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ドラキュティックタイム  作者: 秋山 楓
第1話『ドラキュティックタイム』

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第9章 決闘

 そういえばリベリアと出会った時も夜の街を駆けずり回っていたなと、天崎は思い出した。何の因果か、あの時とは立場が逆転してしまっているが。


 そんな中、常に考えていたのはリベリアが姿を消した理由だった。


 思い当たるのは二つ。一つは、ミシェルに居場所がバレたから遠くへ逃げた。もう一つは、これ以上おののき荘に迷惑が掛からないよう、自らアランと決着をつけに行った。


 もし後者だった場合、リベリアが勝っていれば天崎の所へ報告に来るだろうし、負けていればそのまま祖国へ連れ戻されているはず。何もなかったということは、つまり……。


 だが天崎は、そのどちらでもないと確信していた。


 外へ出て、改めて実感する。昼間もそうだったが、何となくリベリアが近くにいるような気がするのだ。


 もちろん根拠らしい根拠は何もない。まるで磁石のN極とS極が引き合うように、天崎は己の直感に任せたまま足を動かしているのみ。


 ただ、不意に思い出した。さっきリベリアの記憶らしき夢を見たんだった。


「もしかして……」


 足を止めた天崎は、自らの手の甲に視線を落とした。


 普通の人間よりも怪我の治りが早い『完全なる雑種』であるためか、傷はすでに塞がっている。しかし昨日までは確かにあったはずだ。おののき荘の崩落に巻き込まれた時にできたとは思えない、何か鋭い刃物のような物で切り裂かれたような傷跡が。


 その傷に限らず、仮にどこかでリベリアが天崎の血を摂取していたんだとしたら?


 理屈としてはバカげている。たかが血を吸われただけで、記憶を覗き見たり直感的に相手の居場所を察知できるわけがない。


 だが、この奇妙な感覚以外に手掛かりが無いのも事実。

 ダメで元々と決意を改め、再び走り出そうとした天崎だったが――、


 不意に、一陣の風が天崎の横を通り過ぎた。


「貴様が『完全なる雑種(フリードッグ)』だな?」

「――ッ!?」


 脊椎反射で、声がした方とは反対側へと跳ね退く。


 刹那、一瞬前まで首があった場所へと刃物が薙ぎ払われた。衝撃に圧された天崎は、避けた反動を利用して這う這うの体で距離を取る。


 そして天崎は、見た。街灯の下で佇む、漆黒の吸血鬼が一体。

 夢で見た人物と同じ顔。アラン=ホームハルトその人を。


「ほう? 人間にしては見事な反射神経だ。頸動脈を裂いたつもりだったのだがな」


 何やら感心しているようだが、天崎は言葉を返すことができなかった。


 自分の首に触れてみる。どうやら薄皮が剝けているよう。アランの言う通り、避けなければもっと深く抉れていただろう。


 一歩判断を違えば確実に死んでいたという事実を認識し、天崎は背筋を凍らせる。

 だが恐怖で身を竦ませている場合ではなかった。

 刃物のように鋭く尖った爪が再び動くのを見て、天崎は無理やり声を絞り出した。


「あ、あんたがアラン=ホームハルトなんだよな?」

「いかにも。我が妹、リベリアが世話になったそうじゃないか」


 かといって特に感謝を示すわけでもなく、アランの冷徹な双眸が天崎を射抜いた。


 アランが今ここにいる意味。恐怖で鈍くなった頭では明確な解答を導き出すことができず、己を奮い立たせる意味も込めて、天崎は声を荒げた。


「リベリアはどうした!?」

「貴様には関係のないこと。だが吾輩の目的だけは伝えておこう。リベリアが再び愚かな考えを持たぬよう、『完全なる雑種』の命を摘みに来たのだ」

「そういうことかよ!」


 今の一言だけで、すべてを理解した。


 吸血鬼であることを放棄すれば成人の儀をしなくても済むと思っているリベリア。その手段は、新月の夜に『完全なる雑種』の血を飲むこと。ならば、何としてでも阻止したいアランが天崎の命を狙うのは道理。あまりにも合理的すぎる判断だ。


 だとしても、ここで少し疑問が残る。


 彼女の目的を知っているということは、間違いなく二人は顔を合わせているはずだ。となれば、リベリアは本当にどうなったのだ?


 天崎の抱く感覚からして、国を隔てるほど遠方にいるとは思えない。かといって、アランがリベリアを殺すなんてこともあり得ない。様々な要素が矛盾を孕み、天崎は困惑してしまう。


