待ち人、現れず
今日は珍しくお客さんが来た。
すごく変わったお客さんだった。
黒いローブに骨みたいな仮面を着けながら、パンを吟味する姿はなんというか、変だった。
彼はトレイに乗せたパンを丁度6つになったところで、レジまで来た。
『あの……なにか?』
骨の仮面が首を傾げる。
いけない、ちょっとだけ別のことを考えてた。
「……あ、いいえ。 お買い上げありがとうございます!」
接客用の笑顔で会計を済ませた。
といっても、上手く笑えていたかちょっと怪しいかも。
「また、よろしくお願いしますね!」
店口まで見送りをした。
何かコスプレのイベントでもあるのかな。
もう一度見ておこうとして、外を覗くと誰も居なかった。
「んー?」
「……あれ、どうしたの香織。 店の前で、ひょっとして私のお出迎え?」
少しして隣から話しかけられた。
凛とした声は、随分と聞きなれた友人のもの。
彼女は高嶺 佐紀。
高校の時一緒だった友達で、私は佐紀ちゃんって呼んでる。
お互いに下の名前で呼ぶくらいには仲がいいと思う。
「あ、いえ。さっきたくさんパンを買っていった人が居て」
「ちょっと、仮にも接客業やってるんだから、そこは嘘でも頷いておかなきゃ」
そう言いながらにこやかに笑う。半分冗談で言っているのがわかるので、特に気にしない。
けど、彼女の笑顔は同姓の私から見ても、綺麗だと思う。
ちょっとだけ羨ましい。
「にしても、ほんと珍しいね。ここのパン買っていく人なんて」
「……言うことがド直球過ぎない? あと、それを言うなら、佐紀ちゃんも買ってってくれるじゃない」
「私はほら、友達の助けになればっていうのと……病院にお見舞いあるから、ね」
ちょっとだけ返答に困ったように佐紀ちゃんは話す。
踏み込んだ話だけど、こんなことでもお互い様だと思う。
「この店のパンってさ、香織の両親が離婚してから、その、すごく微妙になったじゃない? だから、アイツの口に放り込んだら『不味い!?』って目が覚めたりしないかなぁ……って。ハハハ」
彼女はこの話になると、冗談めかして空笑いするクセがある。
明るく振る舞おうとして失敗しているのがわかるから、見ているこっちも辛い。
「……ほんとに、そうだったら良いのにね。だったら、この店のパンならいくらでもあげるよ」
「……あーもう、やめやめ! 暗い話は無し!」
場の空気を入れ替えるために、手をパンパンと叩く。
それで気持ちを整頓できるんだから、佐紀ちゃんは凄い。
「ところでさ、あの人! 最近どうなの?」
「えーっと、あの人っていうと……」
「ほら、同じ組み合わせでパンを買っていく例の人!」
佐紀ちゃんに言われた言葉にドキッとする。
ついさっき、声をかけられるまで考えていたことだったから。
「それは、えっと……最近来てないというか……」
「えー、絶対ウソ! だってそのパン減ってるし!」
興味津々な佐紀ちゃんから瞳から、目をそらす。
どう言い訳しても、このモードの佐紀ちゃんには通用しないから困る。
「クリームパン、メロンパン、あんパン、チョココロネ、クロワッサン、アップルパイ。6つ全部で丁度1000円。それで、現状減っているパンは……っと。やっぱり来てるでしょ」
指を指しながら1つ1つ確認されたけど、本当にそのまま買っていった人がいたから、言い訳がすごくやりにくい。
というか、今思い返すと不安になってきた。
さっきの変な人は、本当にあの人と関係ない人だったのかな。
「だから、それは……」
ガチャリと、ドアが開いた。
なんとか、佐紀ちゃんに違うと伝えようと思った矢先のこと。
さっきの変な人だった。
「い、いらっしゃい、ませ」
妙に意識してしまって、声が震える。
さっきまで私を相手に張り切っていた佐紀ちゃんが、近くまできて小声で話してきた。
「……珍しいね、お客さん」
「……え、えっと、さっき来てくれたお客さん」
間違いないはず。黒い服で髪まで覆って、顔はマスクで隠してる。
もしかしたらあの人かもって注意深く見てみたけど、やっぱりあの人とは違う。
もう少しこう、背が曲がってて、疲れたみたいな空気を漂わせた人だった。
この人は背が高いし、そんな雰囲気とは違う気がする。
「……この人が、買っていったの?」
「……うん。わからないけど、いつもの種類、6つ」
クリームパン、メロンパン、あんパン、チョココロネ、クロワッサン、アップルパイ。
そういえば、あの人は甘いパンが好きって言ってたなぁ。
そう思っていると、黒い変な人は何を思ったか、同じパンをトレイに乗せて持ってきた。
『お願いします』
「……あ、はい! 6点でちょうど千円に……」
そこで気付いてしまった。
彼が、何度も見た。見慣れた財布を使っていることに。
「あ、あの!」
『……はい?』
「その、すいません。その財布は……」
『あっ、あぁコレですか。ええと……その』
彼は少し言い淀みながら、しばらくして困ったように話してくれた。
どうも、知り合いからの借り物らしく、買い物を頼まれたみたい。
きっとあの人だ。私はそう確信した。
だったら私は、この人に聞きたいことが、たくさんある。
「今、その人はどうしていますか。元気ですか」
『ええと……』
マスク越しにでも困った表情がわかる。
ほんとうはお客さんにこんなことしたらいけないけど、それでも聞きたい。
