10ミスリルメイ5
「やっぱりこれ抜くと封印が解ける、とかそう言うアレ?」
縞瑪瑙の台座に突き刺さった、立派な装飾の『短刀』の前に進み出ながら、一本差しの少年サムライが首を傾げる。
『玄室』と書かれたその部屋には、件の台座しかなく、レンガの壁は白い漆喰を一面に塗りたくってあった。
「刺さった剣があったら抜くのが常識にゃ」
アルトの言葉に対し、自信満々と平らな胸を張るのはねこ耳童女だ。
マーベルの言う通り、古今東西、あらゆる伝説や物語に出てくる『刺さった剣』。対する正解は抜く事である。抜く事で、地位や力を手にするのだ。
「いやいや待ちなされ。そうとも限りませんぞ」
「そやそや、さっきの『浴室』を思い出してみい」
早速『短刀』に触れようとするマーベルを羽交い絞めにしつつ、成人男女が嗜める。さっきの『浴室』とは、言葉の通り、この部屋に入る前に調べた『浴室』と言う札のかかった小部屋での事だ。
話を省いたが、彼らはその部屋でも言いがたい体験をしたのである。
長くなるといけないので三行で述べてみよう。
浴槽に小石を投げ込んでみた。
妖精があらわれて「あなたの投げ込んだのはこの小石か」と訊かれた。
ワクワクしながら素直に答えたら、酷く怒られた。
「つまり、罠である可能性が高いのですな」
そういう経緯があったので、レッドグースはとうとうと述べた。だがマーベルは押さえつける彼らの手からスルリと逃れて縞瑪瑙の台座へと駆け寄る。
「罠はかかって踏み潰す。前に何かで読んだにゃ」
何があるのか、何が起こるのかという好奇心ばかりが先走り、もう彼女の言葉はちっとも理性的ではない。それでも、仲間たちは少しばかり感心して「ほう」と短い言葉を吐いた。
罠は、あるかも知れない。
ただ、この場所を作った者が『魔術師』である事を考えれば、それは『盗賊』であるレッドグースの手に負える罠ではない可能性が高い。つまり、魔法による罠だ。
「よし。抜け、マーベル」
字面だと偉そうだが、アルトは緊張の脂汗を滲ませて身構えている。腰を少し低くし、重心を後方に掛けた、いつでも走り逃げる事が出来る構えだ。
例えるなら牽制球に怯えつつ、リードを取る1塁ランナーと言う所だろうか。
「もう文句無いにゃ?」
疑いの半眼で一同を見回し、どこにも否定の色がない事を確認して、マーベルは改めて縞瑪瑙の台座へと歩み寄る。
かの『短刀』の握りは硬質なツヤを湛えた黒で、所々に金色草花の細工が施してある。漆を塗り重ねながら金箔を定着させて作る蒔絵という技法の賜物だ。少し覗いた刀身も薄い金緑色である事から、おそらくミスリル銀製だろう。
見るからに高級品だ。ここに封じられていると言う、天才鍛冶師の作だろうか。触れて壊してしまったら責任など取れないかもしれない。そう思うと、さすがにマーベルも少しばかり緊張してきた。
だが最終的には好奇心が勝ち、その財宝を掴まんと小さな手をゆっくりと伸ばす。一同はその光景を固唾を呑み、息を殺して見守った。
その時だ。アルトたちが入って来た細い廊下の向こうから、複数の駆け足の音が立ち上がった。と、同時に、あまり聞きたくなかったバリトン小父様声の悲鳴もまた飛び込んでくる。
「たーすーけーてー。殺されちゃうよぅ。つかまったら、ししし、死よりも恐ろし恥ずかしい目に合わされちゃうよぅ。もうお婿に行けないぃ」
内容は相変らずアレだったが、一同は敵の襲来を予感させる尋常ならざる雰囲気を察して、反射的に身を引き締めた。
「アっくん、前に出るにゃ」
「お、おう」
