08逃亡の後先
戦闘中に行える行動には各職の持つ基本技能やスキル、また移動などがあるが、他にも『戦闘オプション』と言われる選択肢がある。
『戦闘オプション』はスキルとは違い、戦闘に参加する全ての者が選ぶ事のできる行動で、『防御専念』『隊列変更』『逃亡』の3つがある。
他の戦闘行動とは隔離され、ラウンドの最初に宣言、処理される。
『防御専念』はその名の通り他の行動を捨てて防御を行う行為で、宣言したラウンドの間、物理・魔法共にHPに受けるダメージを半減させる事ができる。
『隊列変更』は前後左右で隣接した者と交代したり、前衛から中衛・後衛へ後退、逆に前衛へ前進する事ができる。他の戦闘行動と併用できるのが特徴だ。
そして『逃亡』は戦闘そのものを回避し、敵に背を向けて逃げ出す行為。宣言後に『逃亡』ロールが行われ、失敗した場合はそのラウンド間全ての行動が出来ない上、回避にペナルティを負う。
脱出する為に廊下に出たアルトたちは、戦闘の途中から姿を見せなかったレッドグースが、いつの間にか同行している事に気付いた。
「おっさんどこ行ってたんだ!」
「まぁそれは後ほど。今はここから逃げ出す事が先決ですぞ」
そうは言っても背後からカリストが追って来る気配はないようなので、アルトのあせりは差ほどでもない。
「さて、それはどうですかな?」
不吉な言をこぼすレッドグースだったが、アルトは気にせず礼拝堂へと戻った。そこで憎らしい赤がちょうの言葉の意味を知ることになる。
礼拝堂から外に続く正門扉を、誰かが騒がしく叩いていた。
「ウッドペック殿! 開けてください、誰かいませんか?」
外からは緊迫しながらも落ち着いた声。これは街の警備兵か、それとも教会警護隊かもしれない。
「うわ、ここでつかまったらゲームオーバーやで」
そこでセッション終了して、元の世界に帰れるなら万々歳である。
しかしそんな保証はどこにもない。ともすれば彼らは牢屋で何十年も過ごすか、はたまた打ち首である。
「まだ包囲前ですぞ。窓へ!」
すばやく廊下から寝室へ転がり込んだレッドグースが外を窺う。こうなれば信じて従う他ない。
「でもなんで…?」
窓から半身を乗り出しつつ、小声でマーベルがもらす。
「礼拝堂での戦闘やな。かなり騒がしかってん」
『ライトニング』により瀕死クラスの傷を負ったマーベルは、腹部の痛みに眉を何度もしかめる。モルトはその尻を押しながら返答するが、今は正直、原因などどうでもよいと言う気持ちだ。マーベルへの回復魔法すら使う時間が惜しい。
全員が窓から飛び出したと同時に、正門の閂が破られたようで、礼拝堂になだれ込む数人の武装兵の足音が聞こえる。
「いたぞ、外だ!」
優秀な彼らはすぐさまアルトたちの姿を見つけ、すかさず分隊が門外に飛び出した。
「ほうほう、これはマズいですな。では皆さん、無事なら後ほど再会しましょう」
一団の先頭にいたレッドグースが、状況にそぐわぬ楽天声で笑う。
苛立ちを抑えられず、アルトは血走る目でレッドグースをにらみつけた。
「今そんな時じゃ…」
「『ハイディング』いきますぞ」
「承認します」
そうして、言いかけたアルトの文句と共に、レッドグースは闇夜に消えた。
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『ハイディング』は『盗賊』のスキルのひとつ。隠れ身の技術である。
使用者はたちまち掻き消えるように姿を隠し、ゆっくりではあるが、移動する事もできる。
見破る為にはそれなりの難易度の成功ロールが必要になる。
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「ちょっと、ズルイんじゃないの?」
背中を押されながらも、アルトは言わずに居れなかった。だが闇に消えた仲間の返答は、いつまでたってもアルトの耳に届かなかった。
街が暗かった事もあり、アルトたちは無事に追っ手を巻くことに成功した。相手が少人数の隊だった事も幸いした。
取り急ぎアルトらが逃げ込む先に選んだのは、不動産商人ゼニーの事務所。この世界のどこにも拠り所のないアルトたちにとって、それは考えうる唯一の隠れ所だった。
「ずいぶん思い切ったことなさいましたなぁ」
