01戦争の噂とそれぞれの思い
四角く区切られた薄暗い正方形の部屋に、眼鏡をかけた青年がいた。
暗幕も閉め切られているのに真っ暗にならないのは、床からほのかな光が上がっている為である。
足元に描かれた、幾何学模様を内包する円の図形。その線の一つ一つが淡く青い光を放っている。
魔方陣が青年の魔力を吸い上げ、定められた力を行使しているのだ。
青年の名はカリスト・カルディアと言う。当年28歳になるエルフだ。
黒いジーンズのパンツとグレーのドレスシャツ、その上からいかにも魔法使いらしい『漆黒の外套』を羽織っている。
この『外套』、元は物理攻撃を防ぐ魔法の品であったが、今ではその効力を失ったただの黒い『外套』だ。それでもここ半年ばかり身に着けていたので、なにやら愛着が湧いてしまい、いまだに愛用している。
ただ一般的な『魔術師』のイメージから見れば、少しだけ首を傾げたくなる面がある。
彼が杖を携えていない事だ。
『魔術師』は『緒元魔法』と呼ばれる種類の魔法を行使する者の事だが、その『緒元魔法』を発動させるのには、身の内に蓄積された魔力の消費と、魔力と物質界を媒介する発動体が必要になる。
その発動体として最も多くの『魔術師』に採用されるのが魔法杖だ。
魔法杖にも『長杖』や『短丈』、『差し棒』など種類があるが、発動体として作成する場合、棒状にするのが最もコストパフォーマンスに優れていると言われている。
故にほとんどの『魔術師』と言えば杖を携えている。
だがカリストは杖を持っていない。
では『魔術師』ではないのか、と言われれば否である。コスト的な問題があるだけで、実のところ発動体は杖でなくても良い。彼の使う発動体は、右手中指に納まった銀の指輪なのだ。
これはカリストがカリストではなかった時に手に入れた、貴重な大魔法文明時代の品だった。
さて、装備品の話が少々長くなったが、本題へと戻ろう。
カリストはこの薄暗い部屋で魔方陣と言う魔法装置を使い、今まさにとある儀式魔法を進めているところであった。そして今、1時間に及ぶ様々な手順を経て、その魔法は完成しようとしていた。
漆黒を身に纏ったエルフの青年が、最後の仕上げにと右手を静かに振るう。
「『ファミリアスピリット』」
魔法の名を告げ、世界のどこかで承認のサインが灯ると魔方陣はより一層の光を湛え、そして瞬く程度の時間を経て静かに光を失った。
「我に従う者、汝の名は『ヤマト』」
暗闇となった静寂が支配する小さな部屋で、カリストは囁き、そして勢いよく暗幕を開け放つ。
これまで禍々しささえ感じた儀式の間は、窓から差し込む太陽の光と港街の秋風に晒され、途端に日常を取り戻した。
そして白日に晒された魔方陣の中央にふてぶてしく鎮座ましますのは、黒い毛並みの成猫だった。
「にゃぁ」
ヤマトと名付けられたオスの黒猫は凛々しく背筋を伸ばし、右前足をシュタッと上げて返事をする。これにて彼はただの街猫から、『魔術師』カリストに従属する使い魔へとクラスチェンジしたのだ。
『ファミリアスピリット』、つまりは使い魔召喚の魔法である。
5レベルの『緒元魔法』に属するこの魔法は、様々な感覚を共有する使い魔を従属下に置く事ができる。
使い魔になるのは自然界に存在する様々な小動物であり、従属している間は魔法により少しばかりの保護を得る。
具体的に言うと、年齢の固定化や簡単な命令をこなす知性の付与だ。ちなみにほとんどの場合は戦闘能力を有していない。
カリストが黒猫ヤマトを肩に纏わりつかせ儀式の小部屋から出ると、そこは幾つかのテーブルや椅子が並べられたホールだった。
家具類はどれも装飾を必要な分のみに留めた、質素に見えるが実用的な品で、まばらにだが『魔術師』然とした老若男女が思い思いの席で雑談に興じていた。
ここは『魔術師ギルド』の地方支部である。
『魔術師ギルド』とは、その名の通り『魔術師』の互助組織で、全国各地に支部を持っている。ここはレギ帝国西方都市『港街ボーウェン支部』と言うことになる。
仲間の助けを得てこの街にやってきたばかりのカリストは、早速このギルドに入会し、そして会員特典を利用して儀式の間を短時間レンタルしたのだ。