ねこ耳童女がすかさず前衛係のサムライに指示を出し、受けたアルトは慌てて言葉に従う。愛刀『胴田貫』を抜き放ち、縞瑪瑙の台座から一転して廊下に面する場所へと駆けつけるのだ。
また他の面々もすぐさま戦闘準備を整える。この辺りは流石に慣れたものだ。
「GM、土の精霊召喚にゃ」
「承認します!」
続いて間を空けず、ねこ耳童女が声を上げ、承認のサインが響き渡る。すると世界はかの命令に従い動き出すのだ。
迫り来る喧騒に今に掻き消されそうな程に、小さくゴゴゴという地響きが聞こえたかと思うと、次の瞬間、床の石畳に勢いよく小さな穴が穿たれる。そしてその穴から現れるのは、黄色いヘルメットを頭に乗せた土色のモグラである。
彼こそが土を司る精霊ノームだった。
「いよう、また用事かい?」
野太い声の精霊語で召喚主に言葉を掛ければ、小さなねこ耳『精霊使い』は、すぐさま満足そうに頷いた。
「合図したら『ガトリングストーン』ぶち込むにゃ」
「おーけぃべいべー」
そうして戦闘準備が整うと、いよいよ細い通路から影が飛び込んできた。
まずは予想通り、先の潰れた、空飛ぶ『鍔広三角帽子』だ。
「ちょうど良いところに。おめーら、なんかおっとろしい連中がそこまで来てるぜ。敵襲だ。碇を上げろ、帆を揚げろぃ」
一部意味不明な事を含むも、言いたい事はほぼわかるので、一同は構えを崩さずに不思議帽子の言葉に頷いた。
それにしても、「敵」と言うなら、彼の用心棒だった「寺社生まれの骸骨Tさん」を破壊した彼らもまた、この帽子からすれば敵なのではないだろうか。などと考えつつもレッドグースは黙ったままで肩をすくめた。
さて、不思議な『鍔広三角帽子』に1拍遅れ『玄室』へと飛び込んできたのは、旅汚れた外套を着た小柄な3人組だった。
「髭の兄貴、あれ、朝の連中であります」
ドワーフの頭上のベレー帽から身を乗り出してティラミスが叫ぶ。確かにそれは、レッドグースが朝、ものを訊ねられた一団だった。
ただ、今は数が5人から3人に減り、顔を隠すように被っていた頭巾は跳ね上げられている。
覗く面貌は地肌黒く耳が細長い。そして華奢で目付きが酷く悪い。
「黒エルフです!」
驚きと緊張の入り混じった様子で、ねこ耳童女のベルトポーチから元GMの宝珠が声を上げた。
一同はより一層身を引き締めて、各々の得物を固く握り締めた。
黒エルフ。ダークエルフ、闇エルフなどとも呼ばれる。
様々なファンタジー物において、エルフと対比する存在として描かれる邪悪なエルフ族である。
メリクルリングRPGにおいても同様で、主に邪神や悪の陣営に身を置き、度々プレイヤーキャラクター達の敵として現れる。
敵としてデザインされているせいもあり、基礎能力や魔法抵抗力が、キャラクターとしてのエルフより高く、「エルフの上位互換」などと揶揄される事もしばしばある。
「くっくっく、面白いものに行き当たったわ。ミスリル銀の加工技術? こいつは思いも寄らず、いい土産が出来たぜ」
リーダーらしき黒エルフがそう呟くと、左右に従った2人も下卑た笑いで同調した。
「お前らが、エイリークの言っていた暗殺者だな?」
『胴田貫』を隙無く中段正眼に構えたままアルトが問う。黒い3人は一瞬だけ笑いを止めると、今度は不敵に口の端だけを歪めて笑った。
「そっちは今頃、仲間の2人が命を奪っている頃だろうよ。お前達には恨みも無いが、事情を知った以上、生かしておくわけにも行かないんでね」
言いつつ、リーダー格の黒エルフは、腰の後ろに差していた『短剣』をスラリと引き抜く。毒を帯びているようで、剣身は禍々しい色に濡れていた。
それを見て、マーベルはすかさず地に控えるモグラに手をかざした。
