第5章 月島の告白
翌日は、目覚まし時計に起こされる前に目を覚ました。
二度寝をしたい欲求もないままに、起床した天崎は布団を畳む。それからいつも通り朝食兼弁当の準備をし、そのタイミングで起きてきた円と朝食を共にする。食べ終わった食器はシンクの中へ。歯を磨き、頬の絆創膏を避けて顔を洗い、学生服に着替える。
今日はリベリアが乱入してこなかったため、朝の支度はスムーズだった。
おののき荘を出る。そのタイミングを見計らったように、天崎のスマホが鳴った。
相手は安藤だ。
『昨日切断された右腕の修復がまだだから、今日は遅刻するよ。昼には登校できると思う。それまで月島さんへの尋問よろしく』
だそうだ。
尋問というとあまり穏やかに聞こえないが、天崎たちはそれに値するほどのことをされたのだ。どれだけ圧力を掛けようとも、事情はきっちり説明してもらわなければならない。もちろん相手の出方次第ではあるが。
そして安藤の腕はやっぱり治るんだなと、不謹慎にも笑ってしまった。医者にも行かず、自分で腕を結合させるなんて、いったいどういう体の構造しているのやら。いや、構造自体は普通の人間と同じはずなんだけれども。
ま、そんなことはどうでもいい。今は月島だ。
教室に入ると、月島はまだ登校してきていないようだった。始業までにはまだ時間があるため、急ぐ必要はない。教科書やノートを机に入れている途中、友人から頬の絆創膏のこと訊かれたが『転んで切った』とだけ答えておいた。
そして教室の入り口の方をじっと見つめながら、自分の席で待つこと五分。
未だ他校の制服で通学している転校生が、ゆっくりとした足取りで教室に入ってきた。
ちゃんと登校してきたことに対し、天崎は内心で安堵する。
「おはよう、月島」
できるだけ感情を表に出さないよう心掛けながら、自分の隣に来る女子生徒にあいさつをする。昨夜のことには少なからず腹は立っているのだが、それについて責めるのは二の次だ。今はどうして月島が襲い掛かってきたのか知りたい。
天崎としても、事を荒立てる気つもりはなかったのだが――、
「お……おはよう……。……天崎さん」
月島はひどく怯えていた。
両腕を胸の前で交差させている様は、まるで天崎から距離を取りたがっているよう。腰が引け、目は虚ろ。視線はあちこちに泳いでおり、まったく焦点が定まっていない。どこをどう見ても、臆病な子供が大人に叱られるのを怖がっているような態度だった。
そして何より違和感を覚えたのは、彼女の容姿の変化だ。
勝気な女子らしい昨日の態度とは打って変わって、本日は眉や目尻が垂れ下がり、全体的に顔が丸くなったように感じられた。
その印象は、狐顔から狸顔へ。
一晩で肉が付いたわけでもなければ、顔のパーツが極端に変化したわけでもない。
外見は昨日とまったく同じ女の子。であるはずなのに、立ち振る舞いや雰囲気は誰かと中身が入れ替わったかのように、別人と化していた。
というか、本当に別人なんじゃないか?
「お前……本当に月島か?」
「…………」
問うも、月島は困ったように俯いたまま黙り込んでしまった。
答えは返ってこない。あまりにも無言のため、天崎もどうしていいか分からず、手持無沙汰にしていると……突然、後ろから後頭部を引っ叩かれた。
「こら、天崎! あんたはまた月島さんに、なんて失礼なこと言ってんのよ!」
「痛って!」
振り返ると、メガネの委員長が腕を組んで睨み下ろしていた。
どうやら今の発言を聞かれていたらしい。昨日もそうだが、偶然にも近くにいるなんて運がない。むしろ委員長が地獄耳なのか?
