07 0507ルーム
その日のイザナミの指定時刻は夜の二十三時だった。約束の時間がいつもバラバラで、本当に困る。私の生活リズムもそろそろ乱れ始めていた。
私はニートなので、イザナミとのチャット以外はやることがない。時間を持て余した私は、午前中、小説を読んでいた。イザナミおすすめの「まじカル☆ドラゴン樹海ちゃん」はまだ手に入っていなかったので、自分の本棚にあるものを適当に引っこ抜いてきただけである。
物語は中学三年生の子が主人公で、その年齢独特の矛盾だとか自己の確立だとか、そういったものを題材にしているものだった。友達になった見知らぬ女の子と、ほんの少しだけ現実から逃げるお話。
一度読んだことのある小説だと斜め読みになってしまうためか、あっという間に読み終わってしまった。昼食を食べ終わり、昼からは何をしようかと考える。
――そうだ、イザナミと出会ったあの自殺サイトはどうなってるのだろう。私はさっそく、ノートパソコンを起動させた。
『死にたい人のお悩み相談』サイトの、チャットルーム0507。この日は土曜日だったせいなのか、昼にもかかわらず入室者が五人いた。私は前回と同じく、アニメキャラの『イノリ』という名前で入室した。イザナミは、いなかった。
イノリ:こんにちは
くまのみ:こんにちわ
大将:やほー
てすと:こんにちは
ソテー:こんにちは
しなもん:やあ
くまのみ:にぎわってきたくま~
ソテー:楽しいですね
しなもん:イノリさんって、あの魔法使いのイノリ?
あ。この人あのアニメ知ってるんだ。
イノリ:そうです
しなもん:まじか。俺を呪うのはやめてくれよ
イノリ:呪いませんよ
しなもん:俺もうライフゼロだから。心臓ないから。抜き取られて
……しなもんさんの話がよく分からない。
くまのみ:イノリさんって、何日か前に一度会ったくまー?
イノリ:はい。あの時は無言で退室してしまい、失礼しました
てすと:そういう人間はよくいる。神はいつも見ている
大将:初めてだと、ちと話しにくいかもしれんが好きに話していきなされ
イノリ:ありがとうございます
……あれ、この前来た時よりも話いやすい気がする。こんなフレンドリーだったっけ。
と思ったら、発言がぽんぽんと上書きされた。
てすと:神は偽善者に正義の鉄槌をくだす
てすと:愚者は気づかない
てすと:自分の行為が偽善であると
てすと:それをただ見ているだけの神も
てすと:もしかしたら愚かなのかも
てすと:しかし神は神であり、生物ではない
てすと:概念から作り出された存在
てすと:人間が作り出した存在
てすと:神は本来、平和のためにあるもの
てすと:しかしその神のために、争いがおこる
てすと:人間とは
てすと:愚かな生き物ですね
……………………。
ええっと。そういえばこの人、この前もこんな感じだったような。神様がどうのこうのって難しいこと言ってた人だ。神様の存在を信じてるのかな。でも『概念から作り出した』とか『人間が作り出した』とか書いてるし、信じてないのかな。どっちなんだろう。で、この人になんて返信すればいいんだろう。哲学的な話はできないからなあ、私。『神のために争いがおこる』って宗教戦争の話かな。そこら辺も疎いからなあ、どうしよう……。
コーヒーをすすっていると、ぽん、と発言があがった。
大将:初野ミクの音ゲー買おうか悩むのう
てすとさんの発言と全然関係ないですよねそれ!?
手元を滑らせ、ホットコーヒーを床にぶちまけた。近くにいた猫が飛び上がって、こちらを見ている。ああ、やってしまった。キーボードの上じゃなかっただけマシだけど、ダメージが大きい。こぼしたコーヒーを拭いていると、更に発言が追加された。
ソテー:すげーむだ! ……ゲームだけに
――訪れる沈黙、約三分。何度でも言うが、チャットでの三分は本当に長い。カップ麺を待つ時間よりも、長い。コーヒーを拭き終えた私は、何か言おうか悩んだ。その間に、ぽん、と発言があがった。
ソテー:(どうしようすべった恥ずかしい)
フォローできなくてごめんなさい。
もう一度サイトの名前を確認する。『死にたい人のお悩み相談』。しかし実際になされているのは初野ミクのゲームを買うか買わないかという話である。ううむ。
今日ここにいる人達は、前回来た時にいたメンバーと一緒だ。常連なのだろう。いつもこういう話してるのかな……。本当に、死にたい話ってしないのかな。いや、「死にたいんですか?」っていきなり話を振られても困るけれど。何から話せばいいのか分からないし。
結局私も、大将さんたちと初野ミクの話をした。幸い、大将さんの言うゲームは持っていたから、話にはついていけたし、いざ話始めたら酷く盛り上がった。「あのモジュールは二作目にしか入ってませんね」とか「新作にはあの楽曲を入れてほしいですね」とか。つまりはただの雑談だった。
音ゲーの話をしだして二十分ほど経った頃、カランカランとベルの音が鳴った。
『ムクロさんが入室しました』
入室と共になされた発言はこうだった。
ムクロ:お前ら、あっちいけ
え、第一声がこれ!?
私は恐怖におののいた。何この人。挨拶もなしにいきなりこの発言。……そういえばこの前もいたような気がする、この人。皆に当たり散らしてた人の名前、こんな感じだったような。……この人もいつもこの部屋にいるの?
