極光と転移
西暦201X+4年7月25日 0900
「初夏の日本各地で謎のオーロラが!天変地異の前触れか?!」
そのようなニュースが、この国を騒がせてから一か月が過ぎようとしていた。オーロラは未だに消えず、むしろ日本全土を覆うように広がっていき、いつの間にか、そこで暮らすものにとって日常となっていた。
「…首相官邸では記者会見が行われ、官邸の発表によると、複数の衛星からの情報で、日本の領域のほぼすべてがオーロラ覆われたことが確認されました。官房長官は専門家の意見をとりいれ対策を取りつつ、慎重に今後の経緯を見守るとの方針を示しました」
タクシーの車内のラジオから抑制された声が流れる。いつもと変りない様子で、アナウンサーがニュースを読み上げ終わると、ラジオ番組が切り替わり、ラジオからは音楽が流れ始めた。
一部の人間たちは、この異常気象をこの国の終わりと思い、国外に去っていった。しかし、去る者がいれば、来る者もいた。このオーロラが目当ての観光客だ。円安によって訪日外国人が訪れやすい環境が整えられた状態に、オーロラが発生したおかげで、ここ数週間の訪日外国人の数は通常の倍近くに膨れ上がっていた。
このタクシーの乗客は日本の近隣諸国から来た外国人の男女二人組であった。
「ねぇ、空港に到着した時よりオーロラが近くなってない?」
「そんなことあるかよ、オーロラは高度100キロ以上で発生するものだろ」
空港に降り立った当初はオーロラを珍しがって興奮していた女だったが、少し興奮が覚めるとオーロラに不気味さを感じたようで、男に不安をもらした。男はネットで調べた知識でその不安を否定する。
「でも、やっぱり近くなってきてるよ」
「慣れない空の旅で疲れてんだよ、そんなことあるわけ…」
空を窓越しに見上げた男は、サングラスを外してもう一度、空を凝視した。オーロラが徐々に地上に迫ってきていた。
「ただいま入ってきた速報です。先月から観測されていたオーロラが地上に接近しているとの情報が入りました」
ラジオから緊迫した声が流れる。
「報道スタジオの窓からも見えます。オーロラが徐々に近づいてきています!」
その緊迫した声は人々に空を見上げさせた。そして、車内に不安を呼んだ。たとえ言葉は通じなくても不安は通じたようだ。
オーロラは地表に近づくにつれ、徐々に接近する速度を上げた。その様子は日本を飲み込もうとしているかのようだった
このとき、日本の領域付近を航行していた外国船の乗組員たちは、後に語った。
「ありゃ、凄かったよ。空にあったオーロラが突然落ちてきたんだ。船長がとっさの判断でオーロラから逃げるように指示を出してくれてなかったら…今でもぞっとするよ」
結果として日本はオーロラに飲み込まれた。そしてオーロラが消えたあとには、日本などなかったかのように海が広がっていた。
新中央世界暦913年7月25日
ここは魔族を討つために世界各国が結集した対魔族連合の極東方面軍中央指令部。その司令部は、軍隊の司令部を置くには少し違和感を抱く宮殿のような外観をした建物の内部のホールに置かれていた。もとはいえば、この建物はある帝国の宮殿であった。
魔族の傍流にあたる少数民族出身の皇帝を持つ極東のツァーカ帝国。ツァーカ帝国は16年前に起きた革命、そして今なお続く、その後の混乱によって王家の血が途絶え滅亡した。そして主を失った宮殿はその後、革命を支援していた連合軍の司令部という新たな主を迎えた。
宮殿の新たな主である司令部は騒々しさに包まれていた。それは数分前に一本の連絡が入ったからだ。
「緊急事態です。例の大規模魔法陣が作動。その後。消失しました」
以前から懸念されていた事態の発生に、多くの軍人たちが忙しなく大部屋の中を動き回っていた。それには理由がある。極東海で観測していた魔族側の超大規模魔法陣が作動、消失したからだ。
その魔法陣は、極東海の海面をキャンバス代わりにして、油のようなもので書かれていた。発見当初は魔族の魔法陣を破壊せよとの声が上がり、それは実行に移された。しかし魔法陣のあまりの巨大さと、魔法陣が持つ自己修復能力が邪魔をして魔法陣を破壊することが、連合軍には出来なかった。
そして連合軍は魔族の超大規模魔法陣を確認してから数か月にわたって、魔法陣の作動は確認していなかった。
「現在、魔法陣のあった付近を航行中の艦艇が周辺海域の偵察の許可を申請しています」
情報管理官が報告をした。
その報告に何人かの幹部がざわめき出した。
しかし司令部内を見渡す位置にある椅子に座った初老の男が、それを制止するように言葉を発した。
「…偵察を許可する」
「了解、艦艇に報告します」
司令部は落ち着きを取り戻そうとしていたが、落ち着きを取り戻すことはなかった。
「司令、共和国政府から緊急の連絡が」
ツァーカの後継国家である極東民主連邦共和国の政府から緊急連絡がきたようだ。初老の男はそれを通すように促す。
司令と呼ばれた初老の男のデスクにあった水晶の埋め込まれた物体から素っ頓狂な声がした。
「しっ、司令官殿!帝国の!ツァーカ帝国の王統波紋が極東海方面から検出されましたぞ。王族はみな死んだはずでは!?」
王統波紋、それはツァーカの臣民たちに皇帝の存在と威光を示すためのシステム。ツァーカの王族が滅んだあとにはその波動が検出されなくなっていたが、今になって突如検出されたようだ。
それはツァーカの王統が途絶えていないことの証。そして未だ広範囲で活動する帝国の残党にとっての希望であった。連合や共和国政府からすれば悪夢であったが。
結果として司令部は今度こそ混乱に陥った。