04さまよえる冒険者
メリクルリングRPGの世界で流通する貨幣は、メリクル銀貨一種類である。
古代にはさまざまな金貨、銀貨、銅貨も存在していたのだが、220年前に大陸の半分を征服した統一王メルクリウスによって、新貨幣制度として定められたのが『メリクル銀貨』である。
メルクリウス王朝は彼の死を持って崩壊したが、その統一通貨は特殊な経済系ギルドである『メリクル財団』により管理され、今でも世界中で流通している。
というバックストーリーが一応制定されている。しかし現実にはプレイヤーの利便性を重視した結果である
旅人がもっとも安い宿を求めた場合が銀貨10枚程度、外食で安い食事が銀貨3枚というのがだいたいの相場だ。
安い共同宿泊施設が1泊1000円、牛丼1杯が300円と考えると、日本円との両替比率はおよそ1/100程度と考えるとわかりやすいかもしれない。
もちろん例外はいくらでもあるわけだが。
再会の夜が明けた。
アルトたちは司祭に謝意を伝え、宿泊の礼にいくらかの銀貨を納め教会を後にした。
といってもアルトは銀貨12枚しか持っていなかったので、マーベルに立て替えてもらっている。昨日のお布施もあわせれば、すでにマイナス状態に突入だ。小学生に借金しているみたいで、必要以上に情けない気分だ。
そのマーベルにしたって、資金が潤沢なわけではない。暗闇の中で再会したモルトもまた然りだ。
街はまだ早い時間であるにもかかわらず、予想以上に活気があった。
広場には朝市が立ち、新鮮な野菜や果物が所狭しと並んでいるし、弁当を抱えて今日の仕事場へ早足に向かっていく職人の姿も見える。
3人はひとまず腰を落ち着ける為、朝からでも開いていそうな食堂、酒場などを求めて街を歩いた。酒場と言っても、宿を併設するような施設なら、朝でも客を受け付けてくれるはずだ。
または『冒険者の店』が見つかるならそれも御の字である。
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『冒険者の店』はファンタジー系テーブルトークRPGではお馴染みの存在だ。
名前の通り、冒険者のために開かれた施設で、旅の末に財宝を得た冒険者が、引退後に経営していることが多い。
宿、食堂、酒場、冒険に必要なアイテム販売などを兼ね、冒険者向けの依頼の仲介なども行う。
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しばらく歩いて見つけたのは、朝市の近くにある小さな食堂だった。朝市にやってくる人のため、早朝から営業しているようだった。
「モルトさんは、なんであの教会に?」
銀貨1枚と言う値段で提供された、絞りたてのヤギの乳入りの木製ジョッキをちびりちびりと口に運びつつ、アルトは問いかけた。
明るい茶の長い髪をハーフアップに結った、一見お嬢様然とした女性は、早速注文した果実酒を手に小首をかしげる。酒気に早々頬を赤らめるその姿は、これっぽっちもお嬢様らしくない。
「そんな丁寧でなくてええよー。これから生死をともにせなならん仲間やし」
生死などという緊迫した単語だが、そんな雰囲気を微塵と感じさせぬ暢びやかな調子で告げる。ウェイターから手渡された果実酒を、もう1杯飲み干している。
「モル姐さんモル姐さん、おつまみ何にするにゃ?」
アルトの話には興味なさ気なマーベルはモルトをすでに姐さん呼ばわりだ。
「おー、『鶏の香草焼き』とか美味そうやねー」
朝っぱらからガッツリである。これが肉食系というヤツであろうか。
「お客さん、それディナーメニューなんで無理っす」
ツッコミは注文を取りに来ていたウエイターのお兄さんの言。
「ほーかー。ほなチーズサンド頼むわ」
「んじゃアタシもそれ。アっくんどうする?」
「いや銭がないのでヤギ乳だけで結構です」
銭がないのはモルトも一緒のはずだったが、彼女は彼女ですでに3杯目の果実酒に口をつけている。果たして先のことなど考えているのだろうか。
「ウチは目ぇ覚めたら街の大通りに寝とったんや。で、お酒につられて近くの酒場に入ってな? ほんで財布の中身がすっからかんや」
言葉を切り、命の燃料たる酒をコクコクと飲み干す。3杯目、完。
「ぷはー。んで、酒代稼ごうと思ったんや」
「それでなして教会なのん?」
訛りが少し移りかけたような、どっちにしてもおかしな訛りになっているマーベルが訊ねる。その手は如際無くモルトに次の杯を渡している。
「アルバイトや」
「アルバイト!」
アルトの脳裏に稲妻が走った。まさに『その発想は無かった』である。
