08 失血死
0507ルームを退室してから数時間後。そういえば最近、初野ミクのゲームをやってないなあと思い、しまい込んでいたゲームを引っ張り出してみた。『初野ミク~projectGIVA~』は単純な音ゲーで、ゲームが苦手な私にも簡単に操作できる代物だった。リズムにあわせてボタンを押すだけである。すべてのボタンを間違わず、リズム通りに押せたらパーフェクトクリア。
ところがいざ久しぶりにやってみたら、あり得ないくらい下手くそになっていた。譜面としては簡単な『リカ姉パーティナイト』でパーフェクトをとれないなんて、どうかしている。私はむきになって、ボタンを連打しまくった。
「君と二人で今宵もダンシン! 秘密の素敵なダンシンナーイト!」
……二十六歳の干物女が歌いながらプレイしていたので、傍から見たらかなり不気味だったと思う。もちろん実家の自室で、一人ぼっちで歌っていたわけだが。
『リカ姉パーティナイト』をパーフェクトクリアしたあとは、違う曲をあれこれプレイした。『孤独少女』やら『クロロンホルム』やら『リバースラバーズ』やら。久しぶりにやってみたら、どれも楽しかった。そういえば一時期、このゲームにはまってたんだっけ。
「なんともいえない夢を見たー、そしたらエロに目覚めちゃってー、知らん男と会っちゃえばー、行くさき当然ホテル街ー」
……二十六歳の干物女が歌いながらプレイしていたので、傍から見たら以下略。
そうして。気づいたら二時間以上も初野ミクをプレイしてしまっていて、私はイザナミとの約束に遅れてしまった。我ながら阿呆だと思った。
イザナミのサイトの本館に入室してみると、そこにはもうイザナミがいた。それはそうだ。私は遅刻したのだから。
文面でしかわからないけれど、イザナミは怒っていないようだった。
『珍しく遅かったわね。十三分遅刻』
『ごめんなさい』
『いいわよ別に。どうしたの、何かやってたの?』
『ゲームに熱中してしまいまして……』
『へー。あなたゲームとかやるんだ。なんのゲーム?』
……二十六の女が初野ミクとかなんか恥ずかしい気がする。しかし、嘘をついてもボロが出そうだ。
『初野ミクのGIVAっていうゲーム。音ゲーなんですけど、知ってます?』
『知ってるわよ。0507ルームでは初野ミクの話ばっかりしてるから、私』
言われてみればそうでした。最初に会ったあの日、イザナミは初野ミクの話をしていた。
そういえばイザナミって何歳なんだろうか。聞いたことない。でもきっと、聞いても教えてくれないだろう。性別すら不詳だし。……女性だと思うけど。
それからしばらく、初野ミクのゲームの話をした。あの楽曲は難しいとか、どのタイミングでボタンを叩いたらやりやすいとか。イザナミは私よりもあのゲームをやりこんでいるらしく、参考になる話が多かった。結局、ゲームの話で四十分ほど盛り上がってしまった。主に私が。
しかしやがて、思い出したようにイザナミは言った。
『ま、初野ミクの話はまた今度にしましょうか。今日はどんな死に方がいいの?』
日本語が若干おかしくないですか。
『えっと、今日は特に決めてなくて』
『そう。じゃあ今日は自殺プランナーとして、あんまりおすすめしない方法を紹介しておきましょうか?』
『そんなのもあるんですね』
『自殺を止める訳じゃないけど、おすすめじゃない方法ってのはやっぱりあるわね』
『たとえば?』
『リストカットによる自殺』
私はどきりとした。自分の左腕。無数のミミズが這ったような痕。凹んだ傷もある。たて、よこ、ななめ。数えきれないくらいある、それ。
『あなたもしかして、してるの? 自傷』
見透かしたように、イザナミ。反応に困る。けれど、その空白の時間は、自白したのと同じだった。イザナミから、ぽん、と発言が出る。
『あー、ああ。わかった。別に偏見持ってるつもりはないんだけど。仕事の都合上、そういう人はごまんと見てるから』
『……でも、自殺の方法としてはおすすめできないんですね?』
『あなたの傷がどの程度なのかは知らないけれど、実際にやってるならわかるでしょ? あれで死ぬのはかなり困難よ。完遂率は五パーセント。静脈を切っただけで、動脈を切ったと勘違いする人も多い。実際は動脈を切らないとまず死ねないし、そこまで切るのは難しい。動脈を切ったら一緒に神経を切っちゃうことも多いんだけど、神経切ったら痛いし。縫合なんかになったら外科医からは余計な事言われる可能性も高いし、ほとんどの病院では保険がきかない。まあまずおすすめしないわね。それでも失血死したいのなら、切る前に献血にでも行っておきなさい。ちょっとだけ完遂率があがる。ただしこれも気休めよ』
……分かってる。リストカットではまず死ねないだろう。だって私、十六歳の時からずっと切り続けてるけれど、いまだにこうしてピンピンしているから。
でも、手首がダメなら首はどうだろう。手首よりも死ねそうな気がする。さっそくイザナミに聞いてみたけれど、返事はこうだった。
『あなたさあ、自分の首刺せる?』
――首の場合、切る、ではないらしい。
『手首の場合も切るというより抉るなんだけど、首の場合は、刺して引く感じになる。それできる? できるならやってもらって構わないけど。ああ、部屋が汚れるのが気になる場合もおすすめはできない』
