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ドラキュティックタイム  作者: 秋山 楓
第11話『デビルズナイトメア』

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空 白 月島洋子

 月島にとって、姉は憧れの象徴だった。


 運動も、勉強も、性格も、何一つとして自分が敵う要素のない、まさにスーパーヒーロー的な存在。その能力の高さはもちろん、自他ともに認めるほどだ。


 血を分けた姉妹であるはずなのに、どうしてこんなにも優劣がはっきりしているのか不思議に思ったことはある。だがその疑問は、姉への憧れという感情に昇華させていた。


 彼女が自分の姉であることが誇らしかったし、何より心から尊敬していた。


 自分と姉、双子の自分たちがどちらかしか生まれてきてはいけないというのなら、月島は間違なく辞退する。それほどまでに、彼女は自分の姉に心酔していた。


 だからこそ、今でも理解できていないことがある。

 何故、姉は自分を助けたのか。

 何故、姉は自分の代わりに死んでしまったのか。

 こんな出来損ないより、万能な姉が生きてくれた方がみんなも喜ぶはずなのに。


 1+1がどうして2になるか理解してくれない子供を眺めるように、月島もまた、自分の姉を見て困り果てるのだった。






 乗用車が猛スピードで向かってくる。

 真正面に立っている自分が撥ね飛ばされたところで、いつも目が覚めた。


「…………」


 だが月島は冷静だった。

 特に慌てることもせず、ゆっくりと瞼を開く。今の夢を噛みしめるように、深く息を吐く余裕すらあった。


 何も驚くことはない。彼女にとって、車に轢かれる夢は悪夢ではないのだから。


 もし自分が車に轢かれなければ、おそらく姉の方が死んでいたことだろう。そんな強迫観念が付きまとい、月島は自分が死ぬことを受け入れていた。


「洋子、おはよう! 起きてる!?」


 あんまり気分が優れずぼんやりしていると、二段ベッドの上から姉が覗いてきた。逆さ吊りになった姉の顔は、朝っぱらだというのにとても元気溌剌としていた。


「おはよう、お姉ちゃん」

「低血圧っぽいね。大丈夫?」

「うん、大丈夫だよ」


 嘘をついた。姉を心配させたくなかったから。


 月島の言葉を信じて安心したように頷いた姉は、さっさと着替え始める。月島もそれに倣って慣れないセーラー服へと袖を通した。今日から新しい中学校なのだ。


 ただし入学式ではない。月島姉妹の父親は転勤族で、かなりの短いスパンで全国を転々としている。その都度姉妹も転校を繰り返していたのだった。


「ま、この制服もいつまで着られるか分からないけどね」

「うん、そうだね」


 皮肉混じりに笑う姉に釣られて、月島も笑顔を見せた。

 二人揃ってキッチンへ降りていく。朝食が並んだテーブルには、すでに父と母が着席していた。


「いただきまーす」

「いただきます」


 一般的な家庭の、何気ない朝の食卓が始まる。

 しかし号令をかけたところで、姉が気づいた。


「おや? 洋子の目玉焼きの方が大きい気がする。交換してくれない?」

「うん、いいよ」

「ありがとう!」


 全身全霊で感謝の思いを伝えた姉が、意気揚々と目玉焼きを交換した。


 月島はまったく嫌な顔を見せず、それを受け入れる。目玉焼きが小さくなろうが、別にどうでもいい。尊敬する姉が喜んでくれれば、それでいいのだ。


 だってこれは、月島が我慢することで得た未来なのだから。






 転校先の中学校でも、活発的な姉はすぐに友達ができた。


 対して月島は新しい環境に慣れず、なかなかクラスに馴染めないでいた。姉が友達の輪に入って来るように誘っても、月島は輪の外から愛想笑いを浮かべるだけだった。


「どうだい、洋子。新しい学校にはもう慣れたかい?」

「……お姉ちゃん?」


 とある日の帰り道、月島が一人で通学路を歩いていると、後ろから追いついてきた姉に声を掛けられた。さっきまで友達と一緒に歩いていたはずなのに。


「洋子を一人にするわけにはいかないからさ、あいつらとは別れてきた。なあに、明日になったらまた会えるんだし、名残惜しくもないよ」


 チクリと心が痛んだ。

 自分の存在が姉の邪魔になっている?

