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18 プレゼント

 イザナミにドラッグを注文した翌日、私は身辺整理を始めた……つもりだった。

 しかし、いざとなったら掃除をするのが面倒くさい。もういいかとも思う。部屋もそこまで汚いわけではないし、無駄な荷物が多いわけでもない。自分で言うのもなんだけど、どちらかと言えば綺麗な方だと思う。よれよれの下着だけでも処分しておけばいいか。

 遺書は用意しているし、通帳やキャッシュカードはひとつの場所にまとめた。とりあえず、どうにかなるだろう。

 注文した翌日に届くようなお急ぎ便ではなかったので、イザナミからの小包はその日のうちに来なかった。もしかしたら届くかも、と思っていた私は夕方ごろにそれを諦めて、パソコンを開いた。死ぬ前に、最後に0507ルームを覗いてみようと思ったのだ。お別れを言うつもりはなかった。ただ、なんとなくの行為だった。

 平日の午後八時現在。入室者は四人だった。



『イノリさんが入室しました』


 イノリ:こんばんは

 くまのみ:こんばんわ

 大将:やほー

 てすと:こんばんは

 味ポン:こんばんは、はじめまして

 イノリ:はじめまして


 味ポンさん以外はいつものメンバーだ。本当にみんな、ここの常連なんだろうな。味ポンさんは初対面だけど見たことある名前だと思ったら、前にくまのみさんが話題にしていた人だった。結婚式の段取りがどうこう話している。いいなあ、幸せそう。


 大将:そういえばイノリさん。わし、初野ミクのゲーム買った

 イノリ:お! どれ買ったんです?

 大将:第三弾のやつ

 イノリ:あー。私もそれが一番好きです

 大将:第四弾も欲しいんじゃが。ゲーム機の本体が違うじゃろ……

 イノリ:違いますねえ

 大将:イノリさんは、初野ミクのゲーム何本持っとる?

 イノリ:全種持ってますが

 大将:うう……PS BITA、買おうか悩む……

 てすと:ふむ。初野ミクですか。少し知っています

 大将:てすとさんも一緒にゲームせんか?

 てすと:興味ありませんね、てすとは

 大将:そんな一蹴しなくても……

 くまのみ:ねえねえ、白のドレスと赤のドレスだったらどっちがいい?

 大将:断然赤じゃな

 てすと:そうですか。てすとは白です

 味ポン:ううぅぅ、悩むううぅぅぅぅ

 くまのみ:くまのみはどっちも好きくまー

 イノリ:どっちも捨てがたいですねえ

 味ポン:彼は赤って言うんだけど……

 大将:じゃあ赤にしたらどうじゃ

 味ポン:白の方がデザイン可愛いの

 くまのみ:なやむくまー


 ――ああ。このサイトはやっぱりこんな感じなんだなあ、と思った。平和な雑談が続く。これがこのサイトの特色なんだろう。ゲームの話をして、ドレスの話をして、式場の話をして、アニメの話をして、動画の話をして。そんな雑談をして二時間経った頃、新しい人が来た。


『手紙さんが入室しました』


 この、手紙という人は、はじめましての挨拶以降ずっと黙りっぱなしだった。私たちがゲームの話をして、アニメの話をして、動画の話をして、映画の話をして、小説の話をしている間もずっと無言。かと思うと、入室から四十分経った頃、こう発言した。


 手紙:自殺サイトって聞いたから来たのに


『手紙さんが退室しました』


 イノリ:あっ

 てすと:人間の愚かさが出ましたね

 大将:悩み事があったなら聞いたんじゃが……

 くまのみ:悪いことしちゃったくまー

 味ポン:たまにありますね、こういうの

 大将:わしらも、雑談ばっかりするわけでもないのに

 味ポン:悩み事あるなら、言ってくれたらよかったのにね


 手紙さんのことについて反省したのは一瞬だった。退室してしまった人の話をいつまでもしてもしょうがないよね。そんな流れになって、そこからはまたゲームだの音楽だのアニメだのマツクの新作さつまいもパイの話だのをした。つまりは雑談だ。

