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ぼくらのTRPG生活  作者: K島あるふ
#01_ぼくらのTRPG生活
9/208

09お風呂に行こう

 メリクルリングRPGのスキルは大きく『パッシブ』スキルと『アクティブ』スキルに分けられる。

 『パッシブ』スキルとは『宣言の必要がない』スキルの事。状況により自動的に発動するスキルだ。

 『サムライ』や『シールドワーク』など、スキルがあることでボーナスが得られるタイプはだいたい『パッシブ』にあたる。

 『アクティブ』スキルは宣言が必要なタイプ。状況に応じて使い分けるスキルだ。

 『ハイディング』や『オーラスキャン』は『アクティブ』にあたる。




 夜が明ける前、衛兵たちが諦めて詰め所へ帰るのを見計らって、アルトたちは街を脱出した。

 顔は見られていないはずだが、それでも遠目で背格好は割れているし、あの騒ぎの後に怪しい一団が街から出れば、門で止められるだろうからだ。

 とはいえ、脱出には一苦労があった。

 門は単純なつくりで簡単に開けられそうだったが、すぐ近くに夜番の詰め所があったため、平和裏に突破するのは難しいと思われた。

 最終的には塀の破損箇所を念入りに探して越えるという、大変な手間と時間を要したわけで、結果、街から数百メートル離れた頃には、ちょうど空が白み始めていた。

 さすがにここまで来れば、よほどの不運がない限り警吏の手は届かないだろうと、一同は草原に伸びる小道の上で大きく安堵の息をつき、強張った表情を緩めた。

 先日も訪れた、ゴブリンの住む館がある村まで徒歩で数時間。トラブルだらけだが今回の作戦も大詰め。切り札である賃貸契約書は入手済みである。

 もう勝ったも同然な気分のアルトの足取りは軽い。『鎖帷子(チェインメイル)』の重量を感じさせる、ジャラジャラと言う音交じりの足音は、聞く者に『軽やか』と言う印象は与えなかったが、それはあくまで他人の評価だ。

 またマーベル、モルトの足取りも軽やかだ。こちらは鼻歌のデュエットすら聞こえる。調子付いたレッドグースが草笛で伴奏まで加える始末だ。

 ただ女性陣の浮き足の理由は実はアルトとは少々異なる。それはゼニーの事務所で時を待つ間に出た、一つの話題が起因する。



 時は数時間前のこと。

「おふろ入りたいにゃ」

 方針が決まり、後は出立の機を測るばかりの時、マーベルがポツリと呟いた。

 まだ夜は少し肌寒い時期ではあったが、それでもあちこち歩いた2日間で入浴の機会がないのはこたえる。

「湯桶を用意しましょうか?」

 親切から出たゼニーの言葉にうなづきつつも、マーベルはいまいち納得がいかない表情だった。実のところ清拭だけなら教会に宿泊した日にも頂いている。

「風呂やなぁ…」

 同調してモルトがしみじみとうなずく。

 湯桶と手拭で行う清拭でも身体の汚れはある程度は落とせるだろう。しかし何はなくとも1日1回は風呂につかる、お風呂の国の女性たちだ。清拭だけでは満足できないのも無理はない。