小太りで背の低い姿に不釣合いなカイゼル髭が特徴的なゼニーは、たった今たたき起こされた事に腹も立てず、一同に香りのいい薬草を煎じたお茶を給仕する。怒りはしていなかったが、その言葉は呆れた色を濃く滲み出していた。
来客と商談をする1階のオープンスペースと違い、主に書類仕事や休憩に使う2階の執務室だ。部屋を照らす灯が、割りと大きなランプ数個によるところからして、おそらく彼の商売は景気がいいのだろう。
姿を消して悠々と合流したレッドグースを除き、一同はすっかりぐったりとして、返事をする気力もなかった。また、モルトはマーベルの治癒に集中していた事もある。
「冒険者ですからな」
1人だけ余裕の態で供された茶をすすりながらレッドグースが言葉を返す。一種のイヤミに対し空気が読めない返答だろうが、彼の事だからおそらくワザとだ。
「依頼者のアンタはいったい何処まで知ってたんだ?」
テーブルに肘を着き項垂れていたアルトだったが、意を決したように頭を上げる。その瞳はゼニーに言い訳を許さぬよう、鋭く光を湛えている。
「正直に申しましょう。屋敷に妖魔どもがいたのは知ってました。だから冒険者の皆様にお願いしたわけです。しかしなぜ妖魔が住み着いたかは知りませんでした」
「ホントだな?」
「神に誓って」
彼の信仰する神を知らないので、いかに誓われても信用の助けにはならないが、アルトはひとまず信じる事にする。だいたいそれが本当でも嘘でも、状況の好悪は転がらない。
「教会の財務課はゴブリンの事も知らなかったんでしょうな。そうでなければ内部の不祥事になりかねません」
アルトの鋭い眼光を飄々とかわし、さらに言葉を続けるゼニー。その言も特に矛盾は感じない。強いて言うなら『なぜゼニーは教会の財務課にゴブリンの事を伝え解決を訴えなかったのか』と言う点だが、大きな力を持つ教会と揉めたくなかったのかもしれない。
アルトはため息をつき、再びうつむいた。
一同がぐったりと沈んでいるのは何も疲れだけが原因ではない。
先ほど目の当たりにしてしまった、司祭ウッドペックの死。それは彼らにとって衝撃的な出来事に他ならなかった。
この世界で最初に親切にしてくれた人、と言うだけではない。
平和な日本で生まれ育った彼らにとって、人の死はあまりにも身の回りから遠い所にある出来事だった。
もちろん日本においても人は死ぬ。だがそれは殆どが彼らの目の届かぬ場所の出来事でしかない。
『短刀』で胸を一突きして絶命した、まだ暖かさの残る亡骸など、見た事があるはずもない。
ショックであり、悲しくもあり、恐ろしくもあり、複雑な感情が入り混じり、どう整理をつけていいかわからなかった。
その時、1階から物音が聞こえた。どうやらこの事務所の戸を叩く者がいるようだ。
「こんな夜中に客ですか。迷惑なものですな」
「それ、ツッコミ待ち?」
冒険者たちのやり取りに苦笑いを浮かべつつ、ゼニーは階下へと降った。一同は息を殺すようにして動向を見守る。
しばらく2階からは窺えない程度の静かなやり取りが続き、客はあっさり帰ったようだった。ゼニーはひとまず胸をなでおろし、2階へと戻る。
「街の衛兵ですよ。殺人犯を追っていると言ってました」
それはアルトたちに対する追っ手だろう。現在、どれだけ捜査の手は広がっているのだろうか。
「何でこんな事に」
アルトが頭を抱える。この世界に来てから何度目の『なんでこんなことに』だろうか。
ただそれは今までと違い『自分に対する世界の理不尽』だけでなく、親切にしてくれた司祭に対する悼む心も僅かながらにも含まれていた。とてもじゃないが前向きな気分をキープできそうにない。
「ねぇ、カーさんが言ってた『負けイベント』ってなんにゃ?」
モルトからの治療を受け終え、ホッと息をついたマーベルが会話に飛び込む。だが飛び込んだ先は会話の流れと違う場所だ。
「ゲームスラングです。シナリオの演出上、どうやっても勝てないよう設定された戦闘です。演出重視のJRPGでは良く見かけますね」
「ほーん」
GMの出した回答に、理解度が不明瞭な返事をする。すでに興味はテーブル上の茶請けの菓子にあるようだ。
そんなやり取りに反応したのはアルトの方だった。アルトは考えるような素振りをして呟く。
「そう、そうだよ。たかがゲームだよ。死んだって言ったってNPCじゃないか」
自分に言い聞かせるように言葉を搾り出す。その表情は全然すっきりしていない。
「そうだろ? 所詮、シナリオやシステムの都合で作られただけだ。死んだっていったって人間じゃない」
