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ドラキュティックタイム  作者: 秋山 楓
第1話『ドラキュティックタイム』
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第1章 おののき荘の人々

完全なる雑種(フリードッグ)

 それは数多の種族の遺伝子を持つ者に対する蔑称である。


 人間、妖怪、神、悪魔、天使、鬼、妖精、宇宙人、その他諸々が番となり、歴史を重ねていくうちに、それらの遺伝子を宿した子孫が現れる。彼らのような、様々な他種族と混じり合った家系を『完全なる雑種』と呼ぶのだ。


 異なる種族が番になることは決して不可能ではない。しかし他種族との間に生まれた子供は本来とは違った特徴を持つことも多く、忌み子として処分される危険性を伴ってしまう。故に多くの種族と交配を続けてきた家系が、『完全なる雑種』と蔑まれるのも当然と言えよう。


 そして現代を生きる天崎もまたその一人、あらゆる種族との混血なのである。


 ただ天崎の場合、ハーフやクォーターといった色濃い血統を持っているわけではない。

 天崎家は元々人間の家系だった。しかし長い家世の中、ところどころで他種族との血統を持つ者を配偶者に迎えることにより、いつの間にか『完全なる雑種』と呼ばれるほど多くの種族の遺伝子を混ぜていったのである。


 簡単なたとえ話をするならば、純水の溜まったビーカーに様々な水溶液を一滴ずつ加えていくようなもの。それがどんなに少量であっても、異物が混入してしまった純水は、すでに純水と呼ぶことはできない。ただの水、もしくは混合物だ。


 そして純水を『人間』に、加えられた一滴の水溶液を『他種族』に置き換えることで、天崎の持つ遺伝子を表すことができる。


 ビーカー内の大部分を満たしている物質は純水であっても、完全なH2Oではない。

 つまり天崎は、他種族の血統を少しずつ宿している『ほぼ』人間なのだ。


 姿形や五臓六腑は純粋な人間そのものなのだが、複数の水溶液が混じり合うとまったく異なる性質を得るように、天崎もまた、人間でありながら人間とはかけ離れた特徴を持ち合わせていた。


 例えばそれは、長時間ぶっ続けで全力疾走できるほどの体力だったり、バイクに撥ねられても無傷でいられるくらいの頑丈さなど、人間として逸脱しない程度に身体能力が優れているだけではあるが……、


 ともあれ、見た目だけは一般的な高校生と遜色ない天崎東四郎は、世界的に見ても非常に類い稀な存在なのだった。






「だからまあ、吸血鬼が俺の珍しい血を欲しがってるのは理解できる。が、解せんな」


 六畳一間の自室で胡坐を組んだ天崎は、目の前の相手を訝しげに睨みつけた。

 ちゃぶ台を挟んだ対面で行儀よく正座するのは、まごうことなき吸血鬼。


 淀みのない金髪は蛍光灯の光を乱反射し、まるで輝く粒子を身に纏っているかのよう。また毛色と同じ黄金の瞳は人間のそれではなく、夜行性の動物によく見られる縦に長い瞳孔を有していた。


 そして何より人間離れしている部位は、少女の背中で小さく折り畳まれているコウモリのような翼だろう。一度彼女の目を盗んで付け根の部分を観察してみたが、どうやら本当に肩甲骨辺りから生えているようだった。


 日本のボロアパートの一室には似つかわしくない、西洋のおとぎ話から飛び出てきたような吸血鬼の少女。己の場違い感を気にする様子もなく、彼女は八重歯を覗かせながら「ほえ?」と首を傾げた。


「お前が未だに俺の血を吸おうとしない理由を訊いてんだよ。欲しいんだろ?」

「もちろんですとも。一滴残らずチューチューしちゃいたいです」

「んな可愛らしく殺害宣告されてもな」


 言葉とは真逆の邪気のない返答に、天崎は思わず頭を抱えてしまった。


 腰を抜かす暴走族を前に、このリベリアと名乗る吸血鬼が戦闘開始の合図をしてからどうなったのか。回顧するほど時間が経っているわけでもなければ、特に重大な出来事があったわけではない。しかし現状を考慮すると、天崎は己の取った行動を後悔せずにはいられなかった。


