05悪魔のレストラン5
「美味いにゃーっ」
まず真っ先に、地鶏と茸のクリーム煮をかっ込んで叫びを上げたのは、草色ワンピースに『なめし革の鎧』を合わせた、ねこ耳童女マーベルだ。
敏捷が高いゆえの悲劇であった。
「お、おいマーベル。大丈夫か」
予想もしなかった流れに動揺しつつ、彼らの前衛アルトが駆け寄る。
ただ美味いものを食べた時の感嘆であれば問題はない。だがそのねこ娘の咆哮は、すでに常軌とは隔絶された何かだった。
それゆえ、彼の言葉はマーベルに届いていなかった。
「こ、これは尋常ではありませんな。GM殿、この状態は『キュアセイン』で改善しますかな?」
神聖魔法『キュアセイン』は、心の異常を取り除く為の魔法だ。
いち早く、状況を把握しつつあったカストロ髭のドワーフが、狂ったねこ耳のベルトポーチに問いかける。そこには世界のシステムを把握する、薄茶色の宝珠が顔を出していた。
「もちろん、ある程度は改善できます。ですが」
皆まで言う前に、目に見えて彼の言いたい「ですが」の続きが明らかになる。
ちょうど、我らが『聖職者』の乙女が、ロシアード風さくさくカツレツの皿を取り落としながら、目を回して地に伏す所だった。
「うきゅう」
目を回しつつ『麻痺』による状態異常で、地をはいずる羽目になったモルトの表情は、とても幸せそうであったと言う。
「こ、これは」
いつも飄々としているレッドグースも、この状況にはさすがに深刻にならざるを得ないようで、髭に埋もれた頬を冷や汗でいっぱいにした。
「ヤバイ、ヤバイよ。マジでヤバイ」
それに追従するように、若いサムライが呟く。
「そうですな。これはさすがに何とかしないといけませんぞ。アルト殿、突撃準備、そしてクーヘン殿、援護を」
そう言いながら振り向いたレッドグースが見たモノは、すでに全滅の憂き目に合いかけた、我が隊の惨状だった。
「うひ、うひひひひ。このロールケーキ、超イケてるデース」
「いやマジヤバイって、羊肉がこんなにヤバイとは。あーヤバイヤバイ」
ヒゲ紳士と玉っころ以外の全員が、マクーの術中に落ちていた。
「これは、ワタクシも踊らにゃ損、という事ですかな?」
「一人くらい正気でいて欲しいですね。ハイ」
レッドグースは元GMの悲哀を感じ、同情的に彼の訴えを承諾した。
だが、本当の地獄はこれからだった。
次々に骸骨によって運ばれてくる料理を平らげる、アルトとマーベルの若い胃袋コンビ。テーブルの真ん中で、スイーツ独り占め状態で悦にいたる、お菓子大好きクーヘン。そして幸せそうな笑みを浮かべたまま、『麻痺』によって地に転がるモルト。
精神力抵抗に成功したレッドグースから見て、この若者達の惨状と来たら目を覆いたくなる風景であった。
なにせ動きがあるどの瞳も、狂気に満ちた渦を巻いているのだ。
かと言え、『吟遊詩人』にして『盗賊』であるレッドグースに、彼らを救う術など無いのだ。
「GM殿、ワタクシは『ハイディング』いたしますぞ」
「了承、します」
渋々、と言った様子で薄茶色の宝珠が返事をひねり出す。いつもならアルトが「ずるい」と言う所だが、この時ばかりは彼の気持ちが良く判る気がした。
この狂気の中に一人取り残されるのは非常に心危うい気分だ。たとえ、我が身が影響受けぬ無機物であっても、である。
同情はしつつも、レッドグースは承認と共に、その姿を空気の中に掻き消した。
「カーカカカッ、どうだ我が料理の味は、美味いだろう? 止まらないだろう?」
主塔の2階バルコニーから見下ろす、黒いコックコートと赤外套を身に着けたセガールが、料理をとめどなく食べ続ける若者たちに高笑いを浴びせる。一人取り逃がした事など気にも留めず、それより嬉しさの方が先にたつのだ。
彼の料理人生の中で、これほど自分の料理に夢中になられた事など、一度たりとも無かった。それゆえの高笑いであった。
「くくく、さすがはワシが選んだ逸材よ。ワシが創り出した魔喰空間を、よく使いこなしおる」
セガールの傍らにはべる、魔獣マンティコアがしわがれた声で呟く。不思議とその声は砦の敷地内に良く響いた。