「おおカリスト君、儀式は上手く行ったようだね」
カリストと黒猫が共にホールを眺めていると、それを見止めた老人が寄って来た。
腰を緩やかに曲げ、魔術用なのか歩行補助用なのか判らないステッキを突いた、長い白髪の老魔道士だ。
「こんにちはフォボス老。ほらヤマトもご挨拶」
にこやかに礼を交し、カリストは今しがた配下に置いたばかりの黒猫を差し出す。普通の猫であれば嫌がって暴れたりするかもしれないが、これはカリストと精神的につながりを持つ使い魔だ。で、あるので心得たとばかりにシュタッと右手を上げた。
「にゃっ」
「ほほう黒猫か。いかにも古式ゆかしいのぅ。どれお前も挨拶をし」
フォボスと呼ばれた老魔道士はいかにも楽しげに白眉を揺らし、皺々の左腕をゆっくりと伸ばす。握手でも求めているのかとヤマトは小さく首を傾げたが、次の瞬間にその行動の回答は示された。
かの老魔道士の袖からスルリと細長い何かが這い出て来たのだ。それは親指より一回りほど太い白蛇だった。
「ワシの使い魔、リゲール君じゃ。よろしくの」
「にゃぁ」
小動物同士の微笑ましい邂逅であった。
猫と蛇と言えば自然界では天敵同士と言ってもいい間柄だが、使い魔として最低限の知性を持つ彼らにとって、そんな事は関係ないのだった。
「ときにカリスト君、あの噂は聞いたかね?」
床で蛇に纏わり付かれる黒猫と言う図を見下ろしながら、ふとフォボス老がそんな言葉を口にする。当然「あの」と言われても「どの」か判らないカリストは首を傾げた。
「どんな噂ですか?」
フォボス老はこのギルド支部において、長の役を与る人物だ。『緒元魔法』のレベルで言えばカリストと同じ5レベルだが、『学者』としてのレベルも高く、人格者でもある。
そんな知識の園の長である彼の元には、古今東西の様々な情報が集ってくる訳で、こんな雑談の様な噂話でも無為には出来ないのだ。
聴く態となった若い俊才『魔術師』にフォボスは目を細め、どこから話したものかと顎を撫でた。
「アルセリア島北東にあるタキシン王国で内乱が続いているのは知っているかな?」
「ええ、国王が病床にあり、王位の継承をめぐって王子と王弟が争っている、と言う位しか知りませんが」
その話はカリストたちがこの世界に来たばかりの頃から耳にしている話だ。
この世界、メリクルリングRPGと言う、テーブルトークRPGのルールに支配されている酷く歪な世界である。
しばらく前まで、その歪なゲーム世界をよりドラマチックにしようと暗躍し続けた人物がいた。カリストとも大いに関わりのあるその人物は、タキシン王国の内乱にも少なからず影響を及ぼしている。
その事に、カリストは少しばかりの罪悪感を覚えていた。
「その隣国、ニューガルズ公国の政変についてはどうかね?」
「ええ、聞いています」
アルセリア島の南北を分ける『天の支柱山脈』、その北側に大きく領土を持ニューガルズ公国。
この世界に来たカリストたちが最初に降り立った国だが、今から数ヶ月前、アルトたちが公国から脱する頃に、国内で勢力を誇る『ラ・ガイン教会』の法王が暗殺されて代替わりし、その後に教会の暗躍による政変が起ったのだ。
一応、「正体不明のテロリストにより王城で大火事が起り王が亡くなった」と言う体裁だが、誰もがその黒幕は知っていた。
今は黒幕でもある新法王キャンベルと言う人物が、まだ成人前の姫殿下を押し立てて好きに政治を執り行っていると言う。
これもその背後で例の人物が暗躍していた事を知っているので、カリストはより暗鬱な気分になった。
「噂と言うと、その情勢に何か変化があったのですか?」
沈んだ気分ながら、明るい方面のネタでもあれば、と藁にもすがる思いで訊ねる。ただその質問が掴んだのは藁どころではなかった。
「ふむ、そのタキシン王国王弟派と、ニューガルズ公国が軍事同盟を結びおった」
カリストは目の前が真っ暗になった気がした。それまで白蛇とじゃれていた黒猫のヤマトも心配そうに主人を見上げる。
戦争に正義も悪も無い、ただそれぞれの掲げる正義があるだけ。そういう説がある。だがカリストは前述の両派、法王キャンベルとタキシン王弟が、かの人物の暗躍で欲望を掻き立てられ、その結果として血生臭い事件を起こしたと知っているのだ。