どうせまた謝罪しない限り、委員長は許してくれないだろう。
恨みがましく委員長を睨み上げた天崎は、再び月島の方へと向き直ったのだが――、
「ご、ごご、ごめんなさい……」
両手をひらひらさせながら、何故か月島が謝っていた。
しかも視線を床へと伏せて、本当に申し訳なさそうに。
呆気にとられた天崎は、肩越しに委員長を窺う。彼女もまた月島の変貌ぶりに驚いているのか、目を見開いて言葉を失っていた。
「あ、あの……天崎さん」
「ん、なんだ?」
遠慮がちというよりも、恐る恐るといったように月島が口を開く。
「昨日の、ことなんだけど……必ず、話すから。お昼で……いいかな?」
昨日のこと。つまり昨夜、日本刀を持って襲ってきたことだろう。
天崎としては、少しくらい今ここで話してほしかったのだが、
「え? あぁ、おう……」
あまりに下手に出てくる月島の態度に、天崎も承諾せずにはいられなかった。
「実は私……幽霊に取り憑かれやすい体質なんです」
昼休み。弁当を食べ終わった天崎と月島は、他の人に話を聞かれたくないという彼女の要望により、屋上へと場所を移した。その途中、しっかりと五体満足になって登校してきた安藤が合流する。屋上の一角に設置されているベンチに月島を座らせ、その正面に二人が立つ形で尋問は始まった。のだが――、
「…………」
「…………」
開口一番がそんな荒唐無稽な発言だったため、説明を求めた天崎と安藤は無言で顔を見合わせてしまった。お互いが、今の聞き違えじゃないよなと、視線で確認しているようだ。
「幽霊って、アレだよな。漫画やテレビでよくある、うらめしやーってやつ?」
「あっ、はい。そんな感じ、なのかな?」
否定してほしい期待を込めての確認だったのだが、あっさりと肯定されてしまった。
そして今度は安藤の方を無言で睨みつける。
確か昨日、この悪魔は幽霊なんて存在しないと大口を叩いたはずだ。
視線に気づいた安藤は、やれやれといった風に、大げさに首を竦めて見せた。
「幽霊というよりは人間の魂だな。肉体を失った魂は、しばらく現世を彷徨うって言っただろう? そして徘徊する魂が他の人間に取り憑くというのは、実際に事例がある。逆に意図的に自分の身体へ別の魂を呼び込む、いたこのような能力者も存在する。どちらも珍しいけどね。絶対数で言えば、魂を見たり感じたりする程度の霊感を持つ人間の方が多い」
「なんかこじつけ臭いな。お前の話」
「疑うのは勝手だよ。僕は自分の知識を事実として語ってるだけだ」
「そりゃそうかもしれないけどな……」
いくら何でも胡散臭すぎる。と天崎は言いたかったが、幽霊の話を持ち出した月島が目の前にいるため、口には出さなかった。
「ってことは、昨日の朝の時点ですでに幽霊に取り憑かれていたってことかな?」
「はい……」
今日と昨日の振る舞いを比べてみても、その違いは明確だ。別人かと思ってしまうほどだったし、演技でもなさそう。月島が言うように幽霊に身体を乗っ取られていたか、あるいは二重人格だった方が納得がいくほどだ。
そこで天崎は、昨日の月島とのやり取りを思い出してピンときた。
挨拶をした時、彼女の身体がブレたように見えた。まるで映りの悪いテレビを見ているかのように。つまりあれは、月島という肉体に別の魂が入り込んでいたから、ああ見えたということなのだろうか?
