むっちゃんとの出会い
デイサービスってどんなんだろう。
我が家から地下鉄に乗り五つ目の駅、そこからバスで二十分ほど。やってきました、春爛漫とやらの大きな施設。
「ごめんください」
受付に声を掛ける。若いハンサムな男性が振り向いた。
「いらっしゃいませ」
「はあ、あの、こちらに今日からお世話になる小日向文子の家の者です」
「はい、もういらっしゃってます」
「今日は見学をさせていただくことになった母が急用ができたので代わりに娘が来ました」
「さあ、どうぞ」
明るい色のカーテンからの日差しが暖かい。
若い男性は名札に『むっちゃん』と書いてる。
「僕は武藤猛と言います」
「あの、私は小日向佐織です」
「お忙しいのにすみません。一応デイサービスってどんなことをするのか見ていただくと一番わかりやすいものですから」
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
「この名札はみんなが覚えやすいように親しみを感じていただけるように書いています」
「むっちゃんですか」
「はい、猛だと勇ましくて僕に合わないんです」
感じのいい話ぶりに乙女の心は華やいでいく。いいところに来たじゃない、おばあちゃん。
「小日向さんは談話室でくつろいでます」
そこには三十人ほどの高齢者がいた。七割は女性だ。車いすの方は各班に一人はいるようだ。似たような人たちがグループ分けされてるようだ。祖母の周りは話好きの人が集まってるようだ。私には聞き飽きた話をしているのだろう、頷くみんなも楽しそうだ。朝の不安な様子は微塵もない。
「すっかり溶け込んでいるみたいですね」
「ええ、よかったわ」
「皆さんがこれからされるのは、血圧と脈拍を計測してノートに書きます。なるべくご自分でされるようにしています」
手にはよく見る方眼ノート。
「これには今日の昼食メニューや血圧などのほかに、僕たち職員が写した写真を貼ってもらいます。家族の方にどんな表情だったか見ていただいたり知っていたくためのものです」
ふーん、丁寧なんだなあ。いわゆる保育園の時のお知らせノートと同じね。人間って巡り巡っていくのね。
「この後はお風呂に入る方は浴室へ向かいます。入らない方はプレイルームで体操をします」
体操と言ってもラジオ体操のようなものをするらしい。これは口の体操もあって唾液が出るように舌を動かしたり口をすぼめたりするものや発音をはっきりさせるようなものだ。この運動で食べこぼしや誤嚥をなくすらしい。知らなかったなあ。
さらに筋力をつけるためにスクワットのようなことや足の曲げ伸ばしなどをおもりをつけながらするという。もちろんできる範囲でだが。この運動をすることで転んだり体が横揺れするような歩き方だった人がまっすぐに歩行するようになるという。ベッドでの起き上がりや椅子の立ち上がりも楽になるという優れものだ。そういえば、この私も最近運動不足だ。一緒にやった方がいいかもしれない。
さらに食事もなかなか豪華な七百円。この日のメニューは麻婆豆腐とトマトとキュウリのサラダ、五穀米にシイタケのすまし汁。さらに杏仁豆腐がデザートだって。食べたいわ。
そんなメニューもノートに書いて家庭にお知らせするんだからいいわねえ。我が家の昼よりずっといいわよ。今日の我が家は昨日の残りの干し大根と目刺しだわ。
乾燥機に入れた膨大なタオルが部屋に運ばれると、みんなでたたみ始める。それができると三ポイントもらえるとか、水を飲んでも一ポイント。こうして貯めたポイントは食後のコーヒーや紅茶などに使えるんだって。考えてるなあ。つまり、自分で稼ぐということね。生き生きするはずだわ。
「おばあちゃん、それは私が後でするから」
「おばあちゃんはテレビでも見ていたら」
みんなが親切にしていることは祖母にとってどうなんだろうか。ポイントをもらうと嬉しそうに自分のポーチに入れる高齢者たち。まだまだ現役だ。
「いかがですか」
「ええ、なんかすごいですね。想像していたよりずっと楽しそう」
「そう言っていただけると嬉しいです。あの、インフルエンザの注射をしていますか?」
「私?」
「いえ、小日向文子さん。まだのようでしたら、ここは高齢者が集まるのでなるべく予防注射をしていただきたいのです。高齢者のインフルエンザは命取りになりやすいので」
「わかりました。明日連れて行きます」
そうよ、そうなの。本当にそうよね。
ここまで考えてくれるところってないわ。少なくとも私は全然考えてなかったな。
振り返るとクイズに答える祖母の声。正解と言われて満面の笑顔。こんな顔見るの、本当に久しぶりだわ。
「では、一緒にいかがですか?」
「いえ、楽しそうだから私は遠慮しておきます。これからよろしくお願いします」
深々とお辞儀する私。こんなお辞儀は小学校の卒業式以来だわ。
バス停に向かいながら、鼻がつんとしてきた。
自分の心に驚くわ。
「帰りにみんなにケーキでも買って帰ろう」