19 退室
『イノリさんが入室しました』
イノリ:おはようございます
イノリ:0507ルームに来るの、久しぶりです
イノリ:早朝なので誰もいませんね
イノリ:私のツイッターみたいになっちゃうな
イノリ:ログも途中から流れちゃうだろうし
イノリ:けど、ログ自体は記録されてるんですよね?
イノリ:管理人さんは、ログをぜんぶ読めるんですっけ
イノリ:だからこれは、管理人さん宛てに書きます
イノリ:ムクロさん。このルームの管理人はあなたですよね?
イノリ:はずれてたら、ごめんなさい
イノリ:でもね、なんとなくそうじゃないかなあって
イノリ:はっきり言いますが、ムクロさんって口悪いですよね
イノリ:だけど、このサイトから追い出されない
イノリ:それは、あなたがここの管理人だからじゃないですか?
イノリ:他の荒らしの人は、追い出されたって話を聞きました
イノリ:でもあなたは、ずっとこのサイトにいる
イノリ:他者から見たら、あなたも荒らしに見える時ありますよ
イノリ:でも追い出されない。不思議ですよね
イノリ:だから勝手に、ムクロさんが管理人だと解釈してます
イノリ:……今から言うこと全部、ムクロさん宛てです
イノリ:もしも管理人じゃなかったらごめんなさい
イノリ:いつか、あなたは言いましたね
イノリ:お前ら出ていけ、あっちいけ
イノリ:死にたい奴だけここに残れって
イノリ:あれが、ずっと引っかかってました
イノリ:ここに来る人って、基本はやっぱり死にたがりだと思います
イノリ:死にたいとか自殺とかで検索したらヒットするサイトだし。
イノリ:けれどあなたはあの時、死にたい奴だけ残れと言った
イノリ:その場にいた人は、死にたい人間じゃないような言い方でした
イノリ:それでね、考えたんです
イノリ:ムクロさんにとって、死にたい人間ってどんなだろって
イノリ:死にたい人間はゲームの話をしちゃいけないのか
イノリ:楽しい話題をしちゃいけないのか
イノリ:色々考えました
イノリ:それで、自分なりに答えを出しました
イノリ:死にたい人って、大まかに分けて二種類なんじゃないかな
イノリ:ひとつは、常に頭の片隅で死にたがってる人間
イノリ:死にたいなあって思いながらも、日常生活を送れる人
イノリ:死にたいなあって思いながら、ゲームをする
イノリ:死にたいなあって思いながら、アニメを見る
イノリ:死にたいなあって思いながら、楽しくお話する
イノリ:ここの常連さんは、このパターンだと思います
イノリ:私からすれば、この人達も死にたがりです
イノリ:もうひとつは、とにかく今すぐ死にたい人
イノリ:切羽詰まってて、死ぬことしか考えていない
イノリ:死ぬことでしか物事を解決できないと思ってる
イノリ:今にも死んじゃうかもしれないような人
イノリ:……前にね、手紙さんって人が来たんです
イノリ:この人はきっと、こっちのパターンだった
イノリ:結局、何も話さずに退室されてしまって
イノリ:もしもできるなら、謝りたいです
イノリ:ムクロさん
イノリ:あなたのいう死にたい奴っていうのは
イノリ:この、「今すぐ死にたい人」をさしてるんじゃないですか?