「風呂、ですか…?」

 この世界にも風呂はもちろんある。

 しかしガス湯沸し装置もない世界の事である。入浴の為の設備を用意するのは庶民には高くついた。

 その為、殆どの庶民は日々を清拭で済ます。湯船につかるのは、共同入浴場がある大都市か温泉地の住人か、そうでなければ病人、もしくは貴族などの裕福層の習慣だった。

「この街ではちょっと難しいですねぇ」

 もちろん、この小さな街に共同入浴施設はない。もしかすると個人で持っている人がいるかも知れないが、さすがにそれは知る由もない。

「いや、この街にあっても、そもそも行けないし」

 呆れたようにアルトは返すが、かく言う彼だって、そこに湯船があるならいろんな疲れを流したい気分であるのは変わらない。

 ゼニーはこの運のない冒険者たちを不憫に思っているようで、何とかならないかと頭を捻りる。

「…あ」

 何かに思い至ったように頭を上げるゼニー。彼を熱く見つめる女性たちの目は、大いに期待に満ちていた。




「お屋敷のおふろ、どんなかにゃー」

「いやいや、あまり期待せんどこ? 中世西洋では風呂文化なかったらしいやん?」

 古いヨーロッパを参考に考えられたファンタジーでは、中世文化に順ずる事も多い。モルトの発言もそんな根拠で出ているのだろう。

「いやいや、それは勘違いですぞ。ローマのすばらしい風呂文化を見なされ」

 古代のローマでは、皇帝が民の歓心を得る為に大浴場を作ったと言う。湯船につかる文化が日本に伝来したのは6世紀ごろなので、風呂の歴史でいえばローマの方が深い。

「あれ? でも風呂がないから香水が発達したとか聞いた事あるぞ?」

「キリスト教が普及してからの話ですな。人前で肌をさらす公衆浴場は、キリスト教的には嫌われたようで」

「くわしいね」

「ええまぁ」

 レッドグース、なぜかとてもいい笑顔だ。

 あの後、ゼニーの口から告げられたのは『屋敷には確か風呂設備があった』という貴重な情報だった。

 一同は『掃除を念入りに行う』事を条件に設備の使用許可を取り付け、それが今のモチベーションの高さに繋がっていると言ってよい。

 もっとも、本来の依頼内容が『屋敷の掃除』であったので、風呂があろうがなかろうが清掃する予定ではあったのだが。

 ゼニー的にも『設備に問題がないか』事前にわかる訳で、特に断る理由もなかった。

 とにかく、ことが無事に済めば、本日夕方には念願のお風呂タイムが待っている。女性陣の歩みが浮き足立つのも無理はない。


 気分が上を向いている時はその足並みも良く進む。

 アルトたちが件の屋敷前に到着したのは、予定より早い時間だった。日が昇るかいなやの時間に街を出ていたので、今や暢気な貴族なら遅い朝食にかかるような時間だ。

 屋敷の正門には先日とは違うゴブリンが、またもや2人1組で歩哨に立っている。

「今度は初めから自動通訳モードでいきましょう」

 そういうので、ナップサックから取り出された宝珠(オーブ)は、今はマーベルの手に抱えられている。あまりに発言が少なかったので仕舞われていたようだ。

「なんて言って行ったらいいんだろうな」

 切り札たる契約書は手に入れたが、具体的な使い方を想定していなかった事に気づき、アルトが一同を振り返る。殆どの目は『任せた』と口ほどに語っている。

「ではここはワタクシが」

 やれやれというため息でも聞こえそうな態で、レッドグースが名乗り出る。

 短い付き合いだが、これまでのさまざまな経緯を考えると、何かと不安を抱かずにいられなかった。それでも特に対案があるわけでなし、アルトは不承不承と場と件の賃貸契約書預ける事にする。

 レッドグースは旅で乱れた服の裾を整えると、ゆっくりと堂々とした歩みで屋敷の門へと向かった。

「大家の使いでありますぞ。世帯主にお目通りを願います」

 歩哨のゴブリンは頭の上に疑問符を浮かべつつ、戸惑いながらも開門するのだった。


「『またお前たちゴブか』と言っています」

 ゴブリンの王たるゴブライ・ゴブルリッヒ3世に謁見した冒険者たちを出迎えたのは、まず呆れたようなため息だった。

 ゴブリン王、と言ってもいくつかの群れを束ねるだけの存在で、それは人間社会の国王とは少々意が異なる。せいぜい『この近辺の部族を束ねる族長』という程度の存在だ。

 所詮ゴブリンだが、侮る事はできない。

 王は人間並みの知力を持ち、学びさえすればさまざまな知識を身につける。

 ゴブライ・ゴブルリッヒ3世もそんな『ゴブリンにしては』賢い王であった。

「『その酒樽は初めて見る顔ゴブ』」

「お初にお目にかかります、ゴブリンの賢王様。旅の『吟遊詩人(バード)』、レッドグースと申します」

 尊大な態度のゴブリンに対し、レッドグースは恭しく大仰な礼をする。態度は相手を尊重するかのようだが、その口元は笑っている。慇懃無礼と言うヤツだ。

「本日はこの屋敷の持ち主であるウッドペック卿の使いで参りました。残念な事に、この賃貸契約は本日この時を持って終了とさせていただきます」

「『誰がそんな話信じるゴブか。こっちは契約書だってあるゴブよ』」

「それがホレ、こちらにもこの通り」

 はじめは人間の戯言と思っていたゴブリン王だったが、レッドグースがこの賃貸契約における本契約書を広げて見せると、見る見るうちに青ざめた。状況が判っていない取り巻きのゴブリンも、そんな様子にオロオロと、交互に冒険者と王を見る。

