10 追放
精神科を出て、回転寿司で一人虚しく昼食を食べ、帰宅すると午後二時過ぎだった。イザナミとの約束は二十三時。まだまだ時間がある。直帰せず本屋にでも寄ってくればよかったかなあ、などと考えながら私はパソコンを立ち上げた。主治医との話題にもしたことだし、暇だし、もう一度0507ルームに行ってみようと思ったのだ。先日0507ルームで初野ミクの話をした時、なんだかんだで楽しかったというのもある。
0507ルームに入室してみると、誰もいなかった。平日の午後二時に、人がたくさんいるのも変だけれど。この前は数人いたのにな。たまたまだったのかな。
けれど午前中にムクロさんが来ていたらしく、彼のログが残っていた。
ムクロ:しずかだ
ムクロ:今日はしずかだ
ムクロ:誰もいない
ムクロ:邪魔なやつは俺がやっつけたからな
ムクロ:これが、この部屋の真の姿だ
ムクロ:しずかだ
ムクロ:これでいい
ムクロ:ここは死にたい奴のための部屋だ
ムクロ:死にたい奴だけが、ここに残るんだ
これだけを言い残して、退室している。入室時間は約五分。ムクロさんがこの部屋にいるから、誰も寄り付かなかったんじゃなかろうか。この人がいたらすぐ喧嘩になるみたいだし……。
私は入室してから十分ほど、動きのないチャット画面を見続けた。誰も入ってこない。チャットルームに一人でいるのは、すごく暇だ。もしかしたら夕方あたりまで、誰も来ないかもしれない。学生や社会人は、夕方以降しか来れないだろうし……。
私は手元にあるゲーム機をひきよせて、昨日に引き続き初野ミクのゲームをプレイし始めた。今日は何にしようかなあ、と楽曲選択画面でしばし悩む。よし、『ぼっちの最果て』にしよう。もちろん歌う、大声で。
「ぼっちーぼっちーがけっぷちー! こじれてねじれる運命がー! 中二病を目覚めさせー!」
私が歌い始めて一時間立った頃、パソコンがカランカランと音を立てた。
『東尋坊さんが入室しました』
東尋坊:こんー。いるの?
東尋坊:あれ、放置中?
私は慌ててゲームを片付け、パソコンに向かい合った。……東尋坊ってなんだっけ。なんか聞いたことある。私は二窓して、東尋坊を検索した。すると、絶景と言えば絶景の、断崖絶壁の写真が出てきた。――ああそうだ、東尋坊って自殺の名所で有名な崖っぷちだ。サイトがサイトとはいえ、なかなか恐ろしいハンドルネームを使う人だなあ。
イノリ:います! こんにちは
東尋坊:はじめまして。てすととかくまのみはいないのか
イノリ:今日はまだ来てないです。
東尋坊:あいつらも来る時間帯がバラバラだからなあ
イノリ:東尋坊さんはここの常連さんですか?
東尋坊:いや、そうでもない。知らない連中の方が多いな
『くまのみさんが入室しました』
東尋坊:噂をすれば
イノリ:こんにちは
くまのみ:呼ばれた気がした(笑)
くまのみさん、本当にいいタイミングで入室してきてくれた。くまのみさんは害がない人だって分かっているから安心だ。でも東尋坊さんは今日が初対面。ぶっちゃけ、初対面の人と二人きりでチャットするのは緊張する。イザナミの時も最初は緊張したもんなあ。しかもこの東尋坊って人、男の人みたいだし……。
安堵している私の耳に、電子的なベルの音が届いた。
『イザナミさんが入室しました』
…………え?
くまのみ:イザナミちんだあ! こんにちわ!
イザナミ:こんにちは
東尋坊:こん。お前もまだここ使ってるのね
イザナミ:ええ。暇だし
くまのみ:イザナミちんがこの中では一番古株かな?
