11 ムクロ
約束の二十三時。私とイザナミはほぼ同時に入室した。カランカランとベルの音が立て続けに鳴る。私はとりあえず、言っておきたいことをまっさきに言うことにした。
『こんばんは。イザナミさん、なんで逃げちゃうんですか!』
『なんの話』
なんの話、じゃない。
『今日のお昼ですよ。ムクロさんが入室してきた時の』
『ああ。だって面倒くさいんだもん、彼。いちいちつっかかってくるし。すぐに喧嘩して、論破論破言うし。実際、彼の言い分は全然論理的じゃなくて、つまりは論破になってないし。私の事ババアって言うし。私の事デブって言うし。私の事干物って言うし。私の事アフォって言うし。私の事ババアって言うし。私の事ババアって言うし』
主に後半部分が問題なんですね分かります。
ムクロさんってずっと昔からあのサイトにいるんですか? と訊いてみたら、少なくとも私があのサイトを使いだした頃にはもういたわね、とイザナミ。それって結構長いんじゃなかろうか。少なくとも、くまのみさんや東尋坊さんよりも長い。昔からずっとあんな性格だったのだろうか。よくもまあ、毎日あのサイトに来るなあ。死にたい人間を叩いて、そんなに面白いのだろうか。
『彼って何者なんですかね? なんであのサイトに来たのかなあ』
『んー? そうねえ』
なんとなく、イザナミの返信が変だ。キレが悪いと言うか。
……もしかして、
『イザナミさん、何か知ってるんですか』
『そうねえ。二人きりの時に、ちょっとお話したことはあるわね』
やっぱり。私は前のめりになって、キーボードを叩いた。あの摩訶不思議な人のことを、少し知りたいと思った。単なる好奇心だけれども。
『どういう人なんですか、あの人』
『ムクロのこと? 彼に直接聞いたら?』
『正直、彼とはあんまりお話できそうにないかと』
『まあそう思うでしょうねえ』
あんまり個人情報話したら、彼に悪いわね。どこまで話そうかしら。真相を隠しすぎたら分かりにくいだろうし、言いすぎてもどうかと思うし。そうねえ、どうしようかなあ。――イザナミは五分ほどもったいぶって、けれども結局は『まあ全部話しても彼は怒らないか』などと発言し、いきなり突拍子もない単語を使用した。
『あの子はね、サイボーグなのよ』
私は恐らく、パソコンの前で、それはもう間抜けな顔をしていただろう。眉間にしわが寄っていたと思う。口が半開きになっていたとも思う。目も見開いていたと思う。顔文字でよく見かける、ぽかーんとした間抜けな表情。顔のパーツ全てを使って、私はあれを体現していたかと思われる。
そもそも、サイボーグってなんだっけ。人間じゃなかった気がする。いや人間じゃない。機械と人間の間みたいなやつだったはずだ。超合金みたいな身体の。そんなのが地球上にいて、しかもチャットしてるなんて聞いたことがない。イザナミは何を言ってるの? しかし、イザナミの説明はここで止まらなかった。
『とあるところにとある組織があって、そこの人間があのサイト……0507ルームに目を付けた。なんて汚いものの集まりだろうか、ここは汚い思考の集合体だ、こんなサイトは必要ない、潰さなければ。組織の人間はそう思った。それで、あのサイトやそこに寄生する人間を潰すために、サイボーグを作った。それが彼、ムクロ』
画面上にぽんぽん浮かぶ発言を見ながら、私は完全に言葉を失っていた。なんの組織なのかさっぱり不明だし、なんであのサイトに目を付けたのかもよく分からないし、必要ないと思った理由も分からないし、あのサイトを潰すためにサイボーグを作ったとか話が飛躍しすぎている。
『私が彼から直接聞いた話は、以上なんだけれども。なんか質問ある?』
以上ではなく異常だ。質問がないほうがおかしいだろう。
『……それ、本当にムクロさんが言ったんですか』
『そうよ。私がこんな変な話を作るわけないでしょう』
『イザナミさんは……その、サイボーグだのなんだのっていう彼の主張、信じてるんですか』
『信じてる』
――たった四文字の発言だけど、決意がないと言えない言葉だと思った。
『彼は最初、私と話すのをかなり渋ったのね。「どーせお前信じないだろ」って。私は絶対信じるからって言って、この話を教えてもらったの。だから信じる。信じるって約束したから。話が終わった後、彼にも言われたわ。こんな話を信じたのか? お前アフォだなって』
『アホだなって……。それってやっぱり、作り話なんじゃないですか?』
『どうかしら』
どう考えても作り話でしかない。なのにイザナミは、本気でそれを信じているようだった。
『例えば。本当に例えばだけど、彼が妄想型の精神疾患を患っていたとする』
ああ、彼がそうだって言ってるんじゃないの。精神疾患があるって聞いたこともないし、様子を見る限り違うと思うわ、とイザナミは付け足してから話を続けた。
『精神疾患のせいで彼自身、自分はサイボーグなのだと絶対的に信じてるとする。その人が「俺はサイボーグだ」って言ったとして、その話は『嘘』になると思う?』
『……うーん』
『少なくとも、彼にとっては「本当の話」でしょう。だから、嘘じゃないわ』
『でもムクロさんのそれは、きっとわざと言ってますよね? 作り話として』
