死神の大鎌
「さてと……これで、今日の仕事に関しては一通り終了ね」
茜が懐から取り出したメモ帳を見ながら呟く。
あれからヤナギ達は更に、3名の生き霊を刈り取った。
とはいっても、最初の刈り以降は出会い頭に、茜が有無を言わさず機械的に行っていたため、それほど時間はかかっていない。
ヤナギはただ、目の前で人の首を落とされるのを3回ほど眺めただけだった。
「……茜って、毎日こんなことやってるのか?」
「そうね。でも今日は説明も兼ねてるから少なめの方よ。このクラスならあと3件はあるんじゃないかしら」
ヤナギは、とくに顔色を変えず言いきってしまう茜が、少しだけ怖く思った。
それは顔にも出ていたらしく、それに気付いた小さくため息をついた。
「……あのねヤナギ。これは人の世を守る為に必要なことなのよ。生き霊が生きた人間に害を与えるってこと、アンタだって理解したでしょ?」
「それは、そうなんだが……」
ヤナギは、今日刈られた生き霊を思い出して言い淀む。
確かにあのパン屋の生き霊は、その欲望を暴走させて人の生活を脅かした。
けれどそこには確かに、まともに話せる1面もあったのだ。
それはその後の3名の生き霊に関しても、変わらないはずだった。
だから、確かに彼らには人格が存在するのだ。
「納得いかなそうな顔。なんでわからないのかしら」
そう言って茜はまた、袖から発生させた黒い空間から、身の丈ほどの大鎌を取り出した。
それだけで回りの空気がピリピリとしたものに変わる。
「まだアタシ達が標的である内はいいの。こうして抵抗する手段も、刈る手段もあるから。でもその対象が普通に生きている人へ移ってしまえば、それは大きな問題になるの。例えば……」
彼女は少し考えた後『認識消失』と、そう唱えた。
途端に、ヤナギは茜を視ることができなくなった。
驚いた様子で周りを見渡すヤナギ。
その肩を後ろからトンッと叩かれた頃には、首もとに大鎌が添えられていた。
それは単に、いつでも殺せるという意思表示だった。
「見えない災害なんて、そんなもの誰だって避けられないわ。それも相手は、アタシ達でも苦労するようなふざけた相手よ」
「……あ、あぁ。それはわかった。とりあえず下ろしてくれないか、その危ないやつ」
ヤナギのその態度を見て、茜は大鎌を下ろす。
見た目の禍々しさから本気でビビったヤナギは、死の圧迫感から逃れられた安心で、深く息をついた。
「まぁ、そんな訳よ。ただ、これだけは忘れないで。生き霊の欲望、未練の対象、その多くは生きている人なの。だから、最終的にアイツらは、必ず現実に牙を剥くわ。彼らに身の危険を払える手段が無い以上、それはアタシ達の役目になるのよ」
「……そうか」
要するに死神という存在は、死人、つまり生き霊から人を守る為にいるということだろう。
死後、その生き霊が想い人を殺さないよう『未練ごと刈り取る』
確かにそれなら理解できた。
だが同時に、1つ疑問も産まれる。
「人間の生活を守るためってことは理解した。けど、結構危険な仕事だろ。なんでそんなに進んでやれるんだ?」
ヤナギの言葉で、茜の表情が少し動く。
面倒なやつとでも思われているのだろうか。
「……聞く必要あることかしら」
「いや、単純に気になっただけだ。茜の言うとおりなら、俺達も死人なんだろ? だったら、生き霊を刈って人を守ったところで、見返りなんて無いんじゃないのか?」
記憶が無いとはいえ、ヤナギにも常識的な知識はある。
死人が生きた人間に会いに行くなんてのはあり得ない話だし、それならお礼の1つすら貰えないのではないか。
別に見返りが全てとは言わないが、ならやりがいとかあるのか?という意味の質問。
それに茜は顔を横に振りながら答える。
「……アタシはただ、生き霊なんていう存在に好き勝手されるのが嫌なだけよ。それに、見返りが無い訳じゃないわ。最低限アタシ達が活動するための報酬は出るもの」
「報酬? こんな仕事にもそんなものがあるのか?」
「ええ。今から報告込みで帰還するから、その時話してあげる」
「あ、ああ。頼む、俺ぜんぜんわか……」
「それと」
茜は話を切るように会話を制した。
「さっきの質問。あんまり考えなしにすると、殺されるわよ」
茜が振り返りざまに放ったその言葉は、重く真剣な声でヤナギに届いた。
来た道に使った転位門を潜ると、夕暮れの世界へと戻ってきた。
この場所はどうも時間帯に関わらず夕暮れのようだ。