 だが、悠長に考えている暇はなかった。


 命を摘むと明言された手前、今は自分を守る方が先決だ。初撃から感じ取られた殺意からしても、アランは確実に仕留めにきている。


 現時点で対抗手段を持たない天崎は、ダメ元で踵を返した。


 もちろん本当に逃げられるとは思っていない。天崎の予想通り、アランは十メートルは隔てていた距離を一気に詰める。喉笛を狙うのは、先ほどと同じく己の爪だ。


 ガードは無意味。おそらく鋼鉄並みの硬度でなければ簡単に引き裂かれてしまうだろう。

 なので躱す。躱す。躱す。


 連続で繰り出されるアランのジャブを躱し続けたところで……違和感を覚えた。

 攻撃があまりにも遅すぎる。新月でもないのに、とても吸血鬼とは思えない鈍さ。


 それでもプロボクサー以上のスピードが出ているのだが、最初から逃げ腰かつ反撃をしない前提の天崎には、軌道を見極め避けることは容易だった。


 結局、一撃も食らわないまま再び距離を取ることに成功する。その顔には、先ほどまでにはなかった余裕の笑みが張り付いていた。


「なんだ。全然大したことないな、あんた」

「…………」


 劣等種に煽られ、誇り高き吸血鬼の顔つきが変わる。


 夜のように静かな怒りを纏ったアランが、突然……消えた。否、人並外れた動体視力を持つ天崎には、かろうじて捉えられていた。


 先ほどとは別人にでもなったかのような動き。目にも止まらぬ速さで天崎の脇を駆け抜けたアランは、己の力を誇示するように、わざわざ天崎の背後へと回る。そして獲物の首筋へと己が爪を向けた。


「終わりだ」

「ぐっ……」


 振り向く? それとも飛び退く? ダメだ、どちらも間に合わない。


 命を奪う攻撃が首へと迫るコンマ数秒、天崎の本能は、如何にしてこの場を切り抜けるべきか頭をフル回転させたのだが……突破口は思わぬところからやってきた。


 ピリリリリ! ピリリリリ! と、夜の静寂を裂く間抜けな電子音。

 電話だ。天崎のポケットの中に入っているスマホが、着信を訴えかけている。


 当然、応えられる状況ではない。電話相手には悪いが、もしかしたら永遠に出られなくなるかもなと諦めかけた、その時……異変が起こった。


「チッ!」


 何故かアランが動きを止めたのだ。鋭い爪が天崎の皮膚を裂く直前で静止し、さらに一足飛びで後方へと離れていく。まるでネズミ撃退用の超音波を耳にしたように、スマホの着信を嫌ったような突発的な反応だった。


「?」


 再び十メートルほどの距離を置いたところで、アランは不気味な置物と化した。ただ、金色の双眸はずっと天崎を凝視している。険しい顔つきは、電話に早く出ろと圧力を掛けているようでもあった。


 訳が分からず困惑する中でも、電話は一向に鳴り止む気配はない。


 どのみち電話が鳴らなければ死んでいたのだ。アランの動きに細心の注意を払いつつ、天崎はゆっくりとスマホを取り出した。


 画面に表示されている名前は『安藤』だった。


『やあ、天崎。少しいいかい?』

「絶賛、取込み中なんだけどな」

『吸血鬼に襲われてる最中なんだろ? 五体はまだ満足かな?』

「……お前、どこまで知ってるんだ?」


 問うと、電話口の安藤がわずかに笑ったような気がした。


『君も僕の目的は知っているだろ? すべてさ。人間の暮らしを調査する以上、僕はこの街のどんな些細な出来事でも詳細に知っておかなくちゃならない』

「んじゃ説明は省くぞ。何の用だ? さっさと用件を言え」

『なら手短に話そう。アラン=ホームハルトが妹さんのために君を排除したがっていることは聞いたかい? 何を隠そう、一回だけ殺しにかかってもいいと許可を出したのは僕なのさ』

「出すなよ」

『未来永劫命を狙われ続けるよりもマシだろう? この一回を耐え凌ぐだけで諦めてくれるんだ。交渉した僕が感謝はされても、咎められる覚えはないよ』


 確かにな。と、天崎は喉を鳴らした。


 たとえ無事に撃退したとしても、リベリアが成人の儀を拒み続ける限り、再びアランに命を狙われる不安は拭えない。それを一回で済ませてくれるのであれば万々歳だ。吸血鬼がちゃんと約束を守ってくれるかは知らないが。


『それとアラン=ホームハルトにも事情があって、街中で騒ぎを起こしたりはできないと言っていた。人を殺したことを知られたくない、ともね。だからこそ君は今も生き永らえられているんだよ』

「ああ、道理で」


 アランの動きが鈍かった理由に合点がいった。


 実力的には殺そうと思えばいつでも殺せたのだ。しかし無暗やたらと人を殺せないという事情から、手を抜いていた。遺体は処理できたとしても、コンクリートなどに飛び散った血液とかは除去できないだろうし。


『僕にとってもアランにとっても、この場で君を殺すことはデメリットでしかない。君が必要以上に煽ったりしなければ、今は手加減してくれるだろう』

「…………」


 どこからか見てるのかな? と、天崎は周囲を見回した。


「で、どうするつもりだ? 手加減してくれるんならありがたいけど、アランは本気で俺を殺したがってるんだろ?」

『それなんだけど、僕が決闘の場を用意した。その中なら、吸血鬼がどんなに暴れようとも外に知れることはない』

「んな都合のいい場所があるのかよ」

『実証済みだ。なんせ昨夜、ホームハルト兄妹が派手な殴り合いをしていたからね』

「なっ……」


 やはり二人は戦っていたのか!