イザナミ:そうね
イノリ:こんにちは
――ビビりすぎて「こんにちは」のタイミングがずれた。なんでこのタイミングでイザナミが来るの。タイミングがいいというか悪いというか、なんというか。
私とイザナミは毎日、イザナミの作ったチャットサイトで自殺について語り合っている。でもここ、0507ルームで会うのはまだ二回目だ。いきなりフレンドリーに話すのも妙だろう。
どうしよう、イザナミってここではなんの話してたっけ。……あ、初野ミクか。それなら仲良く会話してもおかしくないかも。でも、最初にこの部屋に入室したあの日、私ずっと無言だったからなあ。今更イザナミと話すのも変かな。
そう考えていたら、水色の発言が表示された。
『イザナミ > YOU 適当に話していけば? 夜まで暇でしょ』
『イザナミ > YOU ただし、あまり私に話しかけないで』
ささやきという機能で送られてきた発言だ。東尋坊さんとくまのみさんには、この発言が見えていない。
イザナミが良いと言うのなら、ここにいても問題ないのだろう。でも確かに、イザナミと話していたらボロが出そうだ。彼女が自殺プランナーだって、他の人は知らないわけだし。
私はしばらくルームに残ることを決意して、ログを追った。イザナミがささやきを使って私に話しかけている間も、くまのみさんと東尋坊さんの会話が続いている。イザナミもそれに参加している。私にささやきつつ、くまのみさんとも話していたとは。なんて器用な。
東尋坊:このサイトってまだ管理人見てるの? もう放置?
くまのみ:幻の管理人って言われてるくまー
東尋坊:だよな。なんか今も、変な荒らしがいるみたいだし
イザナミ:ムクロさん?
東尋坊:そう、その香ばしいやつ
イザナミ:酷い発言が続くようなら、彼も追放じゃない?
東尋坊:でもここも無法地帯だろ? それなら追放もない
くまのみ:管理人さん、幻だけどいるらしいくま
東尋坊:あ、そうなの?
くまのみ:規約違反で追放された人、何人かいるくまー
えっ、あの雑すぎる利用規約、一応成り立ってるの? みんなの会話を見ながら、私は内心で突っ込んだ。追放というのはつまり、アクセス禁止処置をうけることだ。特定のIPアドレスからでは、このサイトに入れなくなる。
東尋坊:誰だよ、追い出された奴って
イザナミ:東尋坊さんが知ってる人だと、にゃあさんかしら
くまのみ:最近だと、顔文字くんかなあ
東尋坊:にゃあってのはあれか、死ね死ね言ってた奴か
イザナミ:そう。口が悪い男
東尋坊:あれは仕方ない。卑猥な発言も多かったし
イザナミ:そうね
東尋坊:顔文字はなんで? あいつは健全じゃん
くまのみ:詳しくは知らないくま
東尋坊:知らないのかよ
くまのみ:でも、「管理人が禁止してること」やったらしいくま
東尋坊:管理人って何を禁止してたっけ
イザナミ:暴言、卑猥な発言、無意味な発言の連打、集団自殺の勧誘
東尋坊:どれも、顔文字がやるとは思えないけどなー
くまのみ:でも、顔文字くん、いなくなっちゃったくま
東尋坊:管理人が禁止してる、何をやったんだか
くまのみ:わからないくま
「…………」
管理人が禁止していること。暴言、卑猥な発言、無意味な発言の連打、集団自殺の勧誘。しかし、その他があることを私は知っていた。
――イザナミさっき、私にささやきを使いましたよね。
この前も普通に、ささやきなる機能を使ってましたよね。
あれって、『管理人は使えないようにしてる機能』だって言ってましたよね。
つまりささやきって、『管理人が禁止してること』ですよね?
それをハッキングして、自分だけ使えるようにしたって言ってましたよね。
管理人が禁止してることをやってるわけですよね。
イザナミ:悪いことしたなら、追放されるべきじゃない?
いやそれ、人のこと言えませんよねイザナミ。
それからしばらくは、「あの人はどうなった、この人はどうなった」という古株ならではの話が続いた。ミル貝くんなら調理師目指すからってこのサイト抜けたよ。味ポンちゃんは結婚するらしい、そういえば最近見かけてないや、結婚式の段取りで忙しいのかなあ……。
新参者の私は話についていけず、たまに『そうなんですか』と発言する程度。くまのみさんが『イノリちゃん、分かりにくい話でごめんねくまー』と気を使ってくれた。この人は語尾に「くまー」がついていたりするけれど、基本的にとても優しい人だ。最初は変とか思ってごめんなさい。
そんな会話が二十分ほど続いたころ、新たな入室者がきた。
『ムクロさんが入室しました』
――げっ! ムクロさん!
