15 ガス
「猫に、まじカル☆ドラゴン樹海ちゃんのコスプレさせてみた」という動画を、イザナミはいたく気に入ったようだった。再生回数は五百回ほどで、埋没動画の方だと思う。雑種らしき茶トラが赤いランドセル(飼い主お手製のもの)を背負っているんだけど、ランドセルのふたが閉まっていなくて、猫が前傾姿勢をとった拍子に中身が全部床に落ちるのだ。教科書とか、縦笛とか。どうもそういうシーンが小説内にもあるらしく、イザナミはものすごく興奮していた。少なくともチャットのログを見る限り、かなり興奮しているようだった。
『こんな動画があるなんて知らなかったわ。すっごく気に入ったこれ。あなたと知り合ってよかった!』
『そうですか、よかった』
『いいわー、これいいわー、樹海ちゃんそのままだわー』
予想以上に喜んでもらえて、素直に嬉しかった。
『――それで、今日はどんな死に方がいいの?』
『この前はマイナーだって言われたので、今日はポピュラーで、苦しくなさそうなやつを選ぼうかと思います』
『ほほう。というと?』
『練炭とか、ガスとか』
これはかなりポピュラーなのではないだろうか。小説やドラマでもしょっちゅう取り上げられているし、集団自殺でもこの方法がとられているケースが多いように思う。あくまで私の主観だが。
イザナミからはまず盛大に突っ込まれた。普通ね、首吊りや飛び降りの次くらいにガスをあげてくる人多いんだけど。あなた遅くない? と。言われてみればそうかもしれない。先ほども言ったけれどポピュラーだし、この方法については、デメリットが少ないようにも見える。
イザナミいわく、ガス自殺については車でやるのがおすすめらしい。家でやると最悪、ガスが漏れて家族はもちろん、近隣の人間まで巻き込む危険性があるからだ。車ならガスを充満させなければならない空間もかなり限られているし、二次被害の危険性も少ない。
しかし、ここで問題が発生した。私は車を運転できないのである。正しく言うなら、運転免許は持っている。いわゆるペーパードライバーなのだ。もっと正しく言うなら、ペーパーゴールドドライバーなのだ。
『ご要望であれば、私が運転して山奥に連れて行ってあげてもいいけど』
……人生最後に、知らない人とドライブか。それはそれでいいかもしれない。イザナミが万が一男だったら、変な事されるかもしれないけれども。自殺志願者がそんなこと気にする時点で変なのかもしれないけど。
『ガス自殺する場合、……というか自殺するなら結構これ持ってた方が良いんだけど。睡眠薬は処方されてる?』
『一応貰ってますが、あんまりストックがありません』
『ちなみに薬の名前は?』
私が薬の名前をあげると、イザナミから『だめ。弱い』という反応が返ってきた。そういえば主治医も、この睡眠薬は老人にも出すものだから、と言っていた。安全性が高い分、効果も薄いのだろう。もしも必要なら効果の高い睡眠薬をあげるから、とイザナミは言う。イザナミが所持しているという睡眠薬の名前を聞いてみたら、よほどのことがない限り現在の精神科ではまず処方されない薬だった。ドラッグといい睡眠薬といい、どうやってそれを手に入れているのだろうかと思う。
『けどまあ、この季節に練炭で死ぬのはちょっと暑いかもね。それから未遂者の意見で、ものすごい頭痛と吐き気におそわれたっていう意見も多いから、練炭も安楽とは言い難いかも。思ってる以上に楽じゃないかもしれない。まあその未遂者の場合、睡眠薬の量とか飲むタイミングとか、いろいろ間違えたんでしょうけど。ちゃんと眠ってたら、さほど苦しくないと思うわ。やり方さえ間違えなければ、致死率もそれなり。だから人気なんでしょう』
練炭自殺は安楽死のひとつみたいな噂を聞いてたのに、そうでもないのかあ。ちょっとがっくりかも。イザナミのくれる睡眠薬をちゃんと飲んだら、苦しまずに死ねるかな。少なくとも人気のある方法であることは間違いないんだけど、練炭。
私がしょんぼりしていると、イザナミが『あ、そうだ』と発言した。
『ガスが良いならヘリウムとかどう? 最近流行りだしてるんだけど』
『ヘリウムって、声を変えるガスですよね? あれで死ねるんですか?』
『死ねるから流行ってるのよ。ただし、ボイスチェンジャー用のじゃだめよ。風船を膨らませるための大容量のやつがいる。目安は八百リットル。四百でも足りると言えば足りるけど、確実性をとるなら八百。大容量ボトル二つ分ね。ヘリウムならアマゾソにも売ってるわよ。「バルーンの時間」って商品なんだけど、あれが一番おすすめかな』
ヘリウム自殺のやり方についてはこれ参照にして、とイザナミがまたもやURLを貼り付けてきた。クリックしてみると、ヘリウム自殺について解説図つきで詳しく説明されているサイトが別窓で開かれた。
なになに。袋をかぶって、タンクとチューブをつないでそれを…………袋の中の空気を抜いて、酸素をなるべく少なくして…………あらかじめ息を吐いて、バルブをひねって、………………バルブの角度がなんだって?