あの人に、会いたい。
『……リーマンさ…じゃなくて。彼は、ここのパンを食べたいと言っていました。でも、ここに立ち寄れないとも』
「じゃ、じゃあ。あなたが今こうして同じパンを買った理由は?」
『そ、それは……彼がすごく食べたいというパンが気になって……というか、えっと』
煮え切らない言葉で、ハッキリしない。
やがて変な人は『じゃ、じゃあ!』と言って、お金を置いて出ていってしまった。
「……ぁ」
そうなってから、律儀にパンを包んでいた自分がいやになった。せっかく話を聞けるチャンスだったのに。
「……ダメだ。私」
なんでこう、いつもこんな感じなんだろ。
1番大事なところで、なんにもできない。
きっと、佐紀ちゃんも呆れてる。
そう思って振りかえったけど、予想とは違った。
「どうしたの、佐紀ちゃん?」
「……え、いや。なんでもないなんでもない、ハハハ」
なんでだろう。様子がおかしいというか、どうにも別のことを考えてるみたいだった。
するとすぐ「切り替え!ハイっ!」といって手をパンパンと叩き、いつもの佐紀ちゃんに戻った。
「それよりも、香織。今のはダメだよ! せっかく大切な人のことを知れる機会なのに、それを逃しちゃ!」
「……うん」
「私だって、会える機会があるなら……会いたいよ」
私はそう言われてハッとしてしまった。
佐紀ちゃんは大切な人と言葉を交わすこともできないんだから、私よりももっと辛い。
ここで待ってたら……駄目だよね。佐紀ちゃん。
「ちょっとだけ、行ってくるね」
「……外で探すの、手伝おうか?」
「ううん。他のお客さん来たらだし、お店の方お願い!」
そう言って私は外へそのままの姿で飛び出した。
あの人は、私が初めて接客した……というよりは、できた人だった。
学校を卒業して、両親のお店を手伝うと決まっていた私が最初にしたお仕事が、接客。
当時、あまり人と接することができなかった私は、その特訓も兼ねて店のレジと清掃の仕事をしていた。
それでも人の目をみることができなくて、よくクレームで両親から怒られていた。
その時出会ったのが、彼だった。
いつもの通り、目をあわすことなく会計をしていた私だったけど、その人は違った。
彼は自分の膝を折り、伏し目がちな私と同じ目線にあわせたきたのだ。
私は驚いて、その場から立ち退いたし「あっ!」っと失礼な声も出した。
でも彼は、ちょっと笑ってまた視線をあわせてきて、こう言った。
『目をあわせるとね、その人がどんな人かわかるんだよ』
その一言は、私の人生観を一瞬で塗り替えてしまった。
何をそんな綺麗事。そう思おうとしてすぐ違うのだとわかった。
彼が向けていた目は、心から優しさに溢れているのだと気付いたから。
その言葉がきっかけで私は変わった。
伏し目がちな癖をやめて、長かった髪を切った。
そうすると、本当に世界が変わって見えた。
普段買い物に来てくれる常連さんから、新規のお客さんまで、どんな性格なのか、わかるようになった。
私は、人が「視れる」ようになった。
それが堪らなく嬉しかった。
『楽しそうだね。仕事』
たびたびパンを買いに来てくれる彼からそう言われて、自信を持って頷いた。
決まって、甘いパンを買ってくれる名前の知らないあの人。
両親が離婚してからパンが美味しくなくなって、他のお客さんが居なくなっても、彼はだけは何度も買いに来てくれた。
流されるように店を続けているのも、いつかあの人ともう一度会えると思ったから。
自覚だってしてる。私はあの人を大切な人だと思う。
だからもう一度、会いたい。
「……どう、だった?」
帰宅した私に、佐紀ちゃんは遠慮がちに聞いてきた。
私の今の様子から察して、優しい声をかけてくれたんだと思う。
わかってるよ。佐紀ちゃんの向けてくれるその目、優しいから。
「見つから、無かった……けど」
外から大事に持ってきたものを、そっと佐紀ちゃんに見せる。
それが何かわかった佐紀ちゃんは、難しい表情を見せた。
「……これね、落ちてたの。あのパンと一緒にね」
まるでそれは、何か捧げるかのように、食べかけのパン2つ、手のつけていなかったパン4つと一緒に店先に置いてあった。
正直、何がなんだかわからない。
何を暗示してるのか、それもわからないし、できれば考えたくもなかった。
ただ、1つ。
思ったことがある。
「佐紀ちゃん……」
「……なに?」
「美味しいパンが、作りたいの」
わからないけど。
ただ、あの食べかけの光景を見せられて。
立ち止まっている自分が、許せなくなった。
「ちょっとだけ、頑張ろう……かなって」
この財布を見つけた時。
彼の持ち物で行われた事が、酷く今の自分に突き刺さった。
変われたと思っていた自分が、その状態で止まっていたのだと。
あの人からそう言われた、なんて話ではなくて。
それはとても、単純な話。
満足に人を喜ばせられるパンを作れない自分なんて、あの人には見せられないと。
そう気付いた時、とても悔しかった。
「家を、出ようと思う」
変わろうと、決意した。
佐紀ちゃんには、その覚悟を伝えておこうと思った。
「……そう」
彼女は深く頷いて、そのまま手をとってくれた。
「……泣く?」
「……っ、うん」
わからないのに嗚咽が、涙が、止まらない。
どうして、だろうか。
もうあの人には2度と会えない。
そんな気がした。