05兄と妹
その日の朝、マクラン家執事であるセバスよりもたらされた依頼の報酬額は、1万銀貨だ。
すでにレベルだけで言えば中堅冒険者であるアルトたち一行だったが、1万銀貨などという報酬を貰う事は初めてだ。日本円にして約100万円、もともと高校生であるアルトにしてみれば、それは夢のような大金だった。
「どどど、どうするよ、そんなに貰って大丈夫か? 明日死ぬの?」
「おちつきやアル君。5人で分けたら2千銀貨やで」
それにしたって20万円。元の世界では1ヶ月5千円のお小遣いを貰っていたアルトにすれば3年分を凌駕する金額だ。突然降って湧いた大金話に、アルトの膝はガクガクと震える。
「アっくんは大げさにゃ」
だが同じ高校生のはずのマーベルは割と平然としていた。こいつ、お年玉総額が20万円越す家の子か。と、アルトは推定お嬢のねこ耳にジト目を向けた。
「まぁ『盗賊ギルド』へ保護料払ったら、途端に一人頭400銀貨ですぞ」
そう言えばそんな話だった。
ラ・ガイン教会から派遣されて来る「かもしれない」暗殺者への保険として、『盗賊ギルド』に保護料を払いたいのだった。それが8千銀貨。それなら実質手に入る報酬は2千銀貨だ。
これでようやく現実的な金額まで降りて来たので、アルトの膝は震えを止めた。
「ちなみに皆さんのレベルでしたら『少し割りのいい仕事』程度なんですけどね」
そんな貧乏サムライの姿に、そっと哀れみの溜め息をつく元GMであった。
「妹が昨晩も帰ってこなかったんだ」
セバスに連れられてまたもややって来た、『山手地区』はマクラン邸の執務室。冒険者たちを待っていた帝国騎士マーカスは、その巨体をくの字に曲げてむせび泣いた。
いい大人のマジ泣きに一同ドン引き。ただ一人、セバスだけは変わらぬ表情で直立している。
「えー、どないしょ」
「どうしようったって」
1万銀貨のお仕事内容を話していただける、と思ったらこの有様である。モルトは困り顔で仲間に耳打つ。訊かれたアルトもやはり返答に困る。だが当の騎士は冒険者たちの存在を意に介さず、唐突に顔を上げて立ち上がった。
「ああ、可憐でか弱いあの妹が、この寒空の下で不安に泣いているかもしれない。そう思うとこの胸が張り裂けそうだ」
まるで演劇かと言うほどの手振りで窓から空を仰ぎ、そしてまたガックリと椅子に腰を下ろした。
「寒空て。いや初夏ですが」
「清らかな我が妹よ、事件などに巻き込まれていなければ良いが。はっ、あまりの美しさゆえ攫われたのかも知れん。こうしては居れん!」
マーカスはレッドグースの突っ込みもモノともせず、なにやら自己完結気味にまた立ち上がり、いそいそと退出しようとした。
そこでセバス氏の鋭い前蹴りが、抉るようにマーカスの鳩尾にヒットする。
「ぼっちゃま、お仕事がまだ終わっておりません。お控えください」
「う、うむ」
扉際で崩れ落ちながら短い言葉を返し、しばしの呼吸困難に陥りつつ、マーカスはやっと我に返ったように席に戻った。
「いや見苦しい所を見せた。妹の事が心配で心配で心配で」
「3回も言ったにゃ」
「よっぽど心配なのですな」
椅子に深く腰掛け、息と共に吐き出すように言うマーカスの顔は、先日より更に疲れでやつれた様に見えた。おそらく満足に睡眠も取っていないのだろう。
「この人の話を聞く限りその妹さん、アレやね。そうとう深窓のお姫さんや」
帝国騎士閣下がやっと落ち着いたので、場を取り繕うようにモルトは言う。その表情は複雑な感情を織り交ぜた笑顔だった。
その言葉を繋げるように後を継ぐのはマーベルだ。
「そういうの知ってるにゃ『立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花』にゃ」
「そう! 君いいこと言った。なかなか見所があるな」
妹を褒められ目を輝かせたマーカスは、その瞬間、ねこ耳童女の手をとる。
「あー、なるほど『立てば炸薬、座ればボカン、歩く姿はパンツァーファスト』ですな。知ってる知ってる」
「言葉の意味は判らないけど、君、死刑ね」
マーベルの手を取ったまま、マーカスの鋭い眼は酒樽紳士を射抜くのだった。
なんだかちっとも話が進まないので、アルトは溜め息をつく。