知っているだけで罪な訳はない。だが、それでも何か後ろめたい感情を抱かずにいられなかった。
そんな彼の感情を知らぬフォボス老はさらに続ける。
「でな、軍事同盟の前に窮地に立たされた王子派だがな、我がレギ帝国と同盟する事になったそうだ。これがまぁワシの聞いた噂だがの」
つまり、彼の言う噂が本当であれば、アルセリア島を上げての南北戦争になるということでもある。
もっとも前線は遠く東の地になるだろうから、レギ帝国西方都市である港街ボーウェンではまだ暢気なものだ。実際、このホールでたむろする若い『魔術師』たちなどは、この噂を肴に無責任な戦略・戦術論に花を咲かせていた。
「つまりだね、島の情勢がキナ臭くなって来たが、カリスト君はくれぐれも巻き込まれぬよう注意しなさい、と言いたかったのだ」
ホールで気勢を挙げる若い者と違い、戦争の噂ですっかり沈んでしまったカリストを心配そうに見つめ、老魔道士は話を締めくくりに入る。
「君の様な若く有能な人物を戦争などと言うくだらん祭で亡くしては、損失以外の何もない。政治や戦争など愚かな王侯貴族に任せて置けばいいのじゃ。そんな事よりワシらは知識の深淵を解き明かすと言う、大事な使命があるのだからの」
実に研究者らしい言い様に、カリストは少しばかり気分を浮上させて淡く笑い頷く。そしてなぜか受付嬢に睨まれつつ、昼の『魔術師ギルド』後にした。
『魔術師ギルド』からしばし歩き、港街ボーウェンの中心道である目抜き大通りへと出る。
目抜き大通りは街の北門から南にある港までを結ぶ幅広い道なのだが、この街で最も交通が多いのは東門だ。
街の北には幾つかの町村と、その向こうには『天の支柱山脈』、山脈西に広がる『クンバカルナ平原』しかない。
『天の支柱山脈』は人も通わぬ天険であり、『クンバカルナ平原』は巨人族の生息地。なぜそんな交通の少ない北門側に、これだけ立派な大通りが続いているのか、と言うのはボーウェン市民も首を傾げる謎である。
ともかく、カリストはその大通りを北へと歩き出す。目指すは現在彼らが仮住まいとしている、冒険者の店『金糸雀亭』だ。
まだ昼の真っ只中だが、本日の予定はすでに消化してしまったカリストだ。本当は『魔術師ギルド』のホールで、他の会員たちの話題にでも混じろうと思っていたのだが、それも先のフォボス老との会話ですっかり気分がなえてしまった。
こうなれば後は寝床に戻って、主従の契りを交わしたばかりの黒猫ヤマトと親交を深めるか、などと思っていたのだ。
さて、しばし歩いてそろそろ視界に『金糸雀亭』の看板が見えてこようとした頃、正面側から見慣れた大小の人影が見えた。
1人は金緑色に輝く『ミスリル銀の鎖帷子』を身に着けた、いかにも手練者に見えるサムライの少年。
もう1人は金の長い髪を高い位置でポニーテイルに括った、草色のワンピースを着るねこ耳童女だ。
「お、あれはアルト君とマーベル君じゃないか。おー…」
どちらもカリストの冒険者仲間で、カリスト同様に日本から飛ばされて来たという意味でも仲間である。
退屈なこの午後にそんな仲間を見つけて、カリストは呼びかけようと声を挙げ、すぐに取りやめて口を塞いだ。
見れば十代半の少年と小学生ほどの女子のコンビで、傍からすれば兄妹だと思われるかもしれない。
だがどちらも中身は高校生である事をカリストは知っていた。
高校生の男女が仲良く、かは判らないが2人連れ立って街を歩いている。この情景は、リアルで充実した高校生活を送らなかった文科系部活出身のカリストにとっては、ひどく胸の躍る光景だった。
「ここはひやか…いや生暖かい目で見守るのは大人の役割だね」
カリストはやけに爽やかそうな笑いをこぼしつつ、2人から見つからぬようにと急いで手近で適当な店の陰に隠れた。隠れて、2人が通り過ぎるのを待ち、見失わぬようにいそいそウキウキと忍び足などを始めるのだった。
港から大きな岩盤の崖で隔てた隣に、小さな入り江になった砂浜がある。
街や港の喧騒から切り立った崖に守られたその空間にあるのは、一見して地味な佇まいの木造建築物だ。
地味ではあるが貧相と言うわけではない。見る人が見れば、職人の業が随所に見られる立派な造りである。
