第2章 天崎の敵と味方
西日が差し込む静かな教室の中で、天崎と安藤は顔を突き合わせていた。
「なるほどなぁ。先週の一件はサキュバスの仕業で、さらにヴラド三世が裏で糸を引いてたってわけか」
一通り話を聞き終えた安藤が、腕を組んで唸り声を上げた。先日あったサキュバスの件を報告していたのだ。
しかし、その一件はすでに解決済み。安藤に助けを乞う段階はとっくに過ぎてるし、後始末を頼むほど周囲に影響が出たわけでもない。
問題は、その後だ。
「それで? 昨日の夕方にヴラド三世から予告された、と」
「そう。俺の命は長くても一ヶ月らしい」
神上立人の肉体を得たヴラド三世から直々に宣告されたのだ。
面倒事を片付け次第、お前の身体を奪いに行くと。
「その言い方だと、君の身体を乗っ取るよりも重要な事のように聞こえるけど、何をするつもりなんだろう?」
「さあな、想像もできねえよ。俺の身体を確実に奪えるような準備、とかじゃないか?」
「それは君の心を折るってやつだよね? いや、僕は別件だと思う」
「根拠は?」
「やってることが今までと同じだからさ。わざわざ宣言するようなことでもない。石神も言ってたけど、主な目的は死神の血統を覚醒させることで、心を折るのはあくまでもついでだったわけだろ? だから君の身体を奪う前に済ませておきたい別の用件なんだと思う。ま、どのみち今ここで僕らが考えても仕方ないよ。答えなんて出るはずもない」
「だよなぁ」
間の抜けた声を出した天崎は、机の上に突っ伏した。
面と向かって死刑宣告をされたためか、少しばかり神経質になっているようだ。このままでは奴の思う壺。心の隙を突かれて肉体を明け渡すことがないよう、精神力は常に安定させておかないと。
「にしても、ヴラド三世はどうやって神上の身体を乗っ取ったんだろうな? リベリアが言ってた通り、招いただけで本当に自分の物にできるのか?」
「それに加えて、あの二人は相性……もとい属性が似通ってるからね。それも上手く作用したんだと思う」
「属性?」
「神上立人は殺人鬼。ヴラド三世も人間を殺しまくったと歴史に記されている大量殺人犯だ。普通の人よりは波長が合って、乗っ取りやすかったんじゃないかな?」
「…………」
安藤の意見を聞いて、天崎は自分の手の平を見下ろした。
殺人鬼たちには遠く及ばないが、自分もこの手で人魚を殺している。あくまでも事故という認識ではあるものの、人を殺してしまったのは事実。それをきっかけに自分の波長がヴラド三世に近くなっていたとしても、何ら不思議ではない。
いや、そもそもの話、自分がヨミを殺すことも計画の一部だったのでは?
「どうしたんだい?」
「……いや、なんでもない」
安藤の怪訝そうな声が耳に入り、天崎はハッと我に返った。
考えても意味はないと言われたばかりなのに、気を抜くと思考がどんどん悪い方へと進んでしまう。そんな自分に嫌気が差して、天崎は意識的に頭を振った。
「そういえば今のヴラド三世って、吸血鬼なのか殺人鬼なのか、どっちなんだろうな? 吸血鬼の魔眼は使えたらしいんだけど」
「じゃあ最悪の想定として、吸血鬼と殺人鬼が組み合わさった、新しい種族だと考えた方がいいのかもしれないね。さしずめ吸血殺人鬼ってところかな」
「しかも魂がない特殊な状態、か」
現象の吸血鬼だったヴラド三世は、元々魂を持っていなかった。それが神上の魂を追い出して肉体に入っているのだから、今は空っぽの状態で動いているのだろう。
つまり死神の能力は一切効かず、さらに殺人鬼の体質によってヴラド三世からは触れることができる。死神にとっては相性最悪な相手だった。
「ひとまずヴラド三世の話は置いといて……」
そう言って、安藤は少しだけ話題の方向性を変えた。
「少しまとめよう。奴の取り巻きは何人くらいいるんだい?」
「俺が知ってるのは戸塚英明って名前の元『調査員』と、大堕天使のカラエルだな。それと、もしかしたら『種の根源』の中にいる人物とも繋がりがあるかもしれない」
「いやいや。僕はまだ『種の根源』に関しては半信半疑だから、そこは省いてほしいな」
「けど俺は見たぞ。真っ暗な空間に誰かいて、何かを語り掛けてきたんだ」
「夢の中で、だろ? しかも、どんな人物で何を話したのかも覚えていない。それを証拠もなしに一方的に信じろって言われても、無理があるとは思わないかい?」
「そりゃそうだけど……」
安藤の容赦ない正論に、天崎は拗ねたように唇を尖らせた。
がんばって反論を捻り出そうと頭を掻きむしる天崎を無視して、安藤は続ける。
「その戸塚英明ってのは人間なんだよね? おそらくヴラド三世の肉体がなかった時に、手足として動いていた部下なんだと思う。リベリアさんは後れを取ったみたいだけど……まあ、最初から警戒していれば、そんなに脅威ではないんじゃないかな?」
「俺もそう思う」
過去数回ほど対面した限りでは、何か特別な力があるようには見えなかった。また上背はあるものの、肉体派というわけでもない。安藤ならまだしも、自分が純粋な格闘で負けるとは思えなかった。
「あとはカラエルか。こっちはなぁ……」
「やっぱり、お前でも対処は難しいのか?」
「難しいね。難しすぎる。そりゃ地上に堕天した時点で大半の能力は削ぎ落とされているはずだけど、そもそも天使って種族自体、手に負えないからね。相手にしないに越したことはないんだよ」
「天使って、そんなにヤバい種族だったのか……」
とてもじゃないが、あの怠惰な天使からはまったく想像できなかった。
「じゃあ、どれくらい弱体化してるんだ?」
「天界の大天使や魔界にいる上位の悪魔なら、地上に足を踏み入れた時点で秩序が崩壊してしまう。それが何不自由なく活動できる程度、って言えばいいのかな? だからカラエルも絶対無敵ってわけじゃないはずなんだ。それこそクルクルが言ってたように天使総出で排除に乗り出したり、戦闘の得意な種族数十人で袋叩きにすれば簡単に倒せると思う。けど今の僕はただの人間だし、そんな大人数の仲間を集めることもできないだろ?」
「まあ、そうだな」
「頼みの綱は石神だけど、死神だって亜空間に囚われたら手も足も出ないだろう。さらにカラエルの隣には死神の天敵であるヴラド三世もいる。協力してくれるわけがないよ」
「そっかぁ」
ダメ押しされる否定意見に、天崎は落胆の声を漏らした。
やはりカラエルを確実に攻略する方法はなさそうだ。天崎が『完全なる雑種』の血統を使いこなし、カラエルと同等以上の力を引き出せるようになれば、多少は光明が見えてくるのかもしれないが……およそ一ヶ月で、その域まで到達できるだろうか?
