推理小説作家愛好家クラブ
「初めてのオフ会という事ですが、とにかくまずは、皆さんとの出会いを祝しまして、乾杯いたしましょう」
音頭をとるのは、ハンドルネーム“デコ助野郎”さんだ。某アニメのキャラから名付けたというその名前の通り、後退した頭部が眩しい中年男性である。彼が一番の年長者であり、このオフ会の幹事でもあるのだ。
乾杯――!
彼の声で、私たちは互いのグラスを重ねて、小気味の良い音を奏でた。
「いやあ、それにしても、皆さん意外と若いんですな」
“デコ助野郎”がそう言って、私たちを見回した。確かに私を含めた彼以外の参加者は、彼より一回り程若いように思う。
「それなのに、赤筋行彦先生の作品が好きだなんてねえ。私がみなさんくらいの年には、本なんてまともに読んでもなかったと思うなあ」
「赤筋先生の作品は、若い人にも受けがいいですよ。本格推理モノだけじゃなく、とっつきやすいホラーな作品も書いていて、深夜帯だけどアニメ化もされていますし」
私がそう言うと、隣に座っていた“島田清”が語り出した。
「そうした作品も評価が高いけど、やっぱり赤筋先生と言ったら屋敷シリーズでしょう。ロジックがしっかりしていていいですよね。それに必ず意外性のあるトリックを盛り込んでくるところとか」
彼は赤筋行彦の代名詞とも呼ばれる、屋敷シリーズに出てくる探偵役の名前をハンドルネームにしている。見たところ二十代後半ぐらいの年と言ったところか。
「そうそう、特に初期の、『渦巻屋敷の殺人』は本当に傑作でしたよね。まさか、あの部屋とあの部屋が繋がっていたなんてさ。屋敷の形状を利用したいいトリックだった」
“島田清”に同調するように、私の対面に位置する“Ms.Terry”が言った。彼のハンドルネームは、言わずもがな、ミステリーをもじったものである。
「あれは最初に読んだときは、帯の文句の通り、愕然としたよ。こんなトリックがあるなんて、ってね」
「最近ので言うと、『時空屋敷の殺人』もそうですね。正直、あのトリックは全くの盲点だった」
私以外のもう一人の女性、“マドギワ課長”が、頷く。
「あーあー、そうそう、そうなんだよね。確か、執事が犯人だった奴よね。あのトリックも凄かったなあ。でも読んでるときに気付いちゃったんだよねえ」
今風の女子大生のような身なりだが、ハンドルネームを敢えて男をイメージさせるような名前にしたり、あの『時空屋敷』のトリックに気付くということは、結構切れ者のようだ。
酒も入って、話はさらに盛り上がる。屋敷シリーズの初期から時の流れに沿って、一作一作が話題に上った。屋敷シリーズは大胆なトリックや特徴的なキャラのおかげで、どの話も印象に残っているから、話には事欠かない。そして細かな演出や序盤から張り巡らされた巧妙な伏線の凄さに、改めて舌を巻いた。
その時、ふっと思い出したように、グラスを傾けながら“デコ助野郎”が呟いた。
「そう言えば、あれも傑作でしたよね。『幽霊屋敷の殺人』」
――ん? なんだその話は。私は聞いたことがない。
私は眉をピクリと動かした。
「え、そんな話ありましたっけ?」
「あるよ。ついこの間出版された、新作だよ。あれ、もしかして、知らないの?」
煽るような口調で喋る“デコ助野郎”。この場にいる誰よりも赤筋先生については詳しいと言う事を自負している私にとって、これは不愉快極まりないことだった。おまけに彼曰く、『幽霊屋敷』は新作らしい。
私が赤筋先生の新作を知らないなんて、あっていいはずがない。
それでついつい、その場しのぎに、
「あ、ああ! あれね。あれは面白かったなあ。うん」
と誤魔化した。
すると、“デコ助野郎”はさらに、“島田”に話を振る。
「確か、舞台が信州の旧家で、先代の幽霊が出るって噂になってた屋敷でしたよね?」
“島田”は、いつになく目をキョロキョロ泳がせた。
「えっ、あ、ああ、そうそう。そこにまあいつもの如く島田清の親戚がいて、その幽霊問題を解決してほしいっていう流れで、彼がやってくる……んでしたっけ? ねえ、“Terry”さん?」