 自分がいるから姉は友達と遊べないのでは?

 ネガティブな思考が頭に浮かび、月島は顔を伏せてしまった。


「こらこら、暗い顔してるぞ。また変なこと考えてるな?」

「ううん、そんなことないよ」


 また嘘をついた。やっぱり心配させたくなかったから。

 笑い合いながら自宅へ向かう姉妹。端からだと、とても仲の良い友達に見えるだろう。

 ただ妹の方は、徐々に心が蝕まれていた。

 ああ。姉のために自分は消え去ってしまいたい、と。






 また車に轢かれる夢を見た。最近では見ない日の方が少ないような気もする。

 ただ原因は分かっていた。姉に嘘をついた日、もしくは姉に遠慮した日にあの夢はやってくるのだ。


「洋子、チャンネル変えてもいいかい?」

「うん、いいよ」


 本当は観たい番組があったけど。


「洋子、選択体育は一緒にバスケをやろう!」

「うん、いいよ」


 本当は誰にも迷惑かけないような個人スポーツがよかったけど。


「洋子、顔色悪いぞ。風邪でも引いたかい?」

「ううん、大丈夫だよ」


 嘘だ。本当は体調が悪かった。


 けど我慢しなければならない。譲らなければならない。遠慮しなければならない。そうしないと、姉は死んでしまう……このあったかもしれない未来が、滅んでしまいそうだったから。

 だから月島は、夢の中で車に轢かれ続けることを選んだのだった。


 そんな姉第一な中学生活を送りながらも、二人は同じ高校に進学する。

 そこで月島にとって、自分の価値観がガラリと変わるほどの出来事があった。

 生まれて初めて恋をしたのだ。


「うっそ! だれだれ!? クラスメイト!?」


 素直な気持ちを姉に告白すると、彼女は嬉々として問い詰めてきた。

 自分から振った話題だ。このまま閉口することもなく、想い人の名前を告げる。


「えっと……天崎さん……」

「天崎君かぁ。なるほど、確かに彼はカッコイイもんな!」


 肯定されたことが、とても嬉しかった。

 頬を朱に染めてはにかむ月島に向けて、姉は年寄り臭く感慨に耽る。


「そっかぁ、洋子も恋をする歳になったかぁ。うんうん、ずっと側で見てきた姉としては嬉しいし、ちょっと安心したよ。洋子が普通に乙女心を持ってて」

「お、乙女心ってほどじゃないけど……」

「よっし。可愛い妹のために、お姉ちゃんが一肌脱いであげよう!」

「えっ! いいよいいよ、そんなこと……」

「大丈夫。洋子が好きだってこと、天崎君に伝えたりしないからさ」

「…………」


 恥ずかしそうに顔を伏せる月島。


 もし天崎と恋人同士になれたら……と思うと、嬉しさで心が弾け飛びそうになる。ただそれ以上に、姉が自分のために動いてくれることが……姉が自分を認めてくれることが何よりも嬉しかった。


