迫る魔の手
視界から消えない「待機中」の文字に頭を悩ましながら、樋伊谷真奈美は高校へ向かうために電車へと駆け込んだ。(駆け込み乗車は大変危険です)
迫る魔の手
始業式の日。夜型の体質になっていた私は、当然のように寝坊をし、妹にテンションが一番下がる起こされ方をした――。
「先行くわよ」
――だったら起こせっつーの!
朝食も食べずに駅に向かって全力疾走を余儀なくされた――。
駅にはもう電車が止まっている!
改札を抜けると、とりあえず一番近くの車両へと滑りこんだ。
髪の毛を挟むくらいのタイミングで扉が閉まった。間一髪間に合ったとはこのことを言うんだろう。私が切らした息を整えて周りを見ると――周りに女性が一人も乗っていなかった。
最初、まだ学校は冬休みなのかと不安になったが、実はそうではなかった。
以前、友達の佳奈に聞いた話を思い出した。
――恐怖の四両目の話を――。
恐怖の四両目に、誰も女性は乗らない。何故なら最近……出るのだ。オバケではなく、スケベが!
女性専用車両ができてから、いつしかその隣の四両目には女性は乗らなくなり、逆にそういったスケベな男性が集まっているという噂が広まっている――。
周りを見ると確かに中年男性ばかりで、高校生の男子も見当たらない。
隣の車両に移ろうとしても、そこには男の壁が立塞がる。男壁とでもいうのだろう……。
ま、そんなの迷信か都市伝説よね。
気にもせずに恋愛小説を鞄から出すと、学校までの退屈な時間を読書の有意義な時間へとメルヘンチックに変化させてくれるのであった。
電車では特に何もおこらなかった。他の車両より空いていて、読書をするのに快適だったかもしれない。
改札を出ると、後ろから、
「おはよ、マナ」
私をニックネームで呼んだのは、一番の友達、五十鈴佳奈だった。
「おはよう。いや、おはようじゃなくて、あけましておめでとうね」
新年のあいさつを交わそうとするのだが……、佳奈の表情は少し暗い。
「おめでとうって言いたいとこだけど、マナ何か忘れてない?」
はて、何のことかしら。
佳奈の顔をまじまじと見て思い出そうとするけれど、何も思いだせない。
――思い当たらない。
「ああ、佳奈の家、喪中だった? だったら喪中ハガキちゃんと出してよ~」
「違うわよ! マナったら私が年賀状出したのに、出さなかったでしょう。って言うか、返事も届いてないし!」
佳奈はご立腹のようだ。
……ああ! そうそう、思い出した!
年賀状を出そうと思ったんだけど、私の分が余っていなくて、買いに行くのも面倒だしメッセージで済ませようとしてたんだった!
……で、そのメッセージすら小説読むのに夢中で送らなかった……。
「忘れてた! ……よくある話ね」
「よくある話でも良くな~い!」
佳奈はプンプンと先に歩いて行こうとする。
何とか場の修復を考えなくては――!
「そう言えば休み前に借りた小説、読破したわよ」
その話題に佳奈はすぐに飛びついてきた。
「――え、もう読んだの? どうどう? 面白かった?」
「ええ、面白かったの何のって、大晦日までに全部読んで、あまりよく意味わかんなかったから正月過ぎてからもう一度読んだもの」
実際に恋愛小説の割には長くて意味がわからない部分も多々あるが、それを立て続けに二回も読んだところが、貸した佳奈にとって嬉しかったのだろう。……少し呆れたのかもしれない。
「へ、へえー。そうなんだ。凄いね。で誰が一番素敵だった?」
「素敵? そんなの決まってるわ。何と言ってもオーベル様ね。あの人にもう夢中よ」
「ええー? オーベル様?」
「そうよ。あの人が出てくるところだけ何度も何度も何度も読み直したもの。素敵よね~」
思い出すだけで胸がキュンキュンしてしまう!
「やっぱりマナって変わってるわね。普通だったらローエン様かウェン様のはずよ。百歩譲ってもオーベルはないんじゃない?」
いわゆる小説の主役を佳奈は推薦してくるわけだ……。
――それって共感を得たいわけ?
「いいえ。絶対オーベル様です。なんせあの死に様が最高よ。愛する人のために自らの命を落とす。他の二人にはないわ」
「愛する人って……オーベルは同性愛者じゃないわよ」
「いいえ、絶対そうよ。それにあの目が素敵なのよ」
五十鈴佳奈は少し怖く思った。
真奈美は凄く想像を膨らませ過ぎなのである。
「小説読んだだけで目が素敵って言うのは呆れるわね。それに、オーベルは両目とも義眼だし……」
そう突っ込むが、もう真奈美は想像の世界へと高跳びしていた。
目が空の彼方を見て顔がニヤニヤして口も開いたまま……。
ため息を一つついて小説を貸したことを少し後悔しながら佳奈は登校した。
昼休みにお弁当を食べながら佳奈にも目の異常のことと病院へ行ったことを相談したが、眼科の先生以上のことは聞けなかった。
「マナは何にでも真剣になり過ぎちゃうところがあるから気をつけた方がいいよ」
「それってどういうことよ。あ、どうせ佳奈も信じてないんでしょ!」
「信じるわけないじゃん。また妄想が膨らみ過ぎてるんでしょ。……前みたいに」
「そんなことないわよ」
――昔話を持ち出すな!
「なんせ目が合っただけで、あの人は私に気がある~とか、あの人はストーカーだ~とか決めつけてたし」
「……記憶にございません」
「私が見る限り、ちょっとカッコイイ人は「気がある」で、カッコ良くない人は「ストーカー」だったような……」
「そんなことはございません」
「それで橘君には、わざと目を合わせてもらおうと必死で前を歩いたりチョロチョロしたりしてたじゃない」
「もう、橘君の話はやめてよ」
顔が赤くなってしまうじゃないの!
佳奈はクスクス笑っているのが――ムカつく!
橘君は野球部のエースで四番。これで甲子園まで行ければプロも間違いないと言われている超学園ストーリー的イケ面である。
漫画や小説を読んで明け暮れている二人にとって、その存在は高嶺の花だった……。
「あーあ。新年を迎えたっていうのに何かいいことないかしら」
弁当の割りばしに入っていた爪楊枝をくわえると、椅子を後ろに反らした。
「まるでおっさんのような姿ね。その様子じゃ今年もいいことないわよ……」
佳奈はあきれながらそう呟いた。
三学期初日はこうして平穏に幕を閉じた――。