彼はさらに“Ms.Terry”にパスする。
「あ、ああ、思い出した思い出した。そんな話だったなあ。それで幽霊の呪いに見立てて次々と不可解な死を遂げていくんでしたっけねえ。そうでしたよね、“マドギワ”さん?」
“マドギワ”も彼の話を受けて、大きく頷いている。
「そうそう。た、確かそうよね。殺人のメインのトリックは密室ですよね。現場は離れで、えーと、雪が降っているのに、中で屋敷の主人が死んでいて、足跡はその被害者の物だけっていう」
記憶の糸を辿るように、宙を見つめて、たどたどしい調子だが、彼女は確かに『幽霊屋敷』について語っている。
な、こ、これは一体どういう事だ? 私の知らない話を、みんなは知っているというのか? 彼らの話を聞いても、全くぴんと来ない。私には『幽霊屋敷の殺人』を読んだ記憶がないのだ。そもそも、書店で目にした記憶もない。
「は、犯人は、誰でしたっけ、ねえ、“赤ファン”さん?」
と彼女は私に会話のパスを回す。
私のハンドルネームは、シンプルに“赤”筋先生の“ファン”が由来なのだが、そんな事はミジンコの如くどうでもいい。
今の私にとっては、そのパスはまさしく心臓を貫く銃弾。
読んだこともない私が、犯人など知る由もない。
しかしこれは大問題だ。さっき読んだといってしまった以上、全ての作品を細かく覚えているなどと公言してしまっている私は、その犯人を言い当てねばならない。そうでなければ、もう私は赤筋先生のファンとは、口が裂けても言えなくなる。
もうこうなったら、やるしかない。
私が皆からそれとなく現場の状況を聞き出して、この場で犯人を推理して見せるのだ。
これまでたくさんの推理小説を読んできた。ある程度のパターンは知っている。
しかし、読みながらやってみた推理が当たったことなど数えるばかりだ。とてもじゃないが、この一発勝負を成功させる自信などない。
だが――、
「その前に、現場の周りには雪が降ってて、離れには被害者以外誰もいなかったんですよね? “デコ助”さん」
――やる以外に道はない。
「え、あ、ああ、そうだよ。背中を包丁で一突き。現場にはダイイングメッセージがあって、ムスメと遺されていたから、容疑者は被害者の双子の娘ってことになったんだよね?」
“デコ助野郎”の話を受けて、“島田”は強く頷く。
「そ、そうそうそうそう。それなのに双子のどちらにも完璧なアリバイがあって……」
“マドギワ”も同調するように、詳細を語り出す。
「でも、島田はそのどちらかが犯人であるとして、捜査を始めるんですよね?」
「二人とも動機は十分にあったけど、肝心のアリバイは崩せないんだよね」
首を捻る“Ms.Terry”。
私はさらに誰にともなく訊いてみた。
「その、離れについては他に情報がありましたよね?」
すると“マドギワ”が答えた。
「あ、ああ、そうそう。そういえば、離れを建てたのは、例の先代でしたよね?」
彼女を指さして、“デコ助野郎”もさらに細かく状況を説明する。
「そ、そうそう! 先代は娘婿の被害者を疎ましく思っていた。しかし結局彼は病に倒れ、そのまま帰らぬ人。彼の思いも叶わず、今の主人が屋敷を継ぐことになったんでしたね」
以上の話を合わせると、結論は一つだ。意外性を重んじる赤筋先生なら、きっとこうするだろう。
こうなったら、もう一か八かだ。
ええい、ままよ。
「ああ、思い出しました! 島田はこう推理したんです。双子のアリバイはどこまで突き詰めても完璧。覆しようがない。となれば、犯人は双子ではない。そして、現場の状況から、自殺したというわけでもない。そこで、離れを建てた先代です。彼もまた被害者を疎んでいた。実は彼は財産の一部をそこに隠していた。被害者はそれを見つけ、先代の仕掛けた罠にかかり、死んだという事です。つまり犯人は、まさに幽霊屋敷にふさわしく、「先代の亡霊」という事ですよ、ってね」
――どうだ!? 合っているのか?