 彼ら暴走族を助ける意味でも、天崎は即座に降参したのである。


 いくら見た目が麗しい少女であり、相手が戦意を喪失しているとはいえ、彼女は人を喰う伝説の怪物。あのまま放置していれば、一瞬にして辺りが血の海と化していただろう。


 自分が引き連れてきた怪物のせいで死人が出るなど、あまりにも後味が悪すぎる。


 だからこそ天崎はリベリアとの追いかけっこを負けと認め、彼女と共に下宿先である『おののき荘』へと帰宅したのだった。


 その間、何故か彼女は天崎の血を吸おうとする素振りすら見せなかった。


「随分とやつれた顔してますからね、貴方。血を飲むにしても、そんな不健康そうな人間、大方の吸血鬼は避けますよ」

「それが理由か? つーか、こんな顔になったのはお前のせいだけどな」


 リベリアが言う通り、天崎の目の下にはどす黒い隈が浮かび上がっていた。


 コンビニに行こうと部屋を出たのが深夜零時過ぎ。その途中で吸血鬼に出会い、二時間以上も全力疾走。しかも街並みに見覚えがなくなるほど遠出をしていたため、その距離は相当なものになっていたはず。そしてバイクに撥ねられ、なんやかんやの果てに徒歩でおののき荘へと帰ってきたわけだ。


 つまり一睡もしていないのである。


 仮に吸血鬼問題が即座に解決したとしても、東の空はすでに白ばみ始め、数時間後には学校へ行かなければならない。どうあっても少しの仮眠も叶わないと計算した天崎の顔から、一気に生気が失われていった。


 そんな絶望に打ちひしがれている天崎とは対照的に、夜間が活動時間の吸血鬼は陽気に言葉を返す。


「違いますよ。私が血を飲まないのは、貴方が低血圧だからではありません」

「じゃあ何だってんだよ」

「今夜が新月ではないからです」


 意味が分からず、今度は天崎が首を傾げる番だった。


 鈍くなった頭をフル回転させるも、どうやら理解できないのは寝不足のせいではないみたいだ。彼女の言葉は、明らかに説明が足りていない。


「『完全なる雑種』という特殊な血液に興味はありますけど、それ以上に私には別の目的があるのです」

「別の目的?」

「はい」


 目を伏せ、今まで浮かべていた無邪気な笑顔を消すリベリア。

 その表情は、今後の人生を左右させるくらい重大な選択肢を迫られた少女のそれ。

 顔を突き合わせている天崎もまた、彼女の剣呑な雰囲気に緊張せざるを得なかった。


「私は……私の目的は、吸血鬼をやめることです」

「吸血鬼をやめる? どういう意味だ?」

「言葉通りですよ。種族として、吸血鬼であることを放棄したいのです」

「それは……」


 やはり理解しがたかった。彼女の言葉が、ではなく、彼女の考え方が。

 天崎はリベリアの悩みを自らに置き換えて考えてみる。


 自分が人間をやめたいと思う理由。今まで為してきた過去を捨て、新たな種族として生まれ変わることに、果たしてどのような価値があるというのか。


 ……残念ながら、今の天崎には想像に足る材料を持ち合わせてはいなかった。

 すると突然リベリアが立ち上がった。

 そして天井に向けて拳を掲げ、ボロボロのドレスを纏った吸血鬼は堂々と宣言をする。


「私は、完全な存在になりたいのです!」

「……………………は?」

「神をも超越した、この世のありとあらゆる生物の頂点に立つ存在のことです!」


 なんだか別の意味で危ないことを言い出した。

 欠片ほども理解できないリベリアの言葉は、天崎の疲れ切った思考を完全に止める。


 吸血鬼をやめたいと告白した時点では、過去に何か辛い体験をして追い詰められていたんだろうなと勝手に解釈していた。が、リベリアの態度を見るに、どうやらそういうわけではないらしい。むしろ彼女の瞳は希望に満ち溢れていた。


 そこで天崎の脳裏に、とある単語が過る。

 ……まさかこの吸血鬼、重度の中二病を患っているんじゃないか?


 リベリアの宣言に唖然とするも、とりあえず言っておかないといけないことがある。


「待て、落ち着け。頼むから座ってくれ。朝日も昇らないうちにそんな大声出されたら、近所迷惑もいいところだ」


 案の定、隣の部屋からドンッドンッと壁を叩かれてしまった。

 築何十年の安アパートなためか、壁がけっこう薄いのだ。


「申し訳ございません。少しばかり興奮してしまいました」


 謝りながら、再び正座するリベリア。

 ため息混じりに肩を落とした天崎は、面倒くさそうに頭を掻きむしった。


 正直、吸血鬼って存在だけでも厄介なのに、さらに意味不明な目的を突き付けられては頭も痛くなるというもの。それが自分の命にかかわることなら尚更だ。


「んで、吸血鬼をやめることと今日が新月じゃないってことが結びつかないんだが?」

「あ、はい。そこは今から説明しますので、急かさないでください」


 まだ慌てるような時間じゃない。とでも言いたげなジェスチャーにイラッと来るも、話を円滑に進めるために、ここは耐えなければならない。


「実は吸血鬼界には、このような言い伝えがあります。『吸血鬼としての能力を喪失する新月の夜、一夜にして千の血を飲むことにより、さらなる上位の存在への進化が叶うであろう』。かの有名なヴラド・ツェペシュ公が遺した言葉だと言われていますが、真偽は定かではありません」