 唐突に知らされる事実に絶句しながらも、天崎はリベリアの状況を問おうとする。しかしそれよりも先に、安藤が再びクスッと笑った。


『僕が伝えるべきことは、こんなところかな。で、どうだい?』

「どうって?」

『時間稼ぎは十分かなと思って』

「ああ……」


 天崎は自分の体内へと意識を向けてみる。

 準備運動は万全のようだった。


「十分だ。ありがとう」

「時間稼ぎとは何の話だ?」


 気づけばアランの顔が間近にあった。


 反射的に仰け反るも……間に合わない。高速で振り払われる手刀が、天崎の持つスマホを真っ二つに切断した。


「俺のスマホが!?」

「これから死に逝く貴様には不要な物だろう?」


 続いて胸倉を掴み上げられた。体重七十キロ以上はある天崎の身体が軽々と浮く。いや、浮いたどころではない。そのまま野球ボールでも遠投するかのように、天崎は星の瞬く夜空へと発射された。


「うっそだろおおおおお!!!????」


 喚き叫ぶも、翼を持たない天崎にはどうすることもできない。両腕両脚を意味もなくバタつかせながら、夜も深まる住宅街へと奇声を降り注がせるのみ。


 やがて放物線は下りへと差し掛かる。

 その頃には、着地に備えて身体を丸められる程度には落ち着きを取り戻していた。

 そして――、


「ぐはッ!」


 背中から地面へと衝突。一度大きくバウンドし、何回か転がった後にようやく停止した。


 多少は目が回りつつも、受け身は万全だったので怪我らしい怪我はない。元よりバイクに撥ねられてもケロッとしていられるほど頑丈なのだ。今さらこの程度で死んでしまう天崎ではなかった。


「痛った……」


 それでも痛いものは痛い。

 強打した場所に異常がないか確認しながら、天崎は起き上がった。


「ここは……俺たちの学校じゃねえか」


 そう。天崎が投げ捨てられた場所は、彼らが通う高校のグランドだった。


 決闘の場というのはここなのか? 確かに戦うには十分な広さがあるとはいえ、住宅街のど真ん中だぞ? 大丈夫なのか? ……いや、大方安藤が結界でも張ったのだろう。敷地の境界を通過する際、変に生暖かい感触があったし。


「天崎さん!」


 注意深く周囲を観察していると、今一番聞きたかった声が耳に入った。


 リベリアは屋上にいた。否、屋上付近と言うべきか。両手を杭のような物で打ち抜かれ、校舎の壁に磔にされているのだ。その側には、感情のない眼でこちらを見下ろすミシェルの姿があった。


「リベリア! 無事なのか!?」

「天崎さん、気を付けてください! 上です!!」

「――ッ!?」


 言われるがまま上を向く。目と鼻の先に革靴の裏があった。


「ぐっ……」


 死に物狂いで真横へと飛び込む。間一髪、アランの足は天崎の髪を掠めていった。


 それと同時に爆発音。地面を転がるようにして距離を取った天崎が見たのは、小さなクレーターの中で悠然と佇む漆黒の吸血鬼だった。


「あの悪魔の言っていたことには、二つ間違いがある」


 舞い上がった砂埃が収まっていく中、アランがゆっくりと天崎との距離を詰めてくる。


「一つは、あの場で貴様を殺さなかった理由だ。無暗に騒ぎを起こしたくないが故、細心の注意を払っていたことは認めよう。だが、それだけではない。貴様をリベリアの目の前で殺すことで、己の行いを悔いてもらおうと思ってな。また別なる『完全なる雑種』を求めぬよう釘を刺しておきたかったのだ」

「……悪趣味だな」

「もう一つ。奴はここを決闘の場と言っていたが……否。それは違う。なぜなら、吾輩が貴様を一方的に殺戮するのだからな」


 アランが身を沈めた。

 ――来るッ!

 だがアランが動くよりも早く、天崎は次の行動に移っていた。


「待てよ」


 片腕を伸ばして、アランの方へと手の平を見せる。

 ともすれば白旗を揚げる行為に見えなくもない仕草に、アランは眉根を寄せた。


「ここへきて今さら降参でもするつもりか?」

「降参か。いいね。できることならしたいんだけど、それよりも先にあんたと話がしたい」

「話、だと?」


 動きを止めたアランが、さらに訝しげな表情を作った。


「俺とあんたは、ついさっき顔を合わせたばかりだろ? なのに一方的に難癖付けられてさ、しかも弁解もできずに殺されるとかたまったもんじゃない。だから話し合いで解決できるのなら、それに越したことはないと思ってね」

「くくく。吸血鬼相手に話し合いで決着をつけようなどとは、なかなかどうして肝が据わっているじゃないか」


 面白おかしくご機嫌な笑い声を上げたアランは、一考するまでもなく首肯した。


「よかろう。夜はまだ長い。狩られる者の命乞いに耳を貸してやる」

「ありがとよ」


 息を整えた天崎は、砂の匂いが混じる空気を肺一杯に吸い込んだ。


「あんた、リベリアが成人の儀を拒む理由を知ってんのか?」

「無論だとも。なんでも、兄である吾輩が死ぬのは嫌だと戯けたことを抜かしているらしい。まったく、ホームハルト家の吸血鬼として情けない限りだ。次の当主を任せる立場としては、ほとほと困り果ててしまうというものよ」