もう一度、目を凝らして月島の姿を見つめてみる。
彼女の身体は、特に何かが重なっているというわけではなさそうだった。
「昨日の夜は、お墓で何をしてたんだい?」
天崎が月島を観察している間にも、安藤の尋問は続く。
「……ごめんなさい。取り憑かれている時は、身体の自由が利かないから……」
「でも昨夜のことを覚えているような話し方だったけど?」
「はい。ほんの少しだけ。まるで夢のような感覚で、ぼんやりとだけ。それで……解放されてから、ああ今のは夢じゃなかったんだなって……」
「…………」
いったん質問が途切れると、月島はしゅんと項垂れてしまった。
安藤の疑わしそうな視線が月島の後頭部に刺さる。あんまり圧力を掛けると委縮してしまうと思い、天崎は安藤を軽く諫めた。
「持っていた日本刀のことは分かる?」
「えっと……私によく取り憑くのが、チャンバラの幽霊みたいだから……」
「チャンバラの幽霊」
オウム返しをした天崎が、大空を仰いだ。
なんだよそれ。ギャグなのか? 武士や侍ならともかく、チャンバラの幽霊って……。
疑わしいを通り越して、理解ができず仏頂面になる天崎。そんな彼の顔を見て叱られると思ったのか、月島は慌てふためきながら話を進めた。
「刀と言えば……安藤さん、その……斬られた腕は大丈夫、なんですか?」
「ん? あぁ、大したことなかったよ」
と言って、安藤は右腕をひらひらと振って見せた。
実際には肘の辺りで切断されていたため大したことだったのだが、言うのはやめる。一晩で腕がくっついた理由を説明するのは困難だし、天崎も知りたくはない。幽霊に取り憑かれている時は、月島の意識が曖昧でよかった。
一通り訊きたいことは出尽くしたのか、安藤は腕を組んでうーんと唸り始めた。
「だけどそうなると困ったな。対策のしようがない。自分がいつ幽霊に取り憑かれるかは分からないんだろ?」
「はい。でも今この瞬間、いきなり取り憑かれるってことはないと思う、かな。眠っている時とか、気絶している時とか」
「寝てる時に監視するわけにもいかないしなぁ……」
とここで、安藤が天崎をチラリと見た。
お前も何か言えという意味らしい。
「取り憑かれるのを防げないんなら、取り憑かれた後のことを考えるしかないな。幽霊が身体を乗っ取ってる時は性格が変わるんだろ?」
「取り憑く幽霊にもよるけど……」
「なら月島が取り憑かれてると判断したら、俺たちが祓えばいい。いつもはどうやって身体から追い出してるんだ?」
「それは……」
月島は、膝の上に置いた両手をギュッと握った。
しばらく考えた後、俯いたまま首を横に振る。
「ごめんなさい、分からないんです。いつも、自然に出て行ってるから……」
その回答に、二人は諦めのため息を吐いた。
ダメだ、どうすることもできそうにない。取り憑かれるのは寝ている時で、解放される条件は不明。乗っ取られている間は自分の意思で動くことができず、だからといって見分ける方法は今のところ性格くらいしかない。
そもそもの話、原因はその体質だという。生まれ持った性質なんて、天崎や安藤がどうこうできる問題ではなかった。
というより、もっと根本的なことを耳にしてないなと天崎は思った。
月島は問題を解決してほしいと二人に願い出たわけではないのだ。ただ昨夜あった理不尽な事件を説明して、自分の置かれている状況を話しただけ。困っているから助けてほしいと、月島の口から聞いたわけではない。
だから天崎は訊ねてみた。
「月島は、その体質を治したいと思っているのか?」
「…………」
答えは返ってこなかった。口を噤んで、俯いたまま。
困っているのなら、助けを求めてこないにしても肯定くらいはするはずだ。
つまり月島は現状を受け入れている?
幽霊に取り憑かれているのは、少なからず彼女が望んでいること?
分からない。月島が口を開いてくれるまで、天崎には行動のしようがない。
けど、だからといって何もしないわけにはいかない。知ってしまったからには、少しでも力になってやりたい。
少し考えた結果、天崎の脳裏に一つだけ案が閃いた。
妙案というほどではなく、やらないよりはマシという程度ではあるが。
「月島。今日の帰り、よかったら俺のアパートに寄っていかないか?」
「どうするつもりだい?」
「大家のばっちゃんに会わせてみる」
天崎の提案に、安藤は難しい顔をした。
「大家さんって、霊感とかあるんだっけ?」
「知らん。けど、あんだけ的中する占いができるんだから、何かしらの能力はあるだろ。相談に乗ってくれるだけでもいいしな」