「『そ、そんな一方的ゴブ! 賃借人の権利はどうなるゴブ!』」

 不利でもすぐに切り返すゴブリン王。見た目にそぐわずホントに賢い。ゴブリンにしてはだが。

「そう言われましても困りますな。『甲の持つ契約書が破棄された時に効力を失う』とこの契約書には書かれてますから。我々がこの契約書を持っていると言う事は、つまりウッドペック卿が、すでにこの契約書を『破棄』したことに他ならないわけですぞ?」

「『ぐぬぬ』」

 畳み掛けるレッドグースにゴブリン王はぐうの音も出ないようだ。しかし追撃の手はまだ緩めない。

「さぁ早々に退去を約束願えますかな? さもないと我々も強硬な手段を使わねばなりませぬ」

 まるきり脅迫の言葉を放ちながらレッドグースは身を横に捌き、行く末をきょとんと見守っていたアルトを押し出した。

「ささ、アルト殿」

 意味もわからず慌てたアルトだったが、レッドグースの目配せに、腰に佩く『無銘の打刀』の鯉口を切って見せた。

 アルトの背にどっと冷や汗が吹き出る。

 ここで彼の一団と衝突すれば、アルトたちは大打撃をこうむるだろう。いやそれどころか勝てる保証だってない。

 今日見かけただけで王、宰相役、戦士2匹、歩哨2匹、合計6匹のゴブリンが相手に回る。しかも王や宰相役、戦士が普通のゴブリンと同じ2レベルであるとは限らない。

 しかしレッドグースは自信に満ちて堂々としている。

 ハッタりだ。

 こちらがゴブどものレベルを把握できないように、向こうもこっちのレベルなどわからないはずだ。しかしこっちは先日、歩哨のゴブリンを打ち倒すという実績を見せている訳で、ハッタリの勝算が見えないわけではない。

