03暗殺者の影
空から降って来た異形の虫人間。
その禍々しい姿から今すぐ目を逸らしたい。それが本音ではあるが、かといって外の騒ぎの張本人となればそう言う訳にも行かない。逸らしたが最後、などと言うことになりかね無いからだ。
またそれは虫人間も同じなのか、着地姿勢のまま静かにアルトたちを窺っている。
一触即発、なのかどうなのかも解らない。なにせ相手は亜流を含む人類種かどうかすら判断付かないのだ。
そんな状況で、冒険者達は油断無く身構え脂汗を滲ませた。
だが結局その硬直は、やはり塀の外からやって来た者達によって破られる。
「マクラン少佐!」
そう叫びながら、まず若い軍人らしい風体の男が抜き身の『両刃の長剣』を携えやって来た。その後には同じ装備に身を包んだ彼の上司らしい中年が続く。
よく見ればどちらも帝国騎士の軽装備だ。
呼ばれたマクラン卿はすぐさま視線だけで2人の顔を見止め、軽く頷きながら自らも『両刃の長剣』を抜き放つ。
「参謀本部長がお出ましとは、コイツそんな大物ですか?」
戻した視線は蓬色の異形から離さず、すぐ斜め後ろで立ち止まった軽装の帝国騎士に疑問を投げる。問われた中年騎士もまた虫人間を見つつもゆっくりと頷いた。
帝国騎士にしては線の細い神経質そうな男だ。参謀本部長などと言うからには、騎士は騎士でもどちらかと言うとデスクワークが得意なのかもしれない。
「ボーウェン治安維持隊隊長マクラン少佐に協力を要請する」
「あの怪物の逮捕、ですか。ちと厄介そうだ」
異形の赤く大きな複眼と合った気がして、背筋に少しばかりの悪寒が走る。マクラン卿は、その巨躯から比較すれば『短剣』にも見えてしまいそうな剣を身体に引き寄せて構えた。
「コナ中尉、少佐と共にあの者を即座に無力化せよ」
また中年騎士は先行していた若い騎士にそう命じ、自らも『両刃の長剣』を抜いてマクラン卿の隣へと進み出る。
「了解」
若い騎士は眉を引き締めて返事を上げた。マクラン卿と比べればひと回り以上小さく感じるが、背格好や年頃はアルトに近い。ただ少しだけ日に焼けた肌がアルトよりも逞しく見えた。
さて、最前線に立つコナ中尉と呼ばれた若騎士の返答が引き金となった様で、この時、周囲の空気が一変した。戦闘フェイズが開始した証拠である。
3人の帝国騎士、対峙する異形の虫人間、そして人形姉妹を守る様に陣形取る冒険者達。見ればいつの間にか集った野次馬が、遠巻きに庭の隅や塀の上から覗いていた。
誰から斬りかかるのか、そんな興味の元に各々が固唾を呑んで見守る中、だがしかしそんな思惑など気にも留めずに変化を始めたのは、着地姿勢で膝を着いたままの虫人間だった。
変化、と言っても目に見えるものではない。それは敏感で素養のある者だけが感じ取れるものだ。
「風にゃ、『風の精霊』がアイツに集ってるにゃ」
素養者の一人であるねこ耳童女が警告の声を上げる。とは言え、だからと言ってすぐさま動けないのがラウンド制バトルの因果である。
ならば、ここに集った亜流も含む人類種の中で最も素早い者がやるしかない。
すなわち、草原の妖精族ケットシーのマーベルだ。
「にゃにが狙いかわからんけど、とりあえず『バニッシュ』にゃ!」
「承認します」
彼女の宣言が薄茶色の宝珠を介して世界に融ける。途端、突き出された小さな指先から眩く白い閃光がカメラフラッシュの如く周囲に広がり、そして瞬間的に消え失せた。
『バニッシュ』は『精霊使い』のスキルの一つで、他人が使役する精霊を強制的に契約解除して精霊界へと送還する効果がある。しかし、その視覚効果が過ぎ去った時、かのねこ耳童女は自分が失敗した事を知り眉をしかめた。
異形の虫人間の周りに集った『風の精霊』は、まるで何事も起らなかったと言う態で漂っているのだ。
もちろんスキルの成否もあるだろう。だがこれはそう言うことではない。つまりはこの『風の精霊』どもは異形に使役されている訳でなく、自然現象として集まったと言う事だ。
そして順序は巡り、蓬色の異形が動き出す。