イノリ:狭義の、自殺志願者の事を言っていた
イノリ:……よく考えたら、変ですよね
イノリ:死にたい人のためのサイトなのに、死ぬ話ができない
イノリ:もちろん常連さんたちも、人の話をちゃんと聞く人達です
イノリ:でもそんなの、初めて来た人がわかるはずありません
イノリ:ただ雑談してるだけの人間に見える
イノリ:雑談してる最中いきなり「死にたい」って発言できる人は
イノリ:そんなにいないと思います
イノリ:これじゃ、本末転倒ですよね
イノリ:常連の人を責めてるわけじゃないんです
イノリ:明るくて、楽しくて、話しやすい雰囲気もあるもの
イノリ:みんな優しいし、私は大好きです
イノリ:現に、私も雑談していた一人でしたし
イノリ:ここでのおしゃべりは本当に楽しかった
イノリ:……でも、手紙さんのように、絶望する人もいる
イノリ:死にたい人が、死にたいって言いやすい場所
イノリ:ムクロさんが目指してたのは、それなんじゃないですか
イノリ:だから、私たちの事を邪魔者扱いした
イノリ:……でもね、思うんです
イノリ:ムクロさんはもしかしたら、本当にもしかしたらですが
イノリ:私たちのことも思ってくれてたんじゃないかなって
イノリ:このサイトは、死にたくなった人が来る場所
イノリ:社会に疲れた人が、「一時的に避難する」場所
イノリ:死にたくなった人が死にたいって言って
イノリ:少しでも心を軽くする場所
イノリ:そうして、社会に戻れるようにする
イノリ:もしもムクロさんがそれを目指していたのだとしたら
イノリ:常連という存在はおかしいですよね
イノリ:現実逃避するのは必要ですが、それは一時的なもので
イノリ;時が来たら、現実と向き合わなくちゃいけません
イノリ:いつまでもここにいたら、それができない
イノリ:現実と向き合うのがどんどん遅くなる
イノリ:……ここはとても居心地がいい
イノリ:みんなで話して、とても楽しい
イノリ:だけど、長居する場所じゃないんです。本当は
イノリ:チャットそのものを否定してるわけじゃありません
イノリ:私も、この部屋に救われていた部分がいっぱいあります
イノリ:明るく話せるようになったし、本当に楽しかった
イノリ:人が多ければ多いほど楽しいなって思ったこともありました
イノリ:でも、人が多くて嬉しい楽しいって言うのは
イノリ:ここではおかしいことなんだと思います
イノリ:だってここは、自殺サイトですもん
イノリ:利用者は、少ない方が良い
イノリ:死にたいくらい辛い人間は、少ない方が良いんです
イノリ:いつか、あなたの独り言を見ました
イノリ:誰もいない、しずかだ、これでいいって書いてましたね
イノリ:あの時は何言ってるんだろうって思ったけど
イノリ:今となってはその気持ちが分かります
イノリ:このサイトは、静かであればあるほどいい
イノリ:利用者が少ない方が良いんです
イノリ:……ムクロさんは、本当は、
イノリ:私たちが多少なりとも死にたがりなのも理解してて、
イノリ:私たちの社会復帰を応援してくれてたんじゃないですか?
イノリ:あっちいけのあっちって、現実のことですよね
イノリ:どっかいけのどっかも、外のことなんじゃないですか
イノリ:自殺サイトじゃなくて、もっと違うところ
イノリ:私は勝手に、そう解釈してます
イノリ:あなたのやり方自体に賛成してるわけじゃないです
イノリ:あなたの言葉で傷ついている人も、少なからずいる
イノリ:言葉は選ぶべきです
イノリ:やり方も幼稚です
イノリ:人の気にすることばかりつつくのもどうかと思う
イノリ:主張したいことをきちんと言ってくれないし
イノリ:言ってくれないと分かりませんよ、そんなの
イノリ:おまけに「ばーかばーか」って、子供ですか? あなた
イノリ:だけど私は、ムクロさんの事を嫌いになれません
イノリ:あなたを完全な悪役だと捉えることもできません
イノリ:完全に悪い人なんていないんです。どこにも
イノリ:ここからは更に推測文になりますが……
イノリ:ムクロさんってもしかして
イノリ:イザナミさんと同一人物なんじゃないですか?
イノリ:……書いてみたものの違う気もするなあ
イノリ:でも、一人二役して入室することはできるんですよね
イノリ:東尋坊さんが、いつかそんなことを言ってました
イノリ:その時は単なる悪ふざけだったようですが……
イノリ:前にくまのみさんたちとお話してる時
イノリ:『管理人が禁止してること』をして、
イノリ:ここから追放された人がいるって話を聞きました
イノリ:イザナミさんは、ささやきという機能を使っている
イノリ:ハッキングして使えるようにしたとか言ってましたが
イノリ:管理人なら、ささやきを使ってるかどうかも分かるんじゃ?
