04 遺書
妙なサイトでイザナミとチャットをした翌日、午後二時。私はまた、同じサイトのチャットルームに訪れていた。昨夜、『今日はもう眠いから続きはまた明日。午後二時くらいでいい?』とイザナミに言われたからだ。
平日の午後二時。普通なら仕事に行っているだろう時間。しかし私はニートなので、朝から晩まで二十四時間営業できるのがウリである。ふふっ、笑えない。
二時を五分過ぎたころになって、イザナミが入室してきた。一言目は『ねーむーいー』。挨拶は無し。結構適当なお方なのかもしれない。しかし二言目はこれである。
『さてと。本題に入りましょうか。あなたは自殺について、何を聞きたいの?』
いきなりざっくばらんにそんなことを言われるとは思っていなかった。ええと、ええと。
『遺書の書き方とか』
『はあ』
多分この『はあ』は、ものすごく間の抜けた『はあ』だったと思う。実際に会話したわけじゃないから分からないけれど。なんかすごくどうでもいいとか、そういう意味の『はあ』だった気がする。そんな気がしてならない。案の定、『はあ』に続く文章は呆れたようなものだった。
『遺言状じゃなくて遺書でしょ? 好きに書けばいいのよ。みんなありがとうの一文でもいいし。でもそうね、遺書は残しておくべき。じゃないと自殺か事故か断定できなくて、ややこしいことになるパターンも確かにあるから。ちなみにあなた何? いじめられてたとか?』
『え? いえ』
『いじめられてたのなら、いじめっ子の名前を書くのはおすすめ。ついでに「恨んでやる」とか書いておくと良い。呪いの藁人形より怖いでしょ。ていうか、せっかく遺書を残すつもりなら、嫌いな人間の名前全部書いておきなさい。どうせそれが最後の文章なんだから。人の悪口言ってあなたの評価が下がったところで、その時にはもうあなた死んでるんだから。大丈夫大丈夫』
なにが大丈夫なのだろうか。なんか適当じゃない? この人。いいのかそれで。いいのかこれで。
イザナミいわく、『葬式はしないでくれと遺書に残しても、家族が勝手にしてしまうことが多い』とのことだった。遺書って案外そんなものなのか。もっと尊重されるかと思ってたのに。
『でもそうね。遺書って結構、綺麗な事を書く人が多いわね。不思議なことに。ありがとうとか、感謝してますとか。最後まで丸くいたいものなのかも、人間って』
『……イザナミさんが遺書を書くとしたら、なんて書くんですか』
『メチルメチオニンスルホニウムクロライド』
……………………は?
『なんですかそれ』
『胃粘膜保護成分。かの有名な胃薬、キャベジーンに入ってる。ビタミンU』
適当なことを言っているに違いないと思って検索してみたら本当に出てきた。なにこの人。というか、
『なんで遺書の一文がそれなんです?』
『どうでもいいからよ』
恐らくは本気で、しれっと、イザナミはそんなことを言った。
『私にはもう家族も友達もいないし、誰かに残したい言葉もないし。だったら最後に、皆に「なにこれ」って思われるような、どうでもいい言葉を残したい。ちょっとだけ話題になって、彼女の心にはどのような闇が……なんて見当違いな討論をされて、でも一週間もたたずに消えちゃうの。それくらいでいい』
――よく分からない人。本当に。何者なんだろう。
『ピリドキシン塩酸塩でもいいけど』とイザナミ。本当に、なんでもいいらしい。最後の言葉なのにそんなどうでもいい言葉を選ぶなんて。どういうことだろう。私だったら絶対に嫌だ。そんな変な事で話題になりたくない。
『そんな遺書は嫌って思ったでしょ』
イザナミの発言にどきりとする。タイミングがよろしいことで。
『嫌だと思うなら、頑張って書くことね。みんな今までありがとう、だけでももちろんいいけれど。後悔したくないなら自分の思ってることを精一杯書いてみなさい。思ってることをできるだけ多くね。今までだって、自分の意見を発言したり表現したりするのが苦手だったんじゃないの? 最後くらい、好きなこと好きなだけ言えば?』
これまたどきり。自分の意見を発言したり表現したりするのが苦手……。なんでわかるんですか、と訊いてみたら『勘』とだけ返ってきた。出会ってからまだ数時間しか経ってないような人間のはずなのに、しかも面と向かって話してる訳でもないのに、見透かされてるみたいでなんか嫌だ。イザナミは画面の向こうで笑ってるかもしれない。想像してみたら悔しい。
『ねえ。メチルメチオニンスルホニウムクロライドな私が言うのもなんだけど、遺書を書くにあたり、一つだけアドバイスしてあげようか』
『……なんですか』
『本当のことだけを、本当に思ってることだけを書きなさい。最後まで嘘は要らない』
――これは心にとどめておくことにしよう。なんとなくそう思った。
結局その日は遺書について二時間ほど語った。本人が言っていた通り、イザナミはそのような知識についてはかなり詳しいようだった。だれだれの遺書が哲学的だとか、某芸能人の遺書が不気味だとか。イザナミに教えてもらった芸能人の遺書を検索してみたけれど、確かに不気味だった。利き手とは逆の手で書いたような、なんとか読める震えた文字で、