「なら、おまえら敵にゃ! 『ガトリングストーン』発射にゃ」
「ご機嫌だぜべいべー」
言うなり、モグラの周囲に散乱した小石が勢いよく飛翔した。
『ガトリングストーン』は土の精霊の力を借りる3レベルの精霊魔法だ。
土の精霊がコントロールする無数の小石を高速で打ち出し、正面に展開する複数の目標にダメージを与える攻撃魔法である。
魔法でありながら、ダメージは小石による物なので、魔法に対する抵抗ではなく、物理攻撃と同様に、鎧によるダメージ減少が有効となる。
「ち、小賢しい。死ねよ仔猫ちゃん」
小石の散弾を正面から受け、少しばかりのダメージを追った黒エルフ3人は、その表情から笑みを消し去り殺到した。狙いは今しがた彼らに仕掛けたマーベルだ。
だがその間に立ちはだかる者もいる。我らが前衛看板アルトである。
「おっと、ここを通るならオレを倒してからにしな」
正眼から踊り来る3人を睨みつけ、今度は逆に、不敵に口の端だけを歪めて出迎える。その様子がなおさら黒エルフ達をカチンとさせた。
「ならお前からだ」
駆け出した勢いを殺さず、リーダー格の『短剣』が、正面から突き出される。また、左右の上下から、後の2人の刃がアルトを襲う。
だが、アルトも負けてはいない。
この若く手練たサムライは、まず一歩踏み出し半身捌き、突きの切先を左に逸らす。続いて逸らした黒エルフの身体を押し、左下から襲い来る黒エルフにぶち当てた。
「ぬふっ」
これで2人の黒エルフは絡まるように体勢を崩した。
「きえぇぇぃ」
そして最後に右上から斬り下ろす黒エルフだ。
アルトはすかさず全身を伸ばしつつ、『胴田貫』を頭上で水平に掲げる。右手で柄を持ち、左手を切先付近の峰に添えた、鳥居の構えと呼ばれる防御の型である。
直後、右上から来た黒エルフの『短剣』は、甲高い金属音と共に弾かれた。
なんと、これにてアルトは暗殺者達からの3連撃を見事に防いだわけだ。
「おー、アル君、めっちゃカッコえー」
思わず姐貴分も、自分の得物を脇に抱えて拍手だ。アルトは慣れない賞賛に照れて頭をかいた。
「いやーん、思わず惚れちゃうわーん。むしろ掘ってーん」
だが続いて上がった気持ち悪いバリトン声の台詞で一気に冷めた。戦闘中なので緊迫感を保つ為には、結果的には良かったかもしれない。まったく『鍔広三角帽子』様々である。
さて、3連撃は凌いだが、まだ終わったわけではない。この暗殺者どもを退け、その上で伝説の『ミスリル鍛冶師』を連れ帰るのだ。
「どうれ、ちょっくらウチも派手にいくで」
続く手番の、白い法衣の乙女が、手にした『鎧刺し』をギラリと構える。見た目に凶悪な武具だけに、黒エルフたちは冷や汗と脂汗を滲ませた。
2ラウンドも経過すると、黒エルフもリーダー格のみを残して片付いた。
アルト、モルトの前衛2枚と、精霊魔法によるガトリング攻撃。さすがにこれだけの砲火を浴びれば、HPの少ない黒エルフはひとたまりも無かった。
こちらも無傷だったわけではない。だが相手は所詮『短剣』であり、脅威となるはずの『毒』も、こちらには『メディポイズン』と言う解毒魔法の加護があるのだ。
さらに言えば、生命力抵抗値を底上げする、呪歌『トロレンスグルーヴ』が、狭い玄室に鳴り響いていたりもする。
そうして各々集中的な攻撃を浴び、2人の黒エルフは瞬く間に刀の露と消えた。
「おのれ、タダでは済まさぬぞ」
残された黒エルフがワナワナと肩を揺らしてのたまう。その震えはおそらく怒りによるものだ。
「こうなれば、奥の手を出させてもらうぞ。貴様ら後悔するなよ」
