13 樹海
その日の私は暇を持て余していた。イザナミと話す時間がない。それだけで、スケジュールがまるごとぽかんと空いてしまった。ニートという生き物は、趣味や目的がない限り、本当にやることがない。
午前中、私は映画を一本鑑賞した。東尋坊さんが言っていた、ゾンビ&ゾンビという映画だ。タイトルからも分かる通り、ゾンビ映画である。
この作品の少し変わっているところは、主人公がゾンビになってしまっているところだ。厳密に言えば、ゾンビに噛まれたところから物語が始まって、彼がゾンビになっていくまでの様子や心境を描いている。感染していない人間から迫害されたり、全身の痛みと戦ったり、他のゾンビを見て絶望したり。
そういうのが延々と二時間続いて、ラストでは主人公が自ら死んだ。ゾンビになりきる前に、自分で頭を撃ち抜いたのだ。半分ほど腐ってしまった顔で笑って、引き金を引いて、発砲音が鳴り響いて画面が暗転。そのままスタッフロール。……なんだか複雑な気持ちになった。
ゾンビ映画を見終わったのは午後一時頃で、私はのんきに昼食を食べた。レトルトのハンバーグ、トマトソースがけ。ゾンビ映画のあとによくそんなの食べるな、と言われそうだけれど、私は案外平気である。トマトソースの酸味が強すぎて、それがちょっと残念だった。
午後二時。暇である。明日の今頃はイザナミと話しているんだろうけれど、今日の私は特に予定がない。友達は結婚して育児に追われているか、働いていて仕事に追われているかのどちらかで、昼間からこんなにゴロゴロしてるのは私くらいだった。遊ぶ友達もいない。電話する相手もいない。困った。
そんなわけで私は、またもやあの0507ルームへと足を運んだ。チャットルームに足を運ぶという言い方は妙だけれども。この日の入室者は六名となっていて、今日は妙に多いなあと思った。日によってばらつきがあるらしい。私は入室ボタンを押した。
『イノリさんが入室しました』
イノリ:こんにちは
東尋坊:こんー
モロヘイヤ:こんにちは
パフェ:はじめまして!
ミル貝:どうも
てすと:こんにちは
……あれ、五人しか反応がない。私は入室者一覧を見た。東尋坊、モロヘイヤ、パフェ、ミル貝、てすと、――――ムクロ。今日もいるのか、この人……。
モロヘイヤさん、パフェさん、ミル貝さんは初対面だ。なのになんでか、名前を知ってる気がする。なんでかな。ええっと。
てすと:それでミル貝さんは、調理師を諦めたんですか
てすとさんの、この一言で思い出した。ああそうだミル貝さんだ。前回ここに入室した時、話題になってた人。くまのみさんと東尋坊さんが話していたのを思い出す。調理師を目指すためにこのサイトから抜けたって確か言っていた。でも、今日は入室している。
ミル貝:諦めたわけじゃないけど、やっぱきつい
てすと:そうですか
ミル貝:俺やっぱりだめなのかな
パフェ:そんなことないよ! 貝くん、料理上手じゃない!
モロヘイヤ:夢があるっていいことだと思う
ミル貝:うん。学校にはまだ通ってるんだけど……
てすと:ふむ
東尋坊:もうしばらく通ったら? 今やめるのもったいねー
なるほど。調理師を目指してたのに、雲行きが怪しくなってきたのかあ……。それでこのサイトに相談に来たのかな。
ミル貝さんの悩み事を中心に、話し合いが続いた。調理師について、私は詳しくないけれど、ミル貝さんが本当に料理が好きなのはすぐに分かった。将来、貝類専門の店を出したいらしい。なんだかコアなにおいのする店だけれど、そういう店があっても面白いと思う。モロヘイヤさんの言う通り、夢があるっていいことだと思うんだけどなあ。
ミル貝さんを中心に、一時間ほど話をした。あいにく誰も調理師免許についてはくわしくなくて、だから学校の様子なんかはよく分からなかった。ミル貝さんは、将来のことを特に気に病んでいるようだった。「どうすればいいか分からない」を度々繰り返す。つまり彼は、先の見えない将来のことばかりを考えていた。ミル貝さんが弱音を吐くたびにみんな、「どうにかなるよ」とか「大丈夫だよ」とか、つまりは無難な言葉を繰り返すばかりだった。
三十分経った頃、思い出したかのようにてすとさんが言った。
てすと:ムクロ、さっきから無言。いないの?
……そういえば、私が入室してから一時間半、ムクロさんは一言も喋っていなかった。入室だけして、放置しているのかもしれない。そう思った矢先、発言があった。
ムクロ:いるけど
てすと:なにしてたの?
ムクロ:本読んでた
ムクロさん、読書なんてするんだ。意外すぎる。あんな子供っぽい人でも本を読むのか。どうせ、エロ本か何かじゃないの? 漫画とか。なんとなく気になって、私は訊ねた。
イノリ:ムクロさん、何の本読んでたんですか?
