間 章 とある占い師と人間の会話
天崎が退室していった後、二人の間にわずかばかりの沈黙が訪れた。
決して会話がしにくい雰囲気だったわけではない。対人関係のほとんどが受け身だった月島に自分から話題を振るスキルなんて無いに等しいし、ましてや目の前の老婆は、つい数分前に出会ったばかりの赤の他人だ。根っからの人見知りである彼女は、ただ視線を泳がせて、老婆の顔をチラチラと窺うことしかできなかった。
対するおののき荘の大家は、ニコニコ笑顔のまま微動だにしなかった。細くなった目はじっと月島を捉えているものの、特に何かを言う様子はない。念入りに、それでいて優しく月島を観察しているだけだ。
そのまま数秒。
天崎の足音が階段を上り、二階の部屋へと入った音が聞こえたところで、ようやく大家が姿勢を崩した。
「さて、そんじゃ占おうかね。でも、その前に……」
正座したまま前屈みになった大家が、上目遣いで月島を見据えた。
その顔は、笑っていた。
「お前さん、東ちゃんに嘘ついとるやろ」
「えっ……」
あまりに唐突な指摘に、月島は虚を突かれた。
次第に大家の言葉を理解していき、顔が青ざめていく。その反応は肯定であり、後ろめたさの象徴でもあるが、月島にはそんなことを考える余裕などなかった。
「なんで……」
なんで分かったのか?
なんで知っているのか?
なんでそう思ったのか?
様々な『なんで』が頭の中を駆け巡る。
すでに誤魔化せられる段階を過ぎていた。大家の眼差しは自分の指摘が正しいと確信しているし、何より月島自身が否定することを拒んでいた。嘘を付き通すことは――辛い。
だから月島の口から出た『なんで』は、一つ先のものだった。
「なんで……怒らないんですか?」
その回答に満足いったかのように、大家はさらに破顔した。
「怒るもんかい。嘘なんて、多かれ少なかれ誰だってついとる。事情を聞いただけのあたしゃが、首を突っ込んでいいことじゃないよ」
大家の言葉は、優しくもあり厳しくもあった。
嘘を許容し、その行動を認めている優しさ。
嘘を叱らず、自分の行いは自分で責任を負えという厳しさ。
当たり前なのだけど、この人は自分にとって赤の他人なのだと実感させられた。
「嘘にはね、二種類あるんだよ。自分や他人を守るための嘘と、他人を攻撃する意図のある嘘。お前さんの嘘は、前者なんだろ?」
「…………」
黙り込んでしまった理由は、半分だけ肯定できなかったからだ。
確かに月島の付いた嘘は、自分を守るためのものだ。しかし結果的に天崎と安藤を傷つけてしまった。大事には至らなかったらしいが、心の奥の罪悪感が拭えることはない。
「そんな真剣に考えんでもええって。あたしゃの言うことなんか、ほとんどが出鱈目なんだからさ」
「でたらめ……ですか?」
「そうだよ。じゃなきゃ、占い師なんてやっとれんわ」
占い師と出鱈目な言葉。
一見関係が深そうではあるが、未だ理解しかねている月島は首を傾げてしまう。
「バーナム効果ってやつさね。誰にでも当てはまる曖昧な占いしとるから、あたしゃの占いはほぼ確実に当たるのさ。本気で未来を視ようものなら、逆に当たらせん」
その理屈については、月島も何かの漫画か小説で目を通したことがある。
例えば、必ず未来を的中させる預言者がいたとしよう。預言者はとある旅客機がハイジャックされるという未来を視て、警告した。旅客機は運航を休止し、結果ハイジャックは起こらない。必ず当たるはずの予言が当たらなくなるという矛盾が、そこで生れる。
さっきの嘘に関しては、そういうことだ。嘘なんて誰だって付く。決して心の中を読んだわけでも、未来を視たわけでもない。ただの鎌掛けだと、大家は言いたいのだろう。
ただ一つ引っかかった。今の大家の言い方は、まるで本気で占えば確実な未来も視ることができると言ってるようなものだった。
「ま、あたしゃのことなんて、どうでもええて。今日はお前さんを占ってくれと東ちゃんから頼まれたわけやけど……残念やね、占えそうにないわ」
「ダメ……ですか?」
「そうやね。近いうちに人生を左右するほどの選択を迫られる、と言いたかったんやけれども……お前さんはすでに選択をし終えとる」
「――ッ!?」
月島が息を呑んだ。
あまりにも核心を突いていたため、呼吸すらも忘れるほど驚いてしまう。
その通りだった。月島にとって『選ぶ』という分岐点があったのは、もうだいぶ昔の話である。今の彼女はすでに選び終えた後であり、なおかつ後悔などしていない。選んだ選択肢が最良だと信じて、ずっとまっすぐ歩んできた。
故に天崎から占いの話を持ち出された時は、まったくと言っていいほど期待していなかった。
解決策? 未来を知って危機を予防する?