それもそのはず、この建物が何かと言えば、『太陽神の一派』と言う宗派に属する水神ミツハを奉る、神聖なる寺社なのだ。
ただここへ来る為には一度海に出てから崖を回ってくるか、徒歩ならば崖上から続く急で長い階段を降りて来なければならない。これは結構な手間だ。
その為、ここボーウェンは港街なので水神への信仰は厚いのだが、それでも祭以外でこの寺社が賑わう事は滅多にない。
そんな静かな入り江の砂浜に、サムライ少年とねこ耳童女が静かに下り立った。
「アっくん、ここなんかどうにゃ?」
「ああ、いいな。よし始めよう。マーベル、手伝ってくれ」
「らじゃ」
2人の間ではすでに話が付いているのか、少しだけの会話をしたかと思うとすぐさま砂をかき始める。
若い男女のコンビにしては、いまいち桃色展開では無さそうだ。いったい何をするつもりだろう、と、2人の後を付けてきた漆黒の『魔術師』カリストは首を傾げる。またここまでは黙って付いてきた黒猫のヤマトなどは、すでに飽きたのか程よい日向を探しに社寺の方へとトテトテと行ってしまった。
まぁ呼べば来るだろう。と、カリストも気にせず監視を続ける。
さて、そんな監視者の事は露とも気付かず、アルトとマーベルはかいた砂を積んではまたかき、と、次第に子供の背ほどのあろうかと言う砂山を築いた。
この情景にカリストはさらに深く首をかしげて、困惑に眉を寄せる。
マーベルが見た目通りの童女であれば砂遊びだと言われても頷けるが、彼女は『ケットシー』と言う半妖精の種族であり、人生の大半を童の姿で過ごす。だからこそ傍らにいる少年とほぼ近い年齢でありながら、小学生の様な形をしているのだ。
さらにいえば、先ほどの短い会話から推測するに、どうやらこの行動はアルトが主導で行っているようだ。
解らないならより長く観察するまで。経験則からカリストはそう結論付け、さらに注意深く2人の所業を見守るのだった。
さらにしばらく砂山造成は続き、仕舞いにそれは山と言うよりなにやら砂人形の様相を呈してきた。ここまで来て、一心に砂の造形を弄っていた2人はその手を止める。
「完成にゃ。アっくん、いいにゃ?」
「よし、ありがとう」
また言葉少なく交わすと、アルトは手近に放り出してあった木の棒を手に取った。いやただの棒ではない。よく見れば刀を模して曲線を造ってある、いわゆる木刀と言われるものだ。
アルトは木刀を引っ掴むや否や、軽い足取りで駆け出して、まるで猿のようにスルスルと崖を登った。登り、ほんの2メートルばかり上にある、狭い棚状の石の上に立つ。
そして一息だけ付くと、すぐさま木刀片手に崖を飛び降りた。
「やぁっ」
木刀は刀身を腰の後ろに隠すかのような脇構えに置き、すぐに迫った砂人形に逆袈裟で斬り付ける。その後はやわらかい砂の上で受身を取りながら転がるのだ。
「よし、次行こう」
砂人形だけに木刀の一撃で塵々である。2人は頷き合うと、小さくなった砂山に再び砂を積み始めるのだった。
「訓練、かな。それにしてはシチュエーションが限定的だけど。それに」
何をしているのかはなんとなく理解した。だが目的がわからない。
普通に考えれば『傭兵』たるアルトが、日々の訓練を欠かさないのは当然のことである。
だが技術の習得、習熟に経験値が必要なゲーム世界において、こうした訓練にいったい何の意味があるのだろうか。
カリストは観察すればするほど深まる疑問に、いよいよ頭を垂れて溜め息を付いた。
「あれは再現訓練やね」
と、急に背後からかけられた声に驚きつつも、振り返れば、そこには白い法衣を着た乙女がいた。
明るい茶の髪をハーフアップに結い上げ、その上にピルボックス帽をちょこんと乗せ、豊満な胸の前には先ほどどこかへ去った黒猫のヤマトが抱えられていた。
彼女もまたカリストの仲間の一人である、酒神キフネに仕える『聖職者』モルトだ。
「やぁモルト君。こんな所で奇遇だね」
「奇遇でもないでー」
カリストの言葉に首を振りながら、モルトは抱えた黒猫の前足を持って背後にある水神ミツハの社寺を指し示す。ヤマトは大変迷惑そうな顔で「にゃぁ」と力なく鳴いた。
そう、彼の仲間達は冒険者であるが、その本業仕事が無い時は街の各地でアルバイト的に副業をこなしていたりする。