『これからもよろしくありがとうよろしく 呪憎怨札 まってるずっと わたしの』
と書かれている。唯一漢字で書かれている呪憎怨札の意味が分からなくて検索すると、それは確かに存在するサイトだった。呪うだの憎むだの、サイト名からして不気味である。クリックしてみると背景が薄暗い不気味なサイトに飛ばされた。呪いの札やら藁人形を売っていて、呪いの方法について事細かに表記されている。まじか。こんなサイトあるのか。
ちなみに藁人形は一体一万円である。高すぎる。これを買う人間は相当、人間を呪っているに違いない。しかも「呪いの藁人形セット」まである。これだと、手袋やら五寸釘やら金づちやら蝋燭(二本組)だとかがついていて、合計二万円。まじか。あり得ない、高い。
芸能人の遺書をもう一度読み直す。もはや文章にすらなっていないような気がしたが、最後の『わたしの』の後に何が続くのかが気になった。――わたしの。私の、なんだというのだろう。最後にこれの続きを書けずに、この芸能人は未練が残らなかったのだろうか。私だったら残る。
イザナミの言っていたメチル……なんとかこんのかも嫌だが、こんな訳の分かっていないような遺書も嫌だ。頭が回っている今のうちに書かなきゃ、遺書。私ももしかしたら、そのうち訳が分からなくなって、このような訳の分からない遺書を書くかもしれないのだ。『疲れたのでリポビタムDを飲みます、ありがとうさよならリポビタムD』とか。それは嫌だ。非常に嫌だ。
便箋、便箋。確か買ってたはずだ。百均のしょうもないやつだけど、ないよりいい。とりあえず今のうちに遺書を一通書いておいて、気が向いたらかわいいレターセットでも買って書き直せばいい。そうだそうしよう。二十六歳にもなっていまだに使っている学習机の一番下の引き出しを漁ると、地味な花柄の便箋が出てきた。ピンクと紫の間くらいの、落ち着いた色のそれ。一枚目をちぎって、ペンを持つ。ええと、…………。
候補一、「お父さん、お母さん。先立つ不孝をお許しください」
候補二、「みんな今までありがとう」
候補三、「私はこの世界で生きていけません」
候補四、「こんな娘でごめんなさい」
候補五、「メチルメチオニンスルホニウムクロライド」
悩む。いざ書くとなったら悩む。候補五はまず採用しないけれども。一から四はぜんぶ書いた方が良いかもしれない。
しかし、遺書って誰向けに書くんだ? 親? しかし友達にもよろしく言いたい。元職場の人でも仲良くしてくれた人がいるし、その人達にも挨拶しておきたい。友達や職場の人は、ラインで済ますか? 「死んじゃう、ごめーん」って。最後の最後にする挨拶がそんなライトでいいのか? そうだ、成人式以来会ってない幼馴染とか、私が死んだら葬儀に来るかな。あいつのことも遺書に書いた方が良いのかな。…………。
私が死んだら、どのくらいの人がびっくりするかなあ。
考え始めたらキリがなかった。そもそも文才がある訳でもない。悩みに悩み、ネット上で公開されている他の人の遺書をちょっと読んだりもした。ツイッターで一言「よき道徳を!」と書き残してる人もいる。長ったらしくだらだら書き連ねるより、こっちのほうが断然かっこいい気がする。しかし今やったら単なる模倣だ。私はペンをくるくると回し、一時間半考え続け、ようやく便箋に文字を書き始めた。
『本当のことだけを、本当に思ってることだけを書きなさい。最後まで嘘は要らない』
イザナミのその言葉が、ずっと頭の隅に引っかかっていた。
お父さん、お母さん、今までお世話になった方々へ
私は死ぬことにしました。先立つ不孝をお許しください。天国か地獄か分からないけれど、ここではないところで、皆さんの事を見守っています。呪ったりしないので安心してください。
お父さん、今まで育ててくれてありがとう。お酒と煙草はほどほどに。
お母さん、ちょっと厳しかったけど大好きだった。肉じゃがが一番好きだったよ。
こんな娘で本当にごめんね。
友達は一人ひとり名前をあげるとキリがないので省略させていただきますが、とても感謝しています。楽しい時間を本当にありがとう。
それでは、いつか、また会えたら会いましょう。
…………微妙。すっげ微妙。こんな、三百字もない文章を書くのに一時間以上かかったとか知られたくない。どうしよう、呪ったりしないとか書く必要ないかな。でもあの変なサイト見ちゃったらなんか怖いし。うーん。
そうだ、とりあえずこれ下書きだもん。うん、下書き。もしかしたらもっといい文章が思い浮かぶかもしれないし。そうそう。とりあえずこれはこれで置いておいて、最悪の場合は遺書になってもらって、でももっといい文章が書けたらそっちを遺書にしよう。うん、そうしよう。決まり。
私はなんとか書けた遺書を封筒に入れて、糊付けした。下書きとはいえ、さらっと読まれたら困る。そうして糊付けした封筒を、机の引き出しの、奥の奥に念入りに入れておいた。エロ本でも隠すみたいだ、と我ながら思った。
こうしてとりあえず、私の遺書は出来上がった。自殺するための、最初の一歩。




