第6章 大家との邂逅
放課後、月島とは学校から距離のある児童公園で落ち合うことになった。
一緒に下校して変な噂が立ったら申し訳ないという天崎の配慮だったのだが、よくよく考えてみれば月島は転校してきてまだ間もない。ちゃんと場所は分かるのだろうか? それに気づいたのが公園のベンチに座って一息ついたところだったので、もう遅いのだが。
待つこと数分、公園の入り口で右往左往している月島を発見して、天崎は安堵した。
「よく場所が分かったな。ここを待ち合わせ場所にした俺も悪いんだけど」
この児童公園は大通りから離れ、住宅に囲まれているため、けっこう迷ったに違いない。
しかし月島は俯き気味で首を振った後、ポケットからスマートフォンを取り出した。
「地図……見てきたから」
「あぁ、なるほどスマホか。便利な世の中になったもんだよな、ホント」
ジジ臭い言い方だが、天崎はまだ高校二年生である。
「そうだ。よかったら番号交換しようぜ。この先、連絡取り合うこともあるだろ」
と言って、天崎は自分のスマホを取り出した。
それを見て、月島は不思議そうに首を傾げる。
「天崎さんのスマホって……随分と古いモデルなんだね……」
「あー……少し前に不注意で壊しちゃってさ。中学の頃に使ってたやつを実家から送ってもらったんだ。新しいのを買うまでの繋ぎってことだな」
本当は吸血鬼に破壊されたのだが、説明が面倒なので誤魔化しておいた。
何かと事件に巻き込まれるのは『完全なる雑種』の宿命。その際、手持ちの荷物を紛失することも多々あるだろう。使い終わったスマホは下取りに出さず保管しときなさい。という、何台もの携帯電話を壊してきた父親の助言が役に立った形となった。
番号を交換した二人は、おののき荘へ向かって出発する。
ここからだと歩いて五分もしない距離だ。
「その、一つ訊きたいことがあって……」
並んで歩いている途中で、月島が恐る恐るといったように口を開いた。
「なんだ?」
「昨日の夜……私が、その……天崎さんと安藤さんを襲った時、天使みたいな人影が空を飛んでたのを見たんだけど……」
「天使?」
その単語に心当たりはなかったが、あの時点で空を飛んでたのは一人しかいない。
月島が言っている天使とは、闇夜を飛翔するリベリアのことだ。
けど、天使かぁ? どちらかと言えば悪魔であり、鬼だろう。天使とは真逆の存在だ。
とはいえ、けっこう距離が離れてたから勘違いするのも無理はない。問題は、リベリアの存在をどう月島に説明したものか……。
思案しながら、天崎は横目で月島の顔を窺った。
すると不意に彼女と眼が合った。
「――ッ!?」
驚いた月島は、すぐに俯いてしまう。
恥ずかしがり屋もここに極まれり、という感じだった。
「まあ何というか、アレは……吸血鬼だ」
結局、天崎は嘘偽りなく白状した。
どう誤魔化したところでリベリアが飛んでいた理由に説明がつかないし、そもそも今向かっているのは、おののき荘だ。人外ばかりが住むアパートだ。偶然にも遭遇してしまう可能性はなくもないので、今のうちにある程度の知識は与えておいた方がいいだろう。
「きゅ、吸血鬼?」
「そうそう、俺と同じアパートに住んでるんだよ。他にも見た目人間のサキュバスや座敷童、人間と妖怪のハーフもいる。あとは人間って自称してるけど、身なりと言動がおかしい魔法使いが……あぁ、アイツは長らく留守にしてるから会うことはないかな。でも安心してくれ。今から紹介する大家は人間だから」
「は、はあ……」
心ここに在らずという表情だった。たぶん何一つ理解していない。
月島の反応は期待通りだ。いきなりこんな荒唐無稽なことを言われたら、誰だって理解できないのが普通だ。妄言を疑われたり、揶揄うなと怒られたりするよりかは、よっぽどいい。
そんなやり取りをしているうちにも、おののき荘に到着した。
二階建て計八部屋の木造アパート。風呂とトイレは各部屋にあり、全室畳である。外観はオシャレとは無縁の、昭和風をイメージした造り。なのに築年数は約一ヶ月という、生まれて間もない。ちなみに家賃は驚くほど安い。