「ツッコミどころ満載だな。吸血鬼と人間の常識に差異があるからだと信じたい」

「ではその溝を埋めるためにも、このリベリア=ホームハルト様がどんな質問にも答えてあげちゃいましょう。ささ、カマンカマン」

「う、うぜぇ……」


 なんでナチュラルに煽ってくるのか。これも人間と吸血鬼の違いなのか。


 とにもかくにも、苛立っていては話が進まない。握りしめた拳をため息とともに解いた天崎は、仕方なくお言葉に甘えることにした。


「『新月の夜に千の血を飲む』ってやつだけど、千の血ってなんだ?」

「この千とは決して数字としての千ではなく、『多くの』という意味だと思われます。つまり新月の夜に多くの血……現世に存在するあらゆる種族を喰らうことによって、吸血鬼よりもさらに上位の存在へと進化できると考えられます」

「ん? んー……」


 だったら何で人間の俺を襲うんだ?

 今ここに至った理由へ未だ辿り着けず、天崎は腕を組んで首を捻った。


「吸血鬼がさらに進化するなんて可能なのか?」

「どうなんでしょうね。実際に成功したという例を耳にしたことはありませんし、そもそも一晩で千の血を摂取するなんて現実的ではありませんからねぇ」

「マジか。成功するかどうかも分からないのに命狙われてんのか、俺」


 こっちにも人権はあるんだぞと、天崎はただただ言葉を失うばかりだ。


「考えてもみてくださいよ。いくら吸血鬼とて、神や悪魔を含めた千の種族を一晩で喰らいつくすなどできるわけがありません。事前に四肢をもぎ取って一ヶ所に監禁でもしない限り、時間的にも絶対に不可能でしょうね」

「さらっと怖いこと言うのはやめてくれ。心臓に悪い」

「さらに新月といえば、吸血鬼にとって最も活動しにくい日。個体数だけしか取り柄のない人間ならまだしも、力のある種族を捕えて喰うのは困難を極めるでしょう」

「今さりげなく人間をディスったな」


 人間を食糧としてしかみていない吸血鬼にとっては当然のことかもしれないが、もう少しオブラートに包んでほしいものだ。


「やっぱり吸血鬼ってのは満月の日が一番強いのか?」

「そうですよ。一部の妖も月の満ち欠けによって左右されますが、吸血鬼は特にその影響が大きいのです。最も能力が高まる満月を境に、新月に向かうにつれて力は徐々に衰退していきます」


 つまり半月ごとに最も能力のある日とない日が交互に繰り返されるのだろう。月の力が吸血鬼の能力を向上させるのは、どこの創作物でもよくある話だ。


「なるほど、大体の成り行きは把握した。でも、やっぱり解せないんだよなぁ。進化できるっつう伝承が本当かどうかはともかくとして、お前の言う千の血を求めるために俺個人を狙う理由が……」


 とまで言いかけ、すべて理解してしまった。

 リベリアが何を目論み、そして自分がどういう人間だったのかを。


「つまりお前は『千の血』ってやつを、すべて『完全なる雑種』の血液で代用しようとしてるわけだな!?」

「はい、その通りです!」


 ものすごい元気な声で肯定されてしまった。


 要は、自力で集めるのが不可能なら、すでに揃っている場所から盗ってこればいいじゃないという発想だった。天崎の『完全なる雑種』の血には、千種類以上もの種族の遺伝子が宿っているのだから。


「んな法律の穴を抜けるような裏技で本当に成功するのかよ」

「まあ、最初からダメで元々って感じですからね。もしかしたら無駄骨になるかもしれませんが……でも自信はありますよ!」

「世の中には自信だけじゃどうにもならないことなんてたくさんあるんだよ、吸血鬼」

「大丈夫です。失敗したところで私に不都合はありませんので」

「血ぃ吸われたら俺の方は死んじゃうんじゃないの!?」

「もちろん生命活動を維持できなくなる量の血液は頂戴するつもりですからね。貴方は死ぬと思います。どのみち成功しようが失敗しようが死ぬことには変わりがないんですから、そう騒いでも仕方がないのでは?」