「なんだ、やっぱり話が食い違ってるじゃねえか」

「……なに?」

「俺が訊いてんのは、リベリアがあんたと死別するのを嫌がってる理由の方だよ。あんたは残される妹の気持ちをちゃんと考えたことがあるのか?」

「…………」


 天崎の言葉を噛み砕くように、アランは目を伏せた。

 何故リベリアは自分と別れたくないのか。

 …………。

 長考の末、結局アランはゆっくりと首を横に振った。


「ふん、何を言い出すのかと思えば下らん。そもそも儀式にリベリアの気持ちなど関係ない」

「関係ない、だと?」

「そうだ。そしてこの件に関して、やはり関係のない貴様が口を出す余地はない。これは我々兄妹、ホームハルト家の問題なのだ。故にリベリアが貴様の血を狙い、迷惑を掛けたことに関しては吾輩の口から詫びよう」


 今から殺そうとしている相手に詫びるというのも変な話だが、天崎はそんな些細な挑発など気にも留めず、アランの身勝手な言い草に憤りを覚えた。


「ふざけんな! じゃあ教えてやるよ! 弟や妹ってのはな、上の兄弟の背中を見て育っていくもんなんだよ。その兄がいきなりいなくなったら寂しいに決まってんだろ! しかも自分の手で殺させて喰われるなんて、何で妹にそんな辛い思いをさせられるんだ!?」


 兄弟のいない天崎には、自分の言葉が軽いことに自覚はあった。が、想像は容易にできる。


 実家で暮らす両親は元より、円だって空美だって安藤だって、もし自分が殺さなくちゃいけない状況になったら絶対に拒むし、突然いなくなったら寂しいと思うはず。それが幼い頃から共に過ごしてきた兄妹なら尚更だ。


 しかし天崎の必死の訴えも、アランにとってはどこ吹く風といった様子だった。


「だから何だというのだ?」


 一切の感情も感じさせない冷徹な声が、天崎の胸に刺さる。


「リベリアがどんなに辛かろうと関係ない。成人の儀はホームハルト家が代々受け継いできた重要な儀式。それをただの小娘の我が儘で曲げるなど、許されるわけがない」

「お前……」


 融通の利かない相手を前に、天崎の拳に自然と力が入る。

 だが獲物が怒りに震えてもなお、アランは語るのをやめなかった。


「もう何十年も前になるが、吾輩も母を喰らうことで成人の儀を果たした。吾輩に喰われる母は子の成長に感無量の涙を流し、吾輩もまた長く背中を見てきた母に代わって、ホームハルト家の当主となるための自信を得た。これはいわば試練なのだよ。歴史あるホームハルト家を継いでいくために、リベリアには強く逞しく、そして自信を持ってもらわねばならない」

「なっ……」


 あまりにも淡々と述べられるアランの語り口に、天崎は絶句してしまった。


 思い出されるのは最初の問答。アランの長考だ。


 たぶんアランは理解していたのだ。リベリアがどれほど自分を慕い、成人の儀によってどれだけ辛い思いをするのかを。天崎に言われるまでもなく、最初からリベリアの気持ちを知っていた。


 なぜなら自分も同じ経験をしていたのだから。

 だからこそ天崎は納得がいかず、強く歯噛みをする。


 アランはリベリアの気持ちを理解した上で、彼女が一人ぼっちになることを強要している。実の妹が悲しみに沈むことを知っていながら、自らは死を望む。いくら一族の意志とはいえ、その考えには賛同できそうになかった。


「……それがリベリアを悲しませる結果になったとしてもか?」

「試練だと言っただろう? それを乗り越えなければ、ホームハルト家の当主を名乗る資格を与えることはできぬ」


 やはり違う。と、天崎は思った。


 かわいい子には旅をさせろという諺がある。子供をかわいいと思うなら、親元で甘やかすだけではなく、世間の厳しさを教えてやった方が子供はしっかりと育つという意味であるが、それにはある大前提が必要だった。


 それは、いつか帰る場所があるということ。


 最終的に行きつく親元があるからこそ、子供は過酷な旅を乗り越えられるのだ。どんな楽園にも敵わない、親の温もりという安息の地を求めて、子供は強くなっていくのである。


 だから天崎はアランの一方的な言い分を不快に思っているのだ。


 アランがリベリアに過酷な試練を与えているだけだったら、天崎もここまで突っかかったりはしなかっただろう。アランにはリベリアを一人前にする責任があるし、それこそ他人の家の方針に口を出せる権利はない。