駐車場はないが、アパートの横隣りには建物と同じくらいの面積の空き地がある。土の地面がむき出しになっており、端の方では大家の家庭菜園が遠慮がちに展開されていた。
おののき荘の全体像が見える位置まで近づいた時、偶然にも二階の一室の扉が開いた。
天崎の隣の部屋だ。
「……またヤベー奴がヤベー恰好で外に出てきたな」
二階から気怠そうに降りてくる女性を目の当たりにして、天崎は悪態をついた。
隣を見てみる。下を向いている月島は、まだ彼女の存在に気づいていないようだった。
「んんあぁ?」
アパートの手前で、女性がガンを飛ばしてきた。邪魔だから退けとか、特に因縁を付けられているわけではない。寝る前と寝起きの彼女は、大体こんな感じだ。
「こんにちわ、空美さん」
「あぁ……東四郎か。おはよう」
「俺は今学校から帰ってきたばかりですけどね」
「あたしゃ今起きたところだ」
そう言って、空美は大きな欠伸をかました。
その間に、もう一度月島の様子を窺ってみる。彼女は空美の姿を見て、ビックリしているようだった。ぶっちゃけそれも無理はない。見慣れている天崎ですらも、呆れた苦笑いが出てしまうくらいなのだから。
彼女が上半身に身に着けている衣類は、薄手のキャミソール一枚だけだった。下はスウェットのホットパンツで、大事な部分はギリギリ隠れてはいるものの、それでも部屋着の域を出ない。
しかしここは外である。公の場である。主婦や子供も闊歩する住宅街のど真ん中である!
天崎は見慣れているとはいえ、知り合いとして、同じアパートに住む住人として、おののき荘の品格のためにも一応注意しておかねばならない。
「あのぉ、空美さん。そんな恰好でどこに行くんですか?」
「コンビニ。飯食おうとしたら何もなかった」
「もうちょっと……外出に適した服装にした方がいいんじゃないですかね」
「構わねぇよ。別にあたしは恥ずかしくないし、男どももあたしのオッパイ見れて喜ぶんじゃないか?」
いや、構えよ。そんなもん時と場合によるだろ。男だって、四六時中女性のオッパイ見たいと思ってねぇよ!
というのは天崎の心の中だけでのツッコミだ。これ以上、この空美という女性を諭すのは時間の無駄だと知っているし、何よりクラスメイト(しかも女子)の前でオッパイ談義をしたくはなかった。
と、空美の眠たそうな半眼が、天崎の背後にいる月島を射抜いた。
それから三秒ほどじっと見つめた後、真剣な表情で天崎を睨みつける。
「東四郎。お前、座敷童のルールは知ってるよな?」
「座敷童のルール……ですか?」
「そうだ。座敷童を一時的に追い出す時の決まり事だ」
いきなり何を言い出すんだと思いながらも、天崎はルールを思い出していた。
「えっと、確か……座敷童は自由に外に出られるけど、家主が在宅の場合は必ず家の中に居なくてはならない。一時的に追い出す場合は……家主の許可が必要。また待機先は部屋のような空間を用意しなければならない。もし屋外へ放り出すようなことがあれば、座敷童は二度と帰ってこれない。場合によっては放り出した家主に不幸が訪れる。……でしたっけ?」
「そうだな。んで、帰る時は迎えに行ってやる必要がある。ま、仮の住まいはあたしの部屋でいいから、終わったら引き取りに来い」
「……? なんで今さら座敷童のルールなんて確認したんですか?」
「はあ? お前、今からその女とセックスするんだろ? 円の前でするつもりか?」
「セッ……!」
「するわけねーだろ!! 何考えてんだ!」
本気で吠える天崎。その背後で、月島が両手で口元を覆って顔を真っ赤にさせていた。
そんな二人の反応を見て、空美はポカンと口を開けたまま呆ける。そしてようやく察したのか、バツが悪そうに頭を掻いた。
「チッ、なんだ違うのか。勘違いさせんなよ」
「たとえ勘違いしたとしても、それを本人たちの前で言うか普通!?」
「じゃあその女はなんなんだよ。セフレじゃねぇのか?」