「理不尽だ! 納得できねぇ!」

「世の中には理不尽な事故で亡くなる方なんて大勢いらっしゃるのですよ、『完全なる雑種』さん」

「くっ……」


 正論で諭され、天崎は口を噤んだ。


 確かに、吸血鬼に命を狙われるなど事故のようなものだ。回避できるのならするに越したことはないが、遭遇してしまったものは仕方がない。運が悪かったと諦めるしかないだろう。


 ただ当然ながら、被害者である天崎にも抵抗する権利はある。何か文句でも言ってやろうと息を吸ったのだが……ドンッ! という隣室からの二度目の注意により、吐き出したい言葉は喉の奥へと引っ込んでしまった。


「というわけで、貴方の余命は新月までの約二週間です。残された時間を思う存分に満喫してください」

「殺人犯本人にそんなこと言われてもな」


 おかしな話だ。


「あ、それと貴方が逃げ出さないよう、居候させていただきますので」

「居候って……マジ?」

「大マジです。私には新月まで過ごす宿がありませんから。よろしくお願いしますね」


 語尾にハートマークでも付きそうな、可愛らしい声音でお願いされてしまった。


 不満が爆発した天崎は、『うがーッ!』と呻きながら両手で髪の毛を搔きむし始める。

 どうして自分の周りにはこうも非人間が集まってくるのか。そしてどうして漏れなく面倒ごとを押し付けていくのか。久々に己の血統を呪う天崎だった。


「そういえば自己紹介がまだでしたね。私はリベリア=ホームハルトと申します。以後お見知りおきを」

「知ってるよ」

「な、何故に私の名をご存じで!? はっ、まさかESPのような能力をお持ちだとか?」

「さっき自分で言ってただろうが」


 しかも暴走族に向かって宣言したのも含めれば三回目である。


「ちなみに貴方のお名前は?」

「お前は名前すら知らない人間を殺そうとしているのか」

「捕食者と被食者の関係は大概そんなものだと思いますけど」

「正論すぎて言葉が出ねーよ」


 とは言いつつも、天崎は投げやり気味に自分の名前を名乗った。


「さってと。そろそろ太陽が昇りそうな頃合いですので、私は寝るとします」

「……いい度胸してんな、お前」


 こちとら誰かさんのせいで一睡もしていないというのに。

 恨みがましい目つきで、天崎はリベリアを睨みつけた。


「仕方がありませんよ。私はまだ吸血鬼ですからね。吸血鬼は朝日が昇るのと共に眠り、夕暮れより活動を始めるものなのです」

「そうなんだろうけど……やっぱここで寝るのか? うちに棺桶なんてねえぞ」

「日本の家屋に棺桶が常備されていないことくらい存じていますし、吸血鬼は棺桶で眠るというのは偏見ですよ。というか時代遅れですね。私が城に住んでいた頃は、キングサイズの天蓋付きベッドで寝起きしてましたから」

「城住みだと!? まさかお前、どこぞのお姫様だとか?」

「いえいえ。ただ単純に、ホームハルト家は由緒ある吸血鬼の家柄ってだけですので……」


 言葉を濁し、リベリアは不意に顔を背けた。


 まあ天崎としてもリベリアの素性を詮索するつもりはない。答えたくないことをわざわざ問うのも野暮だろうし、この話題は心の奥底へ留めようとしたのだが……どうしても一つ、気になって仕方のないことがあった。


 そういえば、あの翼でどうやって寝るのだろう。


 体格そのものは人間の少女と変わらないのだが、背中から生えるコウモリのような翼は、横になるにあたって邪魔になるはずだ。なら、やっぱりうつ伏せになるのか? でも一晩中寝返りできないのは、辛いんじゃなかろうか。