だがここまで楽勝ムードで戦闘が進んだこともあり、アルトたちはその言葉に重みを感じる事はなかった。
「そんなのあるなら始めから出せば良いにゃ」
ゲームスラング的に言えば、もう完全に舐めプである。
だが、次の瞬間、それはただの負け惜しみだと思っていただけに、さすがにアルトたちも度肝を抜かれた。
『短剣』を投げ捨て、両肩を自ら掴んだ黒エルフの身体が、見る見る膨らみ始めたからだ。
外套の裾から覗く華奢でか細い黒いエルフの身体は、数秒後には見る影も無いほど筋骨隆々に変化して外套を破いた。
続いて灰色の体毛が黒い肌を覆い尽し、最後に顔がぐにゃんと変化する。その面様はと言えば、まるで凶暴な犬科の獣である。
「お、おい、変身したぞ。か、怪人だ」
まず慌てて声を上げるのは、やはりアルトだった。
怪人、とは言い得て妙である。
先に述べたまでの変化であれば、世界中に伝承を残す「人狼」を思い浮かべる者が多いだろう。だが変化にはさらにその先があったからだ。
筋骨隆々、二回りも三回りも巨大になったその人狼は、さらにその背中から黒い7本の触腕を生やし始めたではないか。
スケールこそ違うが、それは以前に死闘を繰り広げた相手である、海の魔物『ロゴロア』を彷彿とさせた。
「あわわわ。GM、この世界の人狼て、あんなんなん?」
思わず抵触事項の事も忘れて訊ねるモルトだが、慌てているのは薄茶色の宝珠も同様だった。
「い、いえあれはちょっと。ルールブックのどこにも載ってませんよ」
「すると『ロゴロア』同様、突然変異種なのですかな?」
「というか、ぶっちゃけ、データが何も降りてきません」
これが薄茶色の宝珠が慌てた理由でもある。
本来、元GMたる彼には、どこかからあらゆる情報が降りてくるのだ。それは公開非公開関わらずである。
なのに今、この目の前に対峙する怪人については、未だ「黒エルフ」としての情報しか表示されていなかった。
明らかにイレギュラーな事態なのである。
「くっくっく、どうだ俺様の奥の手は。さあ、ショータイムの始まりだ!」
黒エルフの成れの果て、人狼と呼んで良いのか解らないその怪物は、自分の毛むくじゃらの両腕と、黒い蛸の様な触腕を大きく広げて見せる。
アルトたちはこれから始まるであろう恐怖の宴に、身を硬くして僅かに震えた。
身構え、固唾を呑んでその瞬間に備える一同。
だが、その後に襲い来るはずだった怪人の必殺技は、いつまで経っても彼らの頭上に降り注がなかった。
直後に、怪人の背後から飛来した金緑色の金属塊が、巨大な刃でかの怪人を斬りつけたからだ。
吹き飛ぶ黒エルフ怪人の後ろから現れた金緑色の巨塊は、緊張感の薄い声で高らかに宣言した。
「助太刀にござる」
大きな白刃の正体は、人形姉妹が次女である、プリツエルが振るった『長刀』の一撃だった。
「今にょ」
突然の背後からの攻撃に驚愕の表情を浮かべる黒エルフ改人狼に似た何かは、童女の掛け声と共に殺到する戦士たちの刃に、無念にも、その能力を発揮することなく断末魔を迎えて暗き闇の底に墜ちるのだった。
「宿の方にも追っ手が来たでござるよ。締め上げてみれば、残りの連中がティラミスたちを追ったと言うので、探しに来たでござる」
黒エルフだった塊をひとまず片付けると、金緑色の『板金鎧』は誇らしげにそう言った。よく見れば、今ついた返り血の下にも、乾きかけた茶色い染みがいくつか見える。
『金糸雀亭』でも、さぞ派手な惨殺劇が繰り広げられた事だろう。
つまりは、追っ手が全部片付いたので、安心して加勢に来た、と言う事のようだ。
「は、はぁ助かりました。ハイ」