と思った直後、イザナミからささやきがきた。内容はいたってシンプルである。
『イザナミ > YOU めんどくさいから抜ける』
え!? と思っている間に、イザナミはぽんぽんと発言を続けていた。
イザナミ:ムクロさんこんにちは
イザナミ:あ、もうこんな時間なのね
イザナミ:ごめん、そろそろ出かけるから落ちるわ
イザナミ:それじゃまたね
東尋坊:おー。おつ
くまのみ:またねー。くまくまー
『イザナミさんが退室しました』
うわあ、この人あっさり逃げ出したよ! ムクロさんこんにちは以降のセリフ、現実世界なら絶対棒読みでしょうこれ! 私は画面の向こうのイザナミに盛大につっこんだ。
どうしよう、私も退室してしまおうか。でもこのタイミングで退室するのもなんだか失礼かなあ、と思っていたらムクロさんが発言した。
ムクロ:ぼっよえ~ん
ムクロ:イザナミ、俺の事避けたな。別にいいが
ムクロ:あいつも大概アフォだから、早くどっかいけばいい
ムクロ:ということで、お前らも早くどっかいけ。ばーか
やっぱりこうなるか……。私は溜息をついた。
くまのみ:今日は真面目な話してたくまよ?
ムクロ:あそーぅ。知らんがなネカマ。ばーかばーか
東尋坊:ムクロ……なんて香ばしいんだ……
ムクロ:誰お前。俺、お前のこと知らん
東尋坊:ゾンビ映画の話したことあるだろ、一回
ムクロ:知らん。あっちいけ
東尋坊:ゾンビ&ゾンビの話とかしただろーが
ムクロ:覚えがないなー、まったくないなー
東尋坊:途中でお前、「デッド」って名前使って一人二役してたじゃん
くまのみ:なにそれー?
東尋坊:その時ね、「ムクロ」が先に入室してたんだけど、
東尋坊:あとから「デッド」っていう荒らしが入室してきた
東尋坊:あれ、同一人物だろ? 「デッド」もお前だろ?
ムクロ:知らん。俺様は常に一人だ
東尋坊:いーや。あの時の「ムクロ」と「デッド」は同一人物だね
くまのみ:パソコンとスマホ、同時に使ったくま?
東尋坊:そんなとこだろな
ムクロ:知らんわ。デッドのことも知らんしお前のことも知らん
東尋坊:お前それ本気で言ってんの?
ムクロ:東尋坊やよ。お前の存在感はコンドームもビックリの薄さだ
東尋坊:それは驚きだな。俺も驚いたわ
ムクロ:お前を使ってえっちしたら妊娠するな。破れる
東尋坊:変なもので擬人化するな
ムクロ:お前、今度からハンネ「岡本うすうす」にすれば?
……今のこれとか卑猥な発言にならないの? 私が耐性なさすぎなの?
ムクロ:大体お前ら、平日の昼からなにしてるわけ? 仕事しろ
東尋坊:ブーメランだな、お前こそ仕事しろよ
ムクロ:俺はしてる。税金も納めてる
くまのみ:くまのみは『しゅふ』くまー。主婦か主夫かは秘密
ムクロ:うっさいネカマ。家事してろ。あっちいけ
東尋坊:あっちあっちうるせー奴だな
ムクロ:イノリは? お前仕事してんの?
ここで私に振られるとは思わなかった。しかも、よりにもよって仕事の話か……。隠しているわけではないので、とりあえず正直に返答する。
イノリ:今は無職です
ムクロ:あそーぅ。親泣かせだな
イノリ:だから死にたいんです
ムクロ:あそーぅ。プリン食べよっと
――私の死にたい発言よりもプリン優先ですかそうですか。
しかし、結構グッサリくることを言われてしまった。真正ニート? でない限り、無職なのは結構気にしていたりする。実家にパラサイト状態というのは、あんまり気持ちのいいものではない。少なくとも、私にとっては。
くまのみさんに『イノリちゃん、しんどいなら退室した方がいいくま。ムクロたん、いつもこんな感じだから』と言われ、私はさっさと退散した。ムクロさんと、あまり関わりたくなかった。あの人はやっぱり荒らしだと思う。そのうちアクセス禁止になるはずだ。
それにしても彼はどうしてあそこまで、他人に対して攻撃的なのだろう。