そんなことを考えていたヤナギ達に向かって、黒い服が近付いてきた。
一瞬何かと思ったが、どうやら腰の曲がった老婆のようだった。
「ホッホッ。こんなとこで偶然じゃのう、大鎌の娘っ子や」
「……何が偶然なのかしら、白々しい。オババほどの人がこんな寂れた居住区に用なんてあるわけないじゃない」
口悪く返す茜に、オババと呼ばれる老婆はしわがれた笑い声を返す。
不気味というか、正直気持ち悪い。
だがそれとは別にヤナギも、この老婆が自分達を待っていたのがわかった。
「しかし大鎌の娘っ子よ、この眺めというのも案外悪くは無い。この美しく光る光景。何と言ったか……確か、いるみねぇしょんというやつじゃな?」
「無駄口はいらないわ。こっちは任務中でもなければ、1秒でも顔を合わせたくないんだから」
「ホッホッ。相変わらず手厳しいのぉ。では、手短に済ますとするかの」
そう言うとオババはヤナギの方に向き直る。
どうやら、ヤナギの方に用があるらしい。
「初日はどうじゃったか。新人の坊」
目元はフードで隠れているし、身長差があるため表情が伺えない。
何を考えているか掴みにくいことこの上ない。
「あー、えっと……随分と危ない仕事してる、な?」
「……こっち見ないでよ。オババはアンタに聞いてんのよ」
何を言ったものかと、茜に目配せしたら冷たくあしらわれた。
どうやら、本気で関わりたくないらしい。
「わ、悪い……」
「ホッホッ、何も遠慮することはないぞ? ただどうも、そちら側の仲は、あまりよろしく無いようじゃな」
「……まぁ、それは」
「いや、想定内といえばその通り。大鎌の娘っ子はどうにも刺々しいゆえ、新人の坊の世話でもすれば柔らかくなるかと思ったのでな。もっとも、望み違いだったようだがの」
オババは気持ち悪い笑い声をしながら、しわがれた手でフードを軽く持ち上げてヤナギの目を見た。
なにか値踏みするような、見通すような目を向けられた。
「時に新人の坊。鎌は使ってみたかの?」
「鎌……って、あれか。今日茜が出してたデカイやつ」
「なんと、その反応はまだであったか。これ、大鎌の娘っ子」
「……なによ」
茜は半分、開き直ったように返事をした。
「言っとくけど、アタシも出し方くらいは説明したわよ? 問題があるとするなら、ヤナギの記憶力の悪さよ」
「ぬ? 新人の坊は物分かりが悪いのか」
「それどころか、生きてた時の記憶まで丸々すっ飛んでるのよ。正直意味わかんない」
「生きてた頃の記憶が? それはまた珍しいのぉ」
オババはヤナギの目をもう一度見上げた。
ヤナギがどう反応したかと悩んでいると、何か納得したかのように頷いた。
「嘘をついている訳でもなさそうじゃの……それにしても鎌が出せないとは、これはまたおかしな話じゃな。いや、むしろ必然というべきか」
「いやその、出せないっつーか、出し方を知らないんだが……」
その言葉を遮るように、オババはヤナギの方を指差した。
「新人の坊。死神の鎌というのは、体であり、手足であり、命でもある。ゆえに死神は、得てして産まれた時から取り出す方法を知っているハズなんじゃ」
「……どういうことだ?」
「まぁ、その内理解できるとは思うんじゃが……簡単に説明すると、ワシらは鎌に遣わされている、といえばわかるかのぉ」
「要するに、アタシ達の本体は鎌の方にあるのよ。だから単に体が壊れたところで復旧は簡単だし、望むなら体に干渉できるわけ」
「……んー。まぁわからなくはないけど、なぁ」
二人が揃ってそう言うのだから、確かなことには違いない。
ただ、そうなると自分の本体はどうなんだ、ということになるわけで。
「……ん?」
そこでヤナギは話の流れからあることに気付いた。
「もしかして、その鎌が無いから、記憶が無いのか?」
「……無い、というのは考えにくいが、何らかの異常があることは確かじゃの。ただ、初めから取り出せない、というのは例にない。稀に、疲弊した死神がしばらくの間、鎌を出せなくなることはあるのじゃが」
「一応、骨マスクに触れて確認した時に、鎌の存在そのものは確認したの。でも随分と形が曖昧だったから、ひょっとするとまだ『在り方』が決まってないのかもしれないわ」
「フム……なら、1度流し込んでみるのアリかもしれぬ。やってみてくれんか、大鎌の娘っ子よ」
難しい話をしている中、茜が露骨に嫌そうな顔をした。
流し込む? 何を?