『精霊使い』からは『風の精霊』に包まれる様に見えた異形だったが、別に精霊を呼んだ訳ではない。ただ何かの準備の為に風を纏っただけだ。
また、着地姿勢のまま動かずにいたと思われた虫人間だったが、それもまた風と同様に準備であった。
では何の準備か。その回答はすぐに目に見えて明かされる。
異形が充分に屈めた全身を、目にも留まらぬ速度で伸び上げる。するとどうだ、よく効いたバネの様に、彼は天高くへと飛び上がったのだ。
つまり、始めに空から降って来たと思われたのは、この驚異的なジャンプからの着地であり、今はまたその大ジャンプを衆目に披露したと言う訳だ。
戦いに臨んでいた帝国騎士も冒険者も、はたまた遠巻きに見守っていた野次馬達もこれには唖然である。
一瞬にして虫人間が消え失せた空を、人々はしばらく口を開けて呆然と見上げるのだった。
せっかくのお茶会は有耶無耶のうちに解散となり、アスカたちは「仕事がある」との事でマカロンを送りがてらと館を辞した。
残ったのはアルトたちとマクラン邸の面々、そして異形の虫人間を追って来た帝国騎士2名である。
興味深々な野次馬どもに解散を促しつつ、一同はひとまず庭からマクラン卿の執務室へと場を移す。
幾つかの書棚と酒類が並んだダッシュボード、そして丈夫そうな執務机に客用の応接セット。お馴染みの家具に囲まれながらも、誰もが立ったままだった。
いつもより人数が多いことと、各人の位が微妙に判らなかったからだ。
「レギ帝国西部方面軍参謀本部長、バーター中佐だ」
「参謀本部付き騎士中隊隊長、コナ中尉です」
このままでは埒が明かないと思ったのか、まず初顔の帝国騎士2人が名乗る。前者が線の細い神経質そうな中年騎士で、後者が若騎士だ。
「中佐とか少佐とか、どっちが偉いんやったっけ?」
例の怪人の襲来からこっち脈絡の無い出来事だった為、アルトたちは「はぁ」と気のない返事をしつつ立ち並んだ騎士たちを見回し、そんな中でモルトがそっと訊ねる。
そう言われてみれば、コナ中尉と呼ばれた若騎士がマクラン卿のことを「少佐」と呼んだのを思い出す。ちなみに現実世界の知識に照らし合わせれば、少佐と中佐なら中佐の方が偉いし、中尉は少佐より2つくらい下の階級だ。
マクラン卿にはすっかり慣れ親しんだアルト隊の面々だったが、それは単に卿の気さくな人間性と、何度も顔合わせしているからである。
したかって一同は自己紹介を一通り終えた後は、ひとまず話の成り行きを観察する事にした。新顔2名も士爵だし、余計な不興を買えば何が起こるかわからないからだ。
「で、バーター中佐、アレはいったいなんです?」
そうした思惑で息を潜めたアルト隊の意を汲んだ訳ではないだろうが、まず沈黙をマクラン卿が破る。訊ねられたバーター中佐は渋い顔でしばし黙考だ。
参謀本部とやらがどんな仕事をするのかは知らないが、想像するに作戦立案など何らかの情報を扱う部署なのだろう。ならば慎重になるのも頷ける。
アルトを含む数人の冒険者達は彼らの様子に対し理解して小さく頷いた。
だがすぐに痺れを切らしたマクラン卿は、苛立ちを隠そうともせずに声を上げる。
「中佐の立場は理解しますが、あの様な怪人が跋扈している以上、この街の治安を与る者として知らぬわけには行きません。情報の開示を願います」
「ほう」
この言い様に、レッドグースなどは感心して思わず声にもらした。
普段から妹がどうと言い出しては仕事を休む不真面目公務員の様な仕事ぶりを目にしているので、他の一同も「あ、ちゃんと仕事に取り組んでるんだ」と少しばかり驚きの眼を卿に向けた。
そんな冒険者どもの評価に気付いてか、マクラン卿は不本意そうに眉を上げ、すぐにまた真顔で参謀本部長に向き直る。バーター中佐も仕方ない、と口の中だけで呟きながらゆっくりと口を開いた。
「数日前、ある筋から『ボーウェンに恐ろしい暗殺者が侵入した』という情報が入った。おそらくあの怪物か、怪物の飼い主がそうなのだろう」
「え、ちょ、暗殺者って、マジ?」
これを聞いてアルトは軽くパニックを起した。せわしく仲間達を見回す若サムライの顔は、見る見る血の気が引いて青くなる。