 そこまでわかればアルトも腹をくくるしかない。出来るだけ堂々と、一行のツルギ役を全うしようではないか。

「こ、今宵の愛刀は血に飢えている。錆になりたいヤツからカカッテコイ」

 ダメだった。台詞がてんで棒読みだ。後ろからはマーベルが噴出すのを必死にこらえてる様子が伝わってきた。

 しかしそんな大根役者ぶりでも効果はてきめんだったようだ。

 側近たちは揃って青くなり、王は断念するように頭をたれた。

「『わ、わかったゴブ。言うとおり屋敷を明け渡すゴブ』」

 膝の力を失ったように崩れ落ちるゴブリン王、側近たちはそんな王を労わるように駆け寄って支える。

 そんな痛ましい姿にトドメを刺すため、レッドグースが一歩踏み出す。

「さて、では退去に先立ち、屋敷の大掃除を始めますぞ」

「『な、掃除なんて知らないゴブ。お前たちで勝手にやるゴブ!』」

「発つ鳥、後を濁さず、と申します。退去前の現状復帰は借主の義務ですぞ? それともリフォーム代を置いていってくれますかな?」

 賃借人の権利、などと先に持ち出した以上、義務を放棄するわけにも行くまい。ゴブリン王は言葉に窮し、再びがっくりと頭を垂れる。

 一部始終を、一番後ろで眺めていたモルトは、冷めた目で小さく呟くのだった。

「なんや、これ」




 昼をはさんで、日が一番高いところから傾く頃には、屋敷の掃除は終了した。

 賢いとはいえ所詮はゴブリン。寝室や居間、食堂はかなり荒れ果てていた。

 しかし矢継ぎ早に飛ぶレッドグースからの指示は驚くほど的確で、ゴブリンの一団を信じられないほど勤勉なハウスキーパーに仕立て上げた。

 たしか向こうの世界では『自営業』といっていたレッドグースだ。人を使う事に慣れているのかもしれない。

 おかげで手の開いた他の3人は、それぞれが気になる部分に専念することが出来た。それは書斎であり、入浴施設だった。


 この屋敷の元の持ち主のものか、それともウッドペックや黒幕のものなのか、この屋敷には小さいながらも立派な書斎があった。

 ゴブリンたちは書物に興味なかったようで、ゴブリン王と宰相役のゴブリンだけが出入りしていたそうだ。

 ちなみに直接聞いてみたのだが、宰相役の羽飾りをつけたゴブリンは『ゴブリンシャーマン』と言い、生意気にも魔法を使うらしい。

 書斎のラインナップは主に博物学のようで、この世界の自然界に存在するさまざまな事物についての図鑑や研究書が並んでいた。

 学生であり、休み時間は図書室にいる事の多いアルトは実は本好きだ。時間さえあればここの本も読んでみたかったが、残念ながらその余裕はなさそうだ。

 なので適当な1冊を選んでナップサックに放り込み、あとは目的に絞る事にした。

 目的とは『事件の背景を探る事』である。

 逃げる事には決めたが、かといって同じ世界から来た仲間であるカリストをほったらかしにするのも後々気分が悪いだろう。

 もちろん、まさかズバリの回答がこの部屋にあるとは思わない。しかし、なにせここは名義上ウッドペック氏が購入し、目的を持ってゴブリンたちを住まわせたと思われる物件だ。探る手がかりくらいはあるかもしれない。

 掃除の間、興味深い本に脱線しながらも、果たして、アルトはいくつかの書付や手紙を見つけることに成功した。



「うひゃー、掃除、大変そうやわ」

 風呂場はすぐに見つかったが、書斎とは逆になかなかひどい状況だった。どうやらここは食料の洗い場にされていたらしい。

 ゴブリンどもに『食材を調理する』と言う概念はなかったが、盗んだ野菜の泥を落とすくらいの知恵はあったらしい。

 浴槽は落とされた泥でそれはもうデロデロだった。

「水道の詮はどこかにゃ?」

 すでに袖をまくり裸足になったマーベル。掃除に対する気合は十分だ。しかしモルトは浴槽の惨状にテンションの低下を止められないでいる。

「そんなんあるわけないやん。あったら楽やけど」

「でもアレ」

 よく見ればマーベルの指す壁に、獣の顔を模した像が口を開いていた。高級な風呂を想像した時に必ず出てきそうな、お湯が流れ出る口だ。

「うわ確かに。出そうやな、あれは」

 結果から言うと水は出た。

 浴室内にバルブはなかったが、屋外に回ってみれば浴室に湯を供給する為の、ドラム缶のような釜があったし、釜に水を供給する為の小さな水路が、近くの農業用水まで伸びていた。

 これなら風呂の為に何度も桶で水を汲む必要がない。実に現代的なシステムだ。

「なんや、なかなかやるやないの、この世界の職人も」




 空は茜に染まる。

 掃除が済んでみれば、入浴設備は思った以上に立派だった。

 浴槽は広く、ゆうに5人は入れるほどであったし、浴室を照らす為のランプは数多く、壁の色は淡いピンク色。床は磨かれたタイルが敷き詰められており清潔感があった。

 新しく焚き上げた湯は透きとおり、部屋一杯に湯気を立てていた。

「わーいおふろにゃおふろにゃっ」

 ねこ耳とポニーテイルを揺らしながらマーベルが浴槽に向かって駆け寄る。その後をゆっくりと歩くのはモルト。お嬢様風の髪は頭の上に結い上げ、手拭で縛ってある。2人共入浴の準備は万端だ。

「アンタ、猫なのにお風呂好きなんやなぁ」

「猫と違うもー」

「飛び込んだらアカンで、ちゃんとかけ湯してからや」

「はーい」

 2人は並んで湯船から掬った湯を身体にかける。かたや、けして大人にならない永遠のねこ耳少女、かたや人間の倍の若い時期を持つハーフエルフの乙女。大小並ぶと親子に見えなくもない。

