第4章 墓場からの襲撃者
結局ドリンク一杯だけで、そそくさと出てきてしまった。バイトもせず、仕送りだけで生活している高校生には、二千円前後の夕食なんて痛すぎる。ただでさえ家には穀潰しがいるというのに。
というわけで帰宅途中だ。一応目的は達成できたので、財布が泣いた意味はちゃんとあったなと、天崎は無理やり思い込むことにした。
「いやー、オムライスおいしかったな。君も頼めばよかったのに」
「うるせーよ」
いつもの嫌味なので、真面目には取り合わない。
駅のロータリーを通り、商店街の方へ。来る時と同じ道筋で、二人は各々の家を目指す。
「でもリベリアさん、たぶん僕たちの尾行には気づいていただろうね」
「ってことは、あえて俺たちをあの店に案内したってことか? 何のために?」
「確証はないけど、自分が働いていることを君に伝えたかったんだよ」
「だったら口で言うだろ」
「恥ずかしいものだよ、そういうことを告白するのは」
そうなのだろうか? と、天崎は首を傾げた。
自らの意思で働くことは立派なことだ。恥ずかしがることでも、気後れすることでもない。ましてや違法でもない限り、隠れてすることでもないだろう。
「人間じゃない奴らの考えなんて、やっぱり俺には分からんな」
「一応僕も、君と同じだけの年月、人間やってるんだけどね」
天崎の察しの悪さに、安藤は呆れてしまった。
そうこう話している間にも、けっこう距離を稼いでいたようだ。商店街を抜けた辺りで、安藤が手を挙げる。
「じゃあ僕はこの辺で。こっちから帰った方が早いから」
「おう、今日は悪かったな」
「いや、構わないさ。僕も今日は楽しめたよ」
楽しめたって……。
これをきっかけに、大悪魔ともあろう者が日本のオタク文化に染まっていかなければいいのだが。
「また明日」
と言って別々の道を歩もうとした、その時――。
「ん? ……ちょっと待て、小悪魔」
「別れ際なら許されると思っているのか『完全なる雑種』。僕を小悪魔と呼ぶな」
「あれ、なんだ?」
「?」
天崎の人差し指は寺の方を示していた。
二人が渡った用水路の側には寺があり、その敷地の一角は墓場となっている。寺の正面には立派な総門を構えているのだが、用水路沿いの小道は背の低いフェンスでしか仕切られていないため、外からは墓場が丸見えだった。
街灯などで照らされていない、真っ暗な墓場の中で……何かが蠢いたような気がした。
「何か居るのかい?」
「見えないのか?」
「君の視力と比べられても困るね」
天崎の視力は2.0以上だ。それに加えて吸血鬼の血統を覚醒させたあの夜から、少しだけ夜目も利くようになっていた。
「人っぽいんだけどな」
輪郭が曖昧なので何とも言えないが、人間くらいの大きさの何かがいるのは間違いない。
天崎は墓場に向けて歩き出した。
「ちょっと見てくる」
「おいおい」
「もしかしたら怪我して動けないのかもしれないだろ」
「まったく……」
早々にフェンスを飛び越えていった天崎の背中を、安藤はため息混じりで追いかけた。
近寄ってみると、それが人間であることが分かった。ただ雨も降っていないのに何故か雨合羽を羽織っており、膝を抱えて蹲っているため、どのような体格なのか判別しにくい。男なのか女なのか、大人なのか子供なのか。
「どうかしましたか? 大丈夫ですか?」
不審人物ではあるが、声を掛けないわけにはいかない。もし体調が優れないのなら救急車を呼ぶか判断しなければならないし、ただの墓参りだったならそれでいい。最悪、なんだお前はと煩わしそうな態度を取られる覚悟はある。どう考えても、こんな深夜に墓参りをする方が変なのだが。
いろいろなパターンを想定しながら、天崎は人影へと接近する。
手が届く距離まで近寄り、歩を緩めた――その時だった。
「――ッ!?」
雨合羽の人影が、唐突に振り向いた。蹲った状態から飛び退くようにして、天崎の方へ右腕を払う。
瞬間、ひんやりとした冷たい感触が天崎の右頬を襲った。
一歩遅れて、一陣の風が彼の顔を包む。
ほんの一瞬だけ時間が止まった。フードを被った人影と、呆然と立ち尽くした天崎が、無言のまま対峙する。
しかし、それも長くは続かなかった。
今度は何者かに襟首をつかまれ、背後へグイッと引っ張られたのだ。
バランスを崩しながらも、天崎は全身を捻って体勢を立て直す。
「なにボーっと突っ立ってんだ! 逃げろ!」
安藤の激昂が飛ぶ。
同時に、天崎は雨合羽の人影に背を向けて走り出していた。
本能が逃げろと真っ赤に警告している。
フェンスを飛び越えたあたりで、ようやく思考が現実に追い付いてきた。
「な、何が起きたんだ!?」
「刃物のような物で襲い掛かってきたんだよ! おそらく、日本刀のような長物だ。君は斬られた!!」
「斬られた?」
先ほど冷気を感じた右頬へと意識を集中させてみる。
ねっとりとした液体が頬を伝い、滴となって顎から肩へと落ちる。それが何であるか想像が至るのと同時に、痛覚が蘇ってきた。
「痛ってええぇぇ!!」
だが痛がっている暇もなかった。
後方で、ザアアァァァン!! と轟音が響いたのだ。
嫌な予感がした二人は振り返る。
そして示し合わせたわけでもないのに、全速力で駆け出した。
「追いかけてきてるね!」
「しかもアイツ、鉄のフェンスをぶった斬りやがった!」
二人は無我夢中で逃げた。
何メートルか後方では足音。完全に狙いを定めて追いかけてきている!