 私は相変わらず初野ミクの話をしながら、手紙さんは何を話したかったのかな、と考えた。

『自殺サイトって聞いたから来たのに』

 きっと手紙さんには、深刻な悩みがあったんじゃないかと思う。


 ――死にたい奴だけここに残れ


 ……ああ、と思う。私はようやく少しだけ気付けたのかもしれない。ムクロさんのあれは、もしかしたら、単なる自己中な暴言じゃないのかもしれないって。

 ムクロさんはいまだにアクセス禁止処分を受けていないらしく、このサイトにちょくちょくやってきているらしかった。今日はいないから平和だけど、入室してる日は相変わらず一人で暴れてるよ、とみんなが呆れたような発言をした。

 ムクロさんの言葉。文面。態度。そこから考えられること。

 ――それはきっと、単なる私の推測だった。妄想と呼べるものかもしれない。でも、イザナミも言っていた。

 人の話は嘘か本当か分からない。自分で決めるしかないのだ、と。


 その日は深夜までチャットをして、翌朝十時頃に目が覚めた。雲一つない、スクリーンのような青空が広がっている。気持ち悪い。私は青空が好きではなかった。特に、雲がないと、空と自分との距離が分からなくて余計に気分が悪くなる。

 朝食を摂って、猫のトイレを掃除して、水を入れ替えて、部屋に掃除機をかける。いつも通りの平和な日常。掃除機をかけ終わると、私はゲームの電源を入れた。プレイするのは孤独少女。イザナミが一番好きだと言っていた曲だ。私はまだ、これのパーフェクトを出せていない。

 例によって大声で歌いながらプレイする。……イザナミ。あの人は今、何をしているだろう。自殺の幇助をしたら寿命が延びる人間。その話の真偽は分からない。けれどイザナミは確かにそこにいた。私と話をした。何を思いながら、あの人は生きているのだろう。


「おーい、――――!」


 玄関先からお母さんの声がして、私はゲーム機から顔をあげた。孤独少女のパーフェクトはまだ出せていない。私は二階の自室から、真下の玄関に向かって叫んだ。


「なにー?」

「あんた宛てに荷物がきてるんだけど! なんか買ったの?」


 それを聞いた瞬間、私はゲーム機をほっぽりだして、階段を駆け下りた。

 ネットで買い物なんてしていない。私宛てに荷物を送ってくる友達なんていない。

 ――きたんだ。ついに。イザナミから。私を終わらせる『それ』が。

 階段の一番下の段まで来て、私は思わず足を止めた。私宛てにきた荷物。アマゾソの箱。もちろん私は、アマゾソで買い物なんてしていない。だからこれは、イザナミからの贈り物であることに間違いないなかった。けれど、


「あんた、何買ったの? こんな大荷物で」


 小包になるから。そう言っていた割に、大きな箱だった。腰を痛めないよう注意しながら、両手で持たなきゃいけない程度に。しかも妙に重い。数百グラムの薬物と注射器の重さでないのは明らかだった。

 もしかしてイザナミ、ヘリウムを送ってきた? それも、ボトルふたつ。

 私宛てに届いた荷物を、お母さんは明らかに不審な目で見つめた。


「ねえ、何買ったのよ。普段ネットショッピングなんかしないのに」

「う、うるさいなあ。いいじゃん別になんだって!」

「何? 何を買ったらそんな大きな箱になるの」

「あのー。あれ、そう下着! 特売の! だってもうほら、いま穿いてるやつ、ヨレヨレだしみっともないし! だからいっぱい買ったの、下着を!」

「……彼氏もいないあんたが、下着をいっぱい?」

「もういいじゃん、なんでも!」


 私は半ば逃げるようにして、無駄に大きな段ボール箱を抱えながら階段をのぼった。……重い。なんでこんな重いの? ヘリウム? ヘリウムを送ってこられた?