 眠気に任せてぼんやりそんなことを考えていると、リベリアがゆっくりと立ち上がった。


「安眠度は下がりますが、天崎さんが普段から使っているお布団で我慢しますよ」


 勝手に居候になったくせに偉そうだなぁ、などと呆れ果てた天崎だったが。

 リベリアが押し入れの襖に手を掛けるのを見て、サッと血の気が引くのを感じた。

 あそこは、ちょっと、マズい。


「リベリア、ちょっと待て。お前はいったい何をしようとしているんだ?」

「え? お布団を出そうとしているだけですが?」

「布団を出すために押し入れを開けるんだよな?」

「当たり前じゃないですか。扉を開けずに中の物を取り出すなんて不思議能力、私は持ち合わせておりませんよ。それとも、押し入れの中にお布団は無いのですか?」

「いや、あるにはあるんだが……」


 制止しようと腰を浮かせた天崎が、何かやましいことでもあるかのように目を泳がせた。


 その露骨に不自然な態度を見て、リベリアは何かを察したようだ。頭の上の豆電球が、嬉々として光り輝くのが見えた。


「ご安心を。年頃の殿方が女性の身体に興味を示すのは当然のことです。私にもちゃんと理解はありますので、たとえどのような凌辱物でも軽蔑したりはしませんよ」

「んなもん持ってねえよ! つーか凌辱なんて日本語、よく知ってんな」

「さーて。これから寝食を共にする方は、いったいどんなプレイがお好みなのかしら」

「おーい。俺の声、聞こえてますかー?」


 などと呼びかけるも、すでに襖へ手を掛けているリベリアを止める術はない。

 彼女は下品な笑みを引っ提げながら、勢いよく襖を開け放った。


 押し入れの中では、一人の童女が眠っていた。


 小さな体躯を折り曲げ、畳まれた布団の上で蹲るように。スヤスヤと、心地良さそうな寝息を立てながら。


 年の頃は十やそこらといったところか。リベリアよりも数歳ほど幼く、身体つきも第二次成長期を迎える前の少女のそれである。もちろん海外からやってきた吸血鬼のリベリアと比べるのは、いささか乱暴かもしれないが。


 熟睡する童女の身なりは、今から七五三にでも行くような着物だった。加えて布団の上に無造作に広がっている髪は、押し入れの暗闇に溶けてしまいそうな烏の濡れ羽色。横一直線に整えられた前髪も相まって、座布団の上に正座でもさせれば、精巧な日本人形と区別がつかないこと間違いなしだろう。


「…………」

「…………」


 リベリアが童女を発見し、時が止まること数秒。


 ぎこちない動作で天崎の方を振り返った彼女は「えっと……」と言葉を濁し、まるで何も見なかったように静かに襖を閉じたのだった。


「先に言っておくけど、犯罪っぽいことは何一つないからな?」

「分かりました。ところで、この家に固定電話はありますか?」

「通報しようとしてんじゃねえよ! 分かってねえじゃねえか!」

「天崎さん。申し上げにくいのですが……幼女監禁はどこの国でも犯罪です」

「だから誤解だっつうの! って、どこへ行こうとしてるんだ?」

「確かこの国の公衆電話は、無料で警察に繋がるはずでしたよね?」

「待て待て待て待て」


 このままでは本当に犯罪者に仕立て上げられてしまいそうだと危機感を抱いた天崎は、玄関へと向かうリベリアを必死に引き留めた。


「少しだけでもいいから俺の話を聞いてくれ」

「釈明は私ではなく弁護士にした方がいいのでは?」

「裁判沙汰になるようなことじゃないから! いいか、よく聞け。あの子は人間じゃない。座敷童なんだ!」


 リベリアの足がピタリと止まる。

 驚いたように目を見開いた後、自分の腕に縋りつく天崎を軽蔑の眼差しで見下ろした。


「なるほど。分かりました」

「本当か!?」

「もちろん。パトカーではなく、救急車が必要だということが」

「どういう判断でそうなった!?」

「ああ、失礼。たかが妄想癖患者のために救急車を呼ぶなんて、救急隊員に迷惑ですよね。天崎さん、私と一緒に精神科の病院に行きましょう」

「そういう解釈だったのか!」


 心外だ。と言わんばかりに、天崎は大きく嘆いた。


 吸血鬼に腕力で敵うはずもなく、リベリアを引き留めるにはもう神頼みしかない。両手を合わせて祈っていると、彼女は人を小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。


「座敷童なんて神様が本当に存在するとでも?」

「吸血鬼のお前が何言っちゃってんの!?」


 これほど見事に自分を棚に上げた奴は初めて見た。


 当然のことながら、『完全なる雑種』である天崎の体内には吸血鬼や座敷童などの血も流れている。実際に家系図を見たわけではないので、どこで交わったのかは天崎も把握していないが、しかし交わったこと自体は否定しようのない事実なのだ。