「おい、安藤! 何とかしろよ! めちゃくちゃ強い悪魔なんだろ!」
「今の僕は人間だ! そんな能力は無い!」
「はあ!? リベリアが人を喰ってたら処理するっつって豪語してたじゃねえか!」
「それは裏からいろいろ手を回すって意味だ! ただの人間が吸血鬼を押さえつけられるわけないだろ!」
事実、人間として生を受けている安藤には、特殊な能力など一切無い。あるのは人間として行使できる範囲の魔術や、結界を作るなどの技術。そして悪魔の時代に培った豊富な知識だけだった。
時間を掛ければある程度の難を逃れる準備はできるのだが……日本刀を持って背後から追いかけてくる通り魔を追い払う方法など、今の安藤は持ち合わせていなかった。
「……一つ妙案がある」
「な、なんだ!」
「二手に分かれないか?」
「お前、自分だけ逃げる気だろ!」
確証はないが、二手に分かれた場合、何かと事件に巻き込まれやすい天崎の方へ向かう可能性が高いという安藤の計らいだった。
しかし、その案が実行されることはなかった。
背後の足音がリズムを変える。まるで間隔の長い飛び石を渡るように、歩幅が広くなった。
その瞬間、ブンッ! と風を切る音が二人の間に割り込んだ。
月明かりに照らされた銀の刃が、下から上へ薙ぎ払われる。それと同時に黒い物体が宙に舞ったのを、天崎は目撃した。
「安藤!」
叫びながら、天崎は道路端へと横転した。
尻もちをついたまま、襲撃者を挟んだ反対側で苦しそうに呻く安藤を見る。彼の右腕は……肘から先が無かった。
「安藤!」
天崎はもう一度叫ぶ。襲撃者の注意を、安藤から自分へ移したかった。
だが、それ以上言葉は続かなかった。
最後の踏み込みが強すぎて、雨合羽のフードが脱げていたのだ。爛々と輝く月光に映し出されたその顔は――見知った人物のものだった。
「月……島?」
今朝出会ったばかりの転校生は、虚ろな瞳で天崎を見下ろしていた。
カチャリと音がする。刀の柄を強く握りしめた音だと分かった。
フェンスをぶった切るほどの斬撃を防ぐ術はない。かといって逃げられそうにもない。立ち上がって背中を向けた瞬間、間違いなく斬り込まれるだろう。自分を襲った初撃と、安藤の腕を飛ばした一振り。一歩間違えば、どちらも命を失っていた。
万事休す。何か助かる方法がないか、天崎が必死に模索し始めた、その時だ。
「――ッ!?」
息を吞んだ月島が、キッと上空を睨み上げた。
つられて天崎も闇に沈んだ夜空へと視線を移す。
大きな月を背に、翼を広げたメイド服姿の吸血鬼が一人。
そこからの月島の判断は早かった。刀を鞘に納めると、天崎と安藤には一瞥もくれず、あっという間に闇夜の中へと走り去っていってしまった。
月島の姿が見えなくなった直後、上空を滑空していた吸血鬼が二人の元へと降り立った。
「リベリア!?」
「あらら天崎さん、こんなところで何してたんですか?」
「お前こそ、仕事中じゃなかったのかよ!」
「いやぁ、それがですね……天崎さんが出血した匂いがしたものですから、ちょっと休憩もらって飛んできたんですよぉ」
何故か照れ気味に言うリベリア。
ほんの一分前まで通り魔に襲われていたとは思わせない和んだ雰囲気に、天崎は全身から脱力してしまった。
「どんな嗅覚してんだよ。お前は犬か」
「失礼な! 私が嗅ぎ分けられるのは天崎さんの血液だけです!」
心外だと言わんばかりに吠えるリベリア。なんの自慢にもならないが。
とにもかくにもリベリアが来てくれて助かった。理由はどうあれ感謝しなければならない。
いや、無事とは言い難かった。
「安藤! 大丈夫か!?」
「ん? あぁ、ダメだね。袖がやられた」
「袖ぇッ!?」
見れば、安藤は斬り落とされた右腕を左手で拾い上げていた。
どこをどう楽観的に捉えても、袖だけで済んでいるようには見えない。
「いやいやいや、腕ぶった斬られてるじゃん。重症だろ!」