 若干腰に痛みを感じながら、なんとか自室にたどり着いた私は、荷物を降ろして一息ついた。中身がクスリじゃないのは明白だ。だとしたら何を送ってきたのだろう、イザナミは。

 学習机のペン立てからカッターナイフを取り出して、ガムテープに切れ目を入れる。テープは抵抗なく綺麗にまっすぐ裂けた。

 心拍数がわずかに上昇しているのが自分でもわかる。私は少しためらってから、そっと段ボールを開いた。



 段ボールの中に入っていたのは、『まじカル☆ドラゴン樹海ちゃん』の文庫本だった。



 第一部の二十三巻と、第二部の十九巻セット。ぜんぶで四十二冊。それが綺麗に、段ボール箱におさめられている。本の状態からして、どうも新品のようだった。もしかしてこれはフェイクなんじゃないかと思って、文庫本をすべて段ボール箱から出してみたけれど、それ以外は何も入っていなかった。

 私はふにゃりと床に倒れ込んだ。……嘘だったのだ。少なくとも、クスリを送ってくれるという話は嘘だった。クスリの代わりに、ラノベを四十二冊も送ってくるというイタズラ。これにいくらかかったんだろうと、頭の隅で少しだけ計算した。結構な金額だった。


『――私のプレゼントで、あなたが楽しく逝けるよう、祈ってるわ』


 あれを言った時からすでに、イザナミはこの計画を立てていたに違いない。

 私も、イザナミの事を信用しすぎていたのだ。初野ミクの話で盛り上がったのが楽しかったから。ダイエットの話で盛り上がったのが楽しかったから。猫動画の話で盛り上がったのが楽しかったから。

 私はイザナミを信用しすぎた。きっと彼女は今頃思っているだろう。馬鹿ね、と。

 まじカル☆ドラゴン樹海ちゃんの一巻を手に取ってみる。表紙に、タイトスーツを着て赤いランドセルを背負った幼女の絵が描かれていた。赤いランドセルからはみ出る縦笛。そのバックには無駄にかっこいい竜の絵。いわゆる萌え絵というやつで、イラスト自体は可愛いんだけど、小説の設定のせいで色んなものがめちゃくちゃだった。


「……なにこれ」


 私は苦笑しながら、ページをめくった。カラーイラストが数点。そのあと、目次。


「……ん?」


 目次のページに、紙切れが一枚挟まっている。有名保険会社の名前が小さく書かれた正方形の紙は、無料で貰えるメモ用紙らしかった。そのメモ用紙に、何か書いてある。メッセージはボールペンで書かれていて、読みやすい文字はところどころ掠れていた。

 私はそれを読むとすぐに、パソコンを起動させた。お気に入りページに登録していたイザナミのサイトにアクセスする。一瞬だけ画面が真っ白になった後、『お探しのページは見つかりませんでした』と出てきた。サイト自体がなくなっていた。

 次に私は、0507ルームに入室した。イザナミの姿はない。くまのみさんに訊いてみたけれど、イザナミさん最近来てないよ、と言われた。こうなるともう私には、イザナミと繋がる手段がない。


 イザナミはいなくなってしまったのだ。突然。私の前から。


 ――結局私は、イザナミのことをちゃんと理解できていなかった。

 性別も分からない。年齢も分からない。どんな容姿なのかも知らない。生い立ちも詳しく知らない。

 イザナミが本当に『自殺プランナー』というものだったのかどうかも、もう分からない。

 自殺を幇助することで寿命が延びる人間だったのかどうかも分からない。

 最初は私の自殺を幇助するつもりだったのに気が変わったのか、それとも最初からそんなつもりもなかったのか。

 ほとんど何も分からなくて、もはや確かめようがなかった。

 

 ただ一つ言えるのは、イザナミは間違いなくこの世界のどこかに存在しているということだけだ。


 イザナミ。私はその人のことをほとんど何も知ることができなかったけれど、このメモ用紙に書かれたメッセージだけは信じようと思った。嘘か本当かを自分で決めるのなら、このメッセージは『本当』だ。

 その人のことをよく知りもしないのに、この文章だけは本気なのだと確信していた。

 このメッセージはイザナミからの、私宛ての最後の言葉なのだ。


『本当のことだけを、本当に思ってることだけを書きなさい。最後まで嘘は要らない』


 そう言ったのは、イザナミの方じゃないか。


 ――だから私は、もう少し長生きしなくてはならない。メッセージを信じるのなら。イザナミを信じるのなら。

 このメッセージを本当しんじつにするために、私は少しだけ、長生きしなければならない。





『四十年後の十月一日、東京駅の銀の鈴で待ってる。イザナミ』

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