しばらく安穏な冒険者生活を送っているので忘れそうにもなるが、アルトたちはとある濡れ衣から、その身を狙われる覚えがある。バーター中佐の言葉で一気にその不安が蘇った訳だ。
「落ち着いてくださいサムライ殿。あなた方の事情はわかっていますが、今回は関係ありませんよ」
見かねてか、会話を上司に任せてそ知らぬ顔で直立していた若騎士がアルトの肩をたたく。アルトはこの言葉にホッと弛緩したが、続けてすぐに怪訝そうに眉をひそめた。
コナ中尉と名乗ったこの少年仕官は今、「アルトたちの事情を知っている」と言ったのだ。
そう言えばこの港街ボーウェンにやってきたばかりの時も、治安維持隊にその件で呼び止められたし、『金糸雀亭』のおばちゃん店主にもそんな話をされたな、と思い出した。
今更ながらにアルトは「もしかしてこの界隈では有名な話なのだろうか」と、何やらガックリと来てしまった。
さて、アルトの感情の起伏などは関係なく話は進む。
「なるほど、暗殺者の情報は気になりますね。でもあの異形が暗殺者と言う根拠は?」
ブツブツと、聞えないほどの呟きで何かを計算しながら、マクラン卿がその巨躯を縮め顎に手を当てながら訊ねる。
その質問は予測していたのか、バーター中佐はすぐさま答えた。
「あの怪物がメイプル男爵暗殺未遂犯だからだ。少佐、我々は男爵邸からヤツを追ってこの館に来たんだよ」
「メイプル男爵!」
知った名が出たのでアルトは思わず声を上げる。
メイプル男爵と言えば、ついこの前、『錬金術師』ハリエットからの依頼仕事の折に世話になった人物だ。確かレギ帝国西部方面軍後方支援隊総長で、人の良さそうな小太りの中年男性だった。
「男爵はんは無事なん?」
怪我でもしてる様なら駆けつけて回復魔法の一つでも使おうかと、白い法衣のモルトが構えるが、バーター中佐は一瞥して首を振った。
「その点は大丈夫だ。偶々近くに我々がいたので、あの異形はすぐ逃げ出した」
そう聞いて一同は安堵の溜め息を付く。
この世界は元いた現代日本に比べれば圧倒的に死の匂いが強く漂っているが、幸いな事に知り合いが亡くなった例はまだ少ない。その分、こうした話があると心的ショックは大きいのだ。
「ふむ、では次に、アレはいったい何ですか?」
虫人間の一連の行動話がひと段落したところで、マクラン卿が再び問いを発する。
言い回しは先の質問と同じだが、今度は社会的立場についての『何』ではなく、生物的存在としての『何』である。
なにせ帝国騎士として、治安維持隊隊長として、彼はこれまで様々な人種、亜人種、怪物に接して来た。だと言うのに先の異形については、トンとその正体がわからないのだ。
敵を知り己を知れば百戦危うからずと言うが、治安維持を与るマクラン卿が負けるという事はつまり被害が一般市民に及ぶ。ならどんな些細な情報でも手に入れて、確実に障害を排除しなくてはならない。
だがそんな彼の期待に、情報を扱うプロでもあろう参謀本部長は首を振った。
「判らない。今、コナ中尉の配下に調べさせているが、手掛かりが無さ過ぎる」
おそらくマクラン卿の配下である治安維持隊の面々もすでに動いている筈だ。
まだ報告はないが、レギ帝国西部方面の要人であるメイプル男爵が暗殺未遂にあったのだから、捜査に乗り出していなければ逆に叱責しなければいけないだろう。
なら、今はしばし捜査が進むのを待つしかないか、とマクラン卿は力が抜けた様子で手近な椅子にドスンと腰を下ろした。
その時、相槌や合の手を入れるだけだった冒険者の内からソロソロと手が挙がる。話の終わり際と思われた矢先の動きだっただけに、途端に室内の一同は注目した。
挙がった手の主は、重そうな『漆黒の外套』を纏った、いかにも賢そうな眼鏡の青年、カリストだった。
「君は、カリスト君だったか。何かあるのか?」
アルトたちとは違い、まだ面識が浅いので少し余所余所しい口調でマクラン卿が発言を促すと、カリストは大してズレてもいない眼鏡のブリッジを押し上げた。
「ええ、僕は『魔術師』ですが、『学者』でもあるのでね。『ズールジー』を使ってみたんですよ。なので少しだけわかった事があります」