 そして『完全なる雑種』の中に遺伝子がある以上、現代では絶滅してしまい『存在しない』種族はあっても、過去に『存在しなかった』ということはあり得ない。


 もちろん『完全なる雑種』の血を狙うリベリアも、十分承知のはずだが……。


「だから今までのは単なる冗談ですよ」

「無駄に長い冗談だったな。警察に通報するってのも冗談だよな?」

「当たり前です。座敷童は勝手に家に棲みつくもの。特に虐待された形跡もありませんでしたので、司法や行政の手を煩わせるまでもないでしょう」

「虐待なんてするか!」

「しぃ! せっかくあれだけ気持ち良さそうに眠ってるのに、そんな大声出したら起きちゃいますよ!」

「ぐ、ぐぬぬ……」

「まったく、座敷童と同居しているなんて先に言っといてくださいよね。知っていれば私ももう少し気を遣ってあげられたのに」

「その気遣いを一瞬でも俺に向けてくれるとありがたいんだけどな」


 いくら吸血鬼といっても遠慮を知らなさすぎだろう。

 さすがに人外慣れしている天崎も、今回ばかりは頭を痛めずにはいられなかった。


「吸血鬼に狙われたのは、もう運が悪かったと諦めるからさ。頼むから俺以外に迷惑を掛けないでくれよ……」


 と、天崎がささやかなお願いを口にした、その瞬間。

 ドンッ! と何かが爆発したような音が轟き、アパート全体が揺れた。


 地震か、それとも近くでガス爆発でも起きたのか。次の衝撃に備えて身構えはしたものの、揺れ自体はすぐに治まってしまった。


 突然のことに言葉を失った二人は、顔を見合わせたまま全神経を集中させる。


 すると聞こえてくる足音。怪獣が建造物を踏み潰すような重い響きが、徐々に大きくなってくる。それはつまり自分の方へと近づいてくることを意味し、天崎の平衡感覚が狂っていなければ、足音はこの部屋の前で……止まった。


 そして、


「朝っぱらからうるせえんだよ! こちとら今から寝るところなんじゃい、バカたれがぁ!」


 二度目の爆発音とともに、耳を劈く咆哮が天崎たちを襲った。


 ビクッと肩を震わせた天崎とリベリアは、弾かれたように玄関の方を振り返る。

 開け放たれた扉から登場したのは、鬼も裸足で逃げ出しそうな形相をした女性だった。

 しかも何故かブラとショーツだけという下着姿で。


 元々はかなりの美人なのだろうが、憤怒の化身に取りつかれ歪められた顔は、直視もできないほど見るも無残な姿へ。亜麻色の髪はアニメの爆発に巻き込まれたように縦横無尽に飛び跳ねているし、目なんて完全に血走っている。視線を合わせただけで殺されそうだ。


 事実天崎は、下着姿の美人が訪れたことに対する喜びなど欠片もなく、ただ純粋に彼女の激怒を目の当たりにして恐怖していた。


「げぇ、空美(うつみ)さん」

「げぇ、じゃねえよ! むしろ、げぇって言いたいのはこっちだよ! 飲みすぎたんだよ、吐きそうなんだよ、頭痛てえんだよ! 今から休もうかと思ってたのに、隣でてめえがうるせえから寝付けねえし……殺されてえのか!?」


 床に穴が開いてしまいそうなほど何度も地団駄を踏む空美。

 リベリアはただただ呆然と珍獣みたいな彼女を眺め、天崎に至ってはまるで現実逃避でもするかのように目を泳がせていた。


「うっぷ。……暴れたら気持ち悪くなってきた」

「ここで吐かないでくださいよ!」


 畳にぶち撒けられたら一大事だ。

 意識の逃避行から戻ってきた天崎は、すぐに袋か何かを探すため立ち上がる。


「……いや、大丈夫そうだ。悪いが飲み物をもらうぞ」


 家主の返事も待たず勝手に上がり込んできた空美は、勝手に棚からコップを取り出し、勝手に冷蔵庫から麦茶を拝借する。そして最後には、流し台で豪快に顔を洗い始めたのだった。


「タオル」

「はい」


 すでにいろんなことを諦めていた天崎は、素直にタオルを渡した。これ以上、彼女の機嫌を損ねても何一つ利がないと悟ったのだろう。


「ぷはぁ。何とか治まったぜ。ついでに眠気も吹っ飛んだがな」

「……すみません」


 とりあえず謝っておいた。


 顔を洗ってさっぱりしたのか、タオルから上げた空美は爽やか度が数段アップしていた。騒がしくしていた天崎の件も、まさしく水に流したといった感じだろう。


 さらに言えば、たったそれだけのことで彼女は数年も若返ったように見えた。


 原因は肌だ。水気を得ることで肌の弾力が復活し、とても二十代半ばの見た目では釣り合ないほど瑞々しいものになっていた。化粧も落ちているはずだが、それでも現役高校生に引け劣らないくらいだろう。


 ただ空美に対して肌の話題は禁句だ。褒めることでご機嫌を取れないのが悔やまれる。


「つーかよぉ……」


 怒りが霧散して良かったなぁと安心したのも束の間、流し台に背を持たれた空美は半眼で天崎を睨みつけてきた。先ほどの火傷しそうな激怒とはまた違い、今度は皮膚に突き刺さるような冷たく静かな怒りだった。


「お前はいったい何なんだ? 何でいつもそうなんだ?」

「えーっと……?」


 リベリアのことを問うているのかと思ったが、どうやら違うらしい。

 何なんだ? いつも? 俺また何かやっちゃったのか?


