待機中
目の前にチラチラと文字のようなものが見えるようになった樋伊谷真奈美は目の病気を疑い、病院へと足を運ぶのだが……。
待機中
正月が明けると、私は病院へと足を運んだ。
――信じられないのだが、文字のような物が視界からずっと消えない!
――それどころか、たくさんの細かい文字が消え、ハッキリと読める文字になっている!
それを眼科で診てもらうためだ。
「別に外傷もないし、異常ないみたいだけれどねえ」
先生はそう言った。
「それに、本を多少読み過ぎても君の言うような症状にはならないはずだ」
診療機具から顔を離してそう続けた。
「でも先生、今年になってから目にハッキリ見えるんです。『待機中』って文字が。しかも漢字で――。何なんですかこれ」
そうなのだ、私の視界の上の方にハッキリ『待機中』の漢字三文字が見えるのだ!
目を開けようが閉じようが、寝ようが起きようがいつでも見える!
――気味が悪くてしょうがない!
「何なんですかこれって言われてもねえ……目を見ても異常ない。角膜に傷ができたとしても、まさか漢字で『待機中』と見えることはないだろう。一応目薬出しておくから。もしまた変化があったら来なさい」
カルテにサラサラ字を書きだした。
……私の言うことを適当に聞いているに違いないわ。なんだかムカつく――。
薬局で目薬をもらうと、さっさと家へ帰った。
明日から新学期が始まるというのに、私の頭はその『待機中』に悩まされたままだ。痛くも痒くもないんだけど、『待機中』っていうのが気味悪い。
――せめて「成功」とか「勝利」とか縁起のいい言葉であって欲しい!
家に帰ると、自分の部屋にかけ込んだ。
さっそく目薬を出す。――何の変哲もない目薬だ。
絶対ヤブ医者だ! と思ったのだが……実はそんな予感もしていた。
自分の目に文字が浮かんで見えるなんて言われたって、信用のしようがない。
マンガか小説の読み過ぎ……またはVRゲームやスマホのやり過ぎで、頭の中が現実と空想の区別もできなくなってしまったんじゃないのかと……私でも呆れてしまうだろう。
「私って目薬苦手なのよねー」
上を向いて目を開いて目薬を構えた。
目を大きく開いているが意味もなく口も大きく開いている――。
ポタ。失敗した……。
目薬は頬を直撃。
もう一度挑戦する時に気がついた。
「――どっちの目に目薬させばいいのよ!」
あっのヤブ医者め!
どっちの目が悪いのかすらわからなかったのに決まっているわ――!
試しに片目ずつ目を閉じてみるが……。どっちを閉じても同じだった。
そうか――、目を閉じても見えるんだったら、どっちか分るはずないのか。
少し照れ笑いをしてしまった。テヘペロってやつね――。
「……なに一人で笑ってんの。気持ち悪い」
――いきなりの妹の声に、危うく舌を噛みそうになった。
「――! ちょっと! 勝手に部屋に入って来ないでよ」
「いいじゃない。私の部屋にはテレビないんだから」
いつからいたのかわからなかった!
妹は私のベッドに飛び乗ってテレビを点けて寝転ぶ。テレビとの距離は数十センチで、あきらかに目に悪いのだが、私は同じ忠告を何度もしないのだ。
――妹もせいぜい私みたいに目が悪くなればいいわ――。
「お姉ちゃんくだらない本ばっかり読んでるから目が悪くなったんじゃないの」
「余計な御世話よ」
くだらない本と言われるとカチンとくる。
確かに本を読むようになってから私の視力はみるみるうちに低下した。最近はメガネかコンタクトかどちらにしようか悩み始めているくらいだ。
病院の視力検査で、上の方の大きなCが、Oに見えたのが……ヤバさを感じた。
「あんたもそんな近くでテレビばっかり見てると、すぐ目が悪くなるわよ」
「お姉ちゃんと一緒にしないで」
――せっかくの忠告をこっちも向かずにそう返事する妹はやっぱりムカつく~!
妹は高校入試を控えており、普通だったら勉強机にかじりついていなくてはならないはずなのだが、私と違って勉強をやらなくてもできるタイプのようだ。
勉強をしてもできなかった私と大違い――そこが一番ムカつく!
一息吐いて腹立たしさを吐き出すと、大きく息を吸う。
私はまた目薬をかまえた。
方向よし、距離よし、瞼の固定よし、これで失敗はない!
目薬を一滴垂らした時――、
「眼球への異物、完璧遮断」
そう聞こえたかと思うと、目薬をいくら絞っても目に入ってこなかった。
思わず妹に問いかけた。
「今、何か言った?」
妹は同じ体勢でテレビを見続けている――。
私の問いかけすら聞こえていない!
テレビの音声だったのだろうか? 私はもう一度目薬をさそうとして驚いた。
――目薬がもう一滴も残っていない!
どういうこと? 目薬は何処へ?
キョロキョロ周辺を見たが周りに濡れた後もなく、当然頬も濡れていない。目薬はどこへ消えたのだろう。
「瑠奈、ちょっと目薬どっかにこぼれてない? 全部出ちゃったみたいなんだけど……」
「――何よ、いいところなのに~」
面倒くさそうな顔をすると、私と周辺をさっと見てまたテレビに視線を戻した。
「どこにもこぼれてないわよ。お婆ちゃんみたいなこと言わないでよ」
……何か言い返そうとしたが、確かに目薬がどこに行ったのかもわからないのは情けない。
……実は最初から空だったのかしら?
それすら確認していなかったのも――情けない!
「そうかそうか、最初から空だったのね、この目薬」
空になってしまった目薬の容器をゴミ箱に投げ捨てると、妹がこちらを急に振り向いて言った。
「お姉ちゃんほんとにボケちゃったの? さっき大口どころか鼻の穴まで開けて頬っぺたに目薬さしていたじゃない。あの時は一杯入ってたわよ」
「ええ! ――そんなとこから見ていたの!」
――恥ずかしいところを見られちゃった……って、
「鼻の穴開いてたとかって言う? 普通?」
鼻を手で押さえながらそう言ったが、妹はまだ呆れ顔で私を見続けていた。
「もういいからあっち向け。見るな!」
鼻の穴はいつも開いているでしょ! って……突っ込めばよかった……?