やれやれと言わんばかりに、安藤が首を横に振った。
話についてこれていない月島が、キョトンとしている。
「天崎さんのアパートの大家さん……ですか?」
「おう。ほぼ確実に当たる占いをしてくれる婆さんだ。解決になるかは分からんけど、相談しといて損はないと思うぜ」
「占い師……」
呟いた月島が、何かを思案するように口元を手で覆った。
そして数秒ほど悩んだ後、天崎の目をまっすぐに見据える。
「分かりました。天崎さんさえよければ、その大家さんにお会いしてみたいです」
「オッケー、決まりだな。じゃあ今日の放課後、一緒に帰ろう」
と、ここで予鈴が鳴った。午後の授業が始まる合図だ。
弾かれたようにベンチから立ち上がった月島が、二人に一礼した。
「あの……天崎さん、安藤さん。昨日は本当に……申し訳ありませんでした」
「いや、いいよ。事情が事情だから仕方ない」
「では天崎さん、放課後はよろしくお願いします」
「おう。授業終わったら、また声かけるわ」
そして月島は、階下へ降りる階段の方へと小走りで去っていった。
……まるで逃げるように、急ぎ慌てながら。
おどおどした女子生徒の背中を見送った後、男二人は無言で視線を交わす。
「今の話、どう思った?」
先に問いかけたのは天崎だった。
「彼女は間違いなく噓をついている。か、もしくは何か大事なことを隠している」
「やっぱりか」
「幽霊に取り憑かれやすい体質云々の話は疑いだしたらキリがないけど、その先は耳を疑ったね。取り憑いた幽霊が、転校生として普通に学校に登校するか? 普通に自己紹介するか? しかも月島さんの実際の名前を使って」
「……学校生活に未練のあった幽霊だったのかもしれないな」
「それこそキリがない。考えるだけ無駄だ」
もちろん、天崎自身もそれが正しいとは思っていなかった。
「君は何か気づいたかい?」
「チャンバラの幽霊のくだりだな。日本刀なんてどこで手に入れたんだよって話だし、普通は武士とか侍の霊だと思うだろ。それをチャンバラなんて表現するってことは、取り憑く霊の性質をある程度理解してるってことだ」
「……そもそもチャンバラの霊ってのが嘘かもしれないけどね」
「やめとけやめとけ。時間の無駄だ」
いくら仮定の話をしたところで、真実に到達することはない。ということは二人とも身をもって知っているので、不毛なやり取りはさっさと終わらせた。
月島の口から語られたことを信じるならば、分かっていることは一つ。
彼女は幽霊に取り憑かれやすい体質である。
また幽霊の性格によっては好戦的にもなるため、周りに被害が出ないよう対策が必要。
そのための第一歩が、今日の放課後、月島をおののき荘の大家に会わせることだ。
人生経験豊富かつ占い師の大家なら、何かしらの解決策を提示してくれるかもしれない。少なくとも、事態がマイナスに陥ることにはならないだろう。そこで月島の抱える悩みが解消されれば万々歳だ。
頭の中で今後の方針をまとめ上げ、安藤と意見を擦り合わせようとした天崎だったが――、
悪魔の友人は、興味がなさそうに手を挙げた。
「悪いけど、僕はこの件に首を突っ込むつもりはないよ」
「は? なんで?」
今のところ腕をぶった斬られた一番の被害者なのに?
冗談かと思うも、こちらを向いた安藤は心底どうでもいいと言いたげな顔つきをしていた。
「僕の目的は人間の生態を調査することだ。先日の吸血鬼みたいな人外には容赦しないけど、人間が起こす事件に関しては話が別だよ。たとえ人間の殺人鬼がこの街の住民を皆殺しにしたとしても、僕は一人の人間としてしか対処するつもりはない」
「人間じゃなくて幽霊なんだが?」
「同じようなものだろう。月島さんは人間だし、幽霊だって肉体を失った人間の魂だ。人外の魂って可能性もなくはないけど……それでも僕は動かないだろうな」
「なら、今回お前の協力はなしってことか」
「別に協力しないとは言っていない。何かあれば友人として相談は受けるし、僕の知っている知識なら提供するよ。ただ積極的に月島さんに関わらないってだけ」
「ふーん」
「なんにせよ、そろそろ授業が始まってしまう。教室に戻ろう」
そう言った安藤が、階段の方へと歩き出した。
その背中を見つめながら、天崎は思う。
今回、安藤の協力は得られない。一人で大丈夫だろうかと、心配して心細くなっていた――わけではなく、
「お前のそういうところが面倒くさい」
人間ではない友人へのダメ出しが、本人には届かないほど小さな声で、ついつい漏れてしまった。