そんなものはどうでもいい。月島の未来は、すでに答えが出ているのだから。
だから月島が本当に欲しかったものは――。
「安心じゃろ。お前さんは、自分の選択肢が正しいと信じたいがために占いを受けに来た。そんなところかな」
心を――見透かされた。
驚きもあるが、それ以上に、月島は自分の心の内を垣間見ようとしていた。
やっぱり自分はまだ、不安を抱いているのだろうか?
「だもんで、すでに堅い意志を持っとるお前さんに今さら未来を占う意味はない。だから今からあたしゃが言うことは、占いというよりは助言かな。老いた婆の戯言だと思って、参考程度に受け取ってもらえるとありがたいね」
自らの占いを出鱈目と宣うこの占い師が何を言うのか、月島には興味があった。
再び居住まいを正した月島が、深く顎を引く。
「お前さんが選んだ選択が正しいかどうかは、そんなもんは誰にも分からん。未来なんて決まってないし、お前さんの人生なんだから、お前さんの好きなようにすればいい。けどね、辛い時は我慢したらあかんよ。一人でどうしようもなくなった時は、誰かに助けてもらわなきゃ」
「誰かに……」
呟き、やはり大家は話した以上の事情は視えていないことを知った。
助けを求めたくとも、月島にはそれができない。いや、彼女にとって一番信頼できる誰かに助けを求めることはできない、と言った方が正しいだろう。なぜなら『彼女』は、もうすでに亡くなってしまっているのだから。
「ほら、また険しい顔しちょる。ダメやって、難しく考えたら。もっと肩の力抜いて、楽にせんと」
「でも、私が助けを求められる人なんていません。私を助けてくれる人なんて……いません」
「ご両親もかい?」
「お父さんは私に無関心なので……。お母さんは……」
思考が巡り、一度口を噤んでしまう。
月島にとって、母親は唯一の相談相手だった。しかし相談内容を理解し、親身になって聴いてくれはするものの、助けてくれる人物であるかと問われれば、決してそんなことはない。
例えるなら、大手術を控える子供に寄り添う母のようなものだ。
母親が傍で寄り添ってくれれば安心するし、とても心強い。しかし手術をするのは医者だ。実際に助けてくれるのは母親ではない。つまりいくら母親に助けを求めようとも、根本的な解決にはならない。
だから……自分を助けてくれる人間なんて、この世には存在しない。
悲観的というより客観的な事実として、月島はすでに受け止めていた。
「そうかい。なら、今まで頼ったことのない人種に助けを求めてみたらどうだい?」
そう言って、大家が天井を見上げた。
彼女の視線を辿ってみる。その先に何があるのか月島は知らないが、容易に予想はついた。
「天崎さん……ですか?」
にっこり笑った大家が頷いた。
天崎も月島に協力的な姿勢を見せてはいたが、助けを乞うのは気が引ける。昨日今日出会った同級生に背負ってもらうなんて、いくらなんでも虫が良すぎるのではないだろうか?
「遠慮なんかいらんよ。あの子はそういう星の元に生まれてきたんだからさ。というよりかは業かな。あの子の血は……いろんなものを惹きつける」
「血?」
「ん。あぁ、今のは気にせんといておくれ。本人が言ってないのなら、あたしゃから言うわけにはいかんからね」
よく分らなかったが、月島は言われた通り気にしないことにした。
でも……。
まったくの赤の他人に助けてもらう。そんなこと、今まで一度だって考えたことなかった。
「こらこら、今泣いてどうすんの。女の涙は、ここぞという時に使わんと」
「え?」
言われて初めて気づいた。目の前にいる老婆の顔が、ぼやけて見える。
しかも涙が浮かんでからそこそこ時間が経っていたようで、最初の一滴はすでに頬を伝って流れ始めていた。そのまま顎へと到達し、正座している月島のスカートの上へと落ちる。
「あれ……なんで、泣いてるんだろう」
嗚咽が漏れるほどではない。自然と涙が浮かび始めた、という感じだ。
悲しいわけでもなければ、欠伸をしたわけでもない。自分で気づかないほど自然に涙が零れ落ちる経験など、初めてだった。
ただ、いつから溢れ出したのかは、なんとなく理解していた。
大家が天崎を頼ってみろと言った辺りだ。
他人に頼るという選択肢を示されて……少し、安心してしまったのだろう。
月島は、手の甲で涙を拭った。
「そうやね。もう一つアドバイスやけど……東ちゃんに何かお願いする時は、今みたいに泣いた方がええよ。お前さんめんこいから、東ちゃんならいちころだろうて」
そう言われ、目を赤くした月島がにっこりと笑って見せた。
「……はい。参考程度に、聴いておきます」
母親以外に見せた、久しぶりの笑顔だった。