「魔喰空間だって?」
聞きつけて薄茶色の宝珠が呻く。だが「知っているのかGM」という合いの手は入らない。入れるべき仲間が全て状態異常中なのだ。
ちなみに彼も「知っている」訳ではない。情報が、誰かわからぬ上位存在から降りて来ただけであった。
魔喰空間。それは食邪神マクーに仕える『聖職者』の専用魔法である。
その魔法により創り出された空間では、全ての者の嗅覚や味覚、そして食に関する欲求が3倍にアップするという。
つまりは料理出されたら、食べずにはいられない、という恐ろしい罠なのだ。
無機物であるが故、生物的な欲求から開放されている事を、元GMたる宝珠は天におわす何者かに深く感謝した。
「おや?」
自分は無事、という悟りから落ち着きを取り戻した薄茶色の宝珠は、ふと異変に気付いた。若い2人が着くテーブルの料理が減ってきたのだ。
さっきまでは、空いた皿は即座に片付けられ、続けて骸骨どもが新しい料理を運んでいたはずなのに、である。
そう意識して眺めてみれば、5体の骸骨のうち3体が見当たらない。その上、姿を見せている2体もまた、手にした料理をテーブルに置くと、仕事を終えたかのように、テーブル脇に直立で控えた。
若い暴食胃袋が、用意されていた料理を食い尽くし始めたのだ。
「おっと、セガールよ。彼らはまだまだ食い足りないようだぞ」
「む、そうか。さすが冒険者だな。はっはっは、では厨房で追加の料理を」
言いかけて、黒コックがバルコニーから戻ろうと背を向けた時だった。中庭でガシャンという乾いた大きな音が響いた。
すわ、何事か、と反射的に振り向けば、中庭の客席付近で、抜き身の刀を持つサムライと、たった今お手打ちにあったと思われる、頭蓋がかち割られた1体の骸骨が横たわっているではないか。
「なっ」
セガールは絶句した。また、残った1体の骸骨も慌てて周囲を見回した。どうやら逃げ場を探しているらしい。
不死の怪物、ということは不浄の魂が宿っているのだ。いかに不浄ですでに死んでいるとは言え、なで斬りされるのは恐ろしいらしい。
しかも相手は憎き生者ではなく、狂者なのだ。
「ふしゅるるるる」
狂人アルトがにんにく臭い息を吐き、テーブル上の皿を見回す。その瞳は病的で鋭い光を湛えている。
そしてどの皿もすでに空であることをもう一度確認すると、ギンと音をたてそうな眼光で、残ったもう1体の骸骨を睨み付けた。
「めし、うま」
すでに脳まで毒が回っているのか言葉さえおぼつかない。だがどうやら「次の料理を持ってこい」と催促しているようだった。
知能もない骨の身でありながらも、まさに血が凍る様な寒気を感じた骸骨は、本能的にこの狂った人間から逃げ出すべきだと判断した。
だが、その判断が結果的には彼の仮初の邪悪な命を断つ事になる。
まさに逃げ出そうと背を向けた次の瞬間、テーブルの向こうで骨付きチキンに齧り付いていた筈のねこ耳童女が、いつの間にか引き絞った『小弓』から矢を放ったのだ。
骸骨が『やられた』と感じるより早く、矢が正確に頭蓋を貫く。
「にゃぁぁぁぁぁ」
マーベルが、怒りとも気勢とも取れる叫びを上げた。と、同時に、頭部を射られた骸骨は、ゆっくりと崩れ落ちる。
脳をやられた訳ではない。単に一撃で彼のHPが吹き飛んだのだ。
「何が起こっている!」
2階バルコニーで状況を見ながら呆気にとられていたセガールが、傍らの魔獣に詰め寄った。さっきまで嬉しそうに料理を貪っていた筈だと言うのに、この変化は何事か。
だが、慌てた人間の料理人とは裏腹に、落ち着き払ったマンティコアはため息混じりに首を振った。
「いつの時代も食を求めて争いを始める。人の子とは、げに愚かなものよ」
つまり、アルトたちは料理がなくなって暴れ始めたのだ。
今度は、セガールが血が凍る思いを味わう番だった。
「システム的には『狂人化状態』というヤツですかね」
狂えるケットシーの腰元に鎮座した薄茶色の宝珠は、一人暢気に呟いた。
「ふしゃーっ」
そんな元GMの言葉とは関係なく、アルトとマーベルは食欲が満たされぬ怒りに叫びを上げ、猛然と主塔正面扉へと駆け出した。