『ズールジー』と言えば、この世界の動物、怪物の生態知識に関するスキルである。
このスキルを使った判定に成功すると、その動物、怪物について知っていた事になり、瞬時にその知識を得ることができる。
また、成功時のダイス目が高い程、より生態を詳しく知っていた事になる。
カリストはあの異形が現れた時に、咄嗟にスキル使用を申請し薄茶色の宝珠から承認を得ており、そして一応の成功を収めていた。
一応、と言うのは、成功はしたがあまり詳しく判らなかったからだ。カリストは知りえた少ない情報を開示する。
「アレは合成獣ですよ」
その存在について少なからず知識があったのか、佐官の帝国騎士2名は思わず息を呑んで青年魔道士を凝視した。
このメリクルリングRPGの世界において、合成獣とは『大魔法文明』期に『魔術師』や『学者』たちによって研究されていた人工怪物の一種である。
その目的は数種類の動物や魔獣の特徴を組み合わせてより強い固体を生み出すことにあり、形状や能力は様々で、同じ外見や能力の固体と言うのは滅多にいない。
その技術や作成に関する知識は現在全て失われており、稀に古代遺跡の中に生き残る固体に会う事で確認されるのみである。
「馬鹿な、アレが合成獣だと? ならばいったい何と何を掛け合わせたら、あの様な禍々しい姿になるのだ」
しばし絶句してからハッとして、神経質そうな中年騎士が吐き捨てる様に言う。
先の異形が合成獣だとすれば、ベースになっているのは明らかに人間、もしくはそれに類する亜人種だろう。間違いなく二足歩行、しかも背筋が伸びているのも度々見たし、知能の程も悪く無さそうだ。そこから類人猿と言う事も無いだろう。
なればこそ、彼の知識、いや合成獣を知る者の常識で言えば、アレはあり得ない存在だった。
過去の文献、あらゆる伝承口伝において、合成獣の素材として人間が使われた事など一度たりとて無いのだ。
「いや」
しかし同じ騎士階級でもより柔軟な仕事に手を汚してきたマクラン卿は、すぐさまそんな上級士官の言を否定する。彼は騎士や軍人以外の事も、冒険者の事も良く知っていたからこその否定だった。
「『ズールジー』による見解なら間違いは無い。ならばアレは新種の合成獣と言うことになるでしょう」
そう、スキル成功によってもたらされる知識に嘘は介在しない。得られるのは「知っている」か「知らない」と言う白黒明確な知識なのだ。
言われて、頭でわかっても感情が否定したがっているようで、バーター中佐は「ううむ」と言葉を失って唸るばかりだった。
なぜなら、それは人間がベースである、と言う受け入れがたい事実だけではなく、「新種」と言うことで「失われた知識」であったはずの合成獣作成を知る者がいるかもしれない、との示唆を含み、さらに言えば戦争となった時にその技術が敵側にあれば、惨事の種になるだろう事が明らかだったからだ。
軍の行動指針を決定する立場である参謀本部長としては、頭が痛いことこの上ない。
「この件はさらに詳しく検討せねばならん案件の様だな。マクラン少佐、後の捜査は任せるぞ」
「承知しました」
そう短いやり取りをして、幾らか青ざめた表情を引っさげたバーター中佐は、コナ中尉を伴ってマクラン邸から退出する。
残されたマクラン卿と冒険者一同は、気まずくも重い空気の中、しばし溜め息を付くのだった。
「暗殺者の足取りと、新種合成獣の出所捜査か。忙しい事この上ないな。さて、俺はそろそろ治安維持隊本部へ行くが?」
それぞれが気を取り直すまでの少しの時間を経て、マクラン卿が太い自らの腿を一度叩いて立ち上がる。これから陣頭指揮を行う上での考えがある程度まとまったのだろう。
とは言え、そもそも部外者であるアルトたちがさらに同行するにも行かない訳で、冒険者達は互いに顔を見回して無言で頷いた。
「ウチらはメイプル男爵をお見舞いしてから帰りますわ」
「そうか。ではまたの機会に」
代表してモルトがそう言えばいよいよこの会はお開きとなり、アルトたちもまた静かにマクラン邸を辞する事となった。