十年間もうだうだとリストカットしていたのに、ここにきてズバッと首を刺せる気がしない。というか、できるならとうにやっている気がする。手首ですら、神経まで切ったことはない。せいぜい、傷が開いて縫合した程度だ。静脈にも届いてなかったと思う。情けない。
……そうだ。切るのがダメならあれはどうなんだろう。
『イザナミさん』
『んー?』
『注射針使って、血を抜くのはどうなんですか。たまにブログとかで、やってる人見るんですけど。あれなら首を刺すより、気分的にも楽なんじゃないですか? 注射針なら、見た目もそこまでグロくならないだろうし。血まみれだろうけど』
『あー、瀉血ねえ』
……漢字が読めない。素直にそう言うと、『しゃけつ』とひらがな表記してくれた。
『結論を先に言うけど、あれ死ねないわよ。途中で出血が止まるから。意識を失うまではいっても、死ぬことはないわね。うまく刺せたとして、噴水みたいに出血したとしても、数百ミリ出したところで止まり始める。意識を失う出血量は個人差があるわね。五百ミリで気を失う人もいれば、もっと出血しても平気な人もいる。あれで死ねたら、見た目もそんなに汚くないし、楽だったでしょうね』
『そうですか……』
我ながら名案だと思ったのに。肩を落としていると、イザナミの発言が続いた。
『死ねないか試したいのなら、針やら駆血帯やら、用意してもいいけど。瀉血も練習しないとできないだろうし』
『針と……おび?』
『くけつたい。ほら、採血するとき、上腕部なんかをゴム紐で縛るでしょ。あれ』
『イザナミさん、針とか用意できるんですか?』
『脱法ドラッグまで用意するのに、針を用意できないはずがないでしょう』
ごもっともですが。
『まあ、18Gから22Gくらいまでしか用意してないけど。めんどくさいし』
『なんですか、そのGって』
『針の太さ。数字が小さいほど太いの』
『へえ』
イザナミと話せば話すほど、自殺の雑学が増えていくような気がする。イザナミは自殺プランナーを名乗っているくらいなのだから、彼女と話していると自殺の知識が増えてしまうのは、当然と言えば当然か。
彼女に言われる前からなんとなく察しはついていたけれど、やっぱりリストカットや頸動脈切断による自殺は難しいらしい。私の自殺リストから、リストカットも外された。こうなってくると、手段が大分限られてきた気がする。
――でも同時に、妙だな、と思った。
自殺について知れば知るほど、自分が選びたい手段が減っていく。自殺を漠然と考えていた時はあれほどあった手段が、イザナミと話すことでどんどんなくなっていく。人生最後なんだから、死に方くらい自分で選びたい。でも、このままだとどうなるのだろう。私は最後に、どんな死に方にたどり着くのだろう。
『イザナミさん』
『なに』
『リストカットが非効率的なのは分かりました。じゃあ、あなたのおすすめの死に方はなんなんですか?』
タイピングの早いイザナミにしては、ほんの少しの間があった。何かを考えているようだった。二分ほど経って、ようやくイザナミの発言が出た。
『じゃあ、とっておきの方法を教えてあげましょうか。致死率、百パーセントのやつを』
そんな方法があるの!? あるならもっと早く言ってほしかった……!
イザナミにはきちんと訊かなかったものの、自殺未遂の後遺症のことも散々気にしていた私は、その言葉に食いついた。致死率、百パーセント。なんだろうか。たとえば超高層ビルからの飛び降りだろうか。新幹線に轢かれることだろうか。青酸カリでも飲むのだろうか。私個人だったら手に入らないだろうけど、イザナミなら青酸カリすらも用意できてしまう気がした。
『なんなんですか、その、致死率絶対の方法って』
『それはねえ』
少しだけ焦らしてから、イザナミは答えた。
『老衰』
…………ああ。うん。そうですね。でも正直、予想外でした。はい。
『イザナミさんの言うことだから、自殺で、絶対に死ねる方法があるのかと思いました……』
『だってあなたが、おすすめの「死に方」って聞いたから。「自殺」、じゃなかったでしょう』
『そうでしたね』
『そうよ。――――ねえ、』
ぽん。パソコンが軽い音を立てて、イザナミのその言葉が画面に出た。
『人はいつか絶対死ぬのよ。今、選ばなくても』
私の時間が、ほんの少しだけ、止まった。
『……私の自殺を止めてるんですか?』
『まさか。私、あなたとは赤の他人だし。あなたが死んでも、私はちっとも悲しくないもの。ただ、客観的事実を言っただけ。死なない生物は、生物じゃないわ』
イザナミさんの発言はそこで途切れた。かと思うと唐突に、『もう寝る。明日また同じ時刻に』とだけ発言して、退室してしまった。つられて、私も退室ボタンを押す。
――人はいつか絶対死ぬのよ。今、選ばなくても
私はパソコンの電源を消して、ゲームを起動させた。数ある楽曲から、『クロロンホルム』を選択する。流れ出す音楽。フラット。ピアノの旋律。歌い始める、少年のアンドロイド。
なんのために生きてるの? 僕たちはどこに向かっているの。
なにも理解しないままでいいの? 僕たちはどこに辿り着くの。
「…………わかんない」
画面の向こうに向かって、一人呟いた。