『そうかもしれない。でもこれは、受け手である私自身の問題でもある。私が「本当の話」だと思えば、その話は私にとっては「本当」なのよ。だって、所詮チャットで話したことよ? 顔も名前も知らない人から聞いた話。真偽の確かめようがない。嘘か本当かは、自分の頭で判断するしかないの』
私はサイボーグ説を信じてるから、とイザナミはもう一度言った。仮に喫茶店かどこかで向かい合って話していたのなら、イザナミはどんな顔をしてこの言葉を言ったのだろう。
『だから私にとって、彼はサイボーグなのよ。……あなたもあなたで決めればいい。彼の話が、嘘か、本当か。世の中にあふれかえってる物語なんて、ほとんどがそうよ。嘘か本当か分からない。自分で決めるしか、ないの』
それに、その組織の考えることもちょっと分かるから。イザナミの発言に、私は首を傾げた。その組織というと、いかにも嘘っぽいムクロの話に出てくる組織のことだろう。0507ルームを潰すために、サイボーグを作ったという。
『0507ルームは確かに、負のオーラみたいなものがあったりする。自殺サイトのチャットだから当然と言えば当然だけれど、やっぱり皆、いろいろあるから。普段はバーチャルアイドルやらゲームの話やらで、そういうマイナス面は隠しているけどね。闇が深いわよ、あそこは』
『そうでしょうか。私が見る限り、健全なサイトですけど。集団自殺を募ってるわけでもないですし』
『まあね。……もちろん、励ましあったりするのは良いことだと思う。けれどたまに、それこそムクロが暴れて負のオーラが丸出しになった時なんかに、ここはもう壊した方がいいんじゃないかなって思う時もあるわ。他人に対して、ちょっと攻撃的になる気分も分かる』
――そうだろうか。私はまだ0507ルームを数回しか使ったことがないけれど、あのサイトはあれでいいんじゃないかという気がしていた。最初こそ、「死にたい人用のサイトのはずなのに、死にたい話ができない」なんて戸惑ったけれど。
けれどあそこでは初野ミクの話して、ゲームの話して、友達を増やして。それでいいんじゃないかと思い始めていた。
自殺サイトとはいえ、死にたいだのなんだのそんな暗い話なんて、きっと「たまに」する程度でちょうどいいんだ。現実逃避する場所だって必要だもの。
くまのみさんは優しいし、大将さんとは話があう。他の人とも仲良くなったら、きっと楽しい。楽しく話せる場。それでいいと思うのに。
けれどイザナミはどこか、あのサイトに対して否定的だった。
『……そういえばイザナミさん』
『なに』
『あっちのサイトで、ささやきって機能を使ってるじゃないですか』
『ええ』
『あれって、利用規約で規制されてるんじゃないですか?』
『規制されてるわね』
さらり。まるで何事でもないかのような、イザナミの発言。今日はいい天気ね、くらいの適当さだ。
つまりは文面を見る限り、そこに罪悪感は微塵も見られなかった。
『今日、くまのみさんが言ってたじゃないですか。利用規約を守らなかった人が、アクセス禁止になったって』
『ああ、顔文字君のこと?』
『イザナミさんもやばいんじゃないですか? あれ』
『バレなきゃオッケーよ、そんなの』
『……バレないんですか? ささやきを無断使用しても』
『規約違反というのは、バレないようにやるものでしょ』
それでいいのだろうか。もしかしたらイザナミもそのうち、あのサイトでアクセス禁止処分を受けるかもしれない。まあ、彼女がもしもあっちのサイトでアクセス禁止処分を受けたとしても、このサイトで喋ればいいんだけれど。
『そもそも顔文字君が消息不明になった原因は、誰も知らないし。あのサイトに不正アクセスしたっていう噂もあるけど、それもあくまで噂だもの。アクセス禁止になったっていうのは実は嘘かもしれないわ。もしかしたら顔文字君自らの意志で、あのサイトを卒業しただけかもしれないし。……あるいは』
死んだのかもね。
イザナミの発言を見て、私はゾッとした。そうだ。あのサイトが自殺サイトである限り、その可能性も否定できない。一般的なサイトに比べ、自殺サイトで消息不明になるということは、『その可能性』も大きいのだ。
顔文字君は私のお客様じゃなかったから、死んだかどうかは知らないわねえ。お客様だったら、死んだかどうかちゃんと見届けるから分かるんだけれども。
……イザナミの文章は、どこまでも他人事だった。いや、他人事なのだろう。だって、このサイトのトップページにも書いていた。
――私は、見知らぬあなたが死んでも悲しくもなんともないですから。
『さて、ムクロたちのことはこの辺でいいかしら。本人がいないところで、答えの分からないことをいつまでも論議するのは不毛だと思わない?』
イザナミはやはり、普段と変わらない文体でそんなことを言った。文面でしか予測できないけれど、画面の向こうで、きっとすごくどうでもいい顔をしているのだと思う。イザナミにとっては、お客様でないムクロさんも顔文字さんも、興味というか仕事の範囲外なのだ。
『首吊り、飛び降り、飛び込み、入水、焼身、失血死は除外された。大分限られてきたと思うけれど、まあ、死ぬ手段なんてまだまだ沢山あるから』
イザナミはそれを言う。きっとなんのためらいもなく。少しおかしな日本語で。
『今日はどんな死に方がいいの?』




