03 自殺プランナー
イザナミが教えてくれたサイトは、白い背景に黒い文字という、ごくごく普通の見栄えだった。しかし不健全なことに、【自殺を考えているあなたへ】という文章から始まっている。健全な人向けのサイトではなさそうだ。【自殺を考えているあなたへ】のあとは、皮肉めいた文章で他の自殺サイトについて書かれている。それがしばらく続いた後、ふいになされる自己紹介。
私、【自殺プランナー】をしております【イザナミ】と申します。
「自殺プランナー……」
そんな職業、聞いたことがない。本当だろうか。あらゆる自殺方法を知っていて、幇助してくれる? そんなうまい話があるのだろうか。もしかして、やっぱり怪しいサイトに入り込んでしまったのだろうか、私は。ゆすられて、ものすごいお金を要求されるとか? それともこのサイトに来てしまった段階で、パソコンに変なウイルスいれられたとか。架空請求の嵐とか?
けれどもう、ここまで来てしまうとどうでもいいという気持ちが勝っていた。どうせ私は死ぬ。近々死ぬ。親には申し訳ないけれど、裁判でもすれば悪いのはこのサイトの管理者だろう。うん、きっとそう。大丈夫大丈夫。……多分。
イザナミのサイトにはひとつだけチャットルームがあった。ルーム名は『本館』と書かれている。入室者は一人だけ。それが誰なのかは、さすがの私にでも分かった。初野ミクの話をしていた、一見健全そうだった、あの。
私はさきほどのチャットサイトと同じハンドルネームを使って、本館に入室した。
――そこにはやっぱりその人が、イザナミが、いた。
『こんばんは。思ったより早かったわね』
その発言を見て、私は思わずつっこむ。
『イザナミさん、女性ですか?』
『どっちだと思う?』
返信というか、タイピングが早い。大体なんだ、どっちだと思うって。
『女性だと思います』
『そうね。あのサイトでは女性って言ってる。でもどうだろう。それ、本当だと思う?』
私は眉をひそめた。なんなんだこのイザナミって人。バーチャルアイドルの話をしてる時はこんな調子だったっけ? あのサイトでは直接話さなかったし、もう覚えてない。
イザナミは続けた。
『女か、男か。ネカマかも。バーチャルアイドル。宇宙人で、性別がないのかも』
……どうしよう、この人真面目に変な人かもしれない。変な人と二人っきりでチャットとかやったことない。そもそも、チャットというもの自体、今回が初めてだったのに。出会った人のキャラが濃すぎる。ここで退室したら失礼だろうか。
イザナミは私の心境の変化に気付いたのか気付いてないのか、ぽんぽんと発言を続けた。
『私の性別なんてどうでもよくない? 私はあなたの性別とかどうでもいいし。だって、ネット上じゃしょせん確認できないことでしょ? 確実性に欠ける事実がそんなに大切?』
『……一応言っておきますが、私は女です』
『そう。じゃあ私も女ってことにしてもらおう』
性別の話はとりあえずこれで落ち着いたらしい。私は、気になっていたもう一つの事を確認することにした。
『イザナミさん』
『なに』
『私にしか見えない発言、っていうのを使いましたよね。あれ、どうやるんですか』
『あー』
一分ほど間をあけてから、イザナミの返答が来た。
『あれ、ささやきっていう機能なんだけどさ。あなたには使えないよ』
『どうして』
『あのサイトの管理人が、使えないように設定してるから。あの機能、便利だけど問題も起こりやすいのよねえ』
『イザナミさんはあそこの管理人なんですか?』
『違う』
『じゃあどうして、イザナミさんにはそのささやきってのが使えたんです?』
『ハッキングして、私だけは使えるよう設定をちょっといじっただけよ。そんなに難しいことじゃない』
いや多分それ難しいですよね?
この人、怒らせたらきっと怖い。変なウイルスとか絶対に送ってくる。実はハッキングの天才なんて言うんじゃなかろうか。とりあえず自分のパソコンをクイックスキャンだけしてみたけれど、今のところウイルスには感染していないようだった。あくまでクイックスキャンだけれども。パソコンに強くないので、他の対抗策は思いつかない。
それから二分ほど空白の時間があった。普通に過ごしてるだけなら二分なんてあっという間だけど、チャット画面を前にして過ごす二分は結構長い。イザナミから話すつもりはないのだろうか。もう一分待って、私から話しかけた。
『どうして私に話しかけたんですか』
――話しかけてみたものの、返答がない。少し不安になった。私、何か変な事を言ってしまっただろうか。もしかしてイザナミを傷つけたか怒らせた?