「クラスメイトだよ! 見りゃ分かんだろ!」
いや、確かに月島の制服は天崎の通っている高校の物ではないのだが……。
どちらにせよ普通は友達か、下世話な話としても恋人かと勘ぐるくらいだろう。それをいきなりセフレと勘違いするなんて、この女が普段どういった思考をしながら生活しているかが垣間見えた。
「ま、いいや。勝手にしろ。んじゃ、ごゆっくり」
大雑把な動作で手を振った空美は、それ以降は二人に目もくれず行ってしまった。……本当にあの恰好でコンビニに行ってしまった。
微妙な雰囲気が二人の間に漂う。
「ああっと……今のが俺の部屋の隣に住んでるサキュバス。あんな外見だけど人間じゃない」
取り繕うように解説をしてみたものの、月島は俯いたまま軽く頷くだけだった。見れば、耳の先っぽまで真っ赤に染まっている。どうやら空美の心無い発言から、相当のダメージを受けたようだった。
「お、大家さんの部屋は一階だ。行こう」
天崎が歩き出すと、月島がカルガモの子供のように付いてきた。
角部屋の前に立ち、チャイムを押そうと手を挙げる。そこでふと天崎は気づいた。そういえばアポを取ったわけではない。月島を連れてきたことは天崎の勝手な判断だ。もしかしたら不在かも……。
という不安は一瞬にして拭い去られた。
まだチャイムを押してもいないのに、部屋の中から「開いとるよ。入っといで」と声がしたからだ。
一応ノックをしてから、天崎は扉を開けた。
「お邪魔します」
間取りは天崎の部屋とほぼ同じだ。風呂、トイレの扉が一つずつと、玄関横には炊事場がある。六畳一間の畳の床で、異なる点と言えば、物が少ないことと部屋の奥に仏壇があることくらいか。
その仏壇の前で、このアパートの大家はこちらを向いて正座していた。
「俺たちが来るってよく分かったね、ばっちゃん」
「占いに出とったからね。そうでなくても、外であれだけ叫んどりゃ嫌でも気づくわ」
と言って、大家は豪快に笑ってみせた。
確かに近所迷惑で訴えられそうなくらい叫んでたしな、誰かさんのせいで。
今さらになって、天崎は自分の罵声が恥ずかしく思えてきた。
「じゃあ俺たちの目的も、もう知ってるとか?」
「さすがにそれは分からんさね。占いにゃ、東ちゃんが友達連れて相談に来るとしか出とらんかったからね。そっちの子が……相談者かな?」
「は、はい。……こ、こんにちは」
天崎に続いて部屋に入ってきた月島が、恐縮気味に一礼した。
大家は空美みたいに不機嫌そうな顔を露わにしているわけではない。どちらかと言えば正反対で、人当たりの良い笑顔で月島を歓迎してくれている。なのに委縮してしまっているところを見ると、どうやら月島は誰に対しても人見知りなのかもしれない。
二人が対面で正座すると、大家がヌッと月島に顔を近づけた。
別に脅したわけではないのだろうが、月島はビックリして肩を竦めてしまう。
「ほう。東ちゃんや、また難儀な子を連れてきたもんだね」
「何か分かるの?」
「いいや、何も」
「???」
じゃあ何に対して難儀と言ったのだろう。
この占い師には、何が視えている?
「何も視えとらんよ。ただ人生経験から語らせてもらっただけさね」
心を読まれた。
天崎はバツが悪そうに頭を掻いた。
「それで、相談事ってのは何かな?」
「実は……」
と、天崎は大家を訪ねるに至った経緯を語り出した。
昨夜の出来事、月島の体質、今後の対策も含めて大家に助けを求めたこと。
事の成り行きを説明したのは、ほぼ天崎だった。当事者である月島は、天崎の確認や同意を求める声に首肯するだけ。極度の人見知りだから仕方がないと、天崎も半ば諦め気味だったのだが……聞き手である大家が居眠りをするように舟を漕ぎ始めてからは、どうも説明する気も薄れてきてしまった。
一通り話し終えた後、姿勢を正した大家が結論を言い放った。
「あたしゃにゃ霊感なんてこれっぽっちもないから、なんにも分からん」
かっかっかと笑いながらの宣言に、天崎はガクッと肩を落としてしまった。