ノンプレイヤーキャラクター、略してNPC。プレイヤーのいないキャラクター。
シナリオやイベントの為、GMが操るゲーム世界の住人役。
「人間ってなんやろな?」
乱れた長い髪を指で梳きながら、モルトが新たにテーブルの席に着く。アルトは気まずそうに目をそらした。
「ええよ、アル君が割り切れるなら、それでええねん」
アルトを労わる様な優しい声だった。アルトはますます下を向く。
「でもウチは思うんや、人間ってなんやろ? 食べて寝て、笑って泣いて。あと思いを伝え合えれば、それは人間とかわらん。少なくともここにいるゼニーはんもウッドペックはんも、人間やったと思うで」
それは生物学の話ではない。どちらかと言うと荒唐無稽な精神論の話だ。それでもアルトには心にストンと落ち着く話だった。
「すみません」
理屈をつけるのは難しくて具体性を帯びないが、アルトはとにかく謝りたいと思った。それはNPCになのか、モルトになのか。
ひとつハッキリしているのは、ここがゲームだと言うなら、アルトだって所詮ゲームの住人だ、と言う事だった。
「状況を整理しましょうかの」
しばし流れた無言の時に退屈したのか、レッドグースの飄々とした声が沈黙を割った。確かに少し事情が入り組んできたようだ。
手元の茶を飲み干したようで、レッドグースは勝手にポットからお代わりを注ぎ語り始める。まずは事の経緯から。
アルトたちが不動産商人ゼニーより、とある屋敷の掃除を依頼された。
だが行っていれば、そこにはゴブリンが住み着いているではないか。しかもそのゴブリンに屋敷を貸し与えたのが、元の持ち主である司祭ウッドペック氏だと言う。
事の次第を尋ねに教会へ行ってみれば、ウッドペック氏は死亡し、何者かに操られていると見える、仲間、カリストに遭遇。
ひとまず逃亡を果たすも、すっかりウッドペック氏殺害の罪を着せられた格好である。
何やらうっかり渦巻く陰謀に、片足を突っ込んでしまったような気もしてきたわけだ。
「ゼニーはんと教会の財務はんはひとまず話からはずしてええやろな」
「どうして?」
アルトはすぐに訊ねるが、初めから続きを話すつもりだったモルトは、軽く手でアルトを静止した。
「どっちも知っとることが断片すぎや」
ゼニーはゴブリンが住み着いていることを知っていたが、賃貸契約のことは知らなかったし、教会はゴブリンがいることすら知らなかった。
「じゃぁ関係者はウッドペックさんと、それからカリストさんってことになるか」
「せや。ゴブリンとの契約者はウッドペックさん。カリスト兄ちゃんの言うた『良心の呵責で自殺した』ちゅうのを信じれば、その契約の理由は『悪い事』やったんやろな」
なるほど、と一同はうなずく。ウッドペック氏は何か『悪い事』の為にゴブリンと契約して、後になってから『良心の呵責で自殺した』わけか。
「もっともそれがウッドペック氏の意思とは限りませんがの」
「そやな」
言葉を引き継いだレッドグースに同意の相槌を入れ、モルトは茶の入ったポットを手に取り、すぐに戻す。どうやら酒でなかったのがお気に召さなかったらしい。
アルトとマーベルは顔を見合わせ、黙って先を促した。
「カリストのにーちゃん見たやろ。アレと同じ、操られとるか乗っ取られとるか、とにかくそんな感じや」
「って事は、つまり?」
「こっから先はお酒ないと頭回らん」
突然テーブルに突っ伏すモルト。まるで電池が切れたかのようだ。さっきまでのしんみりシリアスな雰囲気はもう何処にもない。
「つまり黒幕はカーさん」
自分の導き出した答えに自信アリ、と言った表情で断言するマーベル。それは得意げな小学生のようだった。だが、無常にもレッドグースがすぐに言葉尻を継ぐ。
「の、背後にいる誰か、ですな」
その黒幕により『悪い』計画が進行していて、偶然アルトたちはその一端にかかわってしまった、と言う事だろうか。もっともGMが用意したシナリオが元になっている限り、完全な偶然と言うわけではないだろうが。
「で、結果がこの有様や」
何かの陰謀に巻き込まれた上に、殺人犯の濡れ衣である。
突っ伏していても、誰からもお酒を提供されなかったので、モルトはしぶしぶ手持ちの携帯ポットをカバンから引っ張り出した。中身は朝詰めた蒸留酒だ。
「これからどうするんです?」