「腕くらいなら家に帰れば治せる。けど袖はダメだ。僕には裁縫の技術がない」
「基準が分からねぇ!」
この世の中は、訳の分からないことばかりだった。
安藤自身が飄々としているのなら構わないかと、天崎は思考を切り替える。
「で、どうする? 追うか?」
「いや、やめておこう。追いつけそうにない。僕もチラッと見えたんだけど、月島さんだったんだろ?」
「あぁ……」
薄暗かったとはいえ、あれは間違いなく今日転校してきた少女だった。
「何かあったんですか?」
「今日転校してきた女の子に、墓場で襲われたんだよ。危うく殺されかけた」
「ふえぇ、物騒ですね」
物騒だけで済ますのか。いや、吸血鬼のリベリアなら指一本で対処できる程度なのだ。そういう危機感は薄いのかもしれない。
しかし自分で言葉にしてみて、やっぱり理解できそうになかった。
雨合羽を着て、日本刀を携えて、一人で墓場にいて……彼女は何をしていた?
「天崎。考えるのはやめろ。僕らがいくら意見を出し合ったところで、何も分からない」
「そりゃそうだが……じゃあどうする? やっぱ警察に通報した方がいいのか?」
「いや、それはやめてくれ。腕を治せなくなる」
「どういう意味だ?」
「日本刀で腕を切断されたのに、翌日何事もなかったようにくっついてたら不審に思われるだろ? だから誰にも目撃されず家に帰らなきゃならない」
「なるほどな」
「あれが本当に月島さんだったのなら、明日登校してくるはずだ。すべての事情は本人から聞けばいい」
「登校してくるかぁ?」
「来なかったら、それはその時に考えよう」
安藤の提案には納得しかねるものの、何もできないのも事実だ。
自分の右腕を弄んでいた安藤が、一息ついた。
「それじゃあ僕はこのまま失礼するよ。早く腕を治したいし、実は意外と痛いんだ」
「一人だと危険だろ」
「問題ない。最大限に気配を消して行くからね。君の方はリベリアさんが一緒なら、彼女も襲って来まい」
一目散に逃げていった手前、今さら戻ってくることはないと天崎は思う。とはいえ、念には念を入れといて損はない。
「リベリアさん。天崎のことをお願いするよ」
「了解です!」
心配そうに見つめる天崎と、敬礼するリベリアに見送られながら、安藤は闇の中へと消えていった。
「悪いな、リベリア。仕事中なのに」
「いえいえ、全然かまいませんよ。でも、そんなことより……」
軽く頭を下げたリベリアが、拝むように手の平を合わせた。
「天崎さん、一生のお願いです! 天崎さんのほっぺをペロペロさせて頂けませんか!?」
「お前、今朝一生のお願い使わなかったっけ!?」
「いいじゃないですかぁ。助けてあげたんですし」
「くっ……」
確かにリベリアが来なければ、殺されていた可能性が高い。
命の恩人の頼みごとを無碍に断ることもできず、天崎は諦めたようにため息を吐いた。
「分かった、分かった。衣装は汚すなよ」
「わーい! それでは遠慮なく頂きます」
大げさに喜び舞い踊ったリベリアが、天崎の右腕をギュッとホールドした。衣装のせいか、そもそもが無いのか、残念ながら柔らかい感触は伝わってこなかった。
伸ばした舌が、頬の傷周りを這う。
一滴も逃さないよう、もったいないと言わんばかりに、念入りに。
そのまま傷口へ触れた。一文字に斬られた頬をなぞるようにして、流れ出た天崎の血液を貪る。少しだけ舌を上下することで傷口が開いたのか、リベリアの舌の上ではさらに鉄の味が広がった。
天崎としては痛くもありくすぐったくもあったが、我慢した。
ほとんど右腕に体重を預けているリベリアを引きずる形で、天崎は歩き出す。
ただ一つだけ注意しなければならないことがあった。
「頼むから、牙は立ててくれるなよ」
「大丈夫ですよ。私としても、またヴラド公に会いたくはありませんから」
返事をすると、すぐに舐める行為へ戻ってしまう。
どうやらリベリアの吸血行為は、おののき荘に到着するまで続きそうだった。