技では負けていないはずのアルトだったが、巨大な『長刀』による斬撃の迫力に、すっかり恐縮するのだった。
さて、危機が去ればまた縞瑪瑙の台座に目が移る。
真っ白い壁や床はいくらか血で赤く染まったが、台座と、鎮座する『短刀』の輝きは、一向に衰えてはいなかった。
「ささ、マーベル殿。気分を新ためて抜くのですぞ」
「うみゅ、わかってるにゃ」
愛用の『手風琴』を軽く拭き上げてから背負いなおしたドワーフに促され、マーベルはおもむろに『短刀』の蒔絵拵え柄を握り、溜めも無く一気に引き抜いた。
スポン、と言う音が聞こえそうなほど、特別な引っかかりも重みも無く『短刀』はあっけなく抜け、マーベルは勢い余って尻餅をついた。
「痛いにゃ。何するにゃ!」
思わず抗議の声を上げるねこ耳童女だが、当の相手は台座である。当然返事もあるわけが無い。
しかし、その次の瞬間、まるでマーベルに応えるかのように台座が小さく鳴動した。
小さいながらも甲高い音が辺りに反響すると、部屋を照らしていた松明の炎がふっと消える。代わりに縞瑪瑙の台座自身が、カラフルに色づいた無数の光の筋を放ち始めた。
「うお、なんだ。何が起こった?」
再び戦闘前同様の及び腰姿勢となったアルトが、突然の変化に恐れをなして、激しく左右上下に視線を放つ。
すると台座が放った、数々のパステルカラー光芒が壁に当たり、星や三日月、ハートにダイヤと言った模様を描き出した。
一同呆然で棒立ちだ。だがそんな彼らを気に留めず、部屋の様子は進行する。
玄室内がすっかりファンシーな雰囲気に染まった頃を見計らい、台座は第二の光を放ち始める。今度は淡く、天井に向かって立ち上るスポットライトの様な光柱だ。
「アレを見るにゃ!」
すっかり言葉を失った面々から、真っ先我に帰ったねこ耳童女が声を上げて光の柱を指差す。言われるままに注目すれば、その光の底から、ゆっくりと何かが生えてきた。
赤い帽子の配管工が主人公の、あのゲームにおけるキノコの様に。
否、当然キノコなどではない。それは少女だった。
白を基調としたパステルカラーのひらひら衣装を纏った、少し幼さを残したような顔つきの華奢な少女だ。手には柄の長いハンマーを持っている。これも当然、曲線をふんだんに散りばめたデザインの、淡い色調の得物である。
実用性を完全に無視したような装飾重視のその服の裾が、無風の光の中で風に揺らめくようにはためき、たっぷり数十秒を費やし、つま先まで姿を現したその少女が双眸をカッと見開く。
「ぱぴるん、ぱぴるす、みすりるーん!」
片足で爪先立ち、パステルハンマーを高々と掲げ、鼻にかかった現実感の薄い弾んだ声が少女の口から飛び出した。
「……はい?」
一同、なぜか揃い同じ言葉を発して首を傾げる。少女は意に介さず、クルクルと短い振り付けのステップを踏み、最後にびしっと可愛らしいポーズと、横ピースの隙間からウインクを彼らに送る。
「魔法の鍛冶師、ミスリル・メイ。ここにさんじょーっ」
彼女こそが、この遺跡に封じられていたという、伝説の『ミスリル鍛冶師』その人であった。
アルトはこの瞬間、彼女が封じられた理由は「妬み」「嫉み」などでは断じてない、と確信した。なぜなら、彼は今、古の魔術師たちと同じ思いを共有していると感じたからである。
すなわち、「硬く蓋をして、なかった事にしたい」と言う気持ちである。
その後、アルトは何か激しい頭痛に苛まれてあまり記憶が無い。おそらく、精神的ショックから来る、脳の自己防衛機能による現象だろうとは、元GMの診断だった。