 空美と天崎はお隣さんだ。騒音で迷惑をかけることは往々にしてある。が、それ以外で空美の機嫌を損ねることなんて……ダメだ、まったく思い当たらない。


 天崎の熟考も虚しく、どうやら時間切れになってしまったらしい。

 空美の導火線に再び火が付いた。


「てめぇの下半身にぶら下がってる息子のことを言ってんだよ!」

「…………は?」

「普通は勃つだろうが! こんな美人が下着姿で部屋に押し入ってきたら、我慢汁でパンツ濡らすのが男の性ってもんだろ! それをお前ときたら……このダメチンが!」

「はうッ!!!???」


 急に接近してきた空美が、いきなり天崎のお宝を蹴り上げた。表現できぬ痛みが全身に奔り抜ける。視界が白ばみ、呼吸ができない。自然と涙まで出てきた。


 ……この痛み、どうすれば女性に分からすことができるのだろうか?


「ぐ、ぐぅ……」


 畳の上で蹲り、悲痛な呻き声を上げながら目の前の悪魔を睨み上げる。


 確かに空美は自他ともに認める美人であり、スタイルも女性として非の打ちどころがない。バストも豊満で、ブラジャーで締め付けられているにもかかわらず、彼女が身動きするたび小刻みに揺れるほど。


 彼女が普通に歩いているだけで、道行く男たちの視線を独占するのは間違いないだろう。

 本当に興味がないとなれば、その男はゲイか不能の恐れがある。


「なるほど、そういうことだったのか。すまなかった」

「ち、違う! 俺はどっちでもない! 普通でノーマルで正常だ!」


 乱れる呼吸で弁明するも、空美の目は疑いを深めるばかりだ。


「前にも言ったはずですよね! 俺は『完全なる雑種』だから人間以外に欲情することはないって!」

「あー……そういや聞いたな、そんな設定。けど、それがどうしたってんだ。血統を言い訳に自分の不能を正当化しようってか? はっ、男として情けねえなぁ」

「だから俺は不能じゃないっつーの!」

「じゃあ訊くけどよ、人間以外に欲情しないってことは、人間にはするって意味だろ? お前に彼女がいるとか聞いたことねえし、女に発情してる姿も見たことないんだけどな」

「してるよ! クラスの女子に対して毎日発情してるよ!」

「うわぁ。変態だ、コイツ」


 ドン引きされてしまった。

 股間の痛みとは違う意味で泣きたくなってきた。


「リベリア。俺はもうダメみたいだ。助けてくれ」

「えっ。残念ですが、私も変態さんの肩は持ちたくないです」

「チクショウ! やっぱ女ってやつは……」

「ん? なんだお前、見ない顔だな」


 天崎が泣き崩れる傍らで、ようやく空美がリベリアの存在に気づいたようだ。

 リベリアは一瞬だけ怯んだ後、空美に対して恭しく頭を下げた。


「はじめまして。本日より天崎さんの部屋でお世話になります、リベリア=ホームハルトと申します。以後お見知りおきを」

「ふーん。お前、吸血鬼だな?」

「いかにも」


 リベリアの瞳や翼に視線を巡らせた空美が、ほぼ断定気味に言った。

 そして彼女の全身を観察し終えるやいなや、何か合点がいったように頷き始める。


「ははーん、なるほどな。(まどか)といいコイツといい、実はお前、ロリコンだったのか」

「何でだよ! ってか、吸血鬼を前にして驚きさえしないんですかアナタは!」

「海外じゃあ吸血鬼なんてそうそう珍しくもないよ。お前、どうせまた面倒なことに巻き込まれてんだろ? んで、朝っぱらから騒がしくしてたのは、その吸血鬼に無理難題を押し付けられたから。いい加減、慣れろよ『完全なる雑種』。自分がそういう星の下に生まれてきたことを、そろそろ受け入れたらどうだ?」

「…………」


 先ほどとは打って変わって、優しげな声音で空美が諭す。

 対する天崎は、面白くなさそうに唇を尖らせてそっぽを向いた。


 不特定多数の種族の血が混じっている『完全なる雑種』は、その特殊な血統から一般人よりも他種族を引き付ける力が強い。今回のリベリアみたいに天崎の血そのものを狙うケースは稀だが、事実として、天崎の周りには人間以外が集まることの方が多かった。


 吸血鬼であるリベリアはもちろん、座敷童の円も、隣の部屋に住む空美も。


 引力、とでも言うのだろうか? 花形役者は生まれながらにして才覚を発揮し、他人から注目されるように、少々特殊な血を持つ天崎もまた、彼の意思とは無関係に人外を惹き寄せてしまうのだった。