 しかし今回の場合、その前提は成り立たなかった。

 試練を乗り越え強くなったリベリアの元に、愛する兄はいない。

 途方もなく大きな孤独を背負って、彼女はそれから先を生きていかなければならない。


 それはどうしようもなく無残で、無慈悲で……無責任だった。


 理不尽なエゴを振りかざすアランに向け、天崎は感情を押し殺しながら問いただした。


「あんたさ……リベリアのことを愛していないのか?」

「無論、愛しているさ。愛しているからこそ、吾輩はあの娘が強くなることを願っている」


 ああ、ダメだ。これ以上の議論は完全に無意味だった。

 どうやっても分かり合えない相手であることを悟り、天崎は眉尻を下げる。


 だが落胆する天崎とは対照的に、アランの瞳が爛々と輝き始めた。彼の身体から発する威圧感が大気を歪ませ、空気がピンッと張り詰める。


「命乞いは終わりか? まだ時間はあるぞ?」

「いや、もういいよ。言葉じゃ通じなさそうだし」

「では、覚悟はいいな? 苦しまぬよう一瞬で散らしてやる」


 宣言するのと同時、風もないのにアランの足元の砂が少しだけ舞い上がった。


 妹のリベリアですら身震いしてしまうほどの気迫。明確な殺意に晒されている天崎は、さぞかし絶望の表情を浮かべるかと思いきや……意外と堪えていないようだ。


「何を勘違いしてるんだ? 言葉では通じないから力づくで分からせてやるっつってんだよ」


 天崎が意識の中でトリガーを引く。

 その瞬間、身体に異変が起こり始めた。


「『獣王の怪(モンスターアクション)』」


 おののき荘を破壊したミシェルに制裁を行った時と同じ変身。だが今回は右腕だけに留まらなかった。


 腕から首筋、さらに顔面までもが黒い体毛で覆われる。口の周りにはマズルが現れ、中からは異様に発達した犬歯が覗いていた。その変化は、満月を見た狼男が獣へと変わっていく過程そのものだった。


「ミシェルが言っていた獣人の血統とやらの覚醒か。なるほど、時間稼ぎとはこのことだったのだな?」


 あまりに奇々怪々な現象が目の前で起こっているというのに、アランにはまったく動揺した様子がない。それどころか興味深げに観察し、変身の行く末を見守っているよう。結局、天崎の上半身が完全な獣の姿へと成り果てるまで、アランが攻め込むことはなかった。


「行くぞ」


 不気味に光る瞳がアランを射抜く。

 先に仕掛けたのは天崎だった。異常に肥大化した両腕を振り上げ、アランの元へと一直線に駆け出していく。


「ぬう!」


 猪突猛進に突っ込んでくる敵の対処法など、アランはいくつも持ち合わせていた。


 だが『完全なる雑種』という未知なる相手との対峙が、アランの好奇心を掻き立てたのだろう。容易に回避できるのにもかかわらず、あえて真正面から挑む。


 結果――、


「バカな! この吾輩が力で押されているだと!?」


 天崎の攻撃を両手で受け止めたところでアランが狼狽した。


 取っ組み合いの状態になるものの、決して力が拮抗しているわけではない。耐えるアランの足元が、徐々に後方へと轍を作っていく。


「どうやら純粋な腕力は俺の方が上みたいだな!」


 濁った声で吠えるのとともに、天崎の前蹴りが炸裂した。


 予想外の力比べに驚いていたアランにとっては、完全な不意打ちの形となる。土手っ腹に衝撃が奔り、為す術もなく後方へと吹っ飛ばされた。


「ぐっ……」


 その威力も、もはや人間のそれではない。まるで視えない砲弾でも撃ち込まれたかのよう。足が地面から浮いている状態では自分の意思で動くことすら叶わず、最終的には翼をパラシュートにすることで無理やり停止した。


 アランは即座に蹴られた部位へと意識を集中させる。

 痛みはするが、内臓は無事だ。戦闘に支障はない。


 瞬きほどの時間で診断を終えたアランは、再び天崎の方へと視線を移す。狼男は鋭い牙を剥き出しにしながら、すでに眼前まで迫っていた。


「……なるほど」


 翼を広げたついでに、アランは上空へと飛翔した。

 二十メートルほど上昇したところで、地上へと振り返る。


「いくら特殊な血統を持っていようとも、所詮は戦闘の素人というわけか」


 この短いやり取りの中で、アランはすでに天崎への評価を固めていた。


 獣人化したことにより、身体能力が飛躍的に向上した。ただ、それだけだ。吸血鬼ハンターのように遠方から狙撃するわけでも、魔術を施した魔道具で拘束してくるわけでもない。基本的には、圧倒的な筋力を駆使して相手を蹂躙するのみ。


 にもかかわらず、力比べで優勢だった相手を前蹴りで突き放したり、挙句の果てには空へと逃がす失態を犯してしまう。戦い慣れていないのは明白だ。


 とはいえ、元々普通の高校生である天崎に戦闘能力を求める方が酷というもの。百年以上生きている吸血鬼と十七歳の少年の間に、戦闘経験の差が出るのは当たり前だった。


「さて、どうやって料理したものか」


 滞空しながら、狼男の攻略法を優雅に考え始めたアランだったが――、

 空は吸血鬼の独壇場。その思い込みが仇となった。

 頭上に……気配!