『あのー……』
『ん、どう? ヘリウム自殺、気に入った? それにする?』
『いや、あの、これは』
『なに』
『面倒くさそう……』
『えええー』
そこから、イザナミの怒涛の発言が続いた。
『練炭より流行り始めてるのに? 死体も綺麗って言われてるのに? うまくいけば、あっという間に死ねるって言われてるのに? ヘリウム自体には害がないから、二次被害も出ないのに? そりゃ私も頭に袋被ってる点はみっともないと思うけど、それも私にお任せしてくれたらはずしに行くのに? 失禁もするけどご要望があれば下着もはきかえさせるのに? それでもいや? ご不満? 納得できない? だめ?』
――イザナミのイチオシはどうも、このヘリウム自殺らしかった。というか、私が頼めば頭にかぶってるビニールをはずすためだけに出張してくれるのか。なんて、律儀な。
しかし断言する。たとえ同性であろうとも、漏らしたパンツをはきかえさせられるのは屈辱的である。つまりは嫌だ。そんなのは嫌だ。
それを伝えると、イザナミは珍しく顔文字を使ってきた。しょぼーんとしたやつである。
『……まあ確かに、あなたの自宅にヘリウムボトルをふたつ届けるとしたら、それはもう目立つけれども。ひとつが大きいから』
『どれくらいの大きさなんですか?』
『ボトルひとつあたりにつき。高さ四十四センチ、直径三十一センチ、重さ五キロ』
私は唖然とした。高さ四十四センチ、直径三十一センチ、重さ五キロ。それがふたつも、自宅に送られてくるわけだ。アマゾソの箱に入ってるとはいえ、そんな大きな荷物が送られてこられたら絶対に家族に怪しまれる。もともと私はあまりネットショッピングをしない。……ああ、こんなことなら普段からネットで買い物しておけばよかった。お米でも買っておけばよかった。
――ご希望なら、例えばホテルなんかで待ち合わせして、そこに私がヘリウムを持って行ってもいいけど。それでも嫌なの? ねえねえ。
イザナミはなかなかヘリウムを諦めようとしない。そんなにおすすめなのか、これ……。と思ったら、イザナミがいきなり『やっぱホテルで待ち合わせは無しね』と言いだした。
『あなたがホテルでヘリウムを使って死んで、私が大荷物持ってる映像が残ってたら私が怪しまれる。殺人罪に問われるなんてまっぴらだわ』
この人は…………。
ということで、気を取り直して次の方法である。気を取り直したわけではない。話は相変わらずガス自殺である。
『そうなるとやっぱり、硫化水素かしら……』
イザナミの発言には、文面にこそなかったものの、「ヘリウムだめなのヘリウム」という文字がにじみ出ていた。イザナミ絶対がっくりしてるよね。ヘリウムを渋られたのでかなり凹んでるよね。ごめんねイザナミ。
『えっと。硫化水素ってあの、混ぜるな危険のやつでしたよね?』
『そう。トイレ用洗剤と農薬を混ぜるやつ。今となっては有名よね。ノックダウン』
『ノックダウン?』
『一瞬で意識喪失すること』
二種類の液体を混ぜるだけでそんなことができるなら、バルブの角度がどうこう言ってるヘリウムよりもよっぽど簡単で安楽なんじゃなかろうか。
『さっき、車の運転はできないって言ってたわね。となると、浴室なんかが無難かな。ちゃんと目張りして、毒ガス注意って書いておくこと。ガスが漏れて誰かを道連れにしちゃったら、死んでも死にきれないでしょ? 人殺しになりたい訳でもなし。目張りしたら、容器の中で液を混ぜるだけ。まあ簡単よね』
『そうですね。じゃあ硫化水素にしようかな』
ついに、自殺の手段が決まるかもしれない。硫化水素。なんか科学的でかっこよく聞こえるこれ。安楽死のようだし、致死率も高そう。そういえば最近は、この自殺方法についてネットで書くことを規制されてるとか。つまりよっぽど死にやすいってことだ。これなら……!
