プロローグ
彼女は真っ白い部屋で拘束されていた。
名前はなく番号で呼ばれる。
「今日の体の調子はどう?」
私はいつものように優しく語りかけた。
「全然問題ない」
彼女は目尻を下げる。本物の笑顔なのか、偽りの笑顔なのか判断するのは難解。
血液を採取して、タブレット端末のデスプレイに一滴垂らす。体温、呼吸、脈拍、血圧、精神状態も正常。バイタルの数値だらけだった画面に赤く『処刑OK』の文字が浮かぶ。判子で押されたようなバン!という効果音つきなので、いつも内心ビクッとしていまだに慣れない。
「外してあげる」
ベッドで横になっている彼女には、革製の拘束具が巻いてある。私はそれを取り外していく。自由に動けるようにしてあげるのだ。
「一人で大丈夫なの?」
長期間縛られて痛かったらしく、手首を動かしながら私を気遣う。
「刑務官は人材不足で一人なのよ」
「へぇー」
彼女はフフフッと口元を緩めた。
「まずこれを着てもらいます」
私はステンレスのワゴンで運んできた宇宙服そっくりのモコモコっとした白いスーツを差し出す。
「なんで刑務官と同じスーツを着用しないといけないの?」
「外は寒いのよ」
「宇宙と同じくらい?」
「そうよ」
私の答えに納得したのか、彼女は大人しくスーツに腕を通す。私が着ているスーツとデザインや素材は同じで、違いは私の方に背中に大きく “刑務官 ”とプリントした文字の部分があるだけ。
「ヘルメットの装着は上に行ってからでいいわよ。いまからだと息苦しいでしょ」
「よかった」
彼女はヘルメットを小脇に抱える。
二人で真っ白い部屋を出た。まるで宇宙飛行士になった気分。
廊下を出た突き当りがエレベーター。三角形のボタンを押すと、扉が開く。天井と床が円形。半円の窓には景色。炭素原子一個分の厚さのグラフェンという素材のシートが貼られ、過去の地球の景色を映し出す。
「きれいね」
彼女は窓に近づく。
「化学的にとても単純なハチの巣状の六角形の格子構造の素材で映像を見せているの」
「へぇ~」
彼女は緑色に潤った森の景色を掴むかのように手を伸ばす。鳥の群れの姿も見える。私の説明には関心がないようだ。
あまりにも熱心に窓を注視している時間が長いので、開放的な景色に見惚れているだけではなさそうな気がしてきた。
彼女は人格が入れ替わっていないか、自分の顔を確認したいのではないだろうか?
拘束していた部屋にもエレベーターにも、鏡のように自分の顔を映すことがないように配慮された構造になっている。見たらショックを起こすかもしれないので、彼女にとっては良かったかもしれない。
「最期にこんなきれいな景色が見られるなんて思わなかったわ」
彼女の声は悲哀に満ちていた。
どうやら私の考えは思い過ごしだったようだ。
「喜んでくれてうれしいわ」
「刑務官らしくない反応ね」
「どんな罪人でも最期くらいは優しく接するのがモットー」
父から受け継いだ言葉だった。
「付き添うの何回目?」
「言えません」
「名前は?」
「言えません」
刑務官が個人情報を安易に晒すことは禁じられている。
「ケチ」と言いながら彼女は微笑む。「お父さんのことは話してくれたのに」
そうなのだ。
私はミスを仕出かしている。
厳格で生まれたときから私の進路を決めてしまった父親の愚痴をうっかりこぼしてしまったことがあった。
「あれは嘘。いまどきそんな化石のような思考を持った父親が存在するわけないでしょ」
と煙に巻いたが、彼女は「密告する機会を逃しちゃった」と微笑む。
エレベーターの上昇に合わせて、見下ろす景色へと様変わりする。森の木々も小さくなり、地平線を彎曲させ、地球の丸さを再認識させる演出。この建物の威厳を見せつけている。
旧約聖書の創世記第十一章。ノアの洪水後、人間が天にも届くようなバベルの塔を築き始めたのを見て、驕りを怒り、神は塔を崩した。それなのに人類は、また、このような高い塔を造ってしまった……なんて、この高い建物を揶揄する人達もいる。
「ここのセキュリティーって、穴だらけね」
彼女の口調が突然挑戦的になる。
「私も一応銃を持ってるのよ」
私は腰の膨らみに手をかける。
「でも、このスーツを着てたら、動き鈍いわね」
「大丈夫、上に到着すれば兵士がいるわ」
「兵士……でも、このエレベーター内に監視カメラがないわよ」
「加害者尊厳法で最期の映像は残さないことにしてるの」
「変な法律だね」
「私もそう思う」
ポケットの膨らみのところにあるボタンを静かに外す。が、それよりも彼女が体を半回転させ、勢いをつけたヘルメットを私の顔面に叩きつけるほうが早かった。