「こっちだ」


 喉を鳴らすような低い声が降ってくる。

 振り向けば、宙に浮いた天崎の拳が目の前にあった。


「なにッ!?」


 バキッ! と音がして、吸血鬼の腕力をも凌ぐ一撃がアランの頬骨を砕いた。

 だが……決定打には至らない。空中での打撃は威力を霧散させてしまう。


 アランは一瞬だけ意識を失いかけるも、すぐに体勢を整えて距離を取った。

 完全に油断していた。まさか跳躍してくるとは夢にも思わなかった。


 いや、天崎の脚力に疑いがあるわけではない。獣人の身体能力ならば、二十メートル程度なら楽に跳んで来られるだろう。問題は、その後。翼を持たない天崎は、重力に任せて地面へと落ちていくしかないのだ。


 落下中は完全に無防備。吸血鬼にとってはいい的だ。今の一撃のために命を捨てるなど、あまりにも考えがなさすぎると呆れるしかない。


「愚かな。地に足が触れる前に決着をつけてやる」


 血の混じる唾を吐き捨て、アランは落下する天崎を真上から追跡する。


 首を捩じり切るか、それとも地面へ叩きつけるか。高速で地上へと迫っていく最中、アランは天崎の処刑方法に頭を巡らせていたのだが……彼は失念していた。自分が相手をしているのは人間でも獣人でもない。『完全なる雑種』だということを。


 天崎に照準を絞ることで、ようやく異変に気づく。彼の身体の一部がまた変化していた。

 具体的に言えば背中だ。背中から鳥類のような翼が生えている。


「なッ!?」


 声を上げた頃には、もう遅かった。


 視界から天崎の姿が消える。吸血鬼ですら反応できないほどの速度で、唐突に急上昇を始めたのだ。一瞬にして頭上へと回り込んだ天崎は、アランが振り返るよりも早く、その頭を鷲摑みにした。


 そのまま地面へと急降下だ。


「「おおおおおおおおおおお!!!!」」


 必死で脱出しようとするアランと、決して放すまいとする天崎の雄叫びが混じる。


 だが、拘束を解くには圧倒的に高度が足りなかった。


 地上十数メートル、時間にして二秒未満では、獣人の力から脱出することなどまず不可能。必死の抵抗も空しく、アランは顔面から地面へと叩きつけられた。


 耳を劈く衝撃音。着地点を中心に、蜘蛛の巣のような地割れがグランドに奔る。


 人間だったら間違いなく原形を留めていられないほどの威力。ならば吸血鬼には、どれほどの効果があるのか……残念ながら、天崎は知ることができなかった。いや、確かめるまでもなかったと言うべきか。


 天崎の手の中から、地面に叩きつけたはずのアランの感触が……消えている!


「死ね」


 短く、それでいて絶大な意志の宿る声が天崎の耳に入った。


 激突の際に舞い上がった砂埃に隠れて、アランが天崎の背後を取った。振り上げるは右腕。大抵の物なら軽く一刀両断できるアランの手刀が、天崎の首筋へと迫る。


 が、


「チィ!」


 今の天崎の皮膚は並大抵の硬さではなかった。


 切断はおろか、首の骨すら折れてはいない。軽いむち打ち症となって、天崎の全身に激痛を奔らせるのみ。


 痛みに耐えながらも、天崎は返す刀で背後にいるアランへと拳を見舞う。

 そんな当てずっぽうの大振りなど食らうわけもなく、アランは天崎から大きく離れた。


「今ので、その程度、なのかよ……」


 呼吸を荒くした天崎は、正面で佇む吸血鬼を見て絶望の声を漏らした。


 衝突後に抜け出されたとはいえ、アランを地面へ叩き潰した一撃は完全に致命打になるはずだった。防御も不可、受け身も不可だったのだ。リベリアには悪いが、殺してしまったとすら思ったくらいだ。


 だが蓋を開けてみればどうか。地面を割るほどの衝撃だったにもかかわらず、アランは額から血を流し、足元をふらつかせている程度。五体満足のまま、一切の戦意も喪失していない。今の手刀も、もし万全の状態だったらと思うと背筋が凍ってしまう。


 これが地上で最も優れた種族であると自負する怪物――吸血鬼なのか。


「貴様こそ、息が上がっているな。相当な無理をしているのだろう?」

「当たり、前、だろ。無理しなきゃ、吸血鬼と戦えるわけ、ないっつーの」


 事実、天崎は今にもぶっ倒れてしまいそうなほど体力を消耗していた。


 狼男への変身に加え、鳥類の翼を背中に生やすという複合技。他種族の血統を意図的に覚醒させることすら滅多にないのに、複数の種族を同時にというのは初めての試みだった。


 こうでもしないと吸血鬼に勝てるわけがない。天崎はそう判断したのだ。

 結果、諸刃の剣は己自身にのみ刃を突き立てることになる。


 やめておけばよかったか? いや、狙いは良かったのだ。判断は間違っていない。ただ今回は相手が別格すぎただけのこと。


 一応、まだ戦える余力はある。しかし、どうしても勝ち筋が見えない。

 ……今回ばかりは死ぬかもしれない。


 天崎の脳裏に諦めが過った、その時……何を思ったのか、アランがいきなり頭を下げた。


「……何のつもりだ?」

「このまま手を抜いて戦っていては、身を削ってまで全力を出していた貴様に申し訳が立たないと思ってな。貴様は吾輩が本気で相手するに相応しい敵だ。人間相手だとなめていた非礼を詫びよう」

「な……に……?」


 にわかには信じられない言葉を聞き、天崎は絶句した。同時に全身の血の気が引く。


「今まで、全力じゃ、なかったのか?」

「当然であろう。吾輩は昨夜、貴様よりも手ごわいリベリアの折檻をしていたのだぞ。あれから丸一日経過しているとはいえ、万全にはほど遠い」


 愕然とした。手を抜いた状態で、天崎とほぼ互角だったと言うのだ。

 こんな化け物、どうやったら勝てるのだ?


