天秤
橘君に急接近した五十鈴佳奈だったが、彼の気持ちに変化がないことを知り、傷付いてしまう……。
天秤
放課後。いつもなら佳奈と帰るのであるが、今日はどうやら一人で駅まで向かわなくてはならないようだ。
掃除が終わり鞄に教科書を詰め込むと、則子が私のところへ来た。ここ最近、則子と急に仲が良くなった気がする。もしこれで則子も橘君を狙ったりしたら、話はさらに複雑な方向に発展してしまうのだが、イナリに言わすと、
『田中則子の頭にはソフトボールのことしかない。偏った脳の使用は非生産的。待機中』
だそうだ。何を生産するのやら……。
「真奈美、部室までなら一緒に帰ろうか」
「うん」
則子は私と違って大きなスポーツバックで通学している。私は鞄を持つと二人で教室を出た。
最悪なタイミングとは、前触れもなく急に訪れるものである。私と則子が1階まで階段を降りて下駄箱へ向かうと、なんと前方から橘君が歩いてきた――。
しかもその隣には――佳奈が居る。
「うわっちゃー」
言ったのは私でない。則子だ。なんとマズイところで鉢合せになってしまったことやら……。
――私は何も言わない。佳奈とは目も合わさない。
――佳奈も分が悪い顔をしていた。
黙って通り過ぎるはずだったが、……口を開いたのは、橘君だった――。
「則子さん。俺、まだ諦めてないから!」
――急に何を言い出すの!
そう思ったのは、橘君以外の女子3人であった。
やっぱり橘君の気持は何一つ変わっていない。でも、そんなことは佳奈だって知っていたはずなのだが……。
――佳奈は下唇を噛みしめながら、急に廊下を走り去ってしまった。そんなことに構いもせず、則子の方を見て目を放さない橘君を、……私は許せなかった。
橘君の頬をビンタしていた――。
「佳奈の気持ちも知らないで! 最っ低!」
「――!」
『――!』
振り返り、走って佳奈を追いかけた――。
橘君は……何が起きたかわからない顔をして突っ立っている。
一つ大きくため息をついて則子が橘君に話しかけた。
「橘君って意外と不器用でしょ。私みたいに、どちらかに決めたら?」
「……? え? 樋伊谷真奈美か、五十鈴佳奈かってことか? 僕は二人には興味はないんだ!」
「――そのどちらかじゃない!」
橘君は叩かれた頬を軽く触って、則子を見つめる。
「不器用なあなたが、野球と恋愛の掛持ちなんて無理でしょ。どちらか一つに絞りなさいよ。――それで恋愛って言うのなら、私も思いっきりぶん殴ってあげるわ――!」
そう言って則子は下駄箱へ歩いていった。則子の両手は堅く握り拳をつくっていた……。
橘君は練習試合の時と同じように、その場に立ち尽くしていた――。
「――佳奈、待ちなさいよ!」
泣いて走る佳奈を追いかけていた。
――何で私が佳奈の心配をしているのだろう? さっきまで喧嘩をしていたのに――。
「来ないで! どうせ分かってたんだから!」
――だったら、泣きながら走ることはないじゃない!
……何か佳奈を止める方法はないものだろうか?
『橘太郎と田中則子を、二人っきりにするのは失策と判断――。危険』
「――! そ、そうよ佳奈! いま橘君と則子は二人っきりよ! まずそれを何とかしなくちゃ!」
佳奈は校内シューズが磨り減るような音を立てて急に方向転換をした。
先ほどの場所へ戻ろうと走って行く~! 真奈美の目の前を今度は反対に走り抜けて行った。
――あらら?
「な、なんて単純なの。――それでいいの、佳奈?」
『躊躇している時間が危険。適切な判断。待機中』
――じゃあ、私もウカウカしてられないわ! 来た廊下をまた走って、佳奈を追いかけた。
下駄箱近くで橘君が座り込んでいるのを、佳奈とこっそり覗いた……。
「可愛そう……」
励ましに行こうとする佳奈の手を握って――それを制した。
「しばらく放っておいた方がいいわ。橘君だって考える時間が必要よ――」
佳奈も分かってくれた……。笑顔で頷いてくれた……。
「そうね。……ごめんねマナ。私もどうかしていたわ……私……」
色々話そうとする佳奈に、
「分かってるって。それに、そんなのお互い様よ……」
二人で笑い合った。
――そうよ、私達の友情はそんな簡単に壊れるようなものじゃないのよ。
『友情も愛情も築き上げるには長期間を要する。そのくせ、些細なことで一瞬にして崩壊する。理解不能。私には不要。ただし二足歩行生物には必要と認識。待機中』
イナリがそう表示していた。