だが何かと自由な発言ばかりの『ミスリル鍛冶師』を説得して連れ帰り、予想通り唖然としたレコルト親方に睨まれた事は、ボンヤリと憶えている。
ちなみに、傍らで身を乗り出した酒樽中年が、何が嬉しいのかやんややんやと拍手を送っていたのが、最後のハッキリとした記憶だった。
そしてその晩。何とか気分を取り戻したアルトは、いつも通り夕飯時の喧騒を湛える『金糸雀亭』でテーブルについていた。
その横では、すでに今日の公演を終えたレッドグースが、奢りの麦芽酒を満面の笑みで飲み干すモルトと杯を酌み交わしている。
さらに反対側の隣には、就学児童並みの背丈のねこ耳童女が、手に入れたばかりの『短刀』を弄り回していた。縞瑪瑙の台座に刺さっていた、あの『短刀』である。後で気づいたらしいが、台座の裏に収納があり、そこに鞘もあったそうだ。
「やっぱ、魔法の品にゃ? どんな効果があるんにゃろー」
刀身は金緑色のミスリル銀、拵えは黒地に金箔で草花模様を入れたという、見事な逸品だ。
作刀者が『ミスリル鍛冶師』であり、付加魔術師でもあったと聞けば、期待は膨らむというものだ。
そんなマーベルの様子に、アルトもまた興味をそそられ始めて除き込む。よく見れば、切先に少しだけ黒い染みがあるように見えた。
と、その時、『金糸雀亭』の扉をくぐって新たな客がやってくる。
右腕と左足に粗末な義肢をつけた小柄な赤毛の少年と、金緑色の全身鎧の巨体だ。
「お、どんな具合やった?」
早速、白い法衣のモルトが、陽気に杯を挙げながら2人を呼び寄せる。すぐ近くに席を決めたエイリークも、すぐに杯を注文してから振り返った。
「なかなか面白いヤツで困ったよ。だが、注文は取り付けてきた。1ヶ月はかかるらしいから、しばらくはここで厄介になるさ」
「改めてよろしくでござるよ」
2人もまた陽気に返事をすると、待ちに待っていたねこ耳童女がサッと手を挙げた。
「コレの効果、訊いて来てくれたにゃ?」
コレとは、彼女がさっきから手放さない、魔法の『短刀』である。2人が例の『ミスリル鍛冶師』に、ミスリル義肢作成を依頼しに行くというので、ついでに訊いて来てくれる様に頼んだのだ
「もちろんでござるよ」
鎧型の操作型ゴーレムから飛び降りた小さな人形少女が、大仰に胸をそらす。
「『短刀』の銘は『クーゲルシュライバー』だそうでござる」
それを聞きつけ、アルトもまた身を乗り出した。
「おお、なんかカッコいいじゃないか。で、やっぱり魔法が?」
「やってみるのが早いでござるな。ちょっと貸すでござる」
少しだけ応えあぐねたプリツエルは、ねこ耳童女から件の『短刀』を借り受けて、早々に鞘から払う。
身長が約14センチメートルなので、『短刀』でも取り回しに難儀しながら、ついでに鎧の収納から、1枚の紙を取り出した。
そして好奇心に駆られて除き込む数人の前で、意気揚々と紙の上に切先を走らせた。
その結果に、皆、一様に同じリアクションだった。
すなわち、一瞬驚愕の声を上げ、直後に落胆した。
「おや、モルト殿は無反応ですな?」
一人、離れた所で半眼を晒す白衣の乙女に気付いたレッドグースが声を掛ける。モルトは苦笑いと共にオチをのたまった。
「『クーゲルシュライバー』はドイツ語や。日本語にすると『ボールペン』。な?」
なるほど、と酒樽紳士は小さく頷いた。
薄々わかっていたことだが、『付加魔術師』は、天才でも紙一重の人らしい。
レッドグースは落胆する若者達を眺めながら、杯の酒を小さく掲げて、天におわす誰かさんに祈った。
願わくば、エイリークの義肢が『野菜の皮むき付き義手』や『ティッシュが無限に湧き出る義脚』でないことを。