「貴様ほどではないにしろ、吾輩も本気を出した後は動きが鈍くなる。もし耐えることができたならば、貴様にも勝機があるかもしれんな」


 そう言って、アランは己の人差し指を咥えた。


「では参るぞ。『吸血の(ドラキュティック)時間(タイム)』だ」


 宣言するのとともに、アランを包む雰囲気が激変した。


 瞳がギラギラと輝き始め、病的に白い肌に血色が戻る。まるで赤いマントを前にした闘牛のように、アランは興奮を隠しきれず闘志に猛っていた。


 なんだ? 何をした? ドーピングでもしたのか?

 天崎が見ていた限りでは、牙を突き立てた人差し指から血を舐めただけだったが……。


 瞬間、呆然と立ち尽くしていた天崎の左脚が、逆方向へと折れ曲がった。


「……えっ?」


 何が起きたのか理解できず、場違いながらも素っ頓狂な声を上げてしまう。


 いや、視えていた。天崎の目にはしっかりと映っていた。


 予備動作もなく動き出したアランが、真正面から天崎の左脚を蹴り抜いたのだ。何もおかしな点はない。ただ天崎の脳が事実を認識する前に、アランはすでに行動を終えていたというだけの話。


「貴様は誇っていい」


 バランスを崩す天崎の背後に回ったアランが、今度は右腕をへし折った。


「吾輩が人間にここまで追い詰められたのは初めてだ」


 続いて右脚を潰す。


「熟練の吸血鬼ハンターですら、吾輩に傷をつけるだけで精一杯だというのに」


 残る左腕もタオルのように捩じられる。


「これは先ほどのお返しだ」


 最後に、うつ伏せに倒れる天崎の頭を軽く踏みつけた。


 文字通り、手足をもがれた昆虫同然と化した天崎が地面に沈む。意識を失ったことで血統の覚醒が維持できなくなったのか、天崎はすでに人間の姿へと戻っていた。


「何とも奇怪な身体をした人間よの」


 獣人という種族、その中でも狼男について、ある程度の知識は持っている。


 吸血鬼と同じく、満月の夜に最大限の力を発揮できる怪物だ。ただ狼男は、満月を目にした時しか変身できず、また月が沈むまで人の形には戻れなかったはず。その力を自由に使いこなせるならば、それはもう狼男を越えた存在なのではないか?


 そこまで考え、アランは首を横に振った。もう終わった話だ。

 後はトドメを刺すのみ。

 瀕死の天崎を見下ろしながら、アランは大きく息を吐き出した。

 と、その時、


「天崎さん!」


 妹の金切り声が轟き、アランはゆっくりと振り返った。


 依然として磔にされたままのリベリアが、親の仇でも前にしたようにこちらを睨みつけている。白木の杭で両手を縫い付けられていなければ、今にも飛び掛かってきそうな勢いだ。


 天崎に手を出すなと、必死に訴えるリベリア。

 そんな妹の要求を、アランは――無視した。


 再び天崎の方へと向き直り、ゆっくりと目を閉じる。


 瞼の裏に浮かぶのは、幼き妹と遊んでいた頃の記憶。無邪気に笑う彼女は汚れの知らない天使のようで、カルガモの子供みたくアランの後ろを常に付いて回っていた。


 それはリベリアが常識ある年齢に成長した今でも、何ら変わりがない。さすがに四六時中顔を合わせるということはなくなったが、分からないことがあれば頼ってくるし、悩みがあれば相談もしてくれる。


 アランは妹の行為を一度も煩わしいと思ったことはない。天崎に宣言したように、アランはリベリアのことを愛しているし、彼女もまたアランを尊敬しているだろう。


 お互いの気持ちなど、言葉にせずとも通じ合っていた。

 だからこそ、アランはリベリアに立派な吸血鬼になってほしいのだ。


 いつまでも兄に頼るのではなく、支える者がいなくなっても一人で生きていける立派な大人になってほしい。成人の儀が、そのための最初の試練なのだ。嫌だ嫌だでは通らない辛い経験を乗り越えることで、精神的に成熟するものだとアランは信じている。


 それを儀式の前に逃げ出して……。

 と、心の中で妹を窘めるアランの顔が緩んだ。不意に昔を思い出してしまったのだ。


 かつて母親を喰らうことで成人の儀を果たしたアランにとって、今のリベリアの心境は痛いくらいに理解できた。なぜならアランもまた、儀式前日に逃げ出した経験があったからだ。