 それからというもの、姉は積極的に天崎に話しかけた。


 奥手な月島の代わりに、一緒に弁当を食べようとか、一緒に帰ろうとか、事あるごとに天崎を誘う。姉は妹のために、恋のキューピットを演じ続けていた。


 だが、そんなことをしていてはキューピットが誤射するのも仕方のないこと。

 いや、それは本当に誤射だったのか。


 積極的に接してくる姉と、その付属品のように後ろを付いてくるだけの妹。

 どちらへ心が傾くかなど自明の理。

 気づけば天崎の横には、彼の腕を抱きしめるように姉が立っていた。


「ごめんね、洋子。私たち、付き合うことになったから」


 突然の告白に、月島は膝から崩れ落ちそうになった。


 さすがに姉も申し訳ないと思っているのか、いつもの自信に満ちた笑みはない。真剣な表情で、じっと妹を見据えていた。


「私たちのこと、洋子も祝福してくれるよね?」


 内臓がすべて口から出てきそうなほど気持ち悪くなった。


 真摯に向き合えばいいというわけではない。だって先に好きになったのは自分なのだ。本気で恋をしているのは自分の方なのだ!


 でも……、

 これでいいのかもしれない。


 ここは元々、自分が死ぬはずだった世界。たまたま生き残っただけの自分に、選択権などない。運良く生きているだけの自分は、ただただ姉が死なないように我慢し続けるのみ。


 呆然と佇む月島は、拳を力強く握った。

 覚悟を決めた瞬間、遠くの方で乗用車が現れる。


 大丈夫、痛みは一瞬だ。それさえ我慢すれば、姉はいつまでも生きていてくれる。姉は幸せな未来を掴むことができる。


 だから私は犠牲になろう。

 顔を上げた月島は、いつものように頷いた。

 ……うん、いいよ。


「いやだ……」


 だがしかし、口から出たのは真逆の言葉だった。

 自分が何を口走ったのかすら分からないまま、月島自身も驚いて口を塞ぐ。


 ただ決壊した堤防がみるみるうちに崩壊していくように、一度吐き出した感情を今さら抑えることなどできるはずもなかった。


「いやだ、いやだ、いやだ! 私は何でも我慢する。全部お姉ちゃんにあげる。お姉ちゃんのためなら死んだって構わない。でもッ……!」


 目尻から溢れ出た涙が、頬を伝った。


「天崎さんだけは……渡したくない……」


 初めて反抗的になる妹に対し、姉はただただ無感情のまま睨みつけるだけだった。

 そして彼女は、今まで出したことのない冷たい声で言う。


「死んでも構わないって言うくらいなんだから、別に天崎君がどうなろうと関係ないだろう? なら私がもらう。心配しなくても、ちゃんと幸せになってあげるから」

「それでも……いやなの……」

「聞き分けのない妹だ」


 呆れた姉が指を鳴らす。すると月島の周囲に空間の歪みが発生した。


 四方を囲む歪みから、銃弾の如き速さで鎖が射出される。もちろん避けることなどできるはずもなく、月島の四肢は瞬く間に捕縛されてしまった。


 さらに、先ほど現れた乗用車にエンジンがかかる。


「大丈夫。痛みはないさ。洋子が死ねば私は幸せになれる。ここはそういう未来だったんだ。いつも通り、大人しく車に轢かれてくれよ」

「うう……」


 身じろぎするも、ガチャガチャと音が鳴るばかりで鎖が外れる様子はない。その間にも速度を上げた車が迫って来る。この車に轢かれたら、自分は何も変わることができず、すべてを姉に譲る世界に取り残されてしまうだろう。


 それでもいい。でも、一つだけは絶対に譲りたくない。

 天崎だけは……何が何でも渡したくなかった。


「私はッ……」


 ならばどうすればいいのか。


 簡単だ。車を避ければいいのだ。車を避ければ生き永らえることができる。姉に天崎を奪われることもなくなる。代わりに姉が死んでしまうことになるけれど、それはしっかりと受け入れなければならない。