「ま、お前の苦労も分からんでもないよ。けど、それとこれとは話が別だ」


 ドスの利いた後半のセリフとは裏腹に、ニカッと笑みを見せた空美が顔を近づけてくる。未だ動けず無様に尻もちをついている天崎は、彼女の胸の谷間が迫ってくるのをただただ呆然と眺めるばかりだ。


 そして額が衝突しそうなほど接近した空美が、酒臭い吐息を吹きかけながら言った。


「こっちも疲れてんだよ。今度あたしの眠りを妨げようとするなら……殺すぞ?」

「あっ、はい」


 去勢されそうな勢いで手をワキワキするのを見てしまえば、頷かざるを得ないだろう。


 天崎の返事に満足げに頷いた空美は、リベリアを一瞥した後、くるっと背を向けてさっさと去っていった。随分と穏やかになった足取りや扉の開閉とは比べ、背中から滲み出る不機嫌オーラは治めてくれなかったが。


 空美が騒々しかった反動からか、耳鳴りがするほどの静けさが部屋の中を満たす。まるで嵐が過ぎ去った後のような、妙に落ち着いた空気だ。


「…………」

「…………」


 隣の部屋へと戻った音を確認したところで、ようやく二人は言葉を取り戻した。


「な、なんだか情操教育的に良くない感じの方でしたね」

「それは種族柄仕方のないことだとしてもさ、いきなり急所を蹴るってどういうことだよ。次に何かやらかしたら、マジで殺されるかもしれん」

「あの方も人間ではありませんでしたね。……サキュバスですか?」

「よく分かったな」


 空美の容姿からは、サキュバスと判断できる材料はなかったはずだ。


 というよりも、人間そのものだったと言っても過言ではない。男性を誘惑し精を貪る種族の特性上、寿命や美貌以外は人間の肉体とまったく同じ構造である必要があるのだ。そういう意味では、空美の身体は『完全なる雑種』の天崎よりも、さらに人間に近いのかもしれない。


「私も主に人間を捕食している種族ですからね。人間とそれ以外は割と区別がつきます」

「……聞きたくなかった」


 その情報をわざわざ俺に伝えるなよと、天崎は肩を落とした。

 どちらにせよ、命を狙われている真っ最中の自分には関係のない話ではあるが。


「にしても、妙にお疲れの様子でしたね。今から寝ると言っていましたし、夜間に何かお仕事でもされてるんですか?」

「ああ。あの人はサキュバスらしくお水の仕事してるんだよ。どうせ興が乗って飲みすぎたってだけだろ。朝帰りはいつものことだ」


 そう言って、壁掛け時計に視線を移した天崎は絶望した。


 空美が帰宅して寝ようとしていたということは、あと三十分もしないうちに起床しなければならない時間だという意味だ。ほぼ毎日のように、隣の部屋の扉の開閉が天崎の目覚まし代わりとなっていた。


 油断すると意識が飛びそうになってしまう眠気もさることながら、腹の底から訴えてくる空腹感もヤバい。そうだ、完全に忘れていた。昨夜外出するに至った理由は、コンビニで食糧を調達するためだった。なんやかんやあって、結局何も口にしてはいなかった。


「しゃーない。授業中に寝るか」


 などと不真面目な決意を胸に、まずは朝飯をどうしようか考えを巡らす。

 とその時、機を見計らったように押し入れの襖がサッと開いた。

 未だ眠たそうに舟を漕ぎながら、着物姿の座敷童がのそのそと這い出てくる。

 寝起きの童女は、半分だけ開かれた瞳で天崎を見上げた。


「おなかすいた」

「あっ、お布団空きましたね? それでは私は遠慮なく休ませていただきます」


 円の背後で勝手に布団を敷き始める吸血鬼に、天崎は軽く殺意が湧いた。


 寝入ったところを包丁で刺してやろうか? いや、そんな簡単に吸血鬼が討伐できるなら誰も苦労はしない。それにこの場で戦闘にでもなれば、確実に隣の悪魔に殺されるだろう。今死ぬよりも、二週間くらいの猶予は欲しい。


 己の運命を呪いながら怒りに震えていると、ふとシャツの裾が引っ張られた。

 見れば、不機嫌な顔を露わにした円が急かしてくる。


「ねえ、あさごはん」

「ああ、朝ごはんな」


 肺の空気すべてをため息として吐き出した天崎は、疲労の溜まった身体を酷使して、昨日の残飯という名の朝食の準備に取り掛かるのであった。

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