いや、天崎だって期待はしていなかったはずだ。霊感があるかも分からない大家に相談したのは、何も行動しないよりマシというだけのこと。勝手に期待した大家に匙を投げられたからといって、失望するのは筋違いだ。
「体質なら仕方ないよ。誰にもどうすることもできやせん」
「でも対策とかないかな? 幽霊を寄せ付けない方法とか」
「だったら本格的な霊能者に会った方がええよ。あたしゃの付け焼刃な知識じゃ、もっと悪くなるかもしれんからね」
「ならばっちゃんの知り合いの霊能力者を紹介してくれよ。たくさんいるんだろ?」
「たくさんいた、ってのが正しいねぇ。あたしゃより年上のモンは、ほとんど先に逝ってしまっとるで。知り合いでそこそこの腕を持っとる奴は……一番近くても、二つ隣の県くらいかねぇ」
遠いな。平日だと、学校も休む覚悟をしなくちゃならない。
意見を求めるべく、天崎は隣を窺った。すると珍しく、月島と眼が合った。
「あの、私……別にそこまでしてもらうつもりはないので……」
「いやでも、幽霊に意識を乗っ取られるなんて、早めに治しておいた方がいいだろ」
「こらこら東ちゃん。女の子が遠慮しとるんだから、そこは立てたらんと」
とは言ったものの、月島だけの問題なら天崎もそう首を突っ込んだりはしなかっただろう。しかし事態はそこに留まってはいないのだ。
昨夜、幽霊に取り憑かれた月島に襲われた。
安藤は右腕を切断され、天崎でさえリベリアが来なければどうなっていたかは分からない。自分たちだったからまだ良かったものの、もしこれが一般人だったら……どちらにも不幸が訪れる未来しか視えない。
食い下がろうか迷っていると、大家が横槍を入れてきた。
「あたしゃ除霊の相談はできんけど、よかったら占ってあげるよ」
「占い、ですか?」
「根本的な解決にはならんけどね。けど、アドバイスくらいにはなると思うよ」
その申し出には、天崎としても願ったり叶ったりだった。というか、最初から占ってもらうよう誘導するつもりだった。今後の参考程度にはなるだろうし、大家の占いはほぼ当たる。危険を予知できるのなら、それに越したことはない。
「占ってもらっとけよ」
「はあ。……その占いって、どれくらいお時間がかかりますか?」
「時間なんてかかりゃせんよ。五分か十分くらいさ」
長居することを申し訳なく思っているのか、家の門限があるのか。
どちらにせよ五分十分と聞いて、月島はそう気負わなくて済んだようだった。
「それじゃ……お願いします」
「ほいきた」
気合を入れた大家が、再び背筋を正した。
月島もまた彼女のただならぬ雰囲気を感じ取ったのか、居住まいを正す。
それから十秒が経過した。誰も何も動かずに。
「ええっと……ばっちゃん。占いは?」
「東ちゃんやい。女の子を占うんだから、男が聴いとったらアカンやろ」
「えぇ……」
つまり出てけってことか。
「俺がここに居ちゃマズい……かな?」
「私は別に構わないけど……」
月島はよくても、大家は許してくれそうになかった。
ぴしゃりと言い放つ。
「東ちゃんがこの子の伴侶になるなら、別にいいと思うけどね」
「分かった分かった。出てくよ」
根負けした天崎は立ち上がり、そそくさと部屋から退散していく。
扉を閉めながら月島の顔を窺ったのだが、彼女はまたも頬を赤く染めて俯いていた。どうやら伴侶という言葉がヒットしたようだ。
締め出されるように外に出た天崎は、見事な秋晴れの大空を仰いだ。
「とりあえず帰るか」
と言っても、すぐそこである。
外の階段を上り、自分の部屋へ。
扉を開けると、着物姿の童女が部屋の真ん中で正座していた。
「おか」
「ただいま」
カバンを置いて一息つく。
ふと、先ほどの空美とのやり取りを思い出して、天崎は円を見下ろした。
そういえば円が住み着いてから、もう一年くらいだっけ? 天崎が学校に行ってる間は外出しているようだけど、一年間ずっと河岸を変えていない。帰宅するたびに今のようなやり取りをしてくれるのはとてもありがたいが、さすがに飽きたりはしないのだろうか?