後ろで黙っていたゼニーが訊ねる。もちろん顔には出さないが、警吏の手に追われている犯人を匿う身としては気が気でないのかもしれない。
「そうですな。選択肢1。おとなしく捕まる。この場合、ウッドペック氏殺人犯とされ、運が良ければ何年も牢屋で過ごすことになるでしょうな。悪ければ打ち首か…黒幕による謀殺ですな」
「却下」
「では選択肢2。黒幕を逆に捕縛。計画を白日にさらし、教会に突き出す。もっとも冒険者らしい方法と言えますな」
「…」
「最後に選択肢3。捜査の手が伸びる前に高飛び、なんてどうでしょう」
「そ、それは!」
ゲームなら思い切った選択も簡単だ。最悪、死ぬのは紙の上のキャラクター。なら義を貫くも簡単だ。
しかし今、ここはゲームであり、現実でもあった。はたしてこの世界で死んだら、いったい誰が死ぬのだろう。紙の上のアルトか、それともプレイヤーであるアルトか。
どの選択肢が正解か、そもそも正解があるのか。アルトは大いに頭を悩ませる。
「ちなみにワタクシは選択肢3を推しますが?」
悩みに悩んでブツブツとひとり言を繰り返すアルトとは裏腹に、レッドグースが誇らしそうに宣言する。内容は誇らしくもなんともないのだが。
「ウチも賛成やなぁ」
「でもそれだと悪いヤツほったらかしにゃ?」
大人2人の大人の判断に、マーベルはきょとんとして述べる。アルトもこの成り行きを固唾を呑んで見守る。彼も口には出さなかったが、マーベルと同様の気持ちが少なからずあったからだ。
「勘違いしてはいけませんな。我々は王や聖霊から世界の平和を託されたわけではありませんぞ。冒険者とは勇者ではないのです」
テーブルトークRPGが廃れて久しい。今やあちこちで卓が立っていた時代ではない。
アルトもマーベルもテーブルトークRPGとは書籍でリプレイを楽しむばかりで、実際にプレイするのはあの日が初めてだった。なのでRPGで遊ぶと言えばコンピュータRPGが主となる。
そして日本で売られるRPGにおいて、圧倒的に多いジャンルでは、冒険者と言えばすなわち勇者なのである。
しかし今、2人の心に燦然と輝く名言が生まれた。
『冒険者とは勇者ではない』
まさに生まれ変わったような気分でもあった。
いわれて考えてみれば、コンピュータゲームの冒険者はおかしいのだ。
あちらこちらで事件に首を突っ込んでは頼まれもせずに人助け。報酬をもらうわけでもなく、どうやって生活が成り立つのか。現実は悲しいかな何はともあれ金なのだ。
「あ、待って。逃げるにしても問題がある」
頭の中で進み続ける自己弁護の中で、アルトは大きな障害に突き当たった。
「ぶっちゃけ、路銀がない」
彼の財布の銀貨はすでに10枚を割っている。
「背に腹は変えられません。強盗でも、しますかな?」
初めて見る悪そうな笑顔が髭面の下から這い出でる。その目は後ろで成り行きを見守る不動産商人ゼニーに向けられる。
さすがに笑顔でいられなくなったゼニーは青い顔で首を振る。その速度はカメラで捕らえきれないだろう。
「そこで取り出したるはこの書類」
十分に意地悪を堪能し、レッドグースは悪い顔から一転、通信販売番組の司会者の如き良き笑顔に変わる。手には一枚の羊皮紙が下げられていた。
「けいやくそにゃ」
滑舌悪いが意味は通じる。はたしてそれは、ウッドペック氏とゴブリン王の間で交わされた、あの賃貸契約の本契約書であった。
「途中から姿が見えないと思ったら…」
「ささ、では最初の依頼を果たして、正当に報酬をいただくといたしましょうか」
ゼニーはホッと胸をなでおろし、今度は縦に首を振った。
「んー、つまり逃げるにゃ?」
「逃げるさ」
とりあえず結論をはっきり言葉として聞きたくて、マーベルが尋ねるとアルトがすぐさまに答える。それはもう今までに見たことがないほど堂々とした態度だ。
「陰謀はほっとくにゃ?」
「我々には関係なさそうですからな」
「どっかに通報くらいしたいところやけど、どこにしていいかも判らんし、そもそもこの状況じゃ無理やろなぁ」
「よし、目指すは高飛び、国外逃亡だ」
棚上げどころの話ではない。それでいいのか、いやそれでいいのだ。優先されるべきは己の身体とその生命。そのように方針が定められた。
場は和やかな雰囲気に包まれた。人間、行く先が定まると開き直るもので、不安顔だった皆の表情は、途端に輝いた。
そんな中、モルトは1人、苦笑いで呟いた。
「ええけど、カリストのにーちゃんの事も忘れんであげてな」