ムクロさんの反応は早かった。ぽん、と一言。
ムクロ:まじカル☆ドラゴン樹海ちゃん
……聞いたことのあるタイトルだ。なんだっけ、その変なタイトル。なんでこんなに聞き覚えがあるのだろう。おかしいなあ。
――ああそうだ、イザナミだ。彼女が言ってた気がする。そういうラノベの話。確かそういう感じの、変なタイトルだった気がする。確かというか間違いなく、そのタイトルだった。
そんなに有名なのかその本。たしかに、何十冊も出てるって言ってた。そこまで続いているのだから、人気なのは確かだ。
イノリ:それって確か、何冊も出てるシリーズものですよね
ムクロ:そうだ。第一部で二十三巻、第二部で十八巻まで出てた
イノリ:出てたって、なんで過去形なんですか
ムクロ:本日、第二部の十九巻が発売されたからだ! ぐふふ
イノリ:そうなんですか
ムクロ:だから俺様は今、読書に忙しいのだ。ぐふふ
ああ、今日が発売日だったのか、その本。…………。
――もしかしてイザナミ、その本を読みたいがために今日は私とチャットしないって言ったんじゃなかろうか。ていうか十中八九そうだよね? あれだけ熱弁してた本の新刊発売日ってことはそうですよね。私よりも、まじカル☆ドラゴン樹海ちゃんの最新刊を優先しましたよね?
ムクロ:まじカルマだ
本当にまじカルマだわ。その言葉の意味わからないけど。
ムクロ:ところで。お前ら、いつまでその話してるの?
ミル貝:その話って、俺の話?
ムクロ:そう。そのムダ話のことだ!!
モロヘイヤ:無駄話って……
パフェ:ムクロさん、ちょっと酷いんじゃないかな
ムクロ:いーやムダだね。すごーくムダ。どうでもいいね!
てすと:そうですか
ムクロ:パフェの一番上にのってるミントくらいどうでもいい!
なにその意味の分からない比較。どこから出てきたのその言葉。ちなみにその次のムクロさんのセリフは『俺はあのミントは絶対に食べない、よける、捨てる、きんもい』だった。そこまでミントを軽蔑しなくても。
ミル貝:どうせ俺はどうでもいい存在だよ! ふーんだ!
パフェ:ミル貝さん落ち着いて。ていうか、もしかして飲んでる?
ミル貝:ちょっとだけー。へへへ
モロヘイヤ:さっきから様子が変だと思ったら……
ムクロ:ばかだな。ていうかなんでここにいるの? 貝は
イノリ:悩んでるからでしょう
ムクロ:学校で相談すればいいじゃん、そんなん
いいか、俺様が今からすごくいいことを言うからよく聞いておけ。――そこからはムクロさんのターンだった。
ムクロ:お前、このサイトに来てる時点で時間の無駄な
ムクロ:ヤケ酒しながらチャットするなら、料理しろ
ムクロ:腕あげろ。根性見せろ
ムクロ:今のお前にはそれしかない。料理しかない
ムクロ:だったらとりあえず料理しとけ
ムクロ:ここでトークセンス磨くなら、包丁でも研いでろ
ムクロ:お前ここ来んな。きんもい
ムクロ:今のお前はきんもい。すごく……きんもいです……
ムクロ:だがしかし! お前が進化したらば!
ムクロ:今のきんもい状態から脱却したならば!
ムクロ:お前は俺様に感謝し、料理を無料提供するであろう!
ムクロ:ふははははは!
……ところどころサイボーグ用語が混ざっていたかもしれない。何回「きんもい」を言ったか分からない。けどなんとなく、なんとなく、彼の意見を否定できなかった。
ムクロさんの意見は、全部が全部、否定ではないように見える。あくまでも好意的に取るならの話だ。実際この言葉を自分に向けられたら、私はやっぱりショックかもしれない。現にミル貝さんはショックを受けたようで、たちまち喧嘩に発展した。東尋坊さんは『香ばしい香ばしい』と言いながら退室したし、てすとさんは『気持ち悪い』と一言呟いてだんまりになってしまった。
子供のような喧嘩が二十分ほど続いて、ついにミル貝さんが『もうここには来ねーよ!』と言いだした。お酒の影響もあるのか、元からの性格なのかは分からないけれど、彼もそれなりに暴言を吐いていた。パフェさんとモロヘイヤさんがなだめようとしたけれど無駄だった。
ミル貝:お前なんかが食いにこれないような高級料理店作ったる
ムクロ:はいはいワロスワロス
ミル貝:ぜってー無料提供なんかしねーし!
ムクロ:はいはいがんばってねー
ミル貝:じゃーな、口だけ野郎!
『ミル貝さんが退室しました』
あー、ミル貝さん行っちゃった……。それを皮切りに、しらけたのか空気が悪くなったのか、パフェさんもモロヘイヤさんも続々と退室してしまった。
私と、ムクロさんと、サイレントモードのてすとさんだけが残った部屋で、ムクロさんの発言があがった。
ムクロ:ゴミ掃除が終わった! てってれー
ムクロ:いい仕事をしてしまった……
ムクロ:気持ちがいい
ムクロ:このサイトが、俺の理想に近づいていく。ぐふふ
ムクロ:プリン食べよ
プリン食べよ、の五秒後に、ムクロさんは退室してしまった。今日はあまりお話できなかった。
さすがにサイボーグという話は嘘だと思う。サイボーグがプリンを食べるなんて聞いたことないし。彼の発言は基本暴力的で、傍から見ればあれはきっとただの荒らしだ。
けれど私の心のどこかに、彼の存在がひっかかりはじめていた。発言や、行動や、思考が。なんとなく心の隅にひっかかって、もやもやして。でもそれが何なのかまでは、分からなかった。