無言。完全な無言だ。
一瞬、世界から完全に隔離されてしまったような錯覚を覚えるほどだった。
その間わずかに十秒ほどだ。しかし、私には十分にも二十分にも感じた。
なんだその眼は。無言でぽかんと見るのはやめてくれ。合っているのか。いないのか。早く言ってくれ。
「お、おお、そうだったそうだった。凄いトリックだよなあ。いやあ、これもまた初見では驚いたものだよ」
「そうでしたそうでした。読者には双子の内のどちらかが犯人であるようにミスリードさせておいて、そのどちらでもないという裏をかいたパターンでしたね」
「そのミスリードもなかなか凝っていて……」
何事もなかったかのように、他の四人は私の知らない『幽霊屋敷の殺人』について、語り始めた。
よ、よかった。どうやら、私の推理はピタリと的中していたようだ。
肩の荷が一気に下りて、今度は一気に疲労が押し寄せてきた。普段使わない脳味噌をフル回転させたせいか、頭がいつもの倍以上の重さに感じる。
「待って」
その“マドギワ”の声にビクッと反応した。まるで、嘘をついた子供を叱責する親のような口調。
私は思わず身構えた。
「でもそれじゃあ、ダイイングメッセージでムスメって遺されていた説明がつかないわ。……その説明もあったはずですけど、どうでしたっけ?」
す、鋭い。そう言われると、どうしたものか。
「そ、そうだ。そこはどうなってたんだっけ? “赤ファン”さん」
“デコ助野郎”も彼女の側に立って、私に尋ねる。
どうしてわざわざ名指しで私に訊くのか。そんなこと私に訊かれても困る。赤筋先生に訊いてくれ。もう勘弁してくれ。
「それは……そうね……。確か……えっと……」
曖昧な間投詞を繰り返しながら口籠るしかない。
もっとよく考えて! きっと何かあるはずよ!
しかし人間、追い込まれるとどうにかしようとするもので、その時、一つのアイディアが、フル回転してオーバーヒート寸前の頭の中を過ぎった。
「そう! 第一発見者がハスノさんだったのよ! 名前が現場に残っていたから、咄嗟にカタカナに棒を付け加えて、ムスメにしたのよ!」
ああ……。
やってしまった……。
一体誰よ、ハスノって。その人が第一発見者なのかどうかもわからないし、そもそもそんな人が登場しているのかもわからない。もしそうじゃなかったら、もう、お終いだ……。
私のバカ。
だが――、
「それだそれだ。いやいや、流石“赤ファン”さんだ。よく知ってらっしゃる」
と手を叩いて称賛する“デコ助野郎”。
これで合ってたのか!? ハスノなんて人物がいたのか!? どうやら、私の推理力もまだまだ捨てたものじゃない。
しかし、また“マドギワ”が、
「でも、そのハスノって文字が遺されていた理由は何でしたっけ? その人が殺したわけでもないのに、現場にそんな文字があるなんて変じゃないですか? 確かそれについてもちゃんとした説明があったはずなんですけど」
と尋ねる。不敵な笑みを浮かべる彼女。
これくらい答えられないの?
そう訊かれているような気がした。
「そ、そうだ。それじゃおかしいじゃないか」
と“島田”。
「そ、それは……ですね……ええ……っとですね……」
また口籠り、脳味噌をブンブン回す。
ほら、しっかりして、何かあるはずよ。今までの状況から、それっぽい解答を出すことが、きっとできるはず!
ふっと、思いついたことが口に出た。
「そうよ、隠し財産……」
「え?」
「隠し財産の場所よ! それが庭にある蓮の鉢の辺りにあって、それを示そうとしたのよ」
すると“デコ助野郎”がポンと手を打った。
「ああ〜、そうだったのかあ」
「え?」
そうだったのかあ、とは、一体どういう事か? 彼は『幽霊屋敷の殺人』を読んだことがあるんじゃないのか?