「オレたちに依頼したい内容ってのは、その妹さん探しか?」
少し冷めた声に、マーカスは再び我に返ったようで、自分の椅子に戻って咳を払う。
「うむ、そうなんだ。本当は俺自身が探しに行きたいが、仕事も放り出すわけに行かなくてな。くれぐれも無事に保護して欲しい」
セバス曰く『家出少女』である。家出少女探しで1万銀貨。これはかなり美味しい仕事だ。ならばこの帝国騎士殿の性格やその他には目を瞑るが吉。と、一同は無言で深く頷いた。
「で、その妹さんの詳しい特徴などを一つ」
仕事に関する契約が口約束ながら成立すれば、次は情報が必要だ。曖昧で美麗な修飾ではない、具体的な話を求めレッドグースが問いかける。マーカスは誇らしげに胸を張り、その問いに答えた。
「うむ、どんな花より可憐で、どんな宝石よりも気高い。まさに永遠の純潔乙女と言っていいだろう」
結局出てきたのは曖昧で美麗な例えばかりだった。
振り向けば、執事の老エルフが無言で首を振ったので、もうこの騎士殿から話しを聞くのを止める事にする。おそらく彼から有益な情報は得られないだろう。
「あ、ちょっと待ちたまえ」
最後に報酬について少し話し、前金をいくらか貰って退出するアルトたちを、マーカスが呼び止める。
「昨日も気になったのだが、それは何かね?」
彼の指差す先はレッドグースのベレー帽。その上では人工知能搭載型ゴーレムの少女が、大人しく座っていた。
「ティラミスの事でありますか?」
まさか自分に話が振られるとは思っていなかったようで、この小さな少女はきょとんと首を傾げる。マーカスは優しく微笑みながら頷いた。
「そうか、ティラミスと言う名前か。良い名だ。ときに相談だが、それを俺に譲ってはもらえ」
そこまで言いかけた所で、軽やかに舞った老執事の上段蹴りが、マクラン家当主の顔面を強打した。
主人の言葉に横槍はさせない、と今更ながらに口をつぐんだセバス氏の勧めに従い、アルトたちは隣の屋敷のメイドたちに話を聞く事にした。
マクラン卿の妹君についてだ。
実兄から直接いろいろ伺った筈なのに、いまいち本人像が浮かばない。浮かんでくるのは、想像上にしか存在しないような、キラキラふわふわとしたお姫様像だけだ。
だがそんな深窓の姫が、はたして家出などするだろうか。
「という訳なのですが、マクラン卿の妹君とはどんなお方で?」
シックなエプロンドレスに竹箒、と言う出で立ちからして、庭掃除中と目されるメイド2人を見つけ、レッドグースは我先にと話しかける。
「マリオン様ですか?」
「そうそう」
初めて妹君の名を知ったが、気にせず頷くことにする。
「活発で明るいお嬢様ですわ」
「ちょっと性格キツイけどね」
長い髪のお姉さんメイドが頬に指を当ててそう答えると、すぐにもう一人の短髪メイドが言葉を継ぎ足す。直後、お姉さんメイドに「めっ」と叱られて舌を出した。
「いいですね、メイドさん。メイドさんはこうでなくては」
「知らんにゃ」
後ろでお手玉されながら薄茶色の宝珠がうっとりと呟き、ねこ耳童女に素気無く返される。
それはともかく、と、モルトは眉をひそめて首をかしげた。
「ちょっと騎士のにーちゃんとは言うとる事が違うやん。別人やないの?」
「いや、オレに聞かれても」
確かに、あの深窓の姫君像が美化後の姿だとしても、「活発で明るく性格キツイ」が「可憐でか弱い清らかな妹」にはならないだろう。
そんな疑問を額のしわに換えるモルトの様子に、メイドたちは顔を見合わせた。
「マクラン卿はなにぶん、妹想いだからいろいろと、ね」
「あのにーちゃん、現実が見えてないんだよ」
今度はアルトたちが顔を見合わせた。
「そうそう、捜索を頼まれたはいいものの、ワタクシたちマリオン殿を見た事がありません。何か一目でわかるような特徴はありませぬか?」
「綺麗な金色の髪を、いつも左右で結ってます」
「こんな風にチョロンとね」
短髪メイドが自分の指で、頭の横に小さな弧を2つ描く。想像するにシュリンプテイルと呼ばれる形のようだ。
その虚空に描かれた髪形に、アルトたちは再び顔を見合わせた。
「なんかオレ、その人、見たかも」
「ウチも。『金糸雀亭』で」