先程から骸骨がその奥から料理を運んでくる。すなわち、奥にはまだ見ぬ料理があるに違いない。
『狂人化状態』で戦闘力が肥大した若い2人は、本能の赴くまま、半開きとなった扉を蹴り開けるのだった。
少年は気付くと、10数年間、毎日過ごしたダイニングキッチンの食卓にいた。
右の席には妹が、正面の席には母と父が笑いながら、テーブルに広げられた数々の料理に手を伸ばしていた。
ああ、夕飯か。
少年は納得して頷き、自分も食事にありつこうと膳の前に据えられた箸に手を伸ばす。早くしないと、大皿に盛られたから揚げが、全部妹の胃に納まってしまう。まったく、背が小さいくせに意地汚い事だ。
そう思ってふと隣に目を向ける。
妹は長い金髪をポニーテイルに結い上げ、その頭には小動物じみた三角の耳を生やしていた。
少年は違和感を感じ、箸を置いて顎に手を添える。妹は果たしてこんな姿だっただろうか。
そして顎に添えた自分の手が視界に入り、さらにおかしな状態である事に気付く。
篭手を、嵌めているのだ。
よく見れば篭手だけではない。『鎖帷子』や付属の肩当、脛当もついている。さらにいえば、腰には愛刀『胴田貫』を下げているではないか。
そうか、夢か。そう言えばこんな家族の食卓なんて、もう何年もなかったはずだ。
アルトはそう思いついた途端、急速に覚醒した。
「う、うーん」
硬くひんやりとした石畳の上でアルトは身じろぎをし、そこが寝床ではない事に考え至った。
そう言えば夢の中では食べ損ねたのに、なぜか胃もたれして気持ちが悪い。胃薬が欲しい所だ。そうアルトは思考を巡らし、脳裏にパッと浮かんだエリクシル服用液の幻影を、首を振る事で掻き消した。
そうして10数秒も経過すると、脳の覚醒を追う様に身体もまた感覚が戻ってくる。アルトは半身を起こしながらゆっくりと目を開けた。
そこには記憶にない見知らぬ天井があった。
石畳に石壁。室内にはいくつかのテーブルと、後付で対面式のカウンター付きキッチンが据付けられていた。
だが部屋の設備より、何より特筆すべきなのは、アルトが転がっていた床に、目を回したねこ耳童女、インバネスコートをだらしなくはだけた人形少女、頭を砕かれた幾つかの骨、そしてどこかで見覚えのある黒いコックコートの中年等が散乱していた事だ。
「うわ、なにこれ怖い」
料理に手をつけてからの記憶が無いアルトは、常軌を逸したこの惨状に、思わず背筋を震わせて自らの肩を抱くのだった。
「非常に面目ない。迷惑をかけたようで」
「いやいやこちらこそ、なにやら乱暴な真似をしちゃったみたいで」
その日の夜。ディナータイムが終わった『煌きの畔亭』の事である。
すっかり埃まみれになった黒いコックコートの中年と、やはり埃っぽい『鎖帷子』の若サムライが、互いに向かい合って頭を下げた。ついでにサムライのすぐ横では、草色ワンピースのねこ耳童女が一緒に頭を下げた。
「反省しているにゃ。憶えてにゃいけど」
古砦の主塔1階で目覚めた後、アルトたち高校生コンビは、一部始終を見ていた薄茶色の宝珠から、事の顛末を聞いた。
曰く「料理が無くなった事に腹を立てた極悪クレーマーが、善良なウエイターを蹴散らして厨房で暴れた」との事。
いや善良なウエイターとは言葉のあやで、実際には不浄な不死の怪物なのだが。
ただ確かに戦闘の意思のない相手を、有無を言わさずなぎ倒したのは事実のようだ。
「まったく、ゲームが違ったら性格がグッドからイビルに変更される所ですぞ」
「それやと、初期には作れない『悪のサムライ』誕生やね」
後ろでドワーフとハーフエルフが良くわからない例えで囃し立てる。意味はわからないが、なにやらとても悪い事をしているような気になったので、アルトたちはさらに恐縮した。なぜか「マーフィー君ごめん」という言葉が脳裏に浮かんで消えた。
「そういやティーグルスはどうした?」
ふと、顔を上げた黒コックコートのセガール氏が冒険者達を見回した。一同はその名に思い当たらず首を傾げる。