「冗談。例え下級の魂って言ってもアタシの力よ。そんな無駄なことに使う気はないわ」
「ホッホッ、ならこちらの力を流し込むとしよう。さて、何にしたものか……そうじゃなぁ『透視』の魂にでもしようかの?」
「……気が変わったわ。新人の教育は大事だものね。オババはあっち行ってて」
オババが視線を動かした時、茜とヤナギに舐められるような不快感が襲った。
正直、本気で気持ち悪いからやめてほしい。
「……あー、よくわかんねぇけど、今から何をするんだ?」
「そうねぇ……それを説明する前に、死神の鎌についてもう少し説明しなきゃいけないんだけど」
そう言うと茜はまた、黒い空間から鎌を取り出した。
何度みても禍々しいその形に、ヤナギは震える。
「……もう、別に殺したりしないわよ。ほら、見なさい」
鎌が赤く光ったと思うと、そこから赤い血のような雫が垂れた。
それは茜の手に落ちると、液体が落ちたような音とともに赤い球体に姿を変えた。
もやもやと赤く光るそれは中心が白く、掌の上で頼りなく漂っていた。
その球体が一体何なのか、その漂い方からヤナギには思い当たるものが1つあった。
「……もしかして、これリーマンさんの、命か?」
「惜しいところいってるじゃない。まぁ実際は魂なんだけど、細かい話は置いておくわ。今日のパン屋の生き霊ってところは正解」
「流し込むって、これをか?」
「ええ。死神は生き霊の魂を刈って吸収して、その能力を行使するの。同時に鎌としての存在を濃くするのだけど、今回はその効果を利用しようってわけ。幸い、鎌の存在は確認できてるから」
「本当は一時的に鎌を失った者への応急措置なんじゃが、まぁ試してみる価値はあるからの」
茜が掌の上に漂わせた、赤く光る魂。
これからコレを取り込むのかと想像して、ヤナギは一歩退いてしまった。
見た目もそうだが、めちゃくちゃ抵抗がある。
「……あのね、人が手伝ってあげようって時に失礼と思わないの?」
「いやけどコレ、魂なんだろ? なんかヤバい事起きたりしねぇの?」
「起こそうとしてんのよ。ほら、動かない」
「しかし、新人の坊が感じているそれは、ある意味正しい反応ではあるのぉ。ワシらに抵抗が無くなっただけじゃな」
「……関係ないわ」
ヤナギの胴体に触れる程に赤い球体が近づく。
頼りなさげな揺らめきと光は、しばらく見つめていると目に跡を残しそうだ。
「……一応、注意しておくわね。もし何か『視えたら』、それはアンタとは関わりないものよ」
「視える……って、何が」
「できれば目を瞑って、それがダメなら焦点を合わせないで。聞こえるものは全部、ただの音だと思って聞き流して」
「おい、だから……」
「始めるわよ」
その一言で、赤い魂はヤナギの胸元に押し込まれた。
ヤナギの言葉や、覚悟を決める時間など完全に無視して、一息に流し込まれた。
同時に胸の中が熱く、苦しくなる。
「なん、なんだよコレ……っ!?」
動悸がおかしい。
まるで自分の体が、自分のものではなくなるような。
他人に体を乗っ取られるような、そんな感覚。
『……約束をしたから』
響く音、それが自分の内から発せられるものだと気付いて。
『……だから私は、今日もあの場所に』
意識が近づく。混ざり合う。
そうだ、大切な事を忘れていた。
俺は。私は。
『俺は、あの場所に……』
そこでヤナギの意識は、暗い闇に落ちていった。