 マーベルはふと隣に並ぶ女性を見てギョッとし、そしてため息を吐く。

 たしか大学生だと言っていたが、高校生になったばかりの自分には、遥か先をゆく大人の女性に見えた。お酒が絡むとちょっとダメな大人ではあるのだが。

 高校生は子供だ。しかも今の姿は小学生並み。なぜこんなに違うのだろうか。

 いや、落ち着きとか、器量とかそういうことではない。なぜこんなにも質量が圧倒的なのだろうか。

「どしたん?」

 急にテンション下がったマーベルに首をかしげるモルトだが、マーベルの眼前で大きく揺れたそれが原因であるとは思いもしなかった。

「いやー…見事なほどに、ぺったんこだにゃぁ、と」

 苦笑いを浮かべながら自分の身体を撫でてみる。悲しいくらい何にもない。お腹の方がぽっこりしているくらいだ。

「そやなー。まぁケットシーやし、しゃーないわ。向こうならもっとあったやろ?」

 元の世界でも会ったとはいえ、正味1時間も共にしていない内にこの世界である。そこまで観察していなかったのでモルトの記憶は曖昧だ。

 目の前でたぷんと揺らしながら尋ねるモルト。女のマーベルでも目が逸らせない。

「も、もちろんあったにょ。び、いやCくらい? かにゃ?」

「そうかー」

 あかん、地雷踏んだ。それがモルトの感想だった。

「ちなみにモル姐さんはどのくらい?」

 おそるおそる、まさに怖いもの聞きたさの心境で言ってみる。目の前でぷるんと揺れるのを見ると、女の自分からしても迫力に圧倒され思わず凝視してしまう。

 モルトはあごに手を当ててしばらく考え、そして首を傾けながら答えた。少し照れくさそうだ。

「どうやったかな…えーと、エ…」

 やはり恥ずかしいのか言葉尻が妙に小さかったが、すぐ近くにいたマーベルには問題なく聞き取れた。

「おっ、おぴゃーっ」

 つい、口から変な悲鳴が漏れた。




「おぴゃーっ」

 ドラム缶を横に倒したような形の風呂釜と悪戦苦闘するアルトの耳に可笑しな叫びが飛び込んできた。

「あいつ、何やってんだ?」

 額の汗を拭い、腰を伸ばす。中腰で長くいたためかなり痛い。

 釜の燃焼室の火はすでに下火だったが、もう湯船に大量の湯を供給することもないだろう。後はアイドル運転で十分だ。

「おおアルト殿。お疲れ様ですな」

 そこへ現れたのは、何やら詰まった袋を2つ持ったレッドグースだった。

「ああ、お疲れ様。その袋はどうした? ゴブどもは?」

「ゴブリンたちはとっくに退去しましたぞ。ワタクシは村で食料調達したところです。今晩はここに宿泊ですからな」

 明日は屋敷のチェックと報酬の受け渡しを兼ね、不動産商人ゼニーがやってくる予定になっている。

 街への出入りが難しくなったアルトたちへの配慮でもあり、彼らはここに宿泊しつつ、ゼニーの来訪を待つつもりだ。

「ところで女性陣は入浴中、ですかな?」

「ああ、そうだよ」

 軽い流れの会話だったはずだが、アルトの返事を聞いた途端、レッドグースの目は真剣さを湛えた。

「そう、ですか。…GM、ワタクシ、ちょっと『ハイディング』を」

「まてい!」

 すかさずアルトが背後から羽交い締めにする。もっともスキル使用宣言は羽交い締めでトドメられるものじゃないので気分の問題だが。

「何をするのですかな? ワタクシはちょーっと散歩に」

「姿消してどこ散歩する気だ」

「ハイディング・ハイキング。なんちて」

 寒い。早く風呂入りたい。

「アルト殿! よく考えてくだされ」

「何をだ。おっさん絶対覗きに行くつもりだろ」

「モルト殿の事です。モルト殿はいつもゆったりした法衣か、『胸部鎧(キュイラス)』なのでわかり辛いでしょうが、あれはかなり、相当なものですぞ?」

「…」

 つい想像して顔が赤くなる。

「それともマーベル殿のようなつるぺたがお好みで?」

 想像して、さすがに萎えた。ないわー、イカ腹はないわ。

「後生だー! この時のために『ハイディング』取ったのに、殺生じゃーっ!」

「いや、さすがにそれは、嘘だろ?」

 嘘だ、と断言できない当たりが、レッドグースという男の評価だった。




 屋敷をまんまと追い出されたゴブリン王の一団は、村を外れた先にある、小さな林の狩人小屋にやってきた。

 そこに住もうというわけではない。ある人に合うためだ。

 小屋には細身で長身のエルフがゴブリン王の来訪を待っていた。

「お前の言うとおり、アレを置いてきたゴブ」

 小屋は暗くエルフの顔は見えなかったが、闇の中で彼は笑ったような気がした。

「そうかご苦労だった」

 細身のエルフはもたれていた壁から背を離し、ゴブリン王に小袋を投げてよこす。いくらかの銀貨が詰まった袋だ。

「お前たちには近いうちに、また働いてもらう。連絡するまで適当に過ごせ」

 細身のエルフは禍々しい漆黒のマントを翻す。ゴブリン王は息を呑み、無言で何度もうなずいた。こいつに逆らっては無事で済まぬ、そんな思いが脳裏を駆けたのだ。

 口元だけでふてぶてしい笑いを浮かべるエルフの男は、ゴブリン王の脇をすり抜けて外へ出た。

 夕日の赤が彼の顔を照らす。それはメガネをかけた黒衣の男だった。

 男は一人、林へと消えていった。

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