そしてこの白い乙女のアルバイトは水神ミツハの社寺での奉職なので、確かにここにいるのは奇遇でもなんでもない。
「ふむ、そうだね。で、再現訓練?」
一通りの思考シーケンスを経て納得したカリストは、次に今最大の興味ごとであるアルトたちの仕儀について話題を寄せた。
「正式な名前は知らんで。ただウチラがそう呼んどるだけやし」
そう前置いてからモルトは続いて件の行為についての経緯や説明を始めた。
事の初めはまだこの世界に来て1ヶ月位の頃合だ。
当時、『ラ・ガイン教会』に属する司祭殺害の濡れ衣を着せられ、ニューガルズ公国で気の休まらない逃亡生活を送っていた。
特に賞金目当ての冒険者が始末に終えない。どこか品の良い『教会警護隊』とは違い、彼らは夜討ち朝駆け騙まし討ちは当たり前で、命を懸けるのも何のそので襲って来た。
そんなピリピリとした極限の中で、アルトは何人かの冒険者を斬り殺した。
この行為自体は仕方が無いだろう。殺らねば殺られる状況で、大人しく斬られる者はあまりいない。それが無実の罪ならなおさらだ。
だが平和な現代日本で生まれ育ったアルトの精神には、これが酷いストレスだった。
当然、他の隊メンバーも敵を打ち倒す事はあったが、やはり前衛で身体を張るアルトが最も多くの人を斬ったわけで、そのストレスも格段である。
毎晩のようにうなされ、そのせいで寝不足となり、結果、余計に心身が衰弱すると言う按配だ。
そこで提案されたのが、この再現訓練と言う方法だった。
「おっちゃんが言うには、その時の状況を何度も再現して訓練する事で、気持ちが楽になるんやって」
どういう心理的作用があるのかは専門家で無いのでわからないが、この方法は軍隊や特殊部隊などでも採用されている方法だと言うのが、レッドグースの出所が怪しい知識からの提案だ。
そして確かに、この再現訓練を行ったアルトは、じきに心の平静を取り戻すそうだ。
つまり、今行っている落下逆袈裟斬りの繰り返しは、キヨタ戦を再現しているのだ。
「へぇ、さすが。おやっさんは博識だね」
「ま、それほどではありますがの」
感心してしきりに首肯すると、あらぬ方向から自画自賛的な返事があった。
また背後を取られたか、と振り向くと、今度は人間の半分ほどの背丈の、酒樽の様な体型の中年男が立っていた。
彼こそはモルトが「おっちゃん」と呼んでいた人物であり、彼らの仲間の一人でもある『吟遊詩人』レッドグースである。
「おー、おっちゃんも覗き?」
「覗きとは失敬な。飛び跳ねてるのがマーベル殿ならともかく、ワタクシもさすがに少年愛の趣味はございませんぞ」
そんなレッドグースの言い様に、モルトは半眼で冷たい視線を送り、カリストは然りと何度も頷いた。
「するとおやっさんは何をしにここへ?」
アルトたちの行動の謎が解けると、今度は別の疑問が浮かんでくる。
カリストがここにいるのはアルトたちを尾行して来たからで、モルトはアルバイト先の庭先だからだ。ではこの酒樽体型の髭紳士はいったい何をしに来たのか。
そんな疑問を投げかけると、レッドグースのベレー帽の下からひょっこりと小さな影が姿を現した。
身長14センチメートル程の、人形サイズの少女である。
こげ茶色のショートヘアのその少女は、まだ未成熟な細いラインを惜しげもなく晒すタイトでロングな深緑のワンピースに、皮のジャンパーと飛行帽を合わせると言うアンバランスな着こなしをしている。
500年前までこの世界で栄えた大魔法文明期に造られた、7体しかいない人工知能搭載型ゴーレムが四女、『機械仕掛け』のティラミスである。
「さっきティラミス宛にこんな物が届いたであります」
その小さな手には、綺麗な透かしが入った淡いピンクの封筒が握られていた。
「誰からか判りませんから、開封する前に相談した方が良いかと思いましてな。それで散歩がてら皆さんを探しに来た訳ですな」
たかが招待状一つで何をそんなに心配しているのか、と怪訝に思ってレッドグースに視線を向ければ、そこには「面白そうなので」と言外に語る表情が見て取れた。
リゲール君はカリキンの亜種です。
名付けてアルセリアキングスネーク。