私の発言から二分ほど経った頃、ぽん、と音がした。発言された時の音だ。
『ごめん、トイレ行ってた。ついでにコーヒーいれてきた』
……人が何をしてるのか分からない画面での対話って本当に怖い。それから三十秒後、また、ぽん、と音が鳴った。
『あなたに話しかけた理由ねえ。あんまり深くないのよ。あのルーム、ほら0507。あそこに入室してから、あなたは一言も喋らなかった。それがなんとなく気になっただけ。この子は死にたがりかなあって』
『普通は、入室したら喋るんですか?』
『分かれるわね。話していく人もいれば、何も言わずに去っていく人もいる。自殺サイトって思いこんできた人ほど、あそこでの会話を見て絶望するパターンが多いみたい。あなたもそうだったんじゃないの?』
思い出されるあのルームでの会話。バーチャルアイドル、のろけ、ネットゲーム。……自殺の話なんてひとつもなかった。そりゃ、自殺志願者であればあるほど絶望するだろう。
『あのルームは常連が多くて、普段はあんな感じよ。たまにメンタルの話も出るけどね。みんなそれぞれ現実逃避してるの。だから、話がバラバラ』
『現実逃避?』
『ええ』
『じゃあ、あの人達も死にたがりなんですか?』
とてもそうには見えなかったけれど。自殺サイトのチャットといえばもっとこう、死ぬ方法についてとか、死にたい理由だとか、自分の病気だとか、そういうことばかり話しているものだとばかり思っていたのに。あのルームではそのような話は一言も出ていなかった。
あんな人達が死にたがり? 呆然としていると、パソコンからぽん、と音が鳴った。
『死にたがりか、死にたがりのふりか。どちらだと思う?』
――イザナミはどうも、質問をするのが好きらしい。そして私は、自分の意思をあまり持っておらず、質問に答えるのが酷く苦手だった。私が考えれば考えるほど、続く空白。そこにまたぽん、と音が鳴った。
『少なくとも、死にたいだの自殺だの、そういう単語で検索してあのサイトにたどり着いた人々であることは間違いないわね。大なり小なり、何かを抱えている。ま、ただのナンパ厨や荒らしもいるけどね』
そうだ。あのチャットサイトは、普通に検索しただけだとあがりにくい。サイトタイトルにもお悩み相談とか書いてるし。……ということは。
『イザナミさんも死にたいんですか』
『いいえ、ぜんぜん』
想像に反する返答に、私は目をこすった。
『こっちのサイトのトップページ、読んで来たでしょう? 私は自殺プランナー』
もしも眼前にイザナミがいたら、その人は不敵に笑っていたかもしれない。
『私は自殺を幇助するために生きている存在。私はお客様を、――自殺志願者を探すためにあそこに常駐してる。それだけよ』
イザナミの職業、自殺プランナー。自殺志願者にその方法やメリットデメリットを教授し、必要なものを与え、死を見届ける。場合によればその後、警察に匿名で通報する。
警察に通報する理由は? と聞いたところ、このような返答があった。
『死ぬところは見られたくないけど、死体を早く発見してほしいっていうお客様向けのプランね。汚い状態で発見されたくないってお客様用。死体は時間が経つとどうしても見栄えが悪くなるから。早期発見だと、見た目もまだマシだからねえ。入水とか首吊りを選ぶ人は、通報してくれって言う人が多い、比較的』
さようでございますか。
時刻は午前一時。都市伝説を話すにはちょうどいい時間だ。そう、イザナミのこれは、悪い冗談なんじゃなかろうか。私はそう思い始めていた。だってそんな職業聞いたことないし。裏世界なんて知らないし。
しかし、疑心暗鬼になっている私とは対照的に、イザナミの方はいたって真面目だった。少なくとも文面を見る限り、真面目のように見える。学生のいたずらにしては作り込みすぎている気がするし。だいたい、いたずらだとしても私一人をハメるメリットが分からない。
『どうする? あなたが本当に死にたくて、けれど死に方が分からなくて困ってるのなら私はそれを助けることができる。――私のお客様になる?』
この誘い文句で「はい!」と契約する人間がいるのだろうか。こんなに怪しいのに?
そういえば、と思って私はキーボードを叩いた。
『あなたに払うお金は? いくらくらいなんですか』
十秒も経たずに、返信が来た。
『お金は貰わない。他の物を貰うから』
…………他の物?
『なんですかそれ』
『今は言えない。私のお客様になったら教えてあげてもいいけれど、私の話を信じるか信じないかはあなた次第。とにかく、お金は貰わない。そういう意味ではフリーソフトだと思ってくれればいい』
怪しい、やっぱり怪しい。通帳の残高をとりあえず確認する。七十万。微妙。
いつまでも返事をしない私にしびれをきらしたのか、イザナミは言った。
『トップページにも書いたけれど、死ぬ気がないならここでお別れね。明日からまた、自殺サイト巡りすれば? どのサイトも似たようなことしか書いてないけど。0507ルームの常連になってもいいかもね。あそこにいると、たまに言われる。「お前ら死にたい人間じゃないんだろう」。その度に論議になってさあ。ま、それを見てるのも悪くないわよ』
――死ぬ気がないなら。その言葉に触発されて、私はやっきになって答えた。
『私は自殺志願者です。本物の。もう疲れたんです。生きることにつかれた。死にたいんです。でもどうすればいいのか分からない。助けてください』
自分が思っていることを書き連ねた、文章力の欠片もない発言。けれどイザナミはその発言に、たしかに答えた。
『わかった』
それは午前一時二十分。鈴虫の鳴き声がぴたりと止まった、不思議な空間でのできごとだった。