「あのマンティコアだよ。マクーの『聖職者』の」
そう言えば、とアルトとマーベルは顔を見合わせる。今回の仕事の最大障壁と思われたあの魔獣は、彼らが目覚めた時にはすでにいなかったのだ。そうか、アレが食魔神マクーの信徒だった訳か。
「ワタクシは少し話しましたぞ」
と、今度は姿を消して、主塔の外で様子を窺っていたというレッドグースが返事を入れた。一同は彼が危険の前に身を晒した事に、少し驚愕して注目する。
皆が彼の話を待っている事に気付き、レッドグースは少しばかり回想した。
アルトとマーベルが塔内へ突撃してから30秒も経過した頃だろうか。
バルコニーにいた黒コートの料理人は、すでに慌てふためき階下へ降り、中庭にいるレッドグースの視界に入るのは、バルコニーに残ったマンティコアだけだった。
そのマンティコアが、階下の喧騒を他所に、ゆっくりと蝙蝠の様な筋張った翼をはばたき舞い上がった。
『盗賊』固有のスキルによって、その身を虚空に隠していた酒樽紳士は、その瞬間に身を硬くして、無意識の内に息を潜める。
戦闘スキルを持たない彼は、あの魔獣と事を構えて生き残る術がないのだ。
だがそんな緊張した思惑をあざ笑うかのように、魔獣はたてがみで風を切りながら、優雅にかのドワーフの前へと降り立った。
レッドグースはよりいっそうに気配を断とうと、すかさず息を止めた。
「空気に溶ける大地の子よ」
レッドグースの努力は実らず、魔獣はあっさりと彼の隠れ身を見つけたのだ。レッドグースは観念して、『ハイディング』を解除した。
「なんですかな、賢き獣の王よ」
なるべく動揺を押し殺し、相対する魔獣に話をあわせるように言葉を返す。その様子にマンティコアは少しだけ頬を緩めて、口の端だけで笑った。
「もう少し遊びたかったが、もう飽いた。ワシはまた旅に出る」
つまりやり合わずに済んだという事の様だった。
レッドグースは安堵に息をついて胸を撫で下ろした。そうなってくると、今度は余裕から好奇心が目覚め始める。
「マンティコア殿はどちらへ行かれるのですかな?」
「北へ。海を渡って大陸へ行こう」
たてがみ持ちの魔獣は、黒い翼を大きく一度はばたかせてレッドグースの問いに答えると、もう興味を失ったように、一目もくれずに遥か上空へと舞い上がった。
もう少し気の利いた会話が出来たなら、彼と旅をする奇異な未来もあったかもしれないなどと、安心と、少しばかり惜しいような気持ちでレッドグースはそれを見送った。
後には、喧騒が静まりつつある主塔と、誰もいない中庭が残るだけだった。
「つまりマカロン殿はもう隠れなくてもいいということですな」
レッドグースが自慢のカストロ髭を撫でながら話をそう締めくくると、一同は呆気にとられたような表情で肩をすくめた。
結局、今回の騒動が何であったのか。つまり、暇を持て余したとある魔獣の遊びだったという事らしい。
「ささ、難しい話は終わりにするですの。せっかくの料理が冷めてしまいますの」
2回ほど小さく手を叩き、鼻にかかった可愛らしい声でそう言ったのは、厨房を覗くカウンターに立つ、人形サイズの少女だ。
青みがかった薄銀色のフワフワ巻き毛に大きなリボンのその少女は、ミトン手をピンク色エプロンドレスの腰に当てていた。
今回の騒動の報酬以外の収穫といえば、この新たな『人形姉妹』に出会えた事くらいだろうか。
「にいさま方、遠慮なくどうぞですの。クーヘンにもロールケーキを用意したですの」
元気よく華やかな笑顔を振りまきながら人形少女がのたまう。
お疲れ様会という名目で数々の料理がいつの間にかテーブルに並んでいた。どれも『料理姫』の二つ名を持つマカロン嬢の手による絶品料理だ。
だが冒険者一同は、今日ばかりはこの美味そうな料理に対し、酷く嫌そうに眉をしかめるのだった。
笑顔のまま不思議そうに首を傾げるマカロン。
「ケーキはもうこりごりデスよ」
クーヘンはウンザリとしながら机に突っ伏した。
「悪魔のレストラン」は今回で終了です。
来週は1回お休みをいただき、7/10から次の短編シリーズが始まります。