は自分の手をじっと見つめる。


 あの刀は自分の魂の一部だと言っていた。まさか、自由に何本でも出せるんじゃ? なんて天崎が懸念を抱き始めた、その時――、


 疲れ果てた顔の月島が、天崎に向けてにこりと微笑んだ。


「お見事」


 そう口にした瞬間である。

 月島は、糸が切れたようにその場へと倒れ込んでしまった。


 膝から崩れ落ち、胸と顔面が地面へと叩きつけられる。足元は雑草が生え渡っているとはいえ、あまり良い音はしなかった。


「お、おい!」


 おそらく、というか間違いなく、幽霊は月島の身体から出ていった。天崎に魂を視る能力はないが、彼女の不自然な倒れ方からしても妙な確信があった。


 慌てて月島を抱き上げる。

 大雑把に診たところ、怪我らしい怪我はしていないようだった。


「月島、大丈夫か!?」

「う……うぅ……」


 どうやら意識はあるようだ。

 だが、どこか彼女の様子が変だった。


「うぅ…………ううぅ……」


 この声は……泣いているのか?


「安心しろ、月島。幽霊はもう出て行ったから」


 できるだけ優しく語り掛けるも、月島の嗚咽は止まらない。

 むしろ悲しみは強くなっていく。


「天崎……さん……」


 涙の中で、天崎の名前を呼んだ。

 彼女は天崎の腕を握りしめる。強く強く握りしめる。

 まるで懇願するように、何かを求めるように。

 月島が顔を上げる。大粒の涙を零した彼女は、縋るように願いを吐いた。


「……お願い。お姉ちゃんを……お姉ちゃんを……助けて……」

「お姉……ちゃん?」


 しかし天崎の問いかけに返答はない。

 唯一の願いを伝えた月島は、天崎の腕の中で気を失ってしまった。

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