「で? 君とヴラド三世の認識が正しければ、そこに『種の根源』の中にいる誰かが加わるんだろ? それはもう敵として考慮するだけ無駄だろ。もし事実なら諦めるしかない。だから僕は、そんなものはないという前提で話を進める。いいね?」
「……分かったよ」
強引に言い切られたため、天崎は不承不承ながらも了承した。
ただ安藤の言い分も理解できないではなかった。すべての生物の遺伝子や認識を自由に書き換えられるという、この世界の理から外れた存在。例えるなら、ゲームのキャラとプログラマーが敵対するようなものだろう。勝負になるはずもない。
「でさ、安藤。これだけは確認しておきたいんだけど……お前は俺の味方でいいんだよな?」
声を低くして問うと、安藤は虚を突かれたように目を丸くした。
「当たり前だろう。今さら疑う余地があるのか?」
「いや、あんまり自分で言いたくないけどさ……ヴラド三世が身体を奪う前に俺を殺すって選択肢も、一応はあるぞ」
「そんなあやふやな理由で友人を殺したりはしないよ。それじゃあ僕が警察に捕まって普通の人生を送れなくなるじゃないか」
「そこは現実的なんだな」
「どのみち、そんなことしたら今度は僕がヴラド三世の恨みを買ってしまう。だから仮にヴラド三世が『種の根源』に到達して世界を支配したとしても、地球に隕石が落ちてきたようなものだと思って静観するさ」
「つまり、いつも通りってわけか」
「そう。いつも通り、僕は『人間の安藤』としてしか手を貸すつもりはない」
だが、敵に回らないという言質が取れただけでも十分だ。ならば安藤が無事に仕事を終えられるよう、自分は最善を尽くすまで。
「そうなると、明確な味方を見繕わないとな。リベリアの他には……玉藻はもう以前みたいな力は出せないって言ってたっけ」
「九尾の狐だっけ?」
「ああ。九尾の力はほとんど俺に渡っちまったからな。一般的な獣人よりかは強いんだろうけど、吸血鬼には遠く及ばないと思う。それからさくらさんは殺人鬼に対抗できるほどでもないし、クルクルは協力してくれそうにないし……あれ? 戦える味方、意外といなくね?」
「君の両親とかは?」
「親父も『完全なる雑種』だから、俺と同じようなことができるけど……もういい歳だからなぁ。体力的に厳しいだろうし、あんまり迷惑は掛けたくない」
「そんなこと言ってる場合じゃないだろ」
「そうだけどさ……あっ」
地元に思いを馳せていたところで、思い出した。
「そういえば一人いたな。リベリアより強い奴が」
「へー、誰だい?」
「酒井太郎っていう、俺の中学時代の友達だよ。そいつは鬼で、リベリアよりは間違いなく強い。一度戦ったことがあるからな」
「協力してくれそうなのかい?」
「頼めば来てくれるんだろうけど……」
少し推考したところで、天崎は首を横に振った。
天崎が要請すれば、太郎はすぐに駆け付けてくれるだろう。そして、あのデタラメな力で敵をやっつけてくれるはずだ。最終的には、皆殺しという形で。
決して大げさな話ではない。天崎は実際に見ているのだ。死んでも無事に元の世界へ帰れる異世界で、力をセーブしているはずの太郎が、次々と容赦なく敵を屠っていく光景を。
ここはゲームの中とは違う、死んだら本当に死んでしまう現実の世界。太郎の力と性格なら誤って殺してしまう可能性は十分にある。だからあいつを戦わせるわけにはいかない。友達だからこそ、自分と同じ気持ちを味わってほしくはなかった。
「……ってことは、やっぱり自分の力でなんとかするしかないのか」
「だね。まあ頑張ってくれ。僕も応援するよ」
「俺の身体が奪われたら、世界がヴラド三世の魔の手に堕ちるかもしれないんだぞ? 人間社会を調査しに来た大悪魔様が、そんな適当でいいのか?」
「その時はその時さ。世界の終焉ということで、僕もしっかりと記録させてもらうよ」
「記録できるまで生きてりゃいいけどな」
そう軽口を叩き、天崎は再び机に突っ伏したのだった。