 だって、それが現実なのだから。


「私は……生きたいッ!!」

「よく言った!」


 悲痛な叫び声とともに示した願望は、しっかりと届いていた。

 威勢の良い咆哮が轟く。それと同時に、月島の目の前に何かが降ってきた。

 日本刀を携えたセーラー服姿の少女――本物の月島裕子だった。


「ここは私に任せろ!」


 上機嫌に宣言した裕子は、猛スピードで迫って来る車の前に立つ。そして日本刀を振り上げると、まるで豆腐でも切るかのように車を一刀両断してしまった。


 真っ二つに割れた車は、杭に阻まれた激流の如く月島姉妹を避けていく。


「なっ――」


 驚いたのは偽物の姉だった。


 さらに裕子は偽物の元へと一足飛びで距離を詰める。妹を誑かそうとした相手に容赦はしない。自分と同じ顔に躊躇うこともなく、裕子は偽物の首を刎ね飛ばした。


 一瞬の静寂の後、月島を拘束していた鎖が解ける。

 力なく膝をついた月島は、突如として現れた裕子を呆然と見上げた。


「お姉……ちゃん……?」

「やあ、洋子。久しぶりだね。こうやって直に対話するのは何ヶ月ぶりだろうか?」


 ああ、間違いない。自信満々な笑みを浮かべるこの顔は、紛うことなき自分の姉だった。


 嬉しさのあまり、月島は嗚咽を漏らす。たまらず裕子に抱き着いた彼女の顔は、とても他人様には見せられないほどぐちゃぐちゃに歪んでいた。


「うぅ……お姉ちゃん……」

「なんだなんだ。泣き虫は変わってないなぁ」


 呆れながらも、裕子はしっかりと妹を抱きしめる。

 一通りお互いの温もりを確かめ合った後、月島が顔を上げた。


「でも、どうして……?」

「たぶん、ここが特殊な夢の中だからだろうね。守護霊として洋子に憑いている私も、一時的に実体を現すことができたようだ」


 当然、理屈なんて何一つ分からない。


 けど、どうでもよかった。二度と対話できないと思っていた姉と、こうやって顔を合わせることができたのだから。


 ただ何か後ろめたいことがあるのか、裕子は少しだけ声を落とした。


「実はもっと早くから助けることもできたんだけどね。この夢の結末がどうなるのか、洋子がどんな結論を出すのか、ちょっと見守りたかった。ごめんよ」

「いいよ。最後には助けてくれたんだから」

「ふふ。にしても、天崎君に対する気持ちがあそこまで本気だったとはね。まさか天崎君を得るためなら、私ですら殺そうとするなんて」

「そ、それは違うよ!」


 慌てて否定する月島だったが、裕子の言い分もあながち間違いではなかった。


 天崎と一緒にいたければ、月島は生きなければならない。そして月島が生き続けるということは、今度は姉の裕子が死ぬということ。直接殺すわけではないものの、それは月島もちゃんと理解していたはずだ。


 ただ裕子は自分の死すらも些事と言わんばかりに、豪快に笑い飛ばした。


「はっはっはっは。気にするな、洋子。私は嬉しいんだ。洋子が生きたいと言ってくれてさ。ちょっと前までは、私と一緒に死ぬって言ってたくらいだし」

「……うん」


 俯いた月島の顔にもまた、恥ずかしそうな笑みが浮かんでいた。


 裕子のような豪快さはないけれど、月島もようやく過去を笑い飛ばすことができるようになったのだ。

 死のうとしていた自分は過去の自分。完全な黒歴史。消したい記憶。


 もう、死にたいだなんて思わない。


 だって大切な人ができた。生きたいと思える理由ができた。この恋が叶うかどうかは分からないけど……今が一番楽しかった。


 だから――、

 裕子から離れた月島は、ゆっくりと頭を下げた。


「お姉ちゃん。今まで本当に……本当にありがとうございました」


 言いたいことは山ほどある。

 でも大丈夫。自分たちは双子なのだから。血を分けた姉妹なのだから。

 全部、伝わっている。


「……ああ。こちらこそ、ありがとうね。洋子」


 いつも飄々としている裕子には珍しく、声にはどこか涙が混じっていた。

 そんな自分を誤魔化すように、裕子は改めて妹を抱き寄せたのだった。

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