マリオン・マクラン、3レベル『魔術師』。先日、黒髪の『警護官』アスカに引き合わされていた、釣り目の少女の事だった。
「おばちゃん、1万銀貨…いやマリオンはどこだ?」
急いで『金糸雀亭』へ取って返したアルトが叫ぶ。夜になれば賑わう店内だが、やはり昼間はガラガラだ。しかもまだ午前中なので店主しかいない。
「マリオン? ああ、昨日アスカに紹介した『魔術師』だね。え、そんなに慌ててどうしたんだい」
一通りの仕事を終えて暇そうにしていたおばちゃん店主は、慌てるアルトを好奇の目で向かえる。なにか面白いトラブルを期待する様子だ。
「マリオンてマクラン卿の妹やろ? その妹探しがウチらの方の依頼やねん」
慌てる若サムライに続いて、優雅に白い法衣を翻しながら、モルトがカウンター席へ歩み寄る。そして事情を話しながら銀貨を数枚、店主に渡した。
おばちゃん店主は心得たように銀貨と引き換えの酒杯を渡す。3日目にして「いつものヤツ」と化した赤い果実酒だ。
「して、マリオン殿はどちらへ行きましたかな?」
「さて、アスカたちと仕事に出かけたよ」
「どこにゃ、どこに行ったにゃ」
おばちゃんはとぼけた振りでカウンターに肘をつき、一同を見渡してからニッコリと笑った。
「それより、昼飯はまだだろう? 何か食べていくかい」
「いや、いいから。マリオンの行方を」
まだ少し早いが、確かにそろそろお腹も空く頃だった。しかしアルトに重要なのは報酬1万銀貨の方だ。
だが、彼の言葉を押し止めるように、おばちゃんは更に押しの強い笑顔を繰り出す。
「食べていくかい?」
「その、だから」
「食べていくかい?」
「はい、いただきます」
迫力に負けたアルトは、うつむきながらそっと8枚の銀貨を置いた。マクラン卿からさっき貰ったばかりの、前金の一部だった。
「はい、まいどあり。素直な子は好きだよ」
結局、全員ランチメニューをぺろりと頂き、その後にやっと、アスカたちの仕事が『船員ギルド』からの依頼だと教えてもらう事ができた。それ以上のことは守秘義務とのことで教えてもらえなかった。
『金糸雀亭』が面する大通りをそのまま南下すると、やがて『港湾地区』が見えてくる。海に面した港と、それに付随する倉庫街や市場、そして『商人』や『船乗り』の為の宿、酒場などが主な施設だ。
「船員ギルドって何するギルドにゃ?」
『商業地区』から徐々に変わる町並みを眺めながら、マーベルがねこ耳を傾ける。名前からして『船乗り』が集まっている事はわかるが、それ以上はピンとこなかった。
「船のオーナーや管理者たちに、船員を斡旋するのが主な業務ですね。あとは入出港する船から税金を徴収する業務も、国から委託されているようです」
船、と言っても当然、エンジン機関など存在しないので、基本は帆船やガレー船だ。そうなると規模にも因るが、操船にたくさんの船員が必要になる。そうした大人数を一手に斡旋できる組織、それが『船員ギルド』だ。
このボーウェンのような港街では、当然その権力も大きい。その『船員ギルド』が、アスカたちの雇い主と言う訳だ。
「しかし、あちこち行ったり来たりで、出来の悪いお使いゲーみた」
頭の上で両手を組んだアルトが、左右の大刀二本差しをガチャガチャ鳴らしながら言いかける。
話の内容自体は他愛もないものだったが、それでも途中で切られると気になるようで、モルトやマーベルは怪訝な表情を浮かべてアルトを見た。
アルトは道行く人の流れを、驚愕の瞳で見つめていた。
「なんや、知り合いでもおった?」
無意識に左腰の『胴田貫』を探るアルトは、その一言でハッとした。
「いや、なんでもない。たぶん、人違いだ」
彼が見たのは、銀の刺繍を散りばめた『長衣』を着た、銀髪の少女だった。
人の波間に一瞬だけだったので、顔まではわからなかった。ただそこから連想される人物が彼らにはいるのだ。
その名はナトリ。つい1ヶ月と少し前に出会ったアルトたちの敵。
だが、彼女のボスはニューガルズ公国で暗躍中の筈で、その配下のナトリがこの街にいる可能性は低い、そう考え直してアルトは頭を振った。
「まー、この世界において我々の知り合いなど、数えるほどしか居りませんからな。気のせいでしょう」