『イザナミさん、硫化水素自殺についてもうちょっと詳しく教えてもらえますか。イザナミさんなら、やり方とか知ってるんですよね』
『もちろん知ってるし、教えてもいいけど。……ああ、残念』
イザナミは、いまだにヘリウム自殺の事を引きずっているらしかった。私は苦笑する。
『イザナミさんはそんなにヘリウム推しだったんですね』
『だってあなたが、死んだ後の見た目も気にするタイプの人間みたいだったから。だから首吊りとかも除外されたわけだし』
きっとこれが漫画かなにかなら、イザナミは頬を膨らませて口をとがらせていただろう。
――いや、それよりも何だ? 見た目を気にするタイプの人間みたいだったからって。そういえばさっき、ヘリウムは綺麗だとか言っていた。……硫化水素は違うんだっけ。覚えていない。
なんとなく、「硫」って漢字が気になる。なんか酸性っぽい。もしかして……
『えーっと。硫化水素ってまさか、身体が溶けたりするんですか?』
『溶けないけど、……いやいいじゃないもう。硫化水素自殺で』
『いやそこは聞かせてくださいよ! 死体の見た目とかどうなるんです?』
『――じゃあ言うけど。あなた、グリーン兄さんって知ってる?』
なにそれ。
『知りませんけど』
『グロ耐性はある?』
『あんまり得意じゃないです』
『じゃあ、くれぐれも検索しないで』
どういうこと。
『ええっと。硫化水素とそのグリーン兄さんってのが何か関係してるんですか?』
『してるから言ってるのよ。硫化水素自殺した人間の末路が、グリーン兄さんっていう死体の写真。ちなみに兄さんってあだ名がついてるけど、その写真の遺体は性別不明』
『……グリーン兄さんを文章にすると、どのような状態で?』
『文才のない私にそれを書かせるの? そうねえ』
――カビでも生えたみたいに肌が灰色がかかった緑色で、目の周りは青黒く、瞳は闇を映し出しているかのように空虚で、鼻はいびつな形になってて、ちょっと吐血してる感じ。
「…………」
人間の肌ってそんな変な色してたっけ? 私、二十六年間の人生で何回かお葬式に行ったことあるけど、ほとんどみんな黄色か黄土色だった。はずである。緑色なんて前代未聞だ。ゾンビですら緑じゃない。
『ええっと。それ本当ですか?』
『気になるなら、グリーン兄さんで調べれば?』
いやだこわい。
『分かりました、イザナミさんを信じます。で、なんでそんなことに?』
『一言で言うなら、ヘモグロビンが硫化ヘモグロビンになるから。それが肌の色を変える』
『硫化水素で、他に留意する点は?』
『そうねえ。死体から腐卵臭が漂う。文字通り、腐った卵のにおいね。温泉の硫黄のにおいって言ったらちょっと伝わるかしら』
『……それってつまり臭いんですよね?』
『平たく言ってしまうならそうね』
『でも、ノックダウンなんですよね?』
『そうね。ただし』
『ただし?』
『ノックダウンに失敗した場合、粘膜が焼けるような痛みにもだえ苦しみながら死ぬことになる。その頃にはもう痛みが酷すぎて、外に逃げることすらできない。殺虫剤をかけられたゴキブリみたいに、床の上をバタバタすることになる。そうやって、ようやく死んだら身体がグリーンなの。まったくもって、ロマンチックな話だと思わない?』
よし、硫化水素はやめようそうしよう。私がそう伝えると、イザナミは『言うと思った』と笑った。いや、笑ったかどうかは知らないけど、笑ったと思う。なんとなく。
これまで話にあがったのは首吊り、飛び降り、飛び込み、入水、焼身、失血死、餓死、凍死、感電、銃器、ガス。――たとえばリスカして首吊りする、みたいにこれらを『ミックスする』という話はまだ出ていないけれど、それでも大分色んな可能性が潰れた気がする。
『こうなってくると本当に、手段が限られてきましたね……』
『そうね』
でも実はねえ、とっておきのがある。今までもったいぶって言ってなかったけど。
イザナミの発言に、私は目を丸くした。なんで今まで言ってくれなかったんですかと質問すると、『だってとりあえずお客様の意見は全部聞いてから答えを出したいじゃない』と返ってきた。そういうものなのだろうか。
『なんなんですか、そのとっておきって。あ、もう老衰はなしですよ』
『もちろん。自殺の手段の話をするわよ。……ねえ。あなた、私がドラッグでも強力な睡眠薬でも手に入れられるって言ったの、覚えてないの?』
――言っていた。確かに。銃器は無理だけど、薬は手に入るって。
『つまりね、自殺プランナーの特性を活かす方法を選ぶのなら』
私はその方法をすっかり忘れていた。というよりも、最初からリストに入れていなかった。だって、普通なら致死率が低すぎる。
だけどそれはあくまでも、私みたいな一般人が手に入れられる「モノ」で実行するのならの話だ。自殺プランナーのイザナミが計画するのなら、
『一番いい方法は、クスリよ』