「あ、いや、そうだったんですねえ。思い出しました思い出しました。ははは」
彼は誤魔化すようにして笑った。
言われてみてみると、彼以外の三人も、誤魔化しているような曖昧な言い方である。
何だかみんな妙な感じだ。
しかしながら、狐につままれたような私を尻目に、遂に話題は別の作品に変わり、ようやく私は四肢を伸ばして力を抜くことができた。
こんなに頭を使ったのはいつぶりだろう。
そこから先は、殆ど心ここにあらずで、話を真剣に聞く余裕もなかった。
予約した時間もそろそろ終わりを迎えようとしていたところで、“デコ助野郎”が立ち上がってレシートを手に取った。
「じゃあ、今日は私のおごりってことで。楽しかったよ。どうもありがとう」
「ええ、いいんですか!?」
「悪いですよ。割り勘でもいいですよ」
と、提案したのだが、彼は微笑を浮かべて、
「お金ならあるからさ。気にしないで気にしないで。それじゃあまた今度」
そう言って、“デコ助野郎”はレジへ向かった。
正直、初対面の人に奢ってもらうというのは、どうにも気が咎める。しかし、彼自身がその気なのだから、無理を言って割り勘にするわけにもいくまい。
ここはありがたく奢ってもらおう。
あの修羅場を何とか乗り越えた私は、はっきり言ってそれどころではなく、未だに頭が『幽霊屋敷』で持ち切りの状態であった。
「そういえばさ、『幽霊屋敷の殺人』ってやつ、みんな読んだことあるの? ぶっちゃけて言うと、俺知らないんだけど」
店の外に出ようとしたとき、唐突に“島田”が言い出した。
これ幸いとばかりに、他の二人も彼に倣って、心中を吐露し始める。
「うっそ、マジ? 実は、あたしもなんだけど」
「え? いや、俺も俺も」
ど、どういうことだ一体。
私だけが知らないと思っていたあの話は、みんな知らなかったっていうのか? あんなに詳しく色々と言っていたのに?
「その場の流れで知ったかぶりに喋ってただけなんだよね、あれ」
「でも、犯人知ってる“赤ファン”さんは、読んだことあるんですよね?」
「そりゃそうでしょう。“赤ファン”さんは、赤筋先生の作品なら完全に網羅してるんですもんね?」
「それで、どうなんですか。『幽霊屋敷』は? 面白いんですか?」
「私も気になるなあ。是非、教えてくれませんか?」
彼らの顔が、私に向けられる。
まさか、犯人を知っているというのに、作品を知らなかったなどとは、口が裂けても言えまい。
「いや……実は、その……」
ああ、一体どう言ったらいいのか。
修羅場は、またまた私の前にやってきたのであった。
*
「いやあ、今日は実に大収穫だったなあ」
全員分の会計を済ませた私は、あの四人に追及されないうちに急いで家に戻って、パソコンを開いた。
スマホを開いて、飲み会の間中、ばれない様にとずっと机の下でメモしていた覚え書きを頼りに、赤筋行彦の最新作『幽霊屋敷の殺人』を書き始める。
と言っても、舞台も登場人物も事件現場も動機もトリックも、全部わかっているのだから、こんなに楽な仕事はない。
それにしても便利な世の中になったものだ。
赤筋行彦の愛好家たちなど、SNSでいくらでも見つけられる。オフ会を企画してやれば、作品について競って語り合うことになる。そこで適当に思いついたタイトルを言ってやれば、知らなくても彼らなら、ここぞと自分が愛好家であることを示そうとして、知ったかぶりを決め込むにきまっている。彼らが勝手にトリックだのなんだの、考えてくれるのだ。
奢るくらいのことはやってあげなければ悪いだろう。
彼らには悪いが、赤筋行彦なんてのは、もうずいぶん前から存在しない。事故で死んだのだ。
しかし、出版社は彼が死んだことを公表したくはなかった。
当然だ。
赤筋行彦は、出せば売れる作家だった。彼がいなくなれば、会社にとっては大きな損失になる。
そこで社は苦渋の決断を下した。
彼を生きていることにしてしまおう、と。
ゴーストを立てて、彼がまだ生きているように見せかければいい。そこで白羽の矢が立ったのが、私だったのだ。確かに社の中では、私は彼の作品を良く知っている。文体の特徴やキャラの描き方など、真似することは容易かった。
だが、トリックや意外な犯人となると話は別だ。
私にはそれを生み出す才能がなかった。そこで、このやり方だ。彼が残してくれた多くのファンのお陰で、実にうまくいっている。
締め切りも迫っていたので、一晩で書き上げたその原稿を急いで出版社に送りつけた。
OKは即座に貰えた。そのうち『幽霊屋敷の殺人』は、誰にも気付かれない間に、全国の書店にこっそり並ぶことになるだろう。
私は布団の中でとにかく、ようやく久しぶりの安眠に就くことができる喜びに浸っていたのであった。