何を見たか知らないレッドグースは気楽に言い放ち、アルトは嫌な汗と共に高鳴る鼓動を、彼の言葉で慰めた。
しかし一度は落ち着きかけたアルトの心臓は、直後にまた跳ね上がる羽目になる。その銀髪痩身の少女がアルトに気付き、こちらに寄って来たからだ。結果、アルト以外の者たちも、その姿を見ることになる。
「こんにちは、お久しぶり」
記憶と違わず平坦な口調でそう言うのは、やはり銀髪の『精霊使い』ナトリだった。彼女は黒い革張りのアタッシュケースを提げていた。
「おー、アレにゃ。暗殺者が早速来たにゃ?」
マーベルが眉を吊り上げファイティングポーズをとる。シャドウボクシングの要領で宙にワンツーをかましながら、彼女は軽やかにステップを踏んだ。
その言葉に一同はより高い警戒に身を引き締める。そうだ、前回会った時、この銀髪の少女は彼女のボスより、アルトたちの抹殺指令を受けていたはずだ。
「あー、うん。今日は違う。というかここで会ったのも偶然」
いつものローテンションぶりで言いながら、ナトリは顔の前で手を振る。相変わらず敵のわりに緊張感がない。余裕ではない。ただこれが彼女の素なのだ。
「しかしナトリ殿のボスはニューガルズ公国でご活躍でしょう。我々を追って来たのではなくて、こんな異国に何用ですかな?」
普通なら敵に訊かれて答えない類の話だが、ナトリは少し思案顔してから浅く頷く。
「ボスは今、タキシン王国にいる。私は探し物…あ」
言いかけて彼女は小さく声を上げた。その表情に珍しく少しだけ焦りを浮かべる。
「忘れてた。今回は『秘密』と言われてた。だから、今のなし」
そう言って顔の前に人差し指を立てるナトリだった。
結局、大した話もなくナトリとは別れ、アルトは胸を撫で下ろす。
初めの出会いで一度はトキメいてしまった相手だけに、敵に回してやり合いたくない。アルトは彼女に対してそう思っていた。
さて、倉庫が立ち並ぶ通りを抜けると、いよいよ海に面した港となる。
切り出した岩を組み合わせて舗装された岸壁には、大小さまざまな船が停泊し、船員や漁師たちが忙しそうに行き来していた。
「ふむ、『船員ギルド』はどこですかな?」
働く男たちの邪魔にならないよう倉庫の外壁に寄り、レッドグースは開けた視界をぐるりと見渡す。『船員ギルド』ほどの重要施設なら、簡単に見つかるはずだ。そうでなければ、この港に初めて来た船や船員は困るだろう。
はたして倉庫街から少し離れた場所に、『船員ギルド』はポツンと建っていた。
2階建て円柱型のビルで、屋上には灯台を模したオブジェが突き出ている。いや、実際夜になれば火が灯るのかも知れない。
見れば、その船員ギルドのビルから、ちょうど2人の人影が出てくるところだった。その1人は遠目にも目立つ、美しい黒髪を長く伸ばした『板金鎧』の乙女だ。ならばもう1人の金髪少女こそ、アルトたちの探すマリオン嬢なのだろう。
「グッドタイミングやん!」
パンと両手を会わせてモルトが跳ねる。彼女の目にはその金髪少女が、もう銀貨の塊に見えた。
「アースーカーちーん」
機嫌よく手を振りながら駆け出すモルト。アルトたちは一瞬ぎょっとして、急いで彼女の後を追った。駆け足だったこともあり、彼らはすぐにアスカたちに合流する。
「何なんだよアンタら」
10年来の友人に、久しぶりに会ったかのようなモルトのリアクションに、少し引きながらアスカは腰の差料を探す。別に敵意がない事はわかっているが、それでも前線に身を置く者の習性だろう。
それが判っている同じ前線者のアルトは、やはり自分の差料を左手で押えながらアスカの前に出た。
不思議とナトリの時のようにドギマギはしなかった。美人ではあるが、凛々しさの方が先に立つせいだろうか。
「こんにちはアスカさん。でも用があるのはアンタじゃなくて、そっちの『魔術師』。えーとマリオンさん、だろ?」
突然の指名にシュリンプテイルの少女は釣り目を更に鋭くし、アルトとその仲間を値踏みするように見回した。
アルトは鋭い視線に思わず怯み、彼に代わって肝が据わったねこ耳童女が前に出る。
「アタシら、騎士の兄ちゃんに頼まれたにゃ。一緒に帰るにゃ?」
「嫌よ」
交渉は2秒で終わった。