そこそこ豊かな中流家庭に育った高校2年生のアルトは、未だ労働に因る金銭授受は経験したことは無かった。マーベルもまた同じだったようで、その頭上に瞬く電球の幻覚が見えた。
「さすが女子大生。オレ達の思いつかないことを平然とやってのける」
なぜか噴出した冷や汗をぬぐい、アルトは不敵な笑みを浮かべる。アルバイトなどと言う選択肢あるのなら、夢はいくらでも広がっていく。
「ウチ、『聖職者』やし? 教会訪れるお客さんにちょいと回復魔法『キュアライズ』かけたったら銀貨数枚もらえるって寸法や。もちろんミカジメ料は司祭はんに納めるんやけどな」
細部間違っているような気もするが、すでに空想の先へ翼を広げる若い二人には、まさしく些細なことだった。
「オレは何ができるだろう。『傭兵』のおかげか筋肉が増量中だし、道路工事とかいけるかも」
「アタシはファーストフードやってみたいにゃ。それかメイド喫茶!」
マーベルがメイド喫茶なら、それはまさに小学生ねこ耳メイド喫茶だ。あっちの世界なら摘発待ったなし。お巡りさん、こっちです。
「いやアンタら冒険者でしょ」
突っ込み不在の状況を憂い、今まで黙っていた薄茶の宝珠がのたまった。
冒険者、それは怪物退治、遺跡探索、宝探しに失せ物探し、政治の裏で暗躍したり、はたまた家出少女の説得したり。村の勇者から汚れ仕事まで、依頼によってさまざまな役をこなして生計を立てる何でも屋である。
「もうゴブ公と戦いたくないんじゃ! 痛いんじゃ! 怖いんじゃ!」
冒険者の仕事に争いはつき物で、怪物と対峙することも少なくは無い。しかも『傭兵』であるアルトが前衛以外を勤めるなど考えられないわけで。
つまり次にまたゴブリンと対峙すれば、やはり傷を負うのがアルトの役割で、それは切実な問題だ。
「そんなこと私に言われましても…」
「何でこんなことになっちまったんだ、『傭兵』って言ったって、オレはただテーブルの上でサイコロ振ってりゃよかったハズなのに」
まさかテーブルトークRPGをやりに来たのに、異世界でマジの冒険をする羽目になるなんて誰も想定していなかっただろう。
「アタシはどっちでもいいけどにゃー」
後衛職のマーベルにとってはそれほど切実じゃないのだろう。そうでなくても先の戦闘ではアルトほどの嫌悪感を出していなかったように思う。
「何を言う思いだせ、あの臭いを。ほら、嫌だろ?」
味方だと思い込んでいたアルトは、なにやら必死にねこ耳童女の肩を揺さぶる。
「あー、うんゴブちゃんは、臭いよね」
されるがままのマーベルは目を瞑り、しみじみと先日の出来事を反芻する。
おそらくゴブリンは生まれてから一度たりとも風呂に入ったことが無い。あの耐え難き異臭は、風下にいたら100メートル先からでもわかるかもしれない。
「もう戦わなくていいって言うなら、オレは悪魔に魂だって売っちゃうぜ」
「まーウチは酒代さえ稼げればええんや」
彼女は神に仕える『聖職者』。だが彼女が仕える事に定めた神は『キフネ』という酒の神である。なかなかリベラルな神なので、このような振る舞いも許されるのだろう。
「ひらめいた! 家を買おう!」
何やら必死なアルトがテーブルを勢い良く叩いて立ち上がる。その目は今までで一番の輝きを湛えている。
「無理ですね。自分の所持金いくらだと思ってるんです?」
「うぐ、銀貨11枚では、やはり無理か」
ジョッキ1杯のヤギの乳、銀貨1枚。アルトの財布は教会を出た時よりさらに軽くなっているのだ。しかもその金額は虚ろの財産。マーベルからの借金を合わせればマイナス値である。
「どんだけやねん。リカちゃんハウスより安いで」
リカちゃんハウスは安いものでも3000円前後、仮にそのままの価値でメリクルリングRPGの世界にあったとしても銀貨30枚。しかも買えても住むことは出来ない。当たり前だが。
「ならアパートだ。借家でどうだ。宿に定住するより安いはずだ」
「アタシ、お風呂とトイレは別のやつがいいにゃ」
マーベルが同調する。もちろん深くは考えていない。
思いがけず騒がしくなったテーブルを他の客が眉をしかめつつ遠巻きに眺める中、一人の壮年の男が立ち上がり、ゆっくりとアルトたちのテーブルに近づいてきた。
「ほお、そこな騎士様はお住いを探していらっしゃる」
背は低く小太りだが、立派なカイゼル髭の紳士だった。身に付けたねずみ色の三つ揃いの背広も仕立てが良さそうだ。
「おいちゃん誰?」
酔いで半分瞑りかけたような瞳でモルトは問う。それに対し小太りの紳士は大仰に、山高帽を胸に当ててお辞儀する。