イノリ:なのにイザナミさんは追放されない
イノリ:なんでか
イノリ:……それはイザナミさんも、管理人だから
イノリ:管理人だから、自分だけはささやきを使える
イノリ:ささやきを使っても、追放されない
イノリ:違いますか?
イノリ:……しまった
イノリ:やっぱりイザナミさんは管理人じゃないかな
イノリ:ムクロさんと同一人物だとしたらすごい演技力だし
イノリ:性別もますます不明になってくるし……
イノリ:ささやきを使ってるかどうかは、管理人でも分からないとか?
イノリ:ハッキングされてるのも気づいてなかったとか?
イノリ:いくら管理人でも、ささやきは使えないとか?
イノリ:このチャットのルールを調べず言ってしまった……
イノリ:イザナミさんはただのサイト利用者かな
イノリ:だとしたら余計な発言をしてしまいました
イノリ:イザナミさんは、ここから追放しないであげてください
イノリ:彼女? のことを必要としてる人は多いと思います
イノリ:私みたいに
イノリ:当時は気づきませんでしたが
イノリ:イザナミさんと話すようになってから
イノリ:私は色んなことができるようになった
イノリ:ゲームしたり、小説を読んだり、動画を見たり……
イノリ:何もできなかった私にとっての第一歩でした
イノリ:私には趣味も何もないと思ってたけど
イノリ:案外、好きなものはたくさんあったんですよね
イノリ:本当にあの時は気づかなかったけれど
イノリ:イザナミさんが、そうなるよう仕向けてくれたんだと思う
イノリ:少しでも私の視野が広がるように
イノリ:私が少しでも生きやすくなるように
イノリ:自殺のこともそう
イノリ:あの人の話を聞けば聞くほど
イノリ:これがいい! と思う手段が減っていった
イノリ:きっと、そういう風に仕向けられてたんです、最初から
イノリ:実際ね、あのあと少し自分で調べたんです
イノリ:自殺について
イノリ:イザナミさんの話には、若干嘘が混ざっていた
イノリ:どれ、とは言いませんが……
イノリ:なんだかんだで、彼女は自殺のデメリットを強調してました
イノリ:そうするために、あの人はいたんじゃないでしょうか
イノリ:人の心に少しでもブレーキをかけるため
イノリ:誰かの命のために、あの人はいたんです
イノリ:あ、そうだ。話が脱線しますけど
イノリ:まじカル☆ドラゴン樹海ちゃんを読み始めました
イノリ:今、七巻の途中まで読んでます
イノリ:面白いですね、あれ。人気出るのわかります
イノリ:アニメ化したらいいのにな
イノリ:まじカルマ
イノリ:私ね、新しい仕事見つかったんです
イノリ:短時間労働のアルバイトですけど、まずはそこから
イノリ:ようやく社会復帰です、ふふっ
イノリ:私、あと四十年は生きなくちゃいけないんです
イノリ:大切な約束があるから
イノリ:――このサイトにはもう来ません
イノリ:今の私は、来ない方がいいと思う
イノリ:外に出て、色んなものを見てきます
イノリ:でももしかしたらまた急に、猛烈に死にたくなるかもしれない
イノリ:その時はちょっとだけ、ここに戻ってくるかもしれません
イノリ:万が一戻って来たら、相手してやってください
イノリ:ただし手加減してくださいよ
イノリ:ムクロさん、ほんとに口悪いから
イノリ:それじゃ、今まで本当にありがとうございました
イノリ:イザナミさんに、よろしく言っておいてください
イノリ:さようなら
イノリ:ムクロさんも無理はしないでください
イノリ:でも、あなたも生きてください
イノリ:出来る限り、最期まで
『イノリさんが退室しました』
『ムクロさんが入室しました』
ムクロ:二度と戻ってくんな。ばーか
『ムクロさんが退室しました』