「なあ、円。たまには空美さんの部屋とかにも行ってみたらどうだ?」
「?」
何言ってんだコイツ。といった感じで、円が天崎を見上げた。
説明不足だったかな。と思いつつ、天崎はさらに言葉を加える。
「円、いっつも俺の部屋にいるだろ? たまには他の人の部屋に住み着いてみたりしたらどうかなって」
ポカンと口を開けたまま、放心する円。まだ言ってることが理解できないのかな。と、天崎の方が怪訝に思い始めた、その時――、
円の目から、大粒の涙がホロホロと零れ落ちた。
「まどか……じゃま?」
「――ッ!?」
気づくのが遅かった。
座敷童にとって、いや子供にとって、他の家に行ったらどうだと提案するのは、つまりはそういうことなのだろう。もうウチには必要ない、邪魔だから出ていけ。そう捉えられても仕方がない。
軽はずみで言ってしまった自分の言葉に、天崎は後悔した。
「い、いや、邪魔じゃない邪魔じゃない。全然そんなこと思ってないから!」
「まどかは、いらない子?」
「いる子いる子、円は必要な子!」
いくら言い繕っても、円の涙は止まらない。
わんわんと泣き喚かないまでも、溢れ出る涙を手で拭っているその姿は、天崎の良心を徐々に蝕んでいった。
「ごめん、本当にごめん! そんなつもりで言ったわけじゃなかったんだよ。なんでも言うこと聞くから、頼む、許してくれ!」
「なんでも? ほんとうに?」
「あぁ、噓じゃない」
「じゃあ、まどか、あいす食べたい」
「分かった、アイスな。今度買ってきてやる」
「たかいやつ」
「もちろんだ。一番高いやつな!」
すると円はピタリと泣き止んだ。
『計画通り』
「今ものすんごく腹黒いテレパシーで飛んできたんだけど!?」
嫌な能力だ。それを使う本人の性格も。
見た目がコレなので忘れがちだが、座敷童である円は天崎よりも年上だ。しかも何倍も長く生きている。人生経験という点で、天崎が円に勝てるわけがなかった。
アイスの約束は今度買い物に行った時に果たすとして、天崎は夕食の準備に取り掛かる。
そして十分ほど経ったところで、スマホが鳴った。
『あ……えっと、天崎さん。……占い、終わったよ』
掠れた声が耳に届いた。ディスプレイに名前が出ていなければ、誰だか分からないほど小さな声だ。何かあったというわけではなく、ただ単純に声の張りが足りてないだけだろう。電話に慣れていないのかもしれない。
「分かった、すぐ行く」
鍋にかけていた火を止め、天崎は外に出た。
一階の空き地で、月島と大家が立っていた。
「占い、どうだった?」
階段を下り、二人の元へ歩みながら天崎が訊ねた。
しかし月島は「えぇっと……」とどもりながら、大家を窺うだけだ。
「ダメだよ、東ちゃん。占いの結果を訊いちゃ」
確かにその通りだ。ここで内容を聞いてしまっては、席を外した意味がない。
一歩離れた月島が、大きく一礼した。
「大家さん、天崎さん、今日はありがとうございました」
「ええよええよ、役に立てたとは思えないけどね」
「いえ、そんな……」
天崎は二人がどんな話をしたのかまったく知らないが、大家の占いはほぼ確実に当たる。決して役に立たないということはないだろう。
「家まで送っていこうか?」
「ううん、大丈夫。そんなに遠くないし、暗くなるまでまだ時間があるから……」
やんわりと拒否して、もう一度お礼を言った月島が背中を向けた。
去っていくクラスメイトを見送りながら、天崎は隣の占い師に問いかける。
「月島の奴、大丈夫なんかな?」
「いんや。ダメそうだね、あの娘は」
消極的な回答に、天崎は驚いたように目を見開いた。
しかし大家の表情を見て困惑してしまう。楽観的とも悲観的とも捉えられる、穏やかな顔をしていたからだ。
「けっこう限界みたいだよ。近いうちに、倒れる」
「倒れるって……」
「どうしようもないことさ。あの子が決めたことなんだからね」
「…………?」
天崎には何も分からなかった。占いの内容を聞いていない以前に、大家は重要なことを曖昧にしすぎる。それで苛立ったりはしないが、もうちょっとヒントが欲しかった。
「別にあたしゃだって、全部が全部視えているわけじゃないんだよ。未来のことなんてあやふやだし、結末なんてわかりゃせん。でもね……」
そこまで言って、大家が天崎の背中をバシッと叩いた。
「女の子が困ってたら、ちゃんと助けてあげるんだよ」
今度の大家の表情は分かりやすかった。
笑顔。天崎に期待を寄せている顔だ。
当然、応えなければならない。
「当たり前だ」
拳を握り、天崎は決意を胸に抱いたのであった。