「これは申し遅れ失礼しましたお嬢様。わたくし、この街で不動産業を営んでおりますゼニーというしがない商人でございます」
そう名乗った紳士は、くったくのない笑顔で一同の顔を見回した。
「ゼニーて。こらまた景気良さそうな名前やなー」
「それで騎士様、どのようなお部屋をお探しで?」
ちゃっかり一同の輪に加わったゼニーは、自分の注文した料理の小皿をアルトに勧めながら話を促す。茹でた小エビをあしらったサラダだった。マヨネーズに似た少し酸味のあるドレッシングの香りが一同の鼻をくすぐる。
ヤギ乳だけではもう空腹を誤魔化しきれなくなっていたアルトは、遠慮なくフォークを小エビに突き刺した。考えてみればこの世界に来てから保存食以外食べていないのだ。
「とんでもにゃー、アタシらただの冒険者だよ」
「おお、そうでございましたか。美しいお嬢様方と精悍な戦士様、てっきりどこかのご令嬢を守護する徳高き騎士様かと」
見え透いている。端から見れば鼻をツマミたくなるほどのベタベタさだ。だがここまでベタに言われると、実生活で褒められ慣れていないアルトなどは満更でもなかった。
「そないにおだてても何も出んでー」
さすがに苦笑いしながら、これまた奢りの果実酒を飲み干し、店員に追加を指示する。合計ですでに6杯。あの水分がどこに消えるのか不思議でならない乙女の秘密だ。
「おだてなどとはとんでもない。わたくしは正直者と近所でも評判です。正直すぎて商人に向いてないってよく言われるんですよ」
「よお言うなぁ。あはははは」
「あはははは」
モルトが笑えばゼニーも笑う。アルトもマーベルもニコニコだ。もうここだけ朝のテンションではない。他のテーブルからの視線が、より一層冷ややかになる。
「しかしなにゆえ冒険者様方はお部屋を入り用で?」
核心を突くようなゼニーの質問に、アルトは少し恥じ入る気分になり、気まずそうに頬をかいた。
「ぶっちゃけオレ、冒険者とか向いてないかなーって」
嘲笑されるかとも思ったが、ゼニーは少年の言葉に大仰に頷く。
「冒険とは常に死と隣り合わせでしょう? そんな勇気も大切でしょうが、平凡でも健康で長生きすることもまた、同じくらい大切です。街でささやかに暮らす。それもまた良うございますよ」
「そ、そうかな?」
「そうですよ」
全面肯定である。『冒険者』なのに冒険者らしからぬ暮らしを求める事に、罪悪感のような後ろめたさを少しだけ感じていたアルトだったが、この思わぬ所から現れた援軍に、自己の理論の正当性を信じて疑わぬ高みへと押し上げた。
すなわち、一般人最高。
なぜこの世界に来たのかは謎である。謎であるなら、やはり謎のまま突然元の世界に帰るかもしれない。ならば極力危険は避けて帰還を待つのが、正しい生存戦略なのだ。
少なくともアルトはこの時、そう信じた。
しかし問題ももちろんある。
「ぶっちゃけるけど、実はお金、あんまりないんだよね」
ゼニーの瞳の奥が、かすかに光った。彼の心境をあえて釣り番組用語で例えるなら『ヒットー!』である。
「いやいや心配ございませんよ戦士様。ちょいとわたくしの仕事を手伝っていただけましたら、格安のいいお部屋をご紹介します。はい」
「敷金礼金なんぼやろな?」
「もちろん頂きません。はい」
悪い話ではない。だが懸念すべき事項もあった。ゼニーはアルトたちを『冒険者』と知った上で『仕事』と言ったのだ。それが『冒険者の仕事』でなければ良いのだが。
「いやいやいやいや、いやなに、郊外の村にある販売用物件のお屋敷を、お客様に引渡しできるように掃除してくるだけで結構なんですよ。ね、簡単でしょ?」
わざわざ人を頼むくらいだから、かなり汚れているのかもしれない。そうなれば掃除も一筋縄では行かないかもしれない。
それでも、もう戦わなくていいのなら、どれほどの苦労でもないように思えた。
「もちろん、別途に報酬をお支払いする用意もございます」
なにやら今のアルトにおあつらえ向きな仕事だ。もう至れり尽くせりといってもいい。
「どう、する?」
しかし彼の独断で決めるわけには行かない。アルトはおそるおそる仲間を見回した。
「アっくんに任せるにょ」
「ウチもええよ。お酒があれば何処でもハッピーやし」
かくして、3人は冒険者として、初めて依頼を受けることになったわけだ。
数時間後、件の屋敷の玄関に歩哨として立つゴブリンの姿を見とめ、アルトは血の涙を流すことになる。
「ねぇねぇ、このシナリオってGMが用意してたやつ?」
「ん、まぁ、そう、ですね」
「あんたなかなか根性悪やね」