 さすがに地球の裏側まで逃走することはなかったが、国を跨ぎ、儀式の予定日を過ぎても城に帰ろうとはしなかった。


 そんなアランを捜して見つけてくれたのが、やっぱり母親だった。

 アランは当時の母親が抱いていた心労を知り、苦笑いを抑えることができなかった。


 しかしリベリアの考えまでは許せない。


 最愛の兄を喰らいたくないがために、こんな遠い国へと逃げ込んだ。それはまだいい。だがそのために吸血鬼であることを放棄するというのは、どういう了見か。古い伝説を信じていること自体は可愛らしくあるものの、家や種族を捨てるなど言語道断である。


 だからリベリアと再会した時、柄にもなく激昂してしまった。


 そして彼女にそのような希望を与えてしまったこの『完全なる雑種』が、とても憎らしかった。コイツが生きている限り、リベリアがまたおかしな考えを持ちかねない。故に、何としてでもここで殺しておかなければならなかった。


 だがしかし、真にリベリアを想うのであれば……。


「…………」


 己の腹の中で渦巻く黒い感情を無理やり押し殺す。

 目を開けたアランは、苦々しげな声で天崎の頭に言葉を落とした。


「『完全なる雑種』よ。聞こえているか?」

「…………」


 天崎がわずかに反応した。


 完全に気を失っているわけではない。だが朦朧とした意識の中では、投げかけられる言葉を拾って意味を理解することで精一杯だった。


 聞こえているのなら構わないと、アランは続けた。


「もし吾輩が出す条件に従うというのであれば、命だけは助けてやろう」

「な……に?」


 不意に目の前に垂らされた蜘蛛の糸に、天崎は驚きを隠せなかった。


 無理やり首を動かしてアランの顔を睨み上げる。同時に……悟った。コイツは間違いなく約束を守る。漫画やアニメでよくある、死に逝く者にわずかな希望を与えた後で殺してしまう極悪非道な輩ではない。と、天崎は直感した。


 どのみち後は殺されるのを待つだけだ。ならばと、天崎は縋るように耳を傾けた。


「条件……は?」

「リベリアに懇願せよ」

「……?」

「リベリアに泣いて乞え。『大人しく成人の儀を行ってください。でないと私はあなたの兄に殺されてしまいます。私はまだ死にたくありません』とな」

「…………」


 そういうことか。と、天崎はアランの意図をようやく理解した。


 アランの目的はリベリアに成人の儀を行わせること。それ一点のみ。逆に言えば、それ以外の要素はすべて余計なことでしかないのだ。天崎を殺そうとしているのも、リベリアが吸血鬼を放棄するなどという戯言を言い出さないようにするために過ぎない。


 つまりアランにとって天崎の命などどうでもいいのだ。恙なく儀式を行いさえすれば。

 アランの言う通り、確かに生き残る道はある。

 だが……天崎は返答しかねていた。


「何を迷う必要がある? そもそも貴様は巻き込まれただけなのだろう? ならばリベリアが素直に儀式を受け入れ、貴様は今日を生き延びる。これですべてが元通りになるとは思わないか?」

「…………」

「吾輩が亡き後のことまでリベリアにとやかく言うつもりはない。リベリアと交友を続けたいと言うのであれば、吾輩はそれを認めよう」


 リベリアが『完全なる雑種』の元にいる理由。それは成人の儀を拒むためである。


 つまり儀式さえ行ってしまえば、吸血鬼であることを放棄するなどという愚行には及ばないだろう。というのが、アランの考えだった。


 また、妹の交友関係に口を出すべきではないとの本音もあった。


 アラン自身、成人後にミシェルという眷属を作っているのだ。もしリベリアがこの『完全なる雑種』を友人として慕っているのなら、自分と同じように互いを支え合う関係に発展しなくもない。だからこそアランは、天崎を生かす方向へと話を進めているのである。自分亡き後、残されたリベリアのことを想って。


 そんなことを考えながら、アランはじっと天崎の返答を待つ。


 対する天崎は、未だにぼんやりする頭で必死にアランの言葉を噛み砕いていた。

 アランの言ってることは、おそらく正しい。天崎はただ巻き込まれただけ。リベリアが逃げ出さなければ、自分が『完全なる雑種』でさえなければ、お互い見知らぬ関係で終わっていたはずだ。こんな場所で死にかけたりはしていないだろう。


 でも、関わってしまった。知ってしまった。

 見てしまった。聞いてしまった。

 リベリアが泣いているところを。人間に生まれたかったと嘆いている言葉を。

 だったらもう、無関係なんかでいられるわけがない!


「……いいや、違うな」

「なに?」


 予想外の返答に、アランは眉根を寄せる。


 正しいだけのアランが思い描く未来。そこには一番重要なものが足りていない。

 それはリベリアの笑顔だ。己の手で愛する兄を殺して喰らったリベリアが、心の底から笑えるはずなど……できるはずもなかった。


 だから天崎は蜘蛛の糸を己の手で断ち切った。

 違うものは違うと、はっきり口にするために。


「あんたが成人の儀を諦めて、この先リベリアがずっと兄と暮らすことになって、ついでに俺が生き残る。それが真のハッピーエンドだ、バーーーーカ!!!」

「……そうか。残念だ」


 アランを纏う空気が一気に低下する。

 もう躊躇う必要はない。アランは天崎の命を摘むため、その首筋へと手刀を振り下ろした。

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