くまのみ:ムクロたん、落ち着こうくま~
ムクロ:やだ。お前特にきらい。どっかいけ
大将:くまのみさん、ムクロには何言っても無駄じゃて
ムクロ:二人でどっかいけ。ジジイにネカマ。きんもい
大将:ムクロよ、くまのみさんはネカマだと思ってるんか
てすと:ふむ。確かに性別は明かしてませんね。くまのみさんは
くまのみ:女かもしれないぜ……?
ムクロ:あそーぅ。知らん。お前らどっかいけ
ムクロ:死にたい奴だけここに残れ
――その一言が、妙に重かった。
そこから議論になった。くまのみさんが、『ムクロさんにとって死にたい人ってどんな人?』と訊いた。ムクロさんはそれに答えなかった。『お前ら自体は否定しない。話す内容が初野ミクでもアニメでもダジャレでも構わん。ただし、よそでやれ。ここは死にたい奴の部屋だ。お前らの部屋じゃない。でてけ』と言い張るばかり。『ムクロさんは死にたいのですか?』とソテーさんが訊くと、『死にてーからここにいるんだろ。ばーかばーか』という答えが返ってきた。ばーかばーかという古典的な煽りをする人間を、ネット上でも初めて見た気がする。
大将さんが『死にたい人間は死ぬ話しかしないのか? おかしくないか?』と発言すると、とたんに嵐になった。というか、ムクロさんが暴れ出した。
ムクロ:ババアにも相手されないチビジジイ。きんもい
大将:チビなのは認めるが、これには理由がある
ムクロ:知らん。チビなのは確かだろ
大将:薬の副作用じゃて
ムクロ:あそーぅ。彼女出来ないのもそれのせいかー? ジジイ
大将:小学生の頃は皆と同じくらいの体格で、それなりにモテておったが
ムクロ:今モテないのは、チビのせいだと思ってんの? 性格のせいだろ
大将:性格は昔から変わっとらん
ムクロ:いいや変わったね。お前卑屈になってんだよ。チビたから
しなもん:ムクロ野郎いい加減にしろ、殴るぞ
ムクロ:画面越しに殴るんか? どうやって? お前アフォ?
しなもん:マジで殴るぞ
ムクロ:お前は二次元の嫁でも愛でてろ、この変態
てすと:愚者の集まりですね、ここは
ムクロ:はいそれブーメラーン
てすと:あなたに言っています
ムクロ:お前も立派に愚者のクズだろ、宗教ババア
……ムクロさん、流石に言いすぎだと思う。なんなんだろう、荒らし?
どうしよう、大将さんたちをフォローした方がいいのかな。くまのみさんとソテーさんは、いつの間にかだんまりになってしまっている。新参者の私が口をはさんでもいいものかどうか。そもそも私はこういう議論とか喧嘩が苦手だ。どうしよう。
大将さんもいつの間にか発言がなくなった。もしかしたらムクロさんの発言にショックを受けているのかもしれない。大将さんの身長は知らないけれど、気にしているのならショックだっただろう。
どうしようどうしようと思っていたら、くまのみさんが発言した。
くまのみ:今日は解散しない? ムクロたんも荒れてるし
その発言と同時に大将さんが退室した。続いてソテーさんも。『ここは戦略的退避』という発言を残して、しなもんさんも退室してしまった。どうも、ムクロさんが荒れるのも、その度に解散するのも、恒例のことらしい。
ムクロ:よし、消えろ消えろ
くまのみ:ムクロたん、あんまり暴れちゃめ~よ!
ムクロ:ネカマあっちいけ。ムクロ「たん」とかマジできんもい
くまのみ:じゃあね~! くまくま~
『くまのみさんが退室しました』
ムクロ:てすとも早くどっかいけ
てすと:ムクロ。醜い死体ですね
ムクロ:はいはいブーメランブーメラン
てすと:気持ち悪い
『てすとさんが退室しました』
……しまった、私だけ取り残されてしまった。あわあわと退室ボタンを押そうとしている私に、ぽんぽんと次々に発言がきた。もちろん、ムクロさんからだ。
ムクロ:イノリとか、知らん名前だな
ムクロ:お前も初野ミクの話したいだけなら
ムクロ:バーチャルアイドルのチャットとか
ムクロ:ゲームのチャットにでも行けば?
ムクロ:死にたい奴だけ残ればいいんだ、ここは
ムクロ:俺がそういうルームを作る
ムクロ:俺はここをそういう部屋にする
ムクロ:もともと、そのためのサイトだ
ムクロ:サイトの利用規約を読めよ
ムクロ:死にたい奴の相談サイトだ、ここは
ムクロ:規約違反はお前らだ
ムクロ:ゲームだのアニメだの、俺うんざり
ムクロ:死にたくない奴らはどっかいけ
ムクロ:俺はここに残る
ムクロ:俺は死にてーんだ
『イノリさんが退室しました』
……怖くなって逃げてきてしまった。あの人とタイマンで話すのが怖かった。何を考えているのかよく分からなかったし、口悪いし。
でも、単なる荒らしじゃなかったのかもしれない。なんとなく気になる。
――死にたい奴だけここに残れ。
私も死にたいんだよ、と何故か言えなかった。堂々と言えばよかったかもしれない。言ったところで、それは違うと言われてしまうのだろうか。
ムクロさんにとっての、『死にたい人間』がどういう人なのかもわからなかった。
なんでみんなを、あそこまで追い出そうとするのかも。
0507ルーム、入室者一名。
――ムクロさんは今、一人